しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ブルックナー

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 2024年9月14日。9月からはじまった2024年度のNHK交響楽団第2016回定期公演Aプログラムを聴きました。曲目は,「ブルックナー生誕200年」ということで,ファビオ・ルイージさん指揮するブルックナーの交響曲第8番の第1稿でした。
 このところ,マーラーの交響曲を聴く機会が多かったのですが,うって変わって,これからはブルックナー三昧です。ブルックナーの交響曲は,演奏機会の多い第3番以降では,第4番は少し未熟で,第9番は未完。したがって,第8番がもっとも充実したもので,最高傑作だと思うのですが,私が好むのは,まず第4番,次に第9番,それについで,第8番です。また,第7番は以前書いたことがあるのですが,第4楽章をやめて,第2楽章と第3楽章を入れ替えれば,聴く気になります。第3番は粗削りなところがあり,第5番は異色。第6番は地味で,聴いてみれはいい曲だし,よく聴くのですが,どんな曲かと突然問われても浮かびません。

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 ブルックナーの交響曲第8番は,1887年63歳のときに第1稿が完成された最も長大な交響曲です。指揮者ヘルマン・レヴィ(Hermann Levi)が「演奏不可能だ」と言ったことから ブルックナーは全面改訂を決意し,1890年に第2稿となりました。現在の演奏はほとんどこの稿を採用しています。
 また,出版の経緯から,この曲は多くの版があります。
 ブルックナーの弟子ヨーゼフ・シャルク(Joseph Schalk)が第2稿に手をいれたものが「初版」(あるいは「改訂版」)といわれるものです。また,1939年にローベルト・ハース(Robert Haas)によって第2稿を基にした「ハース版」(あるいは「原典版」)といわれるものが出版されました。その後,レオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak)によって,第2稿に基づく「ノヴァーク版第2稿」と第1稿に基づく「ノヴァーク版第1稿」が出版されました。
 「ハース版」と「ノヴァーク版第2稿」は,第3楽章と第4楽章に多くの相違点があります。それは,ブルックナーが第1稿から第2稿に改訂する際に「×」で消された箇所をハースは復活させ,ノヴァークはすべてカットしたからです。
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 交響曲第8番第2稿は,4楽章すべてがとても充実していてすばらしいのですが,特に,とても美しい第3楽章ともっともブルックナーらしいといわれる第4楽章が特筆すべきものです。
 第3楽章では,コーダに入る前の数小節で弦楽5部だけの和音の連続があり,そこに「天上の」ハープが絡まって4オクターブを越えるアルベッジョが聴こえ,そのあとに音楽が突如沈黙が訪れたあと「こころをこめて,優しく」(recht innig, sanft)で曲がはじまる部分は感動的です。
 また,第4楽章では,変ホ短調の主題が一貫したリズムで続いたあと,長い休止があって,その後,音楽は嬰ハ短調に変わり「荘厳でこころのこもった」(Feierlich, inning)主題を響かせるのです。
 では,第1稿ではどうでしょうか?

 9月6日に,東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第372回定期演奏会において,高関健さんの指揮でブルックナー交響曲第8番の第1稿(新全集版ホークショー(Paul Hawkshaw)校訂)を演奏したそうです。第1稿での演奏が流行っているのかな?
 第1稿と第2稿の違いは,聴いてみるとよくわかります。
 とにかく,第1稿では,聴かせどころで,つねに裏切られるのです。だから,聴いていてまったく楽しくありません。いよいよ来るぞ来るぞ! という箇所で来ないどころか,別のよくわからぬ旋律が流れてくるのだから,つねに,ドキドキハラハラ,そしてがっかりの繰り返しでした。
 我々は第2稿を聴きなれているからそう思うのであって,もし,第1稿しか存在していなかったら,それはそれで聴いていたという人もいますが,私はそうは思いません。第1稿だけだったら,傑作とは評価されなかったに違いないです。それでも,第1楽章と第2楽章に比べれば,第3楽章と第4楽章はそれほど違いがなかったし,特に,第4楽章は,盛り上がるところは若干変だったけれど,まあ,期待通りに盛り上がったから,何とか聴きとおせました。
 それにしても,はじまる前から「ブラボー」と叫ぶ観客がいたり,曲の終わりには大量の拍手のフライングが起きたり,演奏は,不慣れな曲であることも手伝ってか管楽器がやたらと目立って聴こえるし,この暑さで私はすべてがダレダレでした。
 ということで,一度は「お勉強」。めずらしい第1稿を聴くことができたということでよしとしましょう。でも,こんなのブルックナーじゃない。ブルックナー嫌いになりそう…,と感じました。家に帰ったら,第2稿を聴いて,お口直し,いや,お耳直し。聴き終えたあとのこころのむやむやを消し去ってしまいたい。

