しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:フェアバンクス

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 私がアラスカ州のフェアバンクス(Fairbanks)に行ったのは2017年の夏のことでした。この年の8月21日にアメリカ横断皆既日食があって,私はそれをアイダホ州で見たのですが,その帰りにアラスカ州まで足をのばしました。
 アラスカ州まで行ったのは,その当時,アメリカ合衆国50州制覇を目指していて,アラスカ州に行った理由はそのためでした。
  ・・
 ワシントン州のシアトルからアメリカ国内線でフェアバンクスまで行きました。
 フェアバンクスはアラスカ州の中央部に位置する都市で,人口は約3万人。アラスカ州ではアンカレッジに次ぐ第2の都市ですが,それでも小さな町でした。 北緯65度あたりにるるので,北緯66度3分7秒の北極圏からは約160キロメートル南に位置しています。
 フェアバンクスの面積は約85平方キロメートルなので,9キロメートル四方ほどでしょうか。車で走ってみるとあっという間に市街地を抜けて大平原に出ます。市内をチェナ川(the Chena River)が流れ,すぐ南でタナナ川(the Tanana River)と合流していて,夏の間はチェナ川を下る外輪船クルーズが運航していて,私も乗船することができました。

 フェアバンクスのダウンタウンは人が少なく静かな町ですが,スーパーマーケットやレストランなどがたくさんあって,生活しやすいところです。
  ・・・・・・
 1900年ごろ,カナダ・ユーコン準州で金が発見(Klondike Gold Rush)されるとともにゴールドラッシュに沸き,町が整えられました。現在もなお複数の金山が稼働しているということです。 
 町にはテーマパークやら動物園やら博物館やら公園があり,郊外にアラスカ州を縦断するパイプラインもあって,見どころには事欠きません。日本人にとってはオーロラの最もよく見える町として知られていて,郊外にはオーロラの見られるリゾートタウンもあります。
  ・・・・・・

 私はこのとき,見ることができればもっけもの,でも無理だろうとまったく期待していなかったオーロラを見ることができたのですが,オーロラは別としても,今にして,このフェアバンクスという町にまたたまらなく魅力を感じて,ふと,また行きたくなるのです。
 北極圏といえば,私はその後,フィンランドのロヴァニエミに行ったのですが,おなじ極北とはいえ,フィンランドとアラスカではまったくイメージがちがいます。印象では,フィンランドのほうがあか抜けた都会で,アラスカのほうが田舎,というか悠久たる大自然です。
 私はアウトドアが苦手で,というか,都会に生まれたのでそういう習慣がないのですが,その反対に,人はこうした大自然の中で生きる術を学ぶべきだと,できないからこそ思います。今でも忘れられなのは,フェアバンクス郊外で見た大きな住居です。あんなところで生活する自分はまったく考えられないのですが,そんなことができたら,何と幸せなことでしょう。
  ・・
 冬のフェアバンクスは行ったことないので,私には謎の多い町です。
 冬のフェアバンクスにも行ってみたいのですが,あんな寒冷地,おそらく無理でしょう。でも,フィンランドのロヴァニエミで摂氏マイナス30度は経験したので,なんとなく様子はわかります。しかし,いつも思うのは,世界にはこうした町があるということを体験しない人生というのは,ものすごく大切なことを知らないでいるということです。
 フェアバンクスは,私がいまでもこころに残っている小さな町のひとつです。

hya


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●青空がのぞいたので●
 この日の午後に参加した外輪船クルーズは,フェアバンクスで一番のアトラクションだった。
 クルーズがはじまる午後2時ごろになるとすっかり空が晴れ上がり,私はアラスカではじめて青い空を見ることができた。楽しかったクルーズは3時間あまりで終了し,船を降りることになった。
 下船後,車に戻る途中で大型車の駐車場を通ると,すごい数の観光バスが駐車してあった。まるで,日本の観光地のような錯覚を覚えた。
 せっかく青空がのぞいているので,たとえ実現できなくとも,オーロラを見ることができる可能性に賭けることにした。しかし,時間は午後5時。季節は夏。緯度の高いアラスカでは陽が沈むにはまだまだ時間が早かったので,まず夕食をとり,それでも時間があるから,さらに時間を潰すためにフロンティアパークに寄ることにした。
 フロンティアパークのある,町を東西に走るエアポートウェイには多くのレストランがあったので,そのなかからデニーズに行くことにした。

 ひとりで旅をしていて,一番困るのは食事である。このことはだれしも同じであるようだ。日本でもひとり焼肉とか,いろいろと表現されている。常々書いているように,私はグルメでないから食にこだわりがない。日本でひとりで食事をする必要があれば,吉野家で何の問題もないのだが,アメリカではそうした店がないから困るわけである。
 アメリカでもモールに行けばファーストフード店がならんでいるから何とかなる。ショッピングセンターに行けばケイタリングもできる。そうした場所のよい点はチップが不要ということだ。そこで,フェアバンクスでもそうした食事をしていたが,この日は気が変わってデニーズに行った。ちなみにアメリカのデニーズは日本のデニーズとは今は何の関係もない。
 デニーズには「+55」という55歳以上対象の安いメニューがあるから,それを選ぶことにしている。この日もそうしたのだが,それでも,食事を終えたあとで,つまらないお金を使ってしまったような気持ちになったものである。

 その後,パイオニアパークに立ち寄った。パイオニアパークの入口ではサーモンベイクをやっていた。サーモンベイクとは,サーモン,タラ,プライムリブなどをその場で好みに応じて焼いてくれる食べ放題の野外バーベキューである。値段は4,000円ほどであった。それを安いと思うか高いと思うかは人次第だが,友人とパーティでもやるのなら話は別だけれど,ひとり旅の私には縁がない。
 サーモンベイを横目に園内に入ると,子供たちが遊び場で楽しんでいた。ここは絶好の遊園地に違いない。
 パイオニアパークの園内は無料であるが,航空博物館というアトラクションだけは3ドルであった。せっかくアラスカまで行ったのだからと,この日はじめてこの博物館に入ることにした。
 本当にアメリカ人は飛行機好きで,どこに行っても航空博物館があるが,要するに,これまで使った飛行機の捨て場に困ってこうして展示してあるということだ。この博物館はかなり古びていて,日本の温泉街にある場末のアトラクションのようなところであった。しかし,けっこう楽しむことができた。
 
