しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ブラームス

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【Summary】
I attended the 2020th NHK Symphony Orchestra concert on October 19, 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. The program featured Honegger's Symphony No. 3 "Liturgique" and Brahms' Symphony No. 4. Honegger's work, composed after World War II, explores themes of suffering, faith, and hope, while Brahms’ 4th symphony shares a similar message of finding joy in hardship, reflecting Blomstedt's deep faith. This concert was a profound experience of prayer through music.

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  2024年10月19日,第2020回NHK交響楽団定期公演Aプログラムを聴きました。
 曲目は,オネゲル(Arthur Honegger)の交響曲第3番「典礼風」 (Symphonie Liturgique) とブラームスの交響曲第4番でした。このプログラムは,コロナ禍で中止となった2020年10月に行われるはずだった1950回定期公演Bプログラムと同じものです。
 ということですが,今回の演奏会は,指揮者が97歳となったヘルベルト・ブロムシュテットさんである,ということだけでも,歴史的なものでした。ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,一昨年来日されたときは,マーラーの交響曲第9番などを指揮し,私はそれを聴いたのですが,昨年は,体調不良からドクターストップがかかって来日できなかったので,今年の来日も不安視されていました。しかし,元気な姿を見せました。
 とはいえ,一昨年に比べたら,やはり,2年の月日は大きくて,歩くのがやっと。指揮台に上るのもたいへん,という状態でした。しかし,「存在そのものが放つオーラでオーケストラをまとめ,唯一無二の演奏を生み出す」巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮する演奏会に立ち会える,というだけでも,貴重な体験となりました。

 交響曲を5曲作曲したオネゲルは,1892年に生まれ,1955年に亡くなったスイスとフランスの二重国籍をもち,主にフランスで活躍した作曲家です。
 父はコーヒーの輸入商社の支配人を務めていた人物で,母と同じく音楽愛好家でした。教会のオルガニストを経て,チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(Tonhalle Orchester Zürich)の創設者フリードリヒ・ヘーガー(Friedrich Hegar)に勧められて作曲家を志しました。
 交響曲第3番「典礼風」は,プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受け,第2次世界大戦が終結した1945年から1946年にかけて作曲されました。「典礼風」は交響曲の宗教的な性格を表すために命名されたもので,3つの楽章には,死者のためのミサ(レクイエム)と詩篇の中から取られた句がタイトルとしてつけられています。
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●第1楽章「怒りの日」(Dies irae )
 神の怒りに直面した人間の恐れを表す楽章で,オーケストラは「全てを一掃する絶対的な激怒した竜巻」「力の爆発と全てを破壊する憎悪」を表現しています。
●第2楽章「深き淵より」(De profundis clamavi )
 神に見捨てられた人々の苦しみの瞑想,祈りを表現する,霊感に満ちた深遠なアダージョ楽章です。終結部分で「鳥の主題」がフルートの装飾的なソロに変容し,悲劇の中にあって平和への約束を象徴するオリーブの枝をくわえた鳩です。
●第3楽章「我らに平和を」(Dona nobis pacem )
 文明がもたらした「集団的な愚かさの台頭」と「隷属への人の絶え間ない進行のさま」を表しています。バスクラリネットによる「馬鹿げた主題」の行進は進み,ホルンの主題「被害者の反抗意識と暴動」,半音階で下降する木管楽器の動機,弦楽器によるエスプレッシーヴォの主題などが加わって次第に盛り上がり,不協和音によるクライマックスに至ります。これが静まると,人類の平和への願いを表す主題が奏でられ,「鳥の主題」を回想し静かに曲を閉じます。
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 ChatGPTはつぎのように説明します。
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 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」は,第2次世界大戦後の荒廃と人間の苦しみを反映しつつ,最終的には平和と希望への祈りを表現しています。
 この作品は,戦争による破壊や人間の恐れ,そして苦悩を描きながらも,そこからの再生や癒し,平和への希求というメッセージを人類に伝えようとしています。
 第1楽章「怒りの日」は,神の怒りと戦争の恐怖を象徴し,人類の罪や破壊の衝動に向き合う姿を描きます。第2楽章「深き淵より」は,苦しみと祈りの中で救いを求める人々の姿を静かに表現しつつm悲劇の中にも希望があることを示唆します。第3楽章「我らに平和を」では,暴力と愚かさの中にあっても,人間の平和への願いが強く描かれ,最終的には静かな祈りとして曲を閉じます。
 オネゲルは,戦争の悲劇を経て,絶望の中でも平和と希望を見出そうとする強いメッセージをこの交響曲に込めており,特に,人類が戦争の教訓から学び,平和を追求する必要性を強調しています。
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 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」ははじめて聴きましたが,まだ聴きこんでいない私にはそのよさがわかったとはいい難いものでした。ブロムシュテットさんもあまり指揮を経験した曲ではないようで,スコアをめくるのが精いっぱい,という感じを受けました。