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 ブルックナーの交響曲は,マーラーの交響曲に比べれば,形式は古典的なので,わかりやすいです。しかし,それぞれの楽章がかなり複雑で,つねに煮え切らず,だらだらとしていて,次にどんなメロディーがくるのか予測不能なところがあります。まるで,ぐずぐずしているモテない男のようで,女性にブルックナーが苦手,という人が多いのも納得がいきます。
 特に,第5番はそうした煮え切らなさが顕著です。
 私が,これまで第5番をほとんど聴かなかったのもそんな理由からでした。しかし,今回,はじめてまともに聴いてみて,こりゃすごい,ということがやっとわかりました。

 第4番は自然の中を彷徨しているような感じがするのですが,第5番は古びた荘厳な教会を思わせます。奥まったところは暗く,不気味です。
 マエストロ井上道義は,この重厚な交響曲の第1楽章を,ゆっくりめのテンポでありながら重くならず,指揮をしていきました。第2楽章が緩徐楽章で,第3楽章がスケルツオというのは,ブルックナーの第7番までの流儀で,第8番と第9番は,ベートーヴェンの第9番と同じように逆になっています。
 この第5番の緩徐楽章の美しかったこと! まさに,井上道義さんが名フィルとの決別を惜しむかのように聴こえました。そして,第3楽章は,スケルツオとはいいながら,これはメヌエットでもあり,井上道義さんお得意の踊る指揮,ダンスが見られました。
 第1楽章と第4楽章は,同じようにはじまります。まず,これが驚きです。そして,第4楽章は,第1楽章,第2楽章,第3楽章の旋律が出てきてはそれが否定されながら,盛り上がっていくので,伏線回収,ベートーヴェンの交響曲第9番をほうふつとさせます。しかし,これまでの楽章を否定したところで,だから,歓喜の旋律が出てくるのかと,期待しても,何も起きないのです。これこそが,煮え切らないブルックナーなのです。
 しかし,何も起きずとも,これまでの旋律が複雑に絡み合いながら巨大な建築物ができ上って行くのです。そんな第4楽章の盛り上がりが見事でした。

 マエストロ井上道義は第5番をはじめて指揮をしたということなので,演奏し慣れた曲のような,力の入れ方や聴かせどころのツボはわかっていないと思うのですが,それがいい効果を生んでいました。曲の最初から最後まで緻密な演奏だったのです。
 私は,来週は東京で,マエストロ井上道義のマーラーの第3番を聴くことになるのですが,こちらは指揮し慣れたものです。この対比が,いまから楽しみです。

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 2024年3月2日,豊田市コンサートホールで井上道義さんが指揮する名古屋フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会が行われたので聴いてきました。これは,井上道義さんが名古屋フィルハーモニー交響楽団を指揮するラスト・コンサートで,曲目は, モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲とブルックナーの交響曲第5番でした。なお,「ドン・ジョヴァンニ」序曲は,豊田市ジュニアオーケストラとの合同演奏でした。
 このところ,井上道義さんの追っかけをやっているような感じになっていて,つい先日は東京のNHKホールでショスタコービッチの「バビ・ヤール」を聴いたばかりですが,今回はブルックナーです。演奏会のチケットは発売早々に手に入れたのですが,満員札止めとなっていました。私はこの日をとても楽しみにしていました。
 ブルックナーの交響曲は,ブルックナー指揮者という名前で語られるように,齢を重ねたマエストロに似合います。これまでにも,多くのすばらしい歴史的な演奏がありました。しかし,井上道義さんは,特にブルックナー指揮者という感じではなく,多くの作曲家の作品を取り上げています。そんなマエストロが,果たして,ブルックナーをいかように? と興味がありました。

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 ブルックナーの交響曲の中で,第5番は第8番と並んで規模の大きなものです。対位法の技法が活用されていて,音の横の流れを多層的に積み重ねて,壮大な音の大伽藍を築き上げていることに特徴があります。
 第5番は,第4番を完成させた翌年,ブルックナー51歳の1875年に作曲に取りかかり,紆余曲折ののち,1878年に完成しました。しかし,初演の機会に恵まれず,交響曲第8番完成後の1894年になって,ようやく初演されました。すでに老齢であったブルックナーは立ち会うことができませんでした。そして,ブルックナーが亡くなったのは,その2年後のことでした。
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という解説が載っています。

 私は,ブルックナーの交響曲の中では,第4番を最も好んでいて,第5番を聴くことはまれでした。ブルックナーの他の交響曲とは少し趣が異なっているなあ,と思っていたくらいのものでしたが,実は,これまで,根を詰めて聴いたことがないのです。昨年10月,NHK交響楽団の定期公演で,マエストロ・ブロムシュテッドがこのブルックナー交響曲第5番を取り上げるということだったので,そのときに勉強しようと思っていたのですが,演奏会は中止となってしまい,その機会を逸していました。
 さらに実は,何と,井上道義さんがブルックナーの交響曲第5番を指揮したのは,これがはじめてだったという話でした。本当かな? 引退を前にして,やりたいことはみんなやる,という感じでしょうか。
 そんなわけで,私には,とても刺激的な演奏会でした。
 感想は,次回。

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 私は,NHK交響楽団の首席指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんで満足していたので,契約が満了して,2022年9月からはファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さんに代わるというニュースに,正直がっかりしました。
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 ファビオ・ルイージさんは1959年イタリアのジェノヴァ生まれで,現在はチューリヒ歌劇場音楽総監督,デンマーク国立交響楽団首席指揮者,ダラス交響楽団音楽監督です。NHK交響楽団とは2001年に初登場して以来7回共演をしています。
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 そのファビオ・ルイージさんの指揮する名古屋でのコンサートを11月28日に聴くことにしているのですが,その前の11月18日に行われた第1943回定期公演をFM放送で聴きました。曲目は私の大好きなブルックナーの交響曲第4番でした。
 そして,私はすっかりのめり込んでしまい,私の不明を恥じました。

 このところ,海外旅行ができなくなってときどき思うのは,これまで行った中で,自分にとって忘れられない場所がどこだったかということです。そうした想いは,クラシック音楽に身を浸しているとき,特に感じます。そして,いつもオーストリアのことを考えます。
 私はブルックナーの交響曲の中で,今回の第4番が一番です。この曲を聴くと,以前行ったオーストリアの郊外の風景を思い浮かべます。
 今日の写真は,ウィーンからザルツブルグに行ったときの車内から眺めたブルックナーの生まれ故郷リンツの夜明けの風景とリンツ駅ですが,実際にこの地に行ってみて,まさに,この音楽は,こうした風景からインスピレーションを得て作曲されたと確信するようになりました。
 そしてまた,今回のコンサートは,まさに神々しいものでした。
 このごろ,特に,同じ曲であっても,同じオーケストラであっても,指揮者によってかくも深みが異なるものなのか,ということをしみじみと感じるのですが,想い入れの深い演奏は,聴く者のこころをしっかりとらえるようです。
 幸せな時間でした。


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 芸術の秋。
 10月16日水曜日。美しい音楽が聴きたくて,東京都交響楽団の第889回定期演奏会に行きました。愛知県に住む私はなかなかサントリーホールに行く機会がなかったことと,曲目のワーグナー「ジークフリート牧歌」,ブルックナーの交響曲第7番に魅かれて,聴きにいくことにしたのです。
 18日金曜日の夜にNHKホールで行われるNHK交響楽団の定期公演のチケットを持っていたので,その両日に挟まれた17日は,かねてから行きたかった東北に出かけることにしました。私が東北に行きたかった目的はふたつあって,そのひとつは奥州市水沢にある国立天文台水沢の見学,もうひとつは花巻市の宮沢賢治記念館に行くことでした。このことはまた後日書きましょう。

 奇しくもこのコンサートの日は指揮者の小泉和裕さんの70歳の誕生日ということで,お祝いムードが一杯で,コンサートの最後には花束が贈られて,カーテンコールまでありました。
 私はいつもNHK交響楽団の演奏を聴いているので,東京都交響楽団の演奏会にははじめて行きましたが,以前NHK交響楽団にいたヴィオラの店村眞積さんやコントラバス の池松宏さんがいて懐かしい気持ちになりました。