 帰りがけ,公園の広場ではバイオリンの演奏をしていた。遠くからもその音楽が聴こえてきていい雰囲気だったが,写真でもわかるように,演奏しているステージのまわりにいた客はたったひとりであった。
 夏の季節であるのにこんな感じの公園はわびしさ満点であった。私はこのしがなさは嫌いでない。しかし,フェアバンクスはパイオニアパーク以外のどこもまたこんな調子であった。
 大都会の人混みもアメリカなら,これもまたアメリカなのである。
 この広場で目についたのが1両の車両であった。これは大統領車両であった。1923年7月,アラスカ鉄道建設の終了を記念して当時のウォーレン・ハーディング(Warren Gamaliel Harding)大統領の手によって黄金の鉄道レール用の釘(くぎ)が打ち込まれた。車両はそのとき大統領が乗った記念の特別車で,アラスカの美しい自然が楽しめるように大きな窓がついている。
 大役を終えて,現在はこの地に展示されてなかを見ることができるようになっている,というわけであった。
 こうして時間を潰してもまだ空は明るかったが,そろそろ私はオーロラを見るためにアラスカの広大な大地を走っていくことにしたのだった。

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●謎の多いフェアバンクス●
 フェアバンクス(Fairbanks)はアラスカ州の中央部に位置する都市である。人口は約3万人。アラスカ州ではアンカレッジに次ぐ第2の都市である。
 北緯65度あたりにあって,北極圏からは約160キロメートル南に位置している。このときの私はテンションが低く,車で北極圏に行くこともできたのだが気が進まなかった。行かなかったことを帰国してから後悔していたのだが,その後,フィンランドのロバニエミに行ったときに北極圏に到達したから,それ以降はどうでもよくなった。
 フェアバンクスの面積は約85平方キロメートルというから,9キロメートル四方というところか。車で走ってみるとあっという間に市街地を抜けて大平原に出る。
 市内をチェナ川(the Chena River)が流れ,すぐ南でタナナ川(the Tanana River)と合流しているが,今日の午後はそのチェナ川を下る外輪船クルーズに乗船することになっていた。この町でタナナ川は網状流路となっている。
 フェアバンクスは冷帯湿潤気候に属していて,冬季は摂氏マイナス30度から40度前後にまで下がるが,私の訪れた夏は昼は25度まで上昇するから,寒いということはまったくなかった。

 今日の1番目の写真はフェアバンクスのダウンタウンである。人の少ないダウンタウンは静かな町だが,私が行ったときは町の東側は道路工事で車の通行の妨げになっていた。
 2番目の写真はバスターミナルである。私はバスに乗ることはなかったので,詳しくは調べなかったが,一応,町の様々な場所にはバスで移動することができる。しかし,郊外まで行こうとすれば,車がなければどうにもならない。
 そして,3番目が市役所,4番目はアパート,5番目が高等学校である。 また,最後6番目の写真がスーパーマーケットである。スーパーマーケットはフェアバンクスの市内には数件あって,ここに行けば食事はなんとかなったので,かなり重宝した。パック寿司も売っていた。

 1900年ごろ,カナダ・ユーコン準州のクロンダイクで金が発見(Klondike Gold Rush)されると,その隣のアラスカ全土もゴールドラッシュに沸いた。そして,現在のフェアバンクス近くタナナ川支流の渓谷でイタリア人フェリックス・ベドロが金を発見したことにより,タナナ川とチェナ川の合流点に交易所が開かれた。これにより町が整えられていき,1903年に上院議員のチャールズ・W・フェアバンクスの名前をとって,フェアバンクスと名づけられたわけだ。ここでは現在もなお複数の金山が稼働している。
 フェアバンクスは日本人にとってはオーロラの最もよく見える町として知られているが,実は,冬季にフェアバンクスを訪れる日本人は夏季に訪れる観光客からすると僅かであるという。
 これは私にも意外に思える。しかし,雪のないこの季節のフェアバンクスは,車さえあれば楽しく観光ができる。また,この日の夜,私はフェアバンクスの郊外まで遠出して,ついにオーロラを見ることができたのだが,これもまた,車がなければ行くことはできなかった。そんなわけで,夏のフェアバンスクは車さえあれば観光をするのが簡単なので,冬に比べて日本人観光客が多いというのもわからなくもない。

 それに比べて,冬のフェアバンクスは私には謎の多い町である。一体,冬にフェアバンクスに行ったときには,どのような移動手段があるというのだろう。おそらく現地ツアーにすべてをお任せするしか手段がないように思う。
 この数か月後に行った冬のフィンランド・ロバニエミは,フェアバンクスに比べて,非常に観光のしやすいところであった。日本人向けの現地オーロラツアーもあったし,お昼間も徒歩やバスを使えば観光をする場所にはことかかなかった。その点,フェアバンクスはかなり大変であろう。
 このように,冬のフェアバンクスにも行ってみたいが,この町に冬に行って,どうすればよいのか,私には謎が一杯なのである。いずれにせよ,個人旅行に比べて何倍もする高価な団体旅行に参加してすべてお任せで行く限りは何の問題もないのだけれど。

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●「氷の彫刻世界競技大会」が味わえる博物館●
 冬のフェアバンクスは気温が摂氏マイナス20度からマイナス40度になる厳寒の地である。そこで,フェアバンクスでは毎年3月に「氷の彫刻世界競技大会」(World Ice Art Championships)が行われる。これは世界中から氷の彫刻家たちが集まり作品を競い合う世界一の氷の彫刻大会である。
 この大会は,近くにある凍った池から244センチメートル×152センチメートル×91センチメートルの巨大な氷のブロックを切り出して,各チームに与えられ,それを60時間以内に作品として完成させるというものである。
 札幌の冬に行われる雪祭りや日本各地の砂浜で夏に行われるサンドフェスティバルの氷バージョンのようなものであろう。雪や砂とは違って,氷の像は光を幻想的に反射しクリスタルのように輝くというのが魅力である。

 この大会は,1990年にわずか8組のチームで開催されたのが正式なはじまりとされる。現在はパイオニアパークから北にチナ川を渡ったところにあるジョージ・オーナー・アイスパーク(George Horner Ice Park)で行われている。
 競技大会の時期は,この広場に作られた高さ約3メートル,長さ30メートルほどの氷のすべり台が作られ,勢いよくすべるそりの音と子どもたちの歓声が雪の上にこだまする。夜のとばりが下りると,氷に埋め込まれた青,緑,赤のライトがすべり台を光るレールのように宵闇に浮かび上がらせる。
 ひとつの氷の塊から作るシングルブロックの部と複数の氷の塊を使うマルチブロックの部があって,参加者はアメリカをはじめ,中国,ロシア,カナダ,ポルトガル,スペイン,ドイツ,イギリス,フィリピン,日本からと多彩である。透明度の高い地元の天然氷から生まれた彫刻は色とりどりにライトアップされ,夕闇の中でひときわ映えるという。

