●パーシヴァル・ローウェルと火星●
パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,1855年に生まれ1916年に亡くなったボストン生まれの天文学者だが,同時に日本研究者でもあった。ボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学んだ。もとは実業家だったが,火星に興味をもって天文学者に転じ,私財を投じてローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込んだ。
ローウェルは天文台の建設地としてアリゾナ州フラッグスタッフという天体観測に最適な場所を見出し,天文台は惑星研究の中心地となった。ローウェルは,フラグスタッフの地を見つけるまえに,日本に天文台を作ろうと候補地をさがしていたが,日本のシーイングの悪さが原因で断念した。
ローウェル天文台の口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡を「クラーク望遠鏡」という。この望遠鏡は世界で最も歴史のある望遠鏡のひとつである。1895年ローウェルはマサチューセッツ州ケンブリッジポートのアルヴァン・クラーク&サンズに最先端の24インチ屈折望遠鏡の建設を依頼し,1896年に20,000ドルの費用をかけて製造され,アリゾナ州まで列車で運ばれた。ローウェルはこの望遠鏡を使って火星の知的生命に関する理論を進め世界的な注目を集めた。
しかし,ローウェルの最大の業績は,最晩年の1916年に9番目の「惑星X」の存在を計算により予想した事である。実際,1930年にその予想に従って観測を続けていたクライド・トンボーにより「冥王星」と名づけられる「惑星X」が発見された。今,ローウェルは24インチ屈折望遠鏡のドームの脇の廟に眠っている。
火星は今でこそ探査機が訪れ,詳しく研究される時代だが,そうしたことができなかったその昔,この惑星は興味津々の対象であった。火星に運河が存在する,そしてまた,火星人がいるということが信じられたことがあった。
ローウェルの生きた19世紀後半から20世紀前半,火星には運河が存在すると信じられていた。「運河」とされたのは初期の低解像度の天体望遠鏡によって眼視によって観測された火星の赤道付近の地域にある網目状の長い直線であった。「運河」は,1877年イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリ(Giovanni Virginio Schiaparelli)がミラノ天文台の口径22センチメートルの屈折望遠鏡での観測ではじめて記述された。スキアパレッリは火星にあるこうした線を「溝」(canali)とよんだのだが,これが「運河」(canals)と英訳(誤訳?)されてしまったのだ。ローウェルはその影響を受けて,運河は火星の知的文明によって灌漑のために開削されたというスキアパレッリよりもさらに踏み込んだ考えをもち,火星人の存在を唱え「Mars」など火星に関する著書を書いた。しかし,スキアパレッリ自身は,ローウェルのスケッチの細部はほとんどが想像上のものと考えていた。
また,運河の存在が転じて,火星人の存在が話題となっていって,イギリスのSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)が1897年に発表した小説「宇宙戦争」(The War of the Worlds)に登場したタコのような火星人のイメージが世間に定着した。
ローウェルの死後のことだが,1938年ハロウィーンの特別番組としてアメリカのラジオ局が「マーキュリー放送劇場」(The Mercury Theatre on the Air)を放送した。ウェルズの「宇宙戦争」に基づいたものだったが,この番組は,音楽中継の途中に突如として臨時ニュースとして火星人の侵略が報じられるという体裁になっていて,物語の舞台がアメリカに実在する地名に改変されていた。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ,実際の火星人侵略が進行中であると信じさせたのは有名な逸話である。
また,クラーク望遠鏡で行われた観測に基づくローウェルの著作は,ロケットの専門家ロバート・ゴダードやSF作家のH・G・ウェルズにも影響を与えた。
後年,24インチ屈折望遠鏡は惑星や月,彗星などの研究に利用され,V・M・スリッファーは24インチ屈折望遠鏡を分光器と組み合わせて使用して,宇宙の膨張に関する革命を起こした。
また,1960年代,アメリカの月への有人飛行を支援するために,24インチ屈折望遠鏡を使用して月の詳細な地図が作成した。アポロ宇宙飛行士はこれらの地図を研究し,月に行くための訓練の一部としてクラーク望遠鏡を使用した。