 「ジークフリート牧歌」(Siegfried-Idyll)はリヒャルト・ワーグナーが妻コジマ・ワーグナーの誕生日とクリスマスの贈り物として作られた曲です。
 1870年12月25日の朝,現在リヒャルト・ワーグナー博物館となっているスイス・ルツェルン州トリープシェンの自宅でこの曲は妻のために演奏され,事前にその存在を知らされていなかったコジマをいたく感激させたというエピソードがあります。妻のための演奏は午前7時30分からはじまりました。演奏はその日のうちに数回繰り返されたといいます。オーケストラが階段上にいたため,5歳だった長女イゾルデと3歳の次女エヴァはこの曲を「階段の音楽」と呼んで親しみました。とても温かみのある音楽で,胸がいっぱいになります。
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 その次の曲がブルックナーの交響曲第7番でした。アントン・ブルックナーの交響曲第7番は,ブルックナーが作曲した交響曲のなかで,はじめて初演が成功した交響曲として知られています。私の大好きな交響曲第4番と並び,最も人気が高い曲のひとつです。
  この曲の初演が大成功したことによってブルックナーは生きている間に交響曲作曲家としての本格的な名声を得ることができたといわれます。私は,ブルックナーの交響曲のなかでは,深刻でもなくやぼったくもなく,最も都会的な感じのするものだと思います。 ただし,評論家の宇野攻芳さんも書いているように,第7番は第4楽章の規模が小さくさりげなく,少し物足りないのが残念な曲でもあります。
 
 私は,クラシック音楽を聴き,満天の星空を見ることさえできれば満ち足りて,あとは何もいらない,といつも思うので,この日のコンサートは最高でした。特に,この音響のよいサントリーホールで秋の夜長を過ごせたことはとても満足でした。また機会があったら,ぜひまた足を運びたいものだと思いました。
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 ところで…。
 いつも日本のオーケストラを聴くと思います。都響のホームページに池松宏さんが「日本のオーケストラは楷書体で,かしこまって弾く空気があると感じています。海外とは文化の違いもありますが,少しわくわくと楽しい雰囲気で音楽をやれないかなと。」と書かれてあったのですが,まさしくそのことです。私は,昨年ウィーンでドイツ・カンマーフィルの演奏を聴いたとき、まさにそれを感じました。どうして日本のオーケストラはもっと楽しく,表情豊かに,体で表現しないんだろうかと。でも,都響はN響よりは楽しそうでした。

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 NHK交響楽団第1916回定期公演のメインプログラムはブルックナーの交響曲第3番でした。
 私はブルックナーが大好きですが,第3番はほとんど聴く機会がありません。そこで,この演奏会を楽しみにしていました。この演奏会の指揮者はまたまたパーヴォ・ヤルヴィさん。私はここ半年で何度パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮する演奏会に足を運んだことでしょうか。パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮はいつも安心して聴くことができます。それにしても,本当にレパートリーの豊富な指揮者です。
 一般に,ブルックナーというのは歳をとった指揮者が演奏すると重みが増してそれが最大の魅力となります。反対に,若い指揮者が演奏しても,それがたとえ聴きごたえのあるものであっても,どういうわけかなにかひとつ青臭さが残るものです。しかし,若いパーヴォ・ヤルヴィさんにはそうした青臭さがありません。

 この日の交響曲第3番は第3稿ということでした。コンサートの内容は別に譲るとして,私はこの曲で思い出したことがあるので,今日はそれを書きます。
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 先に書いたように,この曲はほとんど聴いたことがないのですが,私が聴いたなかで覚えているのは2006年2月に行われたNHK交響楽団第1561回定期公演です。指揮者はヘルベルト・ブロムシュテットさんでした。このときの演奏はすばらしいものでしたが,惜しむらくは曲の最後に拍手のフライングがあったことです。
 第3番に限らず,ブルックナーの交響曲は曲の終了後の静寂こそがすべてなので,聴くときはいつも最後にそうならないようにと祈ります。その点でもパーヴォ・ヤルヴィさんの指揮さばきは客席をも同期させて,振り上げた腕を下ろさないのが明白にわかるので,よほどの鈍感な客でなければフライングの拍手は起きません。この日もまた,すばらしい静寂で曲が終わりました。
 さて,話を戻しまして…。
 今回第3番を聴いたのを機に,録音してあった第1561回を聴きなおしてみました。そして,あのときの第3番が第1稿だったことに驚きました。
 ブルックナーの交響曲は,何度も書き直されていて多くの稿があります。そこで,演奏に当たって,どの