 それに続くのが,私の大好きなブラームスの交響曲第4番でした。私はこれで救われました。
 ブロムシュテットさんも暗譜で,オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とは打って変わって,大きく両腕を振り上げたり,細かな指示を出したり,座っているのを忘れるほどの熱演でした。
 第4楽章パッサカリアの主題の元になったコラールの歌詞は「苦難に満ちた私の日々を,神は喜びに変えてくださる」というもので,ここに,オネゲル作品との共通性があって「それこそが揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットのメッセージを表している」とプログラムの解説にありました。
 今回は祈りの演奏会でした。

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 東京には多くのオーケストラがあります。それぞれのオーケストラの特徴を知りたのですが,そうしたことが書かれたものがなかなかありません。探しても,ランキングとか,どこが上手だとか,そういういかにも日本らしい比較ばかりです。私が知りたいのは,そういう話ではなく,それぞれがどういったことをウリにしているのか,というようなことです。
 もし,私が東京に住んでいたら,どのオーケストラを贔屓にするか,きっと迷うことと思います。定期会員のよさは,毎回,苦労してチケットを買わなくていいということなので,どこかのオーケストラの定期会員になるだろうけれど,その選択は,オーケストラが上手,下手とかはさておき,どの会場が便利であるかとか,プログラムが自分好みであるかとか,聴いたあとで満足できるか,そういうことで決めるだろうと思います。

 さて,2023年9月27日,豊田市のコンサートホールで,東京都交響楽団の演奏会があるというので,チケットを購入しました。行くことにした理由は,まずは,プログラムがブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第4番という私の大好きな曲目だったからです。ふたつ目は,ヴァイオリン協奏曲を演奏するのが,服部百音さんだったことです。そして,最後に,私が豊田市のコンサートホールの友の会の会員で,優先的にチケットが購入できることでした。
 指揮者はオランダ人のローレンス・レネスさん(Lawrence Renes)という人でしたが,私はよく知りませんでしたが,なかなかすばらしい指揮者でした。
 数年前に一度,東京で東京都交響楽団のコンサートを聴いたことがあります。以前,NHK交響楽団に在籍していたビオラの店村眞積さんとか,コントラバスの池松宏さんが首席で在籍していて,のびのびと演奏していたのが好印として残っています。たえず,テレビカメラの目にさらされているよりも,このほうがいいのだろうと,私は思いました。

 服部百音さんは,難しい曲を選ぶことが多く,それがストイックさにつながっているだろうと思うのですが,そうした無理がたたったのかどうか,体調を崩してしまい,しばらく入院していたので,とて心配しました。そして,ずいぶんとやせてしまいました。何かにつかれたようなストイックさから卒業して,力を抜いて演奏が楽しめるようになったとき,服部百音さんは,もう一段高みに達することができるだろうと,私は思っています。
 前回私が聞いたのは,名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期公演でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番という,これまで聴いたこともない難曲を演奏する姿でしたが,今回は,ブラームスという,非常にポピュラーな曲をだったので,より楽しみにしていました。考えてみれば,私は,ブラームスのピアノ協奏曲は何度もライブで聴いたことがあるのですが,ヴァイオリン協奏曲はほとんどライブで聴いたことがありません。長くてむずかしいから,らしいです。

 今回の演奏会では,服部百音さんの弾くブラームスは,やはり彼女らしく,力強く,躍動感があって,時折,指揮者と対決するような感じでした。また,交響曲第4番,これがまたとてもよかったです。
 ちなみに,アンコール曲は,ヴァオリン協奏曲のあとがクライスラーの「レチタティーボとスケルツォ」からスケルツォ,交響曲第4番のあとがブラームスの「ハンガリー舞曲」第1番でした。
 私は専門家でないので,演奏のよし悪しなんて技術的にはまったくわからないのですが,とにかく,聴いていて元気になれるものがいいと,このごろ思います。もう,この歳になると,何の憂いもなく,自分が楽しいとおもうことだけが,耳に入り目で見ることができればそれでいいのですが,そんな私でも,これはいい演奏だなあ,とこころから思いました。これほどすばらしい演奏会をひさびさに聴きました。
 また,今回の演奏会に限らず,他の演奏会のプログラムを見ても,東京都交響楽団は,私の聴きたくなる曲ばかりなので,もし,東京に住んでいたら定期会員になってもいいなあ,とも思いました。
 平日の夜,名店で,極上の食事を味わうような,こんな演奏家を楽しむことができたのは,この上なく幸せなことでした。