1980年代になると,24インチ屈折望遠鏡の主な用途は教育利用に変わった。それ以来,200万人以上の一般の人が昼間に行われるツアーに参加したり,夜間の天体観測に訪れるようになった。2014年から2015年にかけて,120年前に作られたクラーク望遠鏡は修復され,すべてのナットとボルトが洗浄され大規模な修復を受けたほか,内側と外側に新たに塗装が施され,今日の姿がある。
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2019夏アメリカ旅行記-火星・冥王星・ローウェル天文台①
●ローウェルが設立した天文台●
「化石の森国立公園」から戻って,次にローウェル天文台に向かうことになった。これをもって,念願のフラグスタッへ来て,観光1日目にして,私はここに来た目的のすべてを達成することになる。
旅慣れてくると,こうした要領がよくなってくるのだが,それはそれで,次第にときめきもなくなる。何も知らなかったころは驚きの連続で,どこまでもまっすぐに続く道を走るだけでも感動したものだが,それもあたりまえになってしまった。このごろは,アメリカを旅行しても,数日間東京に行ってきたのと違いがないみたいになってきた。帰国した後で,本当に行ってきたのかという実感すら乏しくなってきたのが,さびしい限りである。
インターステイツ40を西に走ってフラグスタッフまで戻ってくると,オールドルート66という茶色の道路標示があったので,そのジャンクションでインターステイツを降りた。
アメリカでは,観光名所の案内標示はすべて茶色で統一されているからわかりやすい。フラグスタッフの町はメインロードがオールドルート66が走っていたところなのだ。
オールドルート66はダウンタウンを西に進んでいくと突き当りを左折していくが,その交差点を左折せず直進すると狭い道になって,そのまままっすぐに進んで行くと坂道になる。その坂を登っていくとその先にあるのがローウェル天文台である。ローウェル天文台のシンボルである口径24インチ屈折望遠鏡の収められた白いドームは坂の下からも見ることができる。
ここに来るまで不安だったのが,果たしてローウェル天文台は自由に見学することができるのだろうか? 念願だったクラウド・トンボーが冥王星を発見したという望遠鏡は見ることができるのだろうか? ということであった。ネットで事前に調べた限りでは,朝から夜まで終日一般に公開されているらしいのだが…。
ローウェル天文台(Lowell Observatory)は,1894年パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)が私財を投入して設立した天文台である。現在はローウェル天文台財団(Lowell Observatory Foundation)が運営している。歴史的に有名なローウェルが使用した口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡と,クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)が冥王星の発見に使用した口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀があり,ともに一般を対象として公開されている。
私は,トンボーが冥王星を発見した天体写真儀をこの目で見たくて,この天文台に足を運んだわけであるが,むしろ一般に有名なのは,ローウェルが火星を観測したほうの24インチ屈折望遠鏡で,こちらの望遠鏡のほうがさまざまな本に紹介されている。日本人がこの天文台に行ってブログなどに載せている望遠鏡もほとんどがそちらのほうである。この後で詳しく書くが,私が実際に参加した天文台のガイドツアーも,ローウェルの使用したほうの望遠鏡がメインだし,予備知識がないと,トンボーが使ったほうの13インチ天体写真儀はうっかり見逃してしまうかもしれないから,わざわざこの地を訪れて,ローウェルの使った望遠鏡だけを見学してきた人も少なくないと思われる。
ローレル天文台に行く坂道の途中に展望台があって,そこからフラグスタッフの町を一望することができた。さらに進んでいくと天文台の門があって,それを過ぎると,その先に広い駐車場があった。結構多くの車が停まっていたが,スペースを見つけて車を停めた。天文台の入口まで歩いていって中に入った。
扉を開けるとそこに受付があった。見学料を払うと,この日に行われているイベントにすべて参加できるということであったので,さっそく料金を払った。ちょうどガイドツアーがちょうどはじまったところで,受付のとなりの小部屋でレクチャーをしていたので,私も参加した。参加者は十数人といったところだった。レクチャーではビデオを見ながら天文台の説明をしていた。私はものすごく興味があったからとても楽しく聞き入っていた。やがてレクチャーが終わると,いよいよウォーキングツアーがはじまった。








