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2021年12月26日にNHKEテレ「新日曜美術館」で,「ピカソ「ゲルニカ」〜実物大8K映像の衝撃〜」が放送され,2022年1月16日に再放送されました。NHKのホームページに次のように紹介されていました。
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(8Kの実物の)大迫力と繊細な筆遣い。ピカソはどんな思いで描いたのか? わずか1か月で完成! しかし猛烈な批判にさらされた知られざる物語。天才ピカソが遺した最後の謎めいた言葉とは?
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スペイン内戦(Guerra Civil Española)は,第2次世界大戦直前の1936年から1939年まで第2共和政期に発生した内戦です。左派の人民戦線政府右派の反乱軍とが争いました。
このスペイン内戦で,反政府側のフランコ軍を支援するナチス・ドイツ軍が1937年にスペイン北部バスク地方の町ゲルニカを無差別爆撃し市民を巻き込んだ殺戮をパブロ・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso)が描いたのが「ゲルニカ」(Guernica)です。「ゲルニカ」では,戦闘場面ではなく戦争によって与えられる恐怖や苦しみや悲しみなどの人間の感情が示されているといいます。
人は現実で生きているよりも,精神で生きています。そこで,絵画にせよ,音楽にせよ,精神に訴えるものはいつまでの残ります。現実からうける精神の姿をひとのこころに訴えることができる実在の作品として残せる人はすごいです。
私は1981年の夏,生まれてはじめてひとり旅でニューヨークに行きました。そして,滞在の最終日,どこに行こかと迷っていたときに,だれだったか忘れたのですが,私に「ゲルニカ見ておいで,ニューヨークにあるよ」と言われて見てきたのが,この正真正銘の本物の「ゲルニカ」だったのです。当時「ゲルニカ」が展示されていたのはニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art)だったのですが,このとき私にアドバイスしてくれることがなければ,この絵を見ることもなかったと思うので,今でも感謝しています。
今,「ゲルニカ」はスペインの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)にありますが,これを機に,そのいきさつを調べてみることにしました。
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「ゲルニカ」は,1937年のパリ万国博覧会においてスペイン共和国館に展示するために制作されたものです。スペインが民主国家になるまでは返さないというピカソの信念によって委託展示されていたのがニューヨーク近代美術館というわけでした。
1960年代後半,アメリカでベトナム戦争参戦が誤りだったという論調が趨勢を占めるようになるとともに「ゲルニカ」が注目され,反戦のシンボルとして使用されるようになりました。そして,アメリカによるベトナムでの残虐な軍事行動で,アメリカが「ゲルニカ」を手元に置いておく権利がないという考えが生まれました。
1978年,スペインとアメリカの政府は,絵画がスペインに移送されるべきであるという判断を発表し,ピカソが名誉館長を務めたマドリードの国立プラド美術館や絵画の主題の対象地となったゲルニカ,ピカソの出生地のマラガ,ピカソが青年時代を過ごしたバルセロナなどが絵画の受け入れ先として候補になりました。そして,1981年にスペイン返還が決定し,9月10日にマドリードのプラド美術館別館「カソン・デル・ブエン・レティーロ」(El Cason del Buen Retiro)に運び込まれました。
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ここまで調べて驚いたのは,私が「ゲルニカ」をニューヨークで見たのは1981年8月4日だったから,このわずか1か月後にはすでにニューヨークにはなかったので,私が見ることができたのはまさに奇跡的なことだったわけです。
やがて,マドリード市内に国立ソフィア王妃芸術センターが開館すると,「ゲルニカ」はコレクションの目玉としてプラド美術館からソフィア王妃芸術センターに移されました。
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Wolf Moon.
1月の満月は2022年の最遠の月でした。
同じ日の太陽を同じスケールで並べてみました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは