しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:フェニックス

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●アメリカの高速道路は美しい。●
 窓際の座席を選んで座ったので,晴れ渡る窓の外にはフェニックスの町がよく見えた。
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 すでに書いたように,19年前,私はロサンゼルスから車でインターステイツ15を北東にラスベガスを経由して,国道93を南東にキングズマンへ出て,そこからインターステイツ40でセリグマン,ウィリアムズと東に向かってに走り,ウィリアムズで北上してグランドキャニオン国立公園のサウスリムにたどり着いた。
 古いことなのでほとんど記憶にないが,ロサンゼルスからグランドキャニオン国立公園がえらく遠かったことと,ウィリアムズから北に向けて走っていたとき,こんな大草原の向こうにグランドキャニオンという大渓谷が本当にあるのだろうかと思ったことだけは覚えている。
 その後,橋のないコロラド川を延々と迂回して対岸のノースリムへ行き,さらに,その先のモニュメントバレーまで行った。そして,南西へ引き返し,フラッグスタッフを経由して,フェニックスへ着いたのだった。
 その時の旅では,フェニックスからロサンゼルスまでも車で帰るつもりだったが,さすがに力尽き飛行機を利用した。
 当時のフェニックスの見どころは,お昼間は動物園くらいのものであったが,夜はMLBダイヤモンドバックスのゲームを見た。先発はあの有名なランディ―・ジョンソン投手であった。私はいつもツイているのだ。
 そのときのフェニックスの印象は,ものすごく暑かったことと,1泊したあと,目覚めたらすでに午後で,こんなに寝てしまったことは人生で後にも先にもなかったということだ。私が当日探して泊った場所は,結構「ヤバい」ところで,周りは古びた家だらけで,昼間から怖そうな男がふらふらしていた…,と当時は思ったが,今考えるとそうでもない普通のアメリカの普通の場所だったかもしれない。
 当時はまだアメリカのことは今ほど知らず,なにもかもが怖かった。であるのに,行動は今よりずっと大胆であった。

 飛行機の窓から見ていると,そんなことを思い出してきた。
 おそらく飛行機はインターステイツ10に沿ってその上空を飛んでいたのだろうが,フェニックスの町を過ぎると,眼下にはオーストラリア大陸の荒涼とした大地のような,砂漠の荒野が広がってきた。どの国でもそうだが,空から見るとそんな景色であっても,地上を走ると結構人が住んでいたりするのが不思議だ。それにしてもいつも思うのだが,地球というのは広いのやら狭いのやら…。新型コロナウィルスのようなたわいもないものが発生するだけで,地球上のすべてがパニックになり,人間の作ってきたシステムはすべて台無しとなり,逃げ場所すらない。
 いずれにしても,未開の地などというものはもはや地球上のどこにも存在せず,人間は地球をぐっちゃぐちゃにしすぎた。地球の代わりになるものはないのだから,やがては破壊しつくして地球をぶっ潰してしまうのだろう。それも近い将来…。人類の滅亡も近いかもしれない。そして,人類に代わる新しい生物がまた登場して,同じ愚を繰り返すのだろう。
 やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきた。大自然をぶっ潰して作ったアメリカの大都市はどこも高速道路がとても美しく見える。ジャンクションの幾何学的な模様には,いつもほれぼれする。

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☆ミミミ
6月21日は,夏至であり,台湾では金環日食,日本では部分日食が見られましたが,残念ながら曇り空でした。雲を通して,なんとか写真を写せました。
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●離陸の順番待ち●
 搭時間になった。今回もまたファーストクラスへのアップグレードだったので,先に乗り込んだ。アメリカの国内線のファーストクラスは国際線とは違って,イスが大きいことと,ガラスのコップで飲み物が出てくることと,軽食が配られることくらいしか特典はないが,なぜかうれしい。
 わずか1時間程度のフライトだから,窓際席にした。

 フェニックスの空港は,スカイハーバー国際空港(Phoenix Sky Harbor International Airport)という。フェニックスの市内,中心部よりやや南東4.8キロメートルにある。
 この空港はアメリカ南西部にある大きな空港のうちのひとつで,グレイトレイクス航空とUSエアウェイズのハブであるほか,フロンティア航空とサウスウェスト航空の焦点都市となっていて,北アメリカ,カナダ,メキシコ,中央アメリカ,ヨーロッパの各都市間を15のキャリアが運航しているので,アメリカで利用者数の多い空港のトップ 10 に入るということだが,私にはそんな印象はまるでなく,小さな空港であった。
 スカイハーバー国際空港には3つのターミナルがあるが,ターミナルの番号は2,3,4となっている。ターミナル1が1990年に取り壊されたからである。

 どの空港もそうだが,フライトの離陸は,同じ時刻に設定された複数のフライトがあって,それらは要するに「早いもん順」に離陸するのである。つまり,離陸の順番は事前に決まっているわけでなく,離陸準備のできた飛行機から滑走路の手前に陣取り離陸にそなえ,順番がくると滑走路に入り飛び立つわけだ。それらの調整を担うのが管制塔である。
 大概の空港は滑走路が1~2本で,同じ滑走路を離陸も着陸も使うので,着陸してくる飛行機があると,離陸する飛行機はしばらく待たなけれればならない。そうして,いよいよ離陸の番になると,しずしずと滑走路に向かうことになる。
 今日の4番目の写真がまさにそれで,こんな感じで飛び立つ飛行機がずらりと並んで離陸の順番待ちをしている姿はまさに壮観なのであるが,これは窓際席でなければ見られない姿である。大概の乗客は離陸までどうしてこんなに時間がかかるのだろうなどと思いながら,機内でその時間をすごすことになる。
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 私の乗った飛行機もこうしていよいよ離陸する順番になった。このころは,海外旅行ばかりしていたので,離着陸で1回のフライトと考えると,私は,1年で平均30回は飛行機に乗っていた勘定になるが,それもまた,今では懐かしい。こんな当たり前だった旅がまたいつかできる日が来るのだろうか?

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●ここは砂漠のど真ん中●
 予想通り,フェニックスの市街に近づくにつれて車が多くなって道路は混んできたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,午前8時過ぎにはレンタカーセンターに到着することができた。
 車を返してから少しだけレンタカーセンターの建物のなかを散歩した。建物のなかにはずらりとレンタカー会社のカウンタが並んでいたが,朝早いこともあって,人がほとんどおらず,閑散としていた。
 その昔,アメリカの空港は,ターミナルのなかにレンタカー会社があって,外に出るとレンタカー会社の駐車場があった。今でも多くの地方都市はそうである。
 大都市では,やがて空港が手狭になってくると,空港の近くにレンタカー会社が移動するようになった。新しく作られた都市だと,フェニックスのように,レンタカー会社が集められてひとつの建物に入っているところもあるが,古い町では,それぞれの会社がバラバラになっていてわかりにくいところもある。さらにまた,大きな建物にレンタカー会社が集めれているにもかかわらず,そこに入り切れなくなった新興のレンタカー会社だけ別の場所にオフィスがあって,それがわからず混乱することもある。私はニューヨークのJFKでその被害? にあった。
 建物を出たところに,空港までのシャトルバスの乗り場があったのでバスに乗り込み,やがて空港に着いた。

 フェニックス(Phoenix)はアリゾナ州最大の都市かつ州都である。愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)。日本語では不死鳥のフェニックスから慣フェニックスと表記されるが英語の発音はフィーニクスのほうが近い。
 フェニックスは1867年に灌漑事業と共に創設され,開拓者が都市を創設した。 20世紀前半からニューディール政策によるコロラド川の電源開発,ルーズベルトダム,フーバーダム,クーリッジダムの開発によって、無尽蔵の電力を供給,軍事産業に関わる航空機産業や電器機械工業が発展していき,今日では半導体などのエレクトロニクス産業,また観光都市としても発達している。
 当初はロサンゼルスやシリコンバレーに後れを取っていたが,1990年頃から安価な労働力と広大な土地,安い税金,精密機械製作には好適な温暖で乾燥した気候,大消費地への近さという条件があいまってカリフォルニア州から大量の半導体,エレクトロニクス産業が流入してきたことで急速に発展した。シリコンデザート(砂漠)とよばれる。
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 年間を通して温暖,というより年中暑く,夏は日中は摂氏40度を超える。ただし,非常に暑いが乾燥しているので,日本より過ごしやすい。逆に,フロリダは湿度が高いので,夏にフロリダに行くというとアメリカ人にバカにされる。なら,日本の夏なんてもっともっとバカにされそうだ。冬は日中摂氏20度を超える気温となり,朝晩でも摂氏4度以下に下がることはほとんどないため,保養都市として注目を浴びている。
 最高気温記録は1990年6月26日の摂氏50度で,最低気温記録は1913年1月7日のマイナス8.8度ということだ。