 ダウンタウンにある劇場を改造したフェアバンクス氷の彫刻博物館(Fairbanks Ice Museum)では,この競技大会で作られた作品が保存されていて,夏でも見ることができる。
 私が入場料を払ってなかに入ると,他にいたのは一組のカップルであった。まず,氷の彫刻に囲まれた客席に座り,競技大会の様子や彫刻の妙技を紹介したビデオを見た後で,実際に彫刻が展示された部屋に行って写真を撮ったりする。そして,最後に,実際に彫刻を作るデモが行われて,中国人の係員が上手に氷を削っていく様を見学するすることができるというものであった。

 このように,オーロラ以外に楽しみの少ない冬の時期にフェアバンクスに行けば,この競技大会を見ることができるわけだ。しかし,フェアバンクスに宿泊しオプショナルツアーでこうした競技大会に出かけ,オーロラを見るために夜だけ郊外に出かけるといった団体旅行にでも参加しなければ,雪の多い冬にはこうしたフェスティバルすら行くことができないだろう。
 私のような個人旅行で冬にフェアバンクスに行っても,雪の積もった不慣れな道路をレンタカーで走る覚悟がなければ,自由に外出することもままらないないに違いない。ましてやオーロラを見るために深夜に郊外までドライブするなんて論外だろう。冬のフェアバンクスを個人で旅するのは容易なことではない。
 

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●わずか数日の思い出が…●
☆13日目 2017年8月28日(月)
 アラスカ3日目の朝である。
 昨晩も天気がすっきりせず,そのまま朝になった。これほどフェアバンクスは天気が悪いとは思わなかった。旅というのは不思議なもので,まだ滞在3日目だというのに,フェアバンクスのことをもうすっかりわかったような気になるのが不思議なことだ。
 若いころは何か月にもわたって旅をしたかったものだが,このごろは旅は1週間で十分だと思うようになった。それは,1週間の旅なら非日常をたっぷり味わうことができるが,これ以上長くなると日常になってくるからだ。
 海外でよくどのくらいの期間旅行をしているのかと聞かれる。1週間と答えると気の毒そうな顔をされる。とはいえ,社会人にとってみれば1週間の休みすら取れないのがこの国である。日本で同じことを聞かれて1週間と答えると,そんなに長い期間!と,今度は逆に驚かれる,働き方改革を叫ぶなら,せめて,年に1度はお正月やお盆以外に1週間の連続した休みを与えることが先決だと私は思う。
 この春,私が出かけたオーストラリア旅行は,緊急に帰国したためにわずか1泊であった。このアラスカ旅行もまた,この日が3日目だった。しかし,いずれの場合も,たった2日でずいぶんといろんなことができるもので,普段暮らしていると特に何もしない,何も思い出せないような1週間がほとんどだというのに,わずか数日の旅でも,人生に過大な思い出をもたらすというのが不思議である。

 さて,この日のメインイベントは外輪船クルーズ(Steemwheeler Riverboat Cruises)であった。昨日,何か見どころがないものかと探した結果見つけたものだが,このクルーズはとても人気があるそうなので予約なしでは乗ることができないかもしれないと思って,ネットで予約をしておいた。
 この外輪船クルーズのことはまた後日書くことになるが,これはフェアバンクスでは最高の見ものであった。しかも,外輪船クルーズは5月中旬から9月下旬までしか運航していないから,冬にやってくる日本からのオーロラツアーでは乗ることができないので,これは貴重な体験であった。

 今日もまた,私の泊まっているB&Bではすばらしい朝食を食べることができた。朝食が一緒だったのはドイツから来た夫婦連れと日本から来た初老の夫婦であった。この初老の夫婦は,日本からツアーでバンクーバーから列車に乗ってアンカレッジに来て,そこでツアーをキャンセルしてフェアバンクスにバスを利用して来たという話だった。こういう方法はありだろう。旅でもっとも難しいのは移動手段だが,お金さえあれば,ツアーの「いいとこ取り」をすればいいわけだ。彼らは車を利用していなかったから,フェアバンクスでは公共交通を利用して観光をしていた。しかし,これではオーロラも見に行けないし,かなり行動に制限がある。

 朝食を終えて,まずビジターセンターに行った。駐車場が広いからここに車を停めてダウンタウンを散策しようという計画であった。1日目もダウンタウンを散策しようとしたが,その日は雨に降られて中断をしたので,私はまだダウンタウンを十分に見ていなかったからだ。
 ビジターセンターの隣にゴールデンハートプラザ(Golden Heart Plaza)という広場がある。この広場を通ってダウンタウンに行くのだが,そこで私が見たのは小さな子供を連れた若いおかあさんたちが体操をしている姿であった。指導をする人がいて,それに従って楽しそうにやっていた。
 こういう姿に出会えることこそが,旅をしていて楽しいときである。この時期は夏だからこうした時間がもてるのだが,冬になったらどういう生活をしているのだろうとこのとき思った。
 この広場の中央には彫刻があった。この彫刻は「知られざる最初の家族」(Unknown First Family)と題されたものである。その脇にはこの彫刻の作者であるマルコム・アレキサンダー(Malcolm Alexander)の詩が書かれてあった。
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Portraying the family of all mankind, the family of Fairbanks, and the nuclear family, let this statue symbolize, for families present and future, the pride and dignity of this great land.
  ・・・・・・

 公園を通り,橋のたもとにあったがイマキュリッツコンセプション教会(Immoculate Conception Church)であった。この教会は1904年に造られたフェアバンクスで最初のものである。教会には自由に入ることができた。美しいステンドグラスや錫の細工で飾られた天井や壁が美しかった。

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●素晴らしい朝食●
☆12日目 2017年8月27日(日)
 この日は日曜日であった。旅に出ていると曜日の感覚がなくなってくる。曜日によって博物館が休館だったりすることもあるから,もっときちんと計画を立てるべきなのだが,出たとこ勝負の私にはそれができないのだ。しかし,今回は,この日が日曜日だったことで恩恵を受けることになる。

 昨日は到着したばかりで土地勘もなかったのに深夜にドライブをして方向感覚が余計におかしくなってしまったために,朝にはさらにどこに何があるのか混乱状態であった。ともかく,夏にやって来て,しかも無計画なのにもかかわらすてオーロラを見ようとすることにかなり無理があることを理解した。
 朝早く,私の泊まっているB&Bには朝食を作るために若い女性がやってきて,キッチンで料理をはじめた。やがて朝食の時間になった。
 昨晩は私を含めて3組が宿泊をしていた。それはフロリダからきた夫婦とニューヨークから来た夫婦であった。彼らも1階の大広間に用意された朝食を食べるために集まってきた。
 私は,以前から泊まりたいと思っていたがその機会が今までなく,今回もまた,B&Bに泊まろうと思ったわけでもなかったが,結果として,B&Bに泊まるという体験をすることができた。

 用意されたのは写真のような豪華な朝食であった。一緒になった人たちと楽しく語らいながらの朝食はたいへん楽しかったが,この程度の日常英語もできないと,こうした集まっての朝食もたいそうストレスのたまる時間になってしまうかもしれない。
 日本で受けた教育は,人生を楽しむためには,障害となることはあっても利になるようなことはほとんどない,と私は断言できる。これは私の体験から出てきた考えである。もし,その意見に反対する人がいるのなら,私は逆に,ではそういう人は,学校で学んだことで今楽しい人生を過ごしているかを反対に質問したいものだ。
 
 食事を終えて,今日はまず,フェアバンクスの見どころをすべて制覇しようと,私は車で外に出た。まず目指したのはアラスカ大学の博物館であった。

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●さまよった夜の記憶●
 旅の思い出というのは不思議なもので,ずいぶんと思入れのあった場所に行ってその時点では感動しても,あとになるとほとんど忘れ去ってしまうものもあれば,その逆に,この夜の出来事のように,完全なる敗北であっても,いつまでも印象に残っているものもある。
 私の泊まっているB&Bはとても美しい建物で,またカワイイ部屋であったが,狭く寝るためのベッドとテレビがあるだけだったので,寝転んでテレビを見るくらいしか部屋ではすることがなかった。バスとトイレは隣の部屋との共有だったが,使用しているときに相手方の部屋の鍵を外からかけるようになっていたので全く問題はなかった。
 若いころは日本国内のユースホステルを泊まり歩いたものだが,その程度の宿泊施設で何のストレスも感じないで旅ができる「才能」が,楽しく旅をするためには最も重要な才能であろう。

 オーロラを見ることも諦め,失意? のなかで今日1日がすぎた。そして,明日から何をしようかと思って夜を迎えた。
 夜11時過ぎ。それまで小雨が降っていたが,この時間になるとそれも止み,窓から少し星が見えたので,まだあきらめきれずオーロラが見えるのではないかとわずかな期待をもって外に出てみたのだが,フェアバンクスが小さな町とはいえ,市街地は明るく星すら見えるという雰囲気ではなかった。
 オーロラというのは天の川と同じで,天の川が見える程度の暗い夜空のある場所でないと,たとえオーロラが出ていても見ることができないのである。それは,南半球に出かけてマゼラン雲を見ようと思っても,明るい市街地では見ることができないのと同様である。
 日本でも暗い夜空のあるところに住んでいなければ生まれてから一度も天の川を見たことのない人がほどんどであるのとそれは同じだが,勝手のわかる日本であっても,深夜,空の暗い場所に出かけることはたやすいものではないのだから,外国ではなおさらのことである。最低限,車を運転できなければならないし,治安の問題もある。私のように,日本で夜星を見るために暗い夜道をドライブすることに慣れていても,海外で同じことをしてよいのかどうかはかなりの問題であった。

 フェアバンクスは治安もよさそうだったし,さすがにクマは出そうになかったので,ともかく,ためしに車に乗って市街地を抜けて空の暗いところまで行こうと,あてもなく走り出したはよいのだが,走っているうちに位置関係がさっぱりわからなくなった。後で知ったことには,北に向かって走っていたつもりだったのが,道なりに西に曲がって,フェアバンクスの西に進んでいたようであった。私がもっとも恐れたのは,帰ることができなくなったらどうしよう,ということで,しだいに恐怖を感じるようになった。
 この晩,私が走っていったのは,フェアバンクスの北西にあったアラスカ大学の構内を抜けた森のなかの一本路であった。さすがにそのあたりにまで行くと周囲は真っ暗だった。車を道路際に停めて外に出ると,満天の星空が輝いていた。しかし,樹林に囲まれていて視野がせまく,しかも,オーロラというものがどのように出現するかも皆目見当がつかなかったから,こんなところであてもなく空を眺めていたところでどうにもなるものではないなあと感じた。そのうちににわかに天気が急変して空が一面雲ってしまったので,帰ることにした。
 これではオーロラなんてやはり絶望的だなあと思ったが,無事,もどれるかどうかのほうが心配であった。迷った挙句,とにかく町の明かりのあるほうに走っていって,なんとかB&Bにたどり着いて,失望感の中で就寝することになった。
 この晩走った車の中から見た景色は,フェアバンクスの郊外にはぽつんと灯りのついた家や,まったく車の通らない道路が果てしなくずっと続いていたというものであった。たったそれだけのことであったが,ドライブをしながら眺めたそうした風景が,今でも私の記憶に鮮明によみがえってくる。

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●タイ料理でライスのお代わりは?●
 オーロラどころか雨さえ降ってきた。
 アラスカの大地を歩きたい,というのが第一の目的で,あわよくばオーロラを見てみたいというのが第二の目的でやってきたのだが,事前の研究もしていないものだから,オーロラを見る方法すらわからず,私はすっかりあきらめぎみであった。
 特にすることもないし,フェアバンクスのダウンタウンは歩いて回れるくらい狭いし,雨は降ってくるし…。せめて夕食くらいは満足に食べようとお店をさがした。

 驚いたことに,フェアバンクスにはタイ料理のレストランが目についたのだった。どうしてアラスカにタイ料理なのか,私にはさっぱりわからなかった。後で調べても一向にわからない。
 そのときは,こうなったらタイ料理に挑戦してみようと思った。「タイ・ハウス」とかいう名の老舗があるということだったので,行ってみることにした。
 私は,弟がタイに住んでいることもあって,タイなんて隣町のような身近な存在で,その気になれば明日にでも行けるのだけれど,まったくタイには興味がない。したがってタイ料理も食べたこともないので,これもまたまったくわからない。
 私はタイどころか,中国にも韓国にも,当然インドにも,まったく興味がない。それは人が多いという理由からである。日本のような人だらけの国に住んでいて,外国に行ってまで人混みに出会うなんて懲り懲りなのである。そうした国だけでなく,私の好きなアメリカやオーストラリアであっても,大都会には興味がない。私が行きたい外国というのは,人が少なく自然が多い,そんな場所なのだ。

 そんなわけで,タイ料理を食べたいというわけではなかったが,店に入った。
 タイ料理の魅力というのは辛さなのだということを後で知った。私は辛いものが苦手である。もともとは好きだったのだが,いつのころからか,辛いものを食べると頭のてっぺんから汗が噴き出すようになって食べられなくなった。辛いものを食べると汗まみれになってしまうのだ。幸いメニューを見ると辛いものは印がついていた。そこで辛くないものを選んだのが今日の写真の食べ物である。
 お店はよい雰囲気であった。アメリカなどによくある中国料理店の小汚さもなく,清潔感と,そしてちょっぴり高級感があった。店員は女性で,タイの民族衣装を着ていた。食事はおいしかったけれど,タイ料理についてはまったくわからないのでこれくらいのコメントしか書けない。
 それより,私がとまどったのはライスであった。アラビアンナイトの壺のような入れ物にライスが入ってきて,料理より先にこれが運ばれて来た。それを自分で皿によそうのかよそってくれるのか,といったマナーがわからないのだった。そのままにして待っていると,店員が皿によそってくれた。このライス,食べ終わったら自分でお代わりをよそっていいものかどうか今でもわかりかねている。そうだ,今度弟が帰国したら聞いてみよう。

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●オーロラを見る夢はどんどんと遠くに●
 宿泊先のチェックイを終えて,私はフェアバンクスのダウンタウンへ車で出かけた。
 このとき私がアラスカに来た理由はふたつあった。
 そのひとつはアメリカ合衆国50州制覇のけじめをつけるためであった。それまで50州を制覇したと公言していても,実際はアラスカはトランジットでアンカレッジの空港に降り立っただけだったからである。
 ふたつめは夏でもオーロラが見られると知ったからであった。チェックインをするときまで,私はアラスカの地では当たり前にオーロラを見ることができると思っていた。しかし,B&Bでチェックインをしたとき,オーロラについて尋ねたらまったくもっていい返事が聞けなかった。オーロラ? それなあに? みたいな反応であった。私はその反応で落胆したのだった。それ以来,オーロラを見にきたと言うこと自体恥ずかしい気がしてきた。
 しかし,オーロラが見られないのなら,この地で他にしたいことがない,というか,他に何があるのか全く調べていなかったので,3日間をどうやって過ごそうかと思った。

 フェアバンクスのダウンタウンは閑散としていた。道路は広く駐車帯もあるから車なんてどこにでも停められるし,歩道を歩いている人もほどんどいなかった。ただし,年配の日本人らしき女性がふたり,地図を見ながら歩いているのを見つけてたときはびっくりした。いったい彼女たちは何をしにきたのだろうと思った。あれは幻想だったのだろうか?
 少しだけ町を走り回ってから適当なところに車を停めてダウタウンを歩いてみたが,寂れた田舎町にすぎなかった。レストランもあるにはあったけれど,特に食べたいというものもなかった。土産物を買う気もないというのはハワイに行ったときと同様であった。しかも,行く前に私が予測していたような「日帰りオーロラツアー」なる看板を掲げた旅行社の1件も見つけられなかった。
 そこで,ともかく,ビジターセンターがあるのでそこに行ってみることにした。

 先に書いたオーロラの件だが,私は,フェアバンクスのダウンタウンにも,ハワイのように旅行者用の現地ツアーを扱うような店舗がどこにでもごろごろあって,そこでオーロラツアーを申し込んでそれに参加すればいいや,くらいに思っていたから,オーロラがどこで見られるか,ということすらまったく知らなかった。そこで,ビジターセンターに行けば手がかりくらいは掴めるかもしれないと思った。
 ビジターセンターにも広い駐車場があって,私は車を停めてなかに入った。ビジターセンターは充実していて,アラスカに関する展示や,さまざまなパンフレットが並んでいた。私はまずフェアバンクスの見どころを教えてもらって地図も手に入れた。しかし,オーロラツアーのパンフレットもかろうじてあるにはあったのだが,実施時期が9月からということであった。私はすっかり落胆した。オーロラを見る夢はどんどん遠くなっていくのであった。
 そんなこんなでビジターセンターの展示を見学をしていたら,雨が降ってきた。この時期のフェアバンクスは天気が悪く,これではオーロラどころではないということも行ってみてわかった。
 私のテンションは限りなく低くなっていくのだった。

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●はじめてB&Bに泊まった。●
 私が予約をしたのは「アラスカ・ヘリテッジ・ハウス」(Alaska Heritage House)という名前のB&B であった。ここを予約した理由は,単に安かったというだけであったが,結果的にとてもよい選択であった。ちなみに,B&Bとは主に英語圏の国における小規模な宿泊施設のことで,宿泊と朝食の提供を料金に含み低価格で利用できるもののことをいう。多くのB&Bは家族経営による小規模な宿泊施設である。

 私は旅というのは現地行くための航空券と宿泊先,それに現地での移動手段さえあればあとはなんとかなると思っているので,旅行社でパック旅行を購入することはないが,一番の問題は宿泊先なのである。これまで私も数多くの失敗をしてきた。
 以前は,現地で飛び込みでホテルを探した。その当時はマクドナルドなどにクーポンがあって,それを頼りにして当日の夕方に直接フロントに行ったものだが,ホテルが見つからず苦労したこともあった。そのうち,エクスぺディアなどで予約ができるようになったので,逆にホテルを見ないで予約するリスクが生れた。
 おそらく今でも直接現地に着いてからホテルを探せばよいのだろうが,予約をしておいた方がホテル探しをしなくてよいので安心だからである。しかし,このエクスペディアの口コミというのもあまりあてにならないものなのである。それよりも,やはり,安いホテルにはどこもそれなりのリスクがある,と思った方がいい。

 私は,今回予約したところがB&Bだという認識すらなかったが,事前にメールが来て,そのメールに,到着時にスタッフが誰もおらず玄関が締まっていたときに家に入るキーナンバーが書かれていた。
 幸い私が到着したときはスタッフがいたので何の問題もなかったが,後でわかったことに,このスタッフというのは単なるバイトであってこのB&Bの経営者ではなく連日人が変わった。そして,朝になると,朝食を作ってくれる別のスタッフが来たが,その人たちも日替わりであった。そんなわけで,一応玄関にキーがあるにはあったがけっこう不用心で,だれでも自由に入ることもできるので,部屋のキーだけが支えであった。

 私のあてがわれた部屋はとても狭くベッドと椅子だけで,ほとんど残りのスペースがなかったが,寝るだけなのでそれで充分であった。それよりも,部屋の調度品がとても素敵だった。
 部屋にはバス・トイレがなく,これは部屋を出たところにあって,隣の部屋と共有であった。使うときだけ隣の部屋のキーをかけるのである。これもまた,それで実用上は十分であった。
 建物には1階と2階があって,さらに地下にも部屋があった。私の部屋は1階であった。
 1階の中央に大きな部屋があって,そこが食堂になっていた。

 この家のは100年以上も前に作られた,いわば欧米のペンション,つまり「大邸宅」だった。要するにB&Bは朝食付きの「民泊」のようなものだが,こんな大邸宅に泊まれるというのもかななか貴重な体験であった。外には3台ほど車が駐車できるスペースがあったが,あたりの道路も路上駐車が可であった。また,このB&Bの付近は清楚な住宅街であったが,フェアバンクスのダウンタウンには徒歩でも行くことができるくらいの距離であった。

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●初体験の「B&B」●
 いくらガイドブックを読もうとその場所を取り扱ったテレビ番組を見ようと,行ってみなければ本当のことはわからないのである。その結果,自分にとってとても過ごしやすいところだったり,憧れていたのに実際に行ってみるとそうでもないところだったり,あるいは,旅をしているときはさほどでなかったのに帰ってからしばらくして懐かしくなるところだったりと,場所によって異なる状況が生まれるのだが,私は自分でも行くまでわからなかったそうした不思議な感情が起きるのを一番楽しみにしている。

 旅はあまりたくさんの予備知識をもたず,実際に行ってきたのちにその場所について詳しく調べてみてさらに知識が増して,その後に再び訪れる,というのが理想であろうと思う。それは旅に限らないことでもある。
 本を読むという効用がよくいわれるが,文字によって得られた知識の危うさを説く人は少ない。しかし私は,文字による知識の危うさのほうを,近年はむしろ重視するようになった。このことはすでに「有明の月」としてこのプログに書いたことがあるが,私は学生のころからそうした文字による知識の危うさをうすうす感じていた。今はそれを確信をもって主張できる。「有明の月」とは,実際夜明けまで寝ないでいて明け方の月を見たという経験もないのに,「有明の月」をよんだ和歌の本当の気持ちは語れないといったことである。それと同様なのは,旧東海道を自分の足で歩いたこともないのに,古人の旅の苦しみはわからないとか,吉野ケ里遺跡の地に行ったこともないのに古代史を語れない,ということである。
 「百聞は一見しかず」ともいう。
 ゲームばかりやっている子供に眉をしかめる教師たちであっても,彼らが学校で教える学問が体験に基づいたものでなく,本の上で得た知識の受け売りだけであるなら,実はそれはゲームばかりをやっている子供と同類なのである。

 さて,私は生まれてはじめてアラスカ州フェアバンクスの地に降り立って,空港でレンタカーを借りた。とりあえずフェアバンクスのダウンタウンに向かって走っていって,今日から3泊するホテルに行ってみることにした。
 着陸する前に機内から見たアラスカはある種絶望的な大地だったが,空港を出て走り出した道路の両側に広がるこの風景こそがその絶望的な大地の生の姿であった。私は人混みがきらいだから,この種の雄大さは気持ちが落ちつく。さらに,フェアバンクスは小さな町だから,空港からわずかの距離でダウンタウンに到着できるのも好ましい。
 ただし,ここでアラスカについて書いても,私には負い目がある。それは私がここでいくらアラスカについて語ろうと,それは恵まれた夏のアラスカでしかなく,おそらくはもっと過酷であろう冬のアラスカを知らないということである。これについて少しだけ言い訳をすれば,私はその後,冬のフィンランドに行ってマイナス20度を超える極寒を経験したから,冬のアラスカについてもほぼ同様の姿だろうと想像できることだけである。しかし,無知な旅人が冬にアラスカを訪れても,今回のように車を借りて雪の大地を駆け巡るようなリスクを冒すにはかなりの危険が伴うから,冬に行ったとしても,本当の冬のアラスカについて語る手段をもっていないことが悔しい。

 空港からわずか数十分走っていくと,左手にフェアバンクスの小さな町が見えてきた。この町のダウンタウンは思った以上に小さく,歩いてまわれるほどであった。もし私がこの町に住んでいたとしたら,退屈するであろうか? それとも,この地の自然を友達として,毎日を過ごすであろうか? 逆に言えば,今の自分の日本での生活に退屈していないだろうか?
 結局のところ,人が生きるというのは,自分が精神的に満ち足りることができるかということであって,物質的なものではないのだろう。
 私の予約したホテルはフェアバンクスの町はずれの落ち着いた一角の古いマンション(邸宅)であった。ここはホテルではなくB&Bであった。私は以前からB&Bというものに泊まってみたいものだと思っていたのだが,期せずして,今回,それがかなったのだった。

◇◇◇
九州で日本人について考えた-吉野ケ里にて①
九州で日本人について考えた-吉野ケ里にて②
待ち出づるかな-「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」②

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●人の少なさが快適だった。●
 このアラスカ旅行で私が最も印に残るのが,このフェアバンクスの空港に近づいたときの飛行機の機内から見た風景であった。
 私はこの旅のあと,2018年2月に冬のフィンランドに行った。そのとき機内から雪に覆われた極北の大地を見たから,このときのアラスカ以上に雄大な風景をあとで見たことになるが,このときはまだそんなことは当然知らない。そして,この時点では,この悠久の大地こそがアラスカなのだ,と大いに感動した。もし冬にこれを見たら,おそらくこの地もまた真っ白な雪景色に覆われていて,さらに雄大なものであるに違いない。
 いずれにしても,地球というのは,そして,自然というのはものすごいものである。こうした自然を知らない日本人が自然に対して敬意を払わないのもわかる気がするが,これではいけない。

 やがて,機体はどんどん高度を下げていって,フェアバンクスの空港に着陸した。
 私はこの旅を計画しはじめたころ,アンカレッジに降りてそこからフェアバンクスまでドライブして,テナリ(マッキンレー)を車窓から見ようと思っていた。しかし,計画を立てる時間がなかったことと,そうした旅程にしたときにさまざまな予約をするのが面倒だったこと,そして,とにかくアラスカに行くことができればそれで充分だと思ったこと,という安易さでフェアバンクスを往復するだけになってしまったことを,今にして少し後悔している。それは,アラスカというところは,簡単に行けそうで実はよほどの覚悟をしないと,再び行くことができるような場所でないからである。
 若い人が旅をするときは,歳をとったら行くことが難しくなるような場所や,なかなか見ることが困難なことから先にした方がいいと思う。なかなか見られないというのはたとえばオーロラなどである。また,簡単に行ける場所というのは,ヨーロッパとかハワイといったように,日本から直行便で気軽に行くことができる場所のことであり,行くことが難しい場所というのは,アラスカのような,距離的に,あるいは時間的に遠い場所である。

 着陸して到着ゲートに向けて飛行機が滑走路を走行しているときに機内からみたフェアバンクスの空港は,ものすごく広々としていた。アメリカ空軍の戦闘機がたくさん留まっていたのはこの空港が軍の空港を兼ねているからだろうが,それ以外はアメリカ本土の非常に混雑した空港とはまるで違っていて,ほとんど旅客機がいなかった。
 アラスカ州はハワイ州ホノルルの空港のように,世界各国の航空会社の機体が勢ぞろいしているのとはまったく異なっていて,アラスカ航空とあと2~3社のデザインの異なる機体が見られるだけであった。それくらいしか人の行き来しかないということである。

 ここは国内線だから,飛行機から出ると入国審査もなく,そのまま外に出ることができる。私は,これくらいの旅ならいつもは機内持ち込み荷物だけなのだが,今回は皆既日食を見にきたその帰りだから,そのための機材を入れたもうひとつの大きなカバンを持っていたのでそれを預けたから,バゲッジクレイムでそれが出てくるのを待つ必要があった。しかし,いつもは重宝する優先的に先に荷物が出てくるプレイオリティの黄色いタグがこのときはまったく不必要なほど,出てきた荷物は少なかった。
 空港のビルにもまた,ほとんど人がいなかったから,空港内にあったハーツのレンタカーカウンタで予約しておいた車はすぐに借りることができた。空港から出た場所にレンタカーの駐車場があって,車はすぐに見つかった。アラスカとはいえ,夏なので寒いということもなかったし,そしてまたこの人の少なさが私にはとても快適であった。それにしても,アラスカの大地を踏みたいというだけの動機でやって来たこのフェアバンクスだったので,そこがどういうところなのか,不勉強な私には,このときはまるで予想ができなかった。

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 今日はまずオーロラを写す方法を簡単に紹介しましょう。オーロラを写すには,一眼レフカメラにできるだけ広角のレンズを用います。私は魚眼レンズを使いました。ISOは1600程度の高感度にして,絞りをできるだけ開きます。シャッタースピードは2秒から20秒くらいまで段階的に写して,その中から一番いいもものを選べばいいです。もちろん三脚は必要です。
 オーロラは簡単に写ります。肉眼で見えないオーロラも写りますし,肉眼で見えるものでも実際に見るよりも鮮やかに写ります。星空を写すのと同じ要領です。

 前回書いたように,オーロラを見るにはアラスカに出かけるのがおすすめですが,団体ツアー旅行が利用するチャーター便でなければアラスカへの直行便はありません。シアトル経由のツアー旅行もありますが,それではツアー旅行のメリットがまったくないので論外です。
 そこで個人旅行でアラスカ初体験をするにはまずシアトルまで行ってそこからアラスカに向かわなければいけません。そのとき,最ももよいのはシアトルからはアンカレッジに飛んで,アンカレッジからフェアバンクスまでドライブするかアラスカ鉄道に乗ってフェアバンクスに行くことです。帰りはフェアバンクスからシアトルに戻ります。アンカレッジからフェアバンクスに行く途中にはテナリ(マッキンレー)を見られます。
 ただし,アラスカ鉄道は日本からの団体ツアー客の定番コースなので,たくさんの日本人が乗っていると思われますから,個人旅行では,紅葉の美しい9月ならドライブの方がおすすめです。
 私は今回,残念ながら時間がなかったのでこのコースが取れず,直接フェアバンクスに行くことになったのが心残りです。 

 フェアバンクスは小さな町ですから,2日もあれば見どころはすべて回れます。少ない見どころのなかでは,3時間かけてチナリバーを往復する外輪船クルーズが一番のおすすめです。
 これは5月から9月の間だけ運行していて,事前予約が必須という話です。私は現地に着いてからネットで予約しましたが,個人なら何とかなりそうです。
 それ以外の見どころとしては,アラスカ大学フェアバンクス校にある博物館や,ファウンテンヘッドアンティークオート博物館があります。アラスカ大学フェアバンクス校の広さには驚きます。また,オート博物館はクラシックカーがたくさんあるのでお勧めですが場所が極めてわかりづらいです。 

 フェアバンクスはこれくらいしか行くところがありません。ただし,クリーマーズフィールドという野鳥公園では8月の終わりだけカナダヅルが渡ってきていて,すごくたくさんの野生のカナダヅルを見ることができます。また、パイオニアパークという古びた遊園地がありますが,子供向けです。ただし,ここは5月から9月ならば夕方に行くとサーモンベイクができます。
 ダウンタウンは狭いのでぶらぶら歩きも楽しいのですが,食事どころは,タイハウス(Thai House),バンタイ(Bahn Thai)といったタイレストランが有名です。というか,それくらいしかありません。私も食事に行ってみましたが,なかなかでした。
 このように,フェアバンクスは北海道の田舎町のようなところですから,もし,夏に行くのであれば車で遠出することも可能なので,4時間ほど北に走って北極圏まで行くとか,デナリを満喫するとかすれば可能性は無限にひろがります。また,冬に行くのであれば,スノーモービルとかアイスフィッシングとかスキーといったウィンタースポーツができるのでそれに挑戦すればオーロラ以外にも楽しみが広がります。