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 テレビのドラマも,クラシック音楽も,共に,よく理解できないものに出会ったとき,それを見ること,聴くことにどんな意義があるのだろう,と思ってしまうのは私だけでしょうか。
 テレビのドラマは,はじめはどんなドラマなのだろうと見はじめるものの,おもしろくないと感じてしまったときが縁の切れ目です。そして,一旦,縁が切れると戻ってくることはほとんどありません。要するに,底の浅いドラマはおもしろくなければどうにもならないのです。
 その一方で,クラシック音楽は,はじめて聴く曲は,ほとんどの場合,よくわかりません。そのときいつも思うのは,そのよさがさっぱりわからないのに,これを聴くことに耐えて,一体どんな意義があるのだろう,ということです。ところが,じわじわとよさわかってくる。そうすると,それを聴くことで幸せを感じるようになって,そうなったころには,聴くことにどんな意義があるのだろう,とは,決して思わなくなるのです。おもしろい,という感覚を超越して,こころに染みるようになるからです。
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 そんなクラシック音楽でも,それを聴くことに専念しているときばかりではありません。ときには,何がしかの作業をしながら,ということも少なくないのですが,そうしたとき,その作業の思考の妨げになってしまうような曲も少なくありません。 
 以前,音楽評論家の吉田秀和さんが奥さんを失くしたとき,何もする気力がなくなってしまいました。そうしたとき,クラシック音楽を聴くことすらおっくうになったのに,バッハだけはおっくうでなかった,というようなことを書いていたことがあります。そうした面からいえば,私の場合は,それはバッハではなくブラームスです。私は,バッハは難しすぎて理解ができません。

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 ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)は1833年にハンブルクに生まれ1897年にウィーンに没した,19世紀ドイツの作曲家です。J・S・バッハ(Johann Sebastian Bach),ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)と共に,ドイツ音楽における三大Bとも称されます。
 ブラームスの作品はベートーヴェンの音楽に大きな影響を受け,きわめてロマンティックで,力強くたくましく,また,やさしくて心がほっとするなどさまざまな性格をもっています。
 音楽はきわめて入念に仕上げられ,ゴシック建築のように精緻であり高い完成度を示しています。
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 ブラームスの音楽の特徴は,激しい情熱を内包しながらも気品を失わない美しい旋律とリズム,そして,厳格な作曲技法で裏打ちされた作品の完成度です。この職人芸的な作品は,一般に,地味,あるいは,渋いといわれます。

 私は,ブラームスが残した多くの傑作の中でも,その特徴が最大限に表現されている交響曲第4番がもっとも好きです。
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 ブラームス最後の交響曲である第4番は,1884年51歳のとき,避暑地ミュルツツーシュラーク(Mürzzuschlag)で夏を過ごしたときに作曲に取りかかり,この年に前半の2楽章を完成,翌1885年に残りの2楽章を完成させました。ブラームス自身が交響曲第4番を「自作で一番好きな曲」であり「最高傑作」であると語ったといわれています。
 第4楽章は,シャコンヌ(chaconne),あるいはパッサカリア(passacalia)とよばれる変奏曲になっています。シャコンヌ/パッサカリアはバロック期の様式で,ブラームスはバッハの「カンタータ第150番」のシャコンヌからインスピレーションを受けてこの楽章で使いました。
 変奏は30にも及ぶ壮大なもので,管楽器で示される冒頭8小節の主題が次々と変奏されていきます。
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 私は,スコアを購入し,この複雑な変奏曲をスコアを見ながら聴いて理解しようと努めました。すると,しだいに,難解な方程式を解いていくように,きらきらと輝く魅力を感じることができるようになってきて,ついに,この楽章を聴くたびに,深い感動に包まれるまでになりました。
 しかし,それでも,この変奏曲は,音楽にのめり込んで,他のことが手につかなくなる,というのとは違い,ある意味,空気のような,水のような,そんな自然な感じに包まれて,こころが休まる不思議な気持ちになります。
 一般に,地味,あるいは,渋いといわれるブラームスの音楽ですが,私には,精神状態が安定する,そして,周りの空気がやさしく感じられる,そんな気持ちを与えてくれるすばらしいものです。

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 私は,ブラームスの音楽を愛してやみません。ブラームスの音楽は思考を邪魔せず,また,落ち込んだときにこころを地獄には導きません。どの曲もいいのですが,特に好きなのは交響曲第4番とピアノ協奏曲第2番です。
 交響曲第1番が発表されたのはすでに43歳のときでしたが,それ以降の10年くらいの間に多くの傑作が生みだされました。その間に,ブラームスの作った曲は洗練され,それとともに渋くなっていったのですが,それは,交響曲第1番と第4番,ピアノ協奏曲第1番と第2番を比べればよくわかります。私は,はじめのころの作品より,後期に作られた曲のほうがより好きなわけです。
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 しかし,私には,ブラームスに関して,つねにこころに引っかかる点ができてしまったのが,とても残念なのです。
 そのひとつは,ハンス・ロット(Hans Rott)という作曲家を知ってからでした。ハンス・ロットは,自分の作品を認めてもらおうとブラームスを頼ったのですが,ハンス・ロットがブラームスと不仲だったブルックナーの弟子であったために冷遇し,ハンス・ロットはそれがショックで25歳でこの世を去ってしまったのです。つまり,もし長生きしていたら,人類の財産になったであろう交響曲を数多く生み出していたかもしれないハンス・ロットをブラームスは酷評し,その可能性を消し,世の中から葬り去ってしまったのです。
 ふたつめは,NHK交響楽団第1931回定期公演でブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴いてからでした。ピアノの独奏者はボディビルダーの肩書もあるツィモン・バルト(Tzimon Barto)という大柄な男性でした。ツィモン・バルトの演奏は,テンポは異常に遅く,進まず,さらに,ふらふら,進みだすと思えば立ち止まり,シンドイだけでした。これが私の好きなピアノ協奏曲第2番なのかと信じられない気持ちでした。いわば,大好きな食べ物を食べて食あたりをして,それからその食べ物が食べられなくなった,そんな感じです。

 さて,それはともかくとして…。
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 ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)はハンブルグで1833年に生まれました。1833年は,日本でいえば天保年間です。ちなみに,モーツアルトが1756年,ベートーヴェンが1770年,ブルックナーが1824年の生まれです。
 ブラームスの生まれたころは,時代の変革期で,オーストリアでハプスブルグ家が謳歌した時代はすでに過去のものというころでした。ブラームスは7歳でピアノを学びはじめ,すぐに才能を現し,10歳にしてステージに立ちます。ブラームスの生家は貧しかったため,13歳ころからレストランや居酒屋でピアノを演奏することによって家計を支えました。
 1853年というから20歳のころ,ハンガリーのヴァイオリニスト,エドゥアルト・レメーニ(Eduard Remenyi)との演奏旅行でヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)に会いに行き,ブラームスの才能が称賛されます。ヨーゼフ・ヨアヒムはロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann)に会うことを強く勧めたため,ブラームスはデュッセルドルフのシューマン邸を訪ねます。 そこでシューマンはブラームスの演奏と音楽に感銘を受け,ブラームスを熱烈に賞賛し,その後は,作品を広めるために重要な役割を演じることになります。またこのとき,ブラームスは14歳年上のシューマンの妻クララ(Clara Josephine Wieck-Schumann)と知り合い,生涯に渡って親しく交流を続けることになります。
 1862年,29歳のときにウィーンをはじめて訪れた後,ブラームスはウィーン・ジングアカデミーの指揮者としての招聘を受けウィーンに居着くことになり,1871年にカールスガッセ4番地へと移り住みます。そして, ウィーン移住からおよそ10年後の1876年に,43歳で交響曲第1番を完成させます。 最後の交響曲である第4番が発表されたのはそれからわずか9年後の1885年です。
 1896年,生涯親交を保ち続けたクララ・シューマンが死去したのち,ブラームスの体調も急速に悪化し,翌1897年にウィーンで逝去しました。63歳でした。遺体はウィーン中央墓地に埋葬されました。
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 ザルツカンマーグート(Salzkammergut)は,オーバーエスターライヒ州とザルツブルク州にまたがるオーストリアの観光地です。ここに私が訪れたハルシュタットがあります。
 ブラームスはこの地に別荘をもち,10回も夏期に過ごし,多くの曲を残しました。
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 これまでに私はコンサートで何度ブラームスの交響曲第1番を聴いたことがあったでしょうか。おそらく,ベートーヴェンの交響曲第7番とともに,この曲は最も多く演奏されるものだと思われます。いわゆる焼肉定食なのです。そんなことを考えていました。
 これは私の場合だけなのかもしれませんが,ブルックナーの交響曲を演奏するというコンサートのチケットを手に入れるとき,それは,ブルックナーの交響曲が聴きたいからです。先日,ブルックナーの交響曲を聴きたくて東京交響楽団のチケットを手に入れたのに,指揮者の変更で曲目も変わってしまい,そりゃないぜ,と思いました。ブルックナーの交響曲が第5番から第7番に代わるというのならともかく,別の作曲家のものに代わってしまえば話は違います。だから,指揮者の変更は百歩譲ってやむを得ないとしても,曲目の変更には失望しました。
 しかし,ブラームスの交響曲第1番やベートーヴェンの交響曲第7番が別の曲に変更になったとしても,というより,もともと私はブラームスの交響曲第1番やベートーヴェンの交響曲第7番が聴きたいからといってそのコンサートのチケットを購入しませんが,ブルックナーの交響曲の曲目変更と同じように,そりゃないぜ,とは思わないのです。たとえそれが別の作曲家のものであってもです。私には,ブラームスの交響曲第1番はその程度の曲です。
 ただし,ブラームスの交響曲第4番は違います。ブラームスの交響曲第4番でなければなりません。

 ちょっと前置きが長くなりました。
 ともかく,ブラームスの交響曲第1番,この曲は,指揮者によってテンポがまったく変わってしまうとか,取り上げる版が違うとか,そういうこともあまりなく,だれが指揮をしても,そうは変わりません。しかし,指揮者によって何かが違うのです。何が,といわれてもわからないのですけれど,ただよう空気が違うのです。その違いは,おそらく,ラジオで聴いてもわからないことでしょう。
 今回のコンサートの演奏は,オーバーな表現をすれば,好き勝手に演奏していた,みたいに見えました。若い指揮者さんよりコンサートマスターが仕切っているような感じというか。そりゃ,百戦錬磨の団員さんの前で指揮するなんてたいへんです。たとえれば,新しく作られたきれいな町を,笑顔の若い先生のうしろを,クラスのリーダーが先頭になって声を出して,それについてみんなが気持ちよく歌を歌いながら散歩しているような,そんな感じです。しかし,その町には,威厳のある古い建物があるでもなし,樹齢のとった巨木が車道を邪魔して立っているわけでもなし,石ころだと思ったらそれが貴重な化石であったという発見があるわけでもなし。いずれにしても,この演奏会に限らず,コロナ禍以降のクラシックのコンサートは若手の独奏者や指揮者ばかりで,何らかのコンクールみたいです。
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 このごろ,クラシック音楽は音だけで聴いたほうがいいなあと感じるようになりました。週に1度ほど日曜日の夜にEテレで放送されるNHK交響楽団の演奏会も,以前は夢中になって見ていたのですが,今はそれもなくなってしまいました。
 コロナ禍以降,見ていてもなぜか楽しくないのです。それはおそらく,音楽は非日常だからこそ貴いのであって,そこに日常が溶け込んでしまっているからなのでしょう。だから,管楽器からの飛沫がどうのとか,演奏者がマスク姿で演奏するとか,そんな姿を見ても,まったく楽しくないのです。平常時なら,年老いた指揮者の姿がカリスマに見えても,非常時の今は目から入る音楽以外の情報が感動の妨げとなるのです。しかし,音だけなら,そういった雑念がないので,すばらしい演奏は純粋にすばらしく聴こえるのです。
 ですが,今,コロナ禍以前の録画してあった演奏会と聴き比べると,演奏そのものの「でき」もまったく違うのです。やむを得ないことかもしれませんが…。そういった意味で,先日出かけた東京交響楽団のコンサートともども,私には,とても残念なコンサートになってしまいました。
 以下は twitter にあったサントリーホールの演奏会の模様です。

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 NHK交響楽団第1931回定期公演の曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番とシェーンベルグが編曲したピアノ四重奏曲第1番(通称「ブラシェン」)でした。
 ピアノ協奏曲第2番は4楽章形式ですが,第3楽章の染み入るようなチェロがとてもすばらしく感じられる曲です。ピアノ四重奏曲第1番は,私はコンサートではじめて聴く曲でした。
 今回は交響曲のないブラームスのプログラムということです。

 私はブラームスが好きですが,これまでブラームスの作品がいつ作曲されたのかということはあまり気に留めていませんでした。
 今回演奏された2曲は,ブラームスの若いころと晩年のものということであるということと,このところ世界史に興味をもったので,ここでブラームスの作品の作曲年代について調べてみました。
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 まず,ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)自身の生存年代ですが,ブラームスは1833年に生まれて1897年に63歳で亡くなっています。ウィーン会議が1817年,プロイセン・オーストリア戦争が1866年,ドイツ帝国が成立したのが1871年,日本では1833年は天保の飢饉が起きた年,1894年は日清戦争,そういう時代でした。また,ベートーヴェンは1770年生まれで亡くなったのが1827年なので重なっておらず,同時期に活躍したブルックナーは1824年生まれで亡くなったのが1896年,マーラーは1860年生まれで1911年に亡くなっています。
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 今回のコンサートで演奏されたピアノ四重奏曲第1番は1861年に作られたので,ブラームスが28歳のときです。ピアノ四重奏曲というはピアノ,ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロからなるものですが,それを1937年に管弦楽曲に編曲したのがシェーンベルクです。
 また,ピアノ協奏曲第2番は1881年に完成したので,そのときブラームスは48歳で,ピアノ協奏曲第2番のまえのピアノ協奏曲第1番は1857年の完成なのでピアノ四重奏曲より4年早く,ピアノ協奏曲第2番の22年前ということになります。
 ちなみに,交響曲第1番は1876年なのでブラームス43歳のときに完成したもので,交響曲第2番はそのわずか翌年の1877年,その次がヴァイオリン協奏曲で1878年,そして,ピアノ協奏曲第2番をはさんで,交響曲第3番が1883年,交響曲第4番は交響曲第3番完成の翌年1884年から1885年にかけて作曲されました。ヴァァイオリンとチェロのための二重協奏曲は,交響曲第4番のあと1887年に作曲したものです。このように,ブラームスの円熟期は43歳から54歳にかけてということになります。

 と,ここまでが前置きです。
 このコンサートはあとで書かれた交響曲のような大曲であるピアノ協奏曲第2番が先に演奏されて,「ブラシェン」と称されるピアノ四重奏曲第1番が後でしたが,「ブラシェン」が後というのは少し荷が重いのです。小気味よい曲ではあるのですが,ハンガリー舞曲のようなもので,メインプログラムの器ではありません。
 ピアノ協奏曲第2番のピアノの演奏はボディビルダーの肩書もあるツィモン・バルト(そういえば力士だった把瑠都もいました)という大柄な男性で,ちょっと変わった演奏家という評判でした。
 出だし,なかなか個性のある演奏だと思ったのが甘い考えでした。テンポは異常に遅く,進まず,さらに,ふらふら,進みだすと思えば立ち止まり,シンドイだけでした。これではオーケストラがたいへん,7割程度の入りのお客さんの私の周りにいた数人の人はみんな寝ているし,私は途中で帰りたくなりました。
 だいぶ前,NHK交響楽団の定期公演でピーター・ゼルキンというピアニストがブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏したのを聴いたのですが,このときもまた,えらくおそいテンポで今にも止まりそう,聴くほうもたいへんだったのですが,それはそれで芯があって,こころに残りました。それを思い出したのですが,それとも違いました。
 10年以上NHK交響楽団の定期公演を聴いていますが,こんなに私が不快になった演奏ははじめてでした。正直,せっかく期待したブラームスのピアノ協奏曲第2番がまったく別の曲になってしまって残念な気持ちでした。演奏時間約60分,これでは長すぎます。帰宅後,ツイッターの書き込みを読むと,なかには絶賛しているもの,あるいは,私と同じようなことを書いているものなどいろいろありましたが,まあ,何を聴いても絶賛する人の意見はさておいて,これほど賛否のわかれる演奏というのもそうはありません。
 そんな「毒気」にあてられたおかげで,後半の「ブラシェン」がきわめてさわやかな清涼剤となったのもまた,不思議なものでした。荷が重いと思った「ブラシェン」が後でむしろよかったわけです。

 ただし,ウィンナーワルツとか,多くのR・シュトラウスの作品のような,音楽を音として楽しむものと,音楽を媒体としてこころの琴線に触れる楽しみが違うように,私がブラームスという作品を聴く楽しみは後者のほうなので,期待に反して物足りないコンサートとなってしまいました。フィレ肉を食べに行ってテールを出されたようなものでした。
 帰宅後,NHKEテレで放送されていた第1923回の定期公演を見ました。ビゼーの交響曲第1番をはじめ,とてもNHK交響楽団らしいすてきなコンサートでした。指揮者のトゥガン・ソヒエフさんもノリがよく楽しそうで,私は,こうしたコンサートのほうがずっといいなあと思ったものでした。

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 ブラームスとブルックナー,この偉大な作曲家をともに好きだという人は少なくありません。ただし,多くの女性はブラームスは好きでもブルックナーは苦手だということを,私は最近知りました。しかし,どうも,生存中このふたりが不仲であったらしいのです。というより,それは,ブラームスとワグナーが対立していたことが原因で,ブルックナーがワグナーを尊敬していたために,このようなことになっていたそうです。
 こうした関係のとばっちりを受けたのが,ハンス・ロット(Hans Rott)という新進気鋭の作曲家でした。ハンス・ロットは,自分の作品を認めてもらおうとブラームスを頼ったのですが,ブルックナーの弟子であったために冷遇を受け,それがショックで25歳でこの世を去ってしまったのです。

 近ごろ,N響定期公演では,めったに聴くことができない作曲家の交響曲が数多く演奏されるので,とても勉強になります。最近では,アイヴズ,ベルワルド,ステンハンマル,ヴァインベルグ,トゥビンなど,名前すら知らなかった作曲家の作品があがっていました。グラズノフ,スクリャービンという名前はそれよりは有名ですが,私はほとんど聴いたことがありません。今年の9月からはじまる新年度の定期公演でも,プログラムにはマクティ,ルトワフスキといった名がありますが,私はまったく知りません。
 アイヴズ(Charles Edward Ives)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のアメリカの作曲家,ベルワルド(Franz Adolf Berwald)はシューベルトと同年代のスウェーデンの作曲家,ステンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のスウェーデンの作曲家,ヴァインベルグ(Mieczysław Wajnberg)はブリテンと同年代のポーランドの作曲家,そして,トゥビン(Eduard Tubin)はショスタコービッチと同年代のエストニアの作曲家,また,マクティ(Cindy McTee)はアメリカの女性作曲家で指揮者レナード・スラットキン(Leonard Slatkin)の奥さん,ルトワフスキ(Witold Lutosławski)はポーランドを代表する作曲家だそうです。
 私の手元に音楽之友社が発行した「交響曲読本」という本があります。1995年発行なので,さすがに今は手に入りません。この貴重な本で,私は,こうした知らない曲の情報を得ることができますが,これに類する本は今はありません。
 インターネットで情報が入るようになって以来,残念ながら,音楽に限らずこのような骨のある本がなくなってしまいました。その代わり,このごろは YouTube のおかげで,以前ならCDでさえ入手困難な曲でも聴くことができるようになりました。はじめて聴く曲にいきなり会場で接しても,それを味わうのはかなりむずかしく,数回は「予習」をしていかないと無為な時間を過ごすことになってしまいます。その点,今ではインターネットで探すと音源が見つかるので便利です。

 さて,2019年2月9日の第1906回NHK交響楽団定期公演でハンス・ロットの交響曲が取り上げられたので,私は興味をもって事前に何度も聴いてから足を運びました。
 たとえば,ベートーヴェンが交響曲を第1番しか世に残さなかったとしたら,ハイドンが交響曲を第1番しかこの世に残さなかったとしたら,さらに,モーツアルトが,ブルックナーが,マーラーが,…,と考えるとどうでしょう? 私は,マーラーはそれでも交響曲第1番は評価されるでしょうが,ブルックナーは交響曲第1番の存在は忘れ去られていただろうと思います。また,ベートーヴェンやハイドンは,交響曲以外の多くの作品が残されていれば,そこから派生して,たった1曲の交響曲でも大切にされていたと思います。
 今回聞いたハンス・ロットは早くして死んでしまったので,残った交響曲は今回聴いた1曲です。しかも,ブラームスに酷評され葬り去られたので近年になって約100年ぶりに初演さたものです。ハンス・ロットは,もし長生きしていたらさぞすばらしい交響曲を書いただろうといわれます。私は,今回はじめてこの作品を聴いてみて,ハンス・ロットは,ベートーヴェンとブラームスの影響を受け,ブルックナーに類似し,マーラーに多大な影響を与えたように感じました。であれば,この作曲家がもし長生きしていたら,偉大な人類の財産になるであろう交響曲を数多く生み出していたかもしれないのです。その意味で,ブラームスは罪作りだと思います。ブラームスは自分の作曲した偉大な4曲の交響曲を世に残した代わりに,もっと偉大なもの作り出す可能性のあった若者を酷評し,世の中から葬ってしまったことになるわけですから。
 この日は雪が降ってとても寒かったこともあり,曲目もマイナーなものだったので一般受けせず,やたらと空席が目立ちました。しかし,私は心から聴きにきてよかったと思ったことでした。