 この町は砂漠のど真ん中に形成された人口都市である。私はこの町にはじめて来たのは19年前のことだったが,その当時,こんな砂漠のど真ん中にむりやり水を引いて草木を植え,緑の都会を作り上げるアメリカってとんでもない国だと思ったことを思い出す。
 そのころはまだ素朴さも多く残っていた。今回はフェニックスの町は通り抜けただけで,その風景は空から見ただけだったが,町はさらに巨大化し,アメリカのほかの大都市と変わらない様相を呈していた。

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●どのジャンクションを降りればいい?●
 車に乗り込んで,レンタカーセンターの近くのジャンクションからインターステイツ17に入った。このまま道なりに北上すれば,この日の目的フラッグスタッフにたどり着く。今回の旅ではフェニックスの観光をしなかったが,飛行機の窓からみたフェニックスの町は,19年前に来たときとはまるで違う大きな街になっていた。
 19年前にフェニックスに来たときは5月で,日本ではゴールデンウィークだったが,すでにすごく暑かった。このときの旅の目的地はグランドキャニオンとモニュメントバレーであった。ロサンゼルスからラスベガスを経由して車で向かった。そして,その帰りにフェニックスに寄ってメジャーリーグベースボール(MLB)のダイヤモンドバックスのゲームを見た。そのときのゲームは先発がランディ・ジョンソン(Randall David Johnson)であった。
 ランディ・ションソン投手は左腕歴代最多となるサイ・ヤング賞を5度受賞,歴代2位の通算4875奪三振を記録したMLBを代表する投手である。

 そのとき,フェニックスではボールパークの近くの安モーテルに宿泊したが,その場所はそれほど治安がいいとも思えなかった古びた場所であった。フェニックスというのは,砂漠の中に作られた人工の町。道路は碁盤の目のように造られていて,近道だと思って走った斜めに突っ切る道路が,東西,南北の道路と交差するたびに信号待ちを繰り返し,やたらと時間がかかった。また,お昼間にすることもないので出かけた動物園は,開園が夕方の5時から(お昼間は暑いのでやっていない)だった。私が覚えているのはその程度である。
 それに比べて,今回来たフェニックスは,アメリカの他の大都市同様,車が多すぎで道路は渋滞し,ダウンタウンには大きなビルやらモールやらが集まっていた。
 私は,インタ―ステイツを走りながら,当時を懐かしむと同時に,都会ということろには興味がないから,早く郊外に出ればいいと思いながら,渋滞するインターステイツを走っていった。

 やっとフェニックスの郊外に出ると,次第に車線も減ってきて,片側2車線の,昔のままのアメリカのインターステイツになった。その先にコンボイが横転してその後処理で道路が1車線閉鎖されているという道路標示があったので心配したが,近づくとはやり道路はのろのろ運転となった。しかし,それほどのことはなく,予定より30分ほどの遅れで済んだ。私がロサンゼルスからフェニックスまで乗ってきた便は到着が,というより出発が30分程度遅れたから,結局,1時間ほどの遅れで,フラッグスタッフにたどり着いたわけだった。
 しかし,インターステイツ17がフラッグスタッフに入ったとき,どのジャンクションを降りればいいのかがわからない。そのうちに道路標示からフラッグスタッフがという地名が消え,その先のアルバカーキなどという標示に変わってしまったので,慌ててインターステイツ17を降りた。しかし,実はインターステイツ17はフラッグスタッフの手前で東西を走るインターステイツ40に吸収され,インターステイツ40を東にアルバカーキ方面に1マイルほど行ったところで降りればよかったのだった。
 そんなわけで,私は早まってフラッグスタッフのダウンタウンの手前でインターステイツを降りてしまったが,そこで道がさっぱりわからなくなった。以前ならここで困ってしまったものだが,今は iPhone の Google Map をカーナビにして,私の宿泊するモーテルに簡単に着くことができた。

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●簡単なレンタカーのチェックアウト●
 到着したフェニックスの空港は閑散としていた。アメリカでは国際線の到着しない空港はその大きさの割に閑散としている。日本のように飛行機を利用しない人が遊びにくるようなところでないからだ。
 私は飛行機を降りて,レンタカーのカウンタを探した。アメリカどこの空港でも必ずレンタカーという案内標示がある。ところが,このフェニックスの空港には,パーキングという案内標示はたくさんあったが,レンタカーという案内標示はかろうじて1か所で見つけただけで,あとは探してもなかった。
 ともかく空港を出てみると,レンタカーシャトルバスの乗り場が見つかって,そこにレンタカーセンターと書かれたバスが停まっていた。レンタカーの具体的な会社名が書かれていなかったから,おそらく,レンタカーセンターにはすべてのレンタカー会社が入っているのだろう。私は,バスの運転手にそれを確認してバスに乗り込んだ。
 私は場数を踏んでいるからどうにかなるが,生まれてはじめて独力でアメリカに行って,私のようにレンタカーを借りようとすると結構大変だなあと思うことがよくある。アメリカでは当然なことでもそれが日本とはまるで違うからどまどうのである。
 シャトルバスは空港から結構な距離を走って(と思ったが,帰りにも乗ってみたがそれほどの距離でもなかった),レンタカーセンターの大きなビルの入口に着いた。

 私がいつも借りるハーツのレンタカーは事前に会員になっていてネットで予約もしてある。こうするとカウンタに行く必要がなく,そのまま駐車場に行けばいいというシステムである。これもまたはじめのころはわからなかった。
 案内標示にしたがってレンタカー会社の車が停まっている駐車場に行くと,多くの車が並んでいた。以前は自分の借りる車の上に自分の名前が表示されていたが,今は,このエリアに停まっている同じランクのどの車を借りてもいいことになっている。そうしたシステムもまた,はじめてだとさっぱりわからないであろう。アメリカでは行くたびにシステムが改良されて変わっていく。こちらで好きな車を選べるので,これは貸すほうも借りるほうもウィンウィンである。
 私はそのなかからカローラを借りることにした。日本車は車内装備が日本と同じだからわかりやすいのである。アメリカのメーカーの知らない車だと,イスの調整,ガソリンの給油口などがどこにあるのかわけがわからないことがある。
 駐車場の出口に係員のいるボックスがあって,免許証と国際免許証を提示すると契約書類をくれて,それで終わりである。カーナビを借りるときも,そのボックスで受けることになる。以前は,カーナビも借りる必要があったが,今は,iPhone の GoogleMap があればそれがカーナビになるから,カーナビを借りる必要もない。グローカルミーという Wifi ルーターさえあれば,世界中どこでもインターネットに接続できるのだ。
 このように,思えば私の数十年にわたるアメリカ旅行はハイテクの発展の歴史であったような気がする。以前に比べてずいぶんと便利になったものだ。

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●19年ぶりのフェニックス●
 ロサンゼルス国際空港はあまりに入国者が多いから,ESTAによる入国者の場合ほぼ流れ作業で,キオスクという機械で手続きをして印刷された用紙を手渡してパスポートに滞在期限のスタンプをもらうだけでさばいているので,むしろ暇そうなニュージーランドなどで入国するよりずっと簡単であった。私はこのあと,国内線のターミナルに行って,アリゾナ州フェニックスまで行く国内線に乗り換えることになる。
 国際線ターミナルから国内線ターミナルまではエアポートシャトルバスもあったようだが,次のフライトまでの待ち時間が3時間程度もあったから,私はのんびり歩いて国内線の第2ターミナルまで行った。そして,混雑する第2ターミナルの搭乗ゲート階を避けて,その上の階にあるラウンジ・デルタスカイクラブで時間をつぶした。
 私はこれまでさまざまな空港を利用したが,どこも入国検査場はごった返しているから,入国を終えるとホッとする。
 国内線に乗り換える場合も,乗り換えない場合も,まず到着した空港で入国の手続きをするのは同じだから,到着早々次のフライトへのトランジットはひと手間減るわけでもないが,逆に,帰国するときのトランジットは,はじめに搭乗手続きをする空港でセキュリティを通ればトランジットをする空港で再びセキュリティを通る必要がないからひと手間少なく楽である。
 しかし,オーストラリアでトランジットしてニュージーランドに行く場合はオーストラリアでは入国手続きをしなくても空港の通路を通ってそのままニュージーランド行きの便に乗ることができるからとても楽(=3番目の写真)だ。今ニュースで話題の香港の空港でトランジットしてオーストラリアに行くときは,香港で入国しなくても再びセキュリティを通らなくてはならず,面倒(=4番目の写真)である。香港はトランジットが楽とよく書いてあるが,私はそうは思わない。
 このように,トランジットをするときは空港によっても国によってもシステムが違うのだ。

 ラウンジに着いたのはお昼過ぎだった。前回書いたように,着陸直前の機内であわただしく配られた朝食ではあったが,ともかく食事を終えたので,ラウンジで再び何かを食べる必要もなかったのだが,食べ物がずらりとならんだラウンジでおいしそうなサンドイッチがあったので,思わず手を出してしまった。
 やがてフェニックス便の搭乗時間になったので乗り込んだ。小さな古い機体だった。なかなか離陸できず,機内でずいぶんと待った。しかし,この日の私はフェニックスに着いてからはレンタカーで2時間ほど走ってフラッグスタッフまで行くだけの予定だったから,多少の遅れは特に問題なかった。
 ところで,飛行機が離陸するために飛行場を滑走路まで走ることを英語で「taxi」という(=2番目の写真)のだが,「taxi」にこんな意味があることを日本の学生はほとんど知らない。
 今日の1番目の写真のように,飛行場では離陸する順番待ちの飛行機がまるで人が順番待ちをするように並んでいて壮観なのだが,窓際にでも座らなければ,乗っている人はなかなかそれが見られない。私は窓側の席だったから窓からずっとそれを見ていた。
 やがて,乗っている飛行機の離陸の順番になった。1時間と少しのフライトののち,砂漠のなかに忽然と,以前見たことがあるフェニックスの町が見えてきた。19年ぶりのフェニックスだった。

4日目になりました。今日はフラッグスタッフからフェニックスまで戻って,フェニックスからロサンゼルスまで空路,そして,ロサンゼルスで再び車をレンタルして,夜,MLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見るという予定でした。
フラッグスタッフからフェニックスまでは2時間もかからず戻れると思って旅の予定を立てたのですが,フェニックスの市街地が思った以上に渋滞するということと,それに加えてこの日は金曜日で朝の渋滞に巻き込まれる恐れがあるということで,来るまではフェニックスの出発時間が10時過ぎなのでゆっくりチェックアウトをすればいいやと思っていたのが甘い考えだと気づきました。そこで,朝5時起床。昨晩,マクドナルドで夕食を食べたときに次の朝に食べようとビックマックをテイクアウトして,それを部屋の冷蔵庫に入れてあったのをレンジで温めて朝食代わりにして,午前6時にはチェックアウトしました。さすがに3時間以上の余裕があればフェニックスに戻ることは大丈夫でしょう。
まだ夜が明けきらず,暗い中,インターステイツ17をフェニックスに向けて走りました。
来るときは途中の山道でコンボイが別のコンボイと衝突して横転,そのために1車線が閉鎖されていて渋滞に巻きこまれもしたのですが,今度はそういったこともなく,順調にフェニックスに近づいてきました。フェニックスに近づくと,あたりはサボテンだらけになります。そういえば,19年前,はじめてアリゾナ州に来たときに,アリゾナ州といえばサボテン,というこの景色を追い求めてあてもなく走ったことを思い出しました。
フェニックスの少し手前にブラックキャニオンシティという田舎町がありました。ちょうど夜明けだったので朝日を見ようと,ここで一旦インターステイツを降りました。こののどかな町でサボテンと朝日を眺めることができました。

予想通り,フェニックスの市街地は混んでいましたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,搭乗開始時間の1時間ほど前にフェニックスのレンタカーセンターに着きました。車を返して,シャトルバスに乗り込みました。
フェニックスの空港は他の大都市の空港に比べて空いていました。この空港はどこの航空会社のハブ空港でもないようで,デルタ航空のラウンジもなければ,プライオリティパスで入れるラウンジもなかったので,ゲートで搭乗時間を待ちましたが,空港は新しく,しかも人が少なかったので,問題はありませんでした。
やがて搭乗し,定刻に離陸しました。窓際の座席を選んであったので,晴れ渡る窓からはフェニックスの町がよく見えました。19年前に来たときに比べて,フェニックスの町はずいぶんと発展を遂げていました。
やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきました。
ロサンゼルスの空港は昨年も来たので勝手がわかっていて,空港に降りて,レンタカー会社のシャトルバスに乗りました。バスに乗り合わせた男性が,これまで78か国に仕事で行ったと言っていました。もちろん日本も行ったことがあるそうでした。
レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいのですが,昨年はその車のほとんどがカローラだったのに,今年は1台しかなく,私が物色している間にカローラはとられてしまいました。そこでニッサンのアルティナにしました。
レンタカーもこういったシステムにすると,まず売れ行きがいいのは故障のない日本車で,最後まで残ってしまうのは韓国車のヒュンダイです。

まず,空港からインターステイツ105を東に走って,今日から2泊するモーテルに行きました。
私は大都市のダウンタウンが嫌いです。なにせ車も人も多すぎです。治安もいいのか悪いのかよくわかりません。ロサンゼルスに来たのは,前回はスペースシャトルを見ることとウィルソン山天文台にいくことが目的でした。今回わざわざロサンゼルスに2泊することになったのは,昨年行くことができなかったパロマ山天文台に今年こそ行くことが目的だったので,モーテルは移動の楽なインターステイツに近い場所で,ともかく安全に眠ることができればいいのですが,昨年は少し節約しすぎて,散々なモーテルになってしまいました。そこで,今年は昨年よりは宿泊代の高いモーテルにしました。場所はリンウッドというところで,昨年宿泊したところとさほど離れていないのですが,到着してみて,昨年よりは断然雰囲気のよさそうな場所だと思いました。
予約してあったモーテルもきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人でした。性格が几帳面なのがよくわかりました。
チェックインの時間は午後3時で,私が到着したのは午後2時でしたが,幸いチェックインをすることができました。
部屋で一休みをしてから,近くにあったカールズジュニアというバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとりました。

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乗り換えたのは小さいボンバルディア社の旅客機で,かなり古そうな機体でした。ロサンゼルスからフェニックスまでは1時間30分ほどのフライトです。乗り換える乗客がまだ来ないということで出発が30分ほど遅れました。
ロサンゼルスから私の目指すフラグスタッフは車で走ると7時間もかかるので,車での移動はあきらめてフェニックスまで往復国内線を利用することにしたのですが,フェニックスからフラグスタッフまではさらに2時間30分ほどもかかるのが想定外でした。もっと短いと思っていたのですが,フェニックスの街のインターステイツが混んでいて街を抜けるのにやたらと時間がかかるのでした。
国内線は国際線とは違って,ファーストクラスとはいえエコノミークラスとの違いは座席が広いことと飲み物の入れ物がガラスぐらいのことです。国内線でも3時間くらいのフライトだとファーストクラスだけ食事が出ることもありますが,今回はたった1時間30分なのでなにもありませんでした。しかし,フライトならたった1時間30分でも車で走れば大変です。

19年ぶりのフェニックスに到着しました。ロサンゼルスは予想に反して涼しかったのですが,フェニックスに着いたらさすがに暑くてこれまたびっくりしました。でもフロリダとは違って湿度が低いので汗をかきません。
この空港ではレンタカーセンターまでシャトルバスに乗っていくのですが,レンタカーセンターは空港からずいぶん遠いのが意外でした。そんなこんなでやっとレンタカーを借りるところまで来ました。車を手に入れれば旅がはじまります。
レンタカーはゴールドエリアにある好きな車を選んでいいということなので,カローラを借りました。日本車のいいのは操作ボタンなどの位置が慣れていることです。座席の調節をするだけでも,乗ったことのない車だとどこに装置があるのかなかなかわからないものなのです。
ところで,今回行ったアメリカのアリゾナやロサンゼルスで見かけた日本車のほとんどは,トヨタのカローラか日産のアルティナでした(日本のモデルとは違います)。プリウスはほとんど見なくなってしまいました。

さあ,いよいよ出発です。渋滞するフェニックスの市街地をやっと抜けてインターステイツ17を北上すること2時間30分,夕方にフラッグスタッフに到着しました。フラッグスタッフはアメリカのマザーロードであるルート66 で栄えた古きよき街です。
宿泊するモーテルはこのオールドルート66沿いにあるということで,東に向かって走っていきました。ダウンタウンを越えてさらに行くと左手に見つかったので車を停めてチェックインしました。今晩からここに3泊します。
到着が予定より遅くなったので,フラッグスタッフのダウンタウンを散策するのは明日にして,近くのスーパーマーケットでお寿司を買ってきて,簡単に夕食を済ませて寝ることにしました。スーパーマーケットでレジ待ちをしていたら前に並んでいたすごい量の買い物をしたたおじさんが列を譲ってくれたので,会計をする間しばし楽しく雑談をしました。

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