 9月のこの時期。成田からフェアバンクスまでのデルタ航空の往復航空券は8万円でおつりがきます。とても安いです。ただし,先に書いたように直行便がないので乗り換えの待ち時間も含めると21時間もかかります。ツアーならその10倍の値段がしますが,チャーター便を利用すれば6時間で行くことができまます。このように個人で行くとなると,一旦シアトルまで行ってそこで乗り継ぐことになるのですが,何がくだらないかというと,フェアバンクスからシアトルに向かった同じコースを,再びシアトルから成田に向かうときに飛ぶことです。
 こんなわけなので,アラスカに個人で行く人がほとんどいないのです。私も今回アラスカへ行ったのはシアトルに行ったついででした。したがって,アラスカについてはハワイと違って情報があまりありませんし,現地でも日本人の個人旅行者相手のツアーもほとんどありません。
 このように,個人旅行でアラスカに行ってオーロラを見るのは日本から遠いという意味で大変です。確かにオーロラは魅力的ですし,ハワイとはまったく違った魅力がありますが,私ですら再び行くとなると二の足を踏みます。もし今回オーロラを見ることができなかったら,またいつか行かなければ…… といった大きなトラウマになることでした。
 この夏シアトルに出かけてふと足をのばして寄っただけのアラスカで偶然オーロラを見ることができた,というのは,そういう意味でも非常に幸運なことでした。

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 オーロラが見られるのは北極点を中心としたベルト状の場所(オーロラべルト)で,そこに存在する町としてはアラスカ州のフェアバンクス,カナダのイエローナイフ,フィンランドのロバニエミ,スウェーデンのキールナ,ノルウェーのトロムソなどが有名です。南極点にも同様にオーロラベルトはありますが,海の上です。
 オーロラは寒い冬にしか見られないと思っている人も多いのですが,実際は1年中見られます。ただし,一般のオーロラは天の川程度の明るさなので,空が暗くないと見えません。また,北極に近いと夏は夜がほとんどないので空が暗くならないから,夏至のごろは見られないというだけです。それとともに,街灯がある都会もだめです。
 ただし,いくら空が暗くとも,晴れることが第1条件です。そこで,降水量を調べてみると,アラスカとカナダのほうがフィンランド,スウェーデン,ノルウェーよりも少ないです。また,降水量が少ないというアラスカやカナダでも,最も降水量が少ないのが3月と4月ですが,この時期はとても寒いです。
 冬の最低気温は,フェアバンスが-28度,イエローナイフが-31度,ロバニエミが-15度,キールナが-19度,トロムソが-7度となります。したがって,寒さからいえばノルウェーのトロムソほうが温度は高いのですが先に書いたように晴天率が低いのです。
 このように,フェアバンクスの真冬は降水量が少ないのですがかなり寒いので,オーロラを見るには決死の覚悟が必要になるわけです。

 そんな理由で,軟弱な私は,オーロラは見たいけれど寒くない季節にしようと,シアトルに行ったついでに8月の終わりにフェアバンクスに足を伸ばしてみることにしました。
 しかし,行ってみてはじめて知ったのは,アラスカの中でも晴天率が最も高いと聞いていたフェアバンクスだったのに,実際は8月は雨ばかりでした。曇っていても突然雨が降ってきます。9月になれば8月よりは晴れる確率が高くなるらしいのですが,本当のところは知りません。
 私が滞在した4日間で1日だけとはいえ晴れ上がり,その晩にオーロラが見られたのというのはかなり幸運だったといえるでしょう。
 宿泊したB&Bで聞いてみると、フェアバンクスでは9月の下旬にはすでに雪が降りはじめるということですから,オーロラを見るには,寒くてもよければ3月から4月,寒いのを避けたいのなら9月の中旬まで,ということになります。
 当然,10月から2月もオーロラは見ることができますが,10月になると雪が積もりはじめるし,フェアバンクスでは一番の見ものである外輪クルーズのようなアトラクションが休止になります。また,3月よりも晴天率が幾分低いということで,どちらをとっても中途半端な感じです。でも,この季節は日本からの観光客が少ないので穴場ともいえます。

 さて,アラスカ第二の都市であるフェアバンクスですが,市内は明るくてオーロラの観察には不向きです。しかし,市内はさほど広くないので,30分も走れは真っ暗な郊外に出ることができます。
 フェアバンクスの近郊では1年で300日程度オーロラが出現するということなので,そうした暗い場所に行って晴れれば,おそらく90%以上の確率でオーロラは見られます。ただし,オーロラはいつ出現するかわからないので,空を眺めながら出現を待たなければいけないことと,また,どこにオーロラが出たかは慣れていないとわかりづらいので,個人でフェアバンクスに宿泊して深夜に郊外に出かけるのはあまり得策ではありません。
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 フェアバンクスから出発する現地オーロラツアーがあるとガイドブックなどに書いてありますが,オーロラツアーの開始は9月からです。また,ツアーで郊外に出かけても,深夜1時ごろには観察は終わり帰ってこなければなりません。こういうのがツアーの欠点です。それはハワイ島の星空観察ツアーも同様です。オーロラが出現するのは午後の10時頃から深夜の2時くらいが多いそうなので,それでは楽しくありません。したがって,フェアバンクスの市内に宿泊するよりも,郊外に数日(3~4日程度)泊まってオーロラの出現を暖かい室内で待ち,お昼間にフェアバンクスに観光で出てくるほうがいいと思われます。
 フェアバンクス郊外の宿泊先は,フェアバンクスから30キロほど行ったところにいくつかログハウスやロッジのような宿泊施設があるとガイドブックには書かれています。そうした本には私がこの夏に偶然行ったチナホットスプリングス(China Hot Springs)もよく紹介されていて,そこには1泊300ドルもするロッジがあります。しかし,ここは日本人団体ツアー客御用達のところで,ツアーで来た日本人が山ほどいるので,個人で行くにはおすすめしません。また,マウントオーロラスキーランド(Mt.Aurora Skiland)も定番スポットということですが,やはり,シーズン中は混み合うそうです。
 そんな有名なところでなく,フェアバンクスの郊外には安価なホテルやロッジが結構あって,フェアバンクスの郊外なら晴れさえすればオーロラは高い確率で見られます。しかも9月は空いていますし,まだ雪がないのでレンタカーを借りれば車で空港からホテルへ移動できます。この時期は成田からフェアバンクスまでの航空券も安く容易に手に入るので,オーロラとアラスカ観光をするのなら,まずはこうしたホテルやロッジを予約して気候のよい9月にとりあえず出かけてみるのがおすすめです。

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