 古今東西,心を打つ傑作はあまたあれど,私の好きな曲は,どうやら「交響曲第4番」ばかりだと気がつきました。
 では,はじめに,歴史に名を残す私の好きな「交響曲第4番」をあげてみましょう。
 黎明期の多くの交響曲を書いたハイドンやモーツアルトの第4番はまだ習作の域を出ていないので割愛して,まずは楽聖ベートーヴェンです。ベートーヴェンの第4番はシューマンが「ふたりの巨人に挟まれた美しいギリシャの乙女」(a slender Greek maiden between two Norse giants)と評した個気味よい曲です。その次はシューベルト。シューベルト自身が「悲劇的」と名づけたシューベルトの第4番はこの後に書かれた「未完成」や「ザ・グレイト」につながる上品さをもつ曲です。
 メンデルスゾーンの第4番は「イタリア」と呼ばれる曲ですが,この曲こそ,メンデルスゾーンのもつ8ビートや16ビートの乗りをもっとも明確に表している小気味よいものです。しかし,この曲のイメージからメンデルスゾーンが軽いヤツだと誤解されがちなのが残念です。そして,シューマン。シューマン自身が「交響的幻想曲」(Symphonic Fantasy)と呼んだシューマンの第4番は楽章の切れ目なく演奏されます。第1楽章のソナタ形式には再現部がなく,途中に緩徐楽章とスケルツオの2つの楽章をはさんだ第4楽章で第1楽章の再現部が出てくるというように,全体がひとつのソナタ形式になっていてしかも有機的に絡まっているという技巧的な曲です。この曲は出だしの緊張感がとても魅力的です。
 「ロマンチック」と呼ばれるブルックナーの第4番のテーマは愛と自然です。自然への心腹と感動,曲を聴くだけで雄大な大自然のなかに身を任せたい気持ちになる壮大な曲です。ブルックナーは第4番よりあとの交響曲はあまりに精神性が高く偉大で重厚なのですが,この曲には風がそよぐような若々しさとすがすがしさが満ちあふれています。
 ブラームスのあまりに魅力的な第4番は,バッハの古典的な形式を模倣しながらそれが現代的なシェーンベルグの12音技法につながっているという,永遠に不滅な交響曲となっています。チャイコフスキーの第4番は絶対音楽の形態をとりながらも人間の運命に対する格闘を描いている標題音楽です。
 マーラーの第4番はマーラーの交響曲のなかでは短く,天上の描写をマーラーらしいグロテスクな色彩で奏でるもので,これを知るとマーラーの深みにはまってしまう中毒的な要素を含んでいます。ニールセンの第4番「不滅」は戦争という狂気のなかであっても失われていない人間性を高らかに歌い上げられています。シベリウスの第4番。暗く内省的なこの交響曲こそ,断片的な動機を精緻な精妙な展開にもっていくように管弦楽法によって見事に表現されたシベリウスの最高傑作といわれています。
 このあとには,ヴォーン・ウィリアムズの第4番,ショスタコ―ビッチの第4番のような闘争的な交響曲が続きます。

 こうして並べていくと,第4番というのは,有名な大曲の間に挟まれた比較的規模の小さな,しかし,捨てがたい魅力に満ちた曲であったり,それとは反対に,墨絵のような渋いものであったり,あるいはまた,寡作な作曲家がその生涯で手に入れた澄みきった境地を表現したものである場合が多いものです。いずれにしても,それらは,大地に横になって,やがて来る夜明けを待ちわびているときのような,そんな心境になれるものです。
 そのなかでも,私の大好きな三つの「交響曲第4番」は,ブラームス,シューマン,ブルックナーです。そして,そのうちでも,特にブラームスは素晴らしいです。しかし,解説を何度聞いても,この複雑な曲の構成が私には難解でよくわからないので,普段はやらないのですが,スコアを購入して聴いてみることにしました。
 そのようにして聴き込んでみると,特に,第4楽章「パッサカリア」の素晴らしさがより実感できました。バッハのBWV150の7曲目を模したたった8小節の主題の最高音が全体の反復主題となっていて,36回,バッハのシャコンヌのように変奏されていくのですが,これらの変奏は,さらにソナタ形式風にいくつかのグループで構成されていて,まるで数学の難解な証明を読んでいるかのような感じなのです。しかし,スコアにはそうした技巧が巧妙に書かれていても,それを越えて曲を聴きこむと,それが音楽の形式から離れて純粋な精神性に昇華し,たとえようのない精神的な深みと充足感に満ち足りるのが不思議なことです。まさに,この曲は数式で書かれた恋愛小説なのです。こんな曲を世の中に残せたブラームスは幸せでしょう。
 私はこの曲を聴くとき,いつも,俗世の何もかもがもうどうでもよくなって,「パッサカリア」に身をゆだねて,ほかには何も必要がなくなってしまうのです。 

◇◇◇
パッサカリアに身をゆだね-世界が不条理だったとしても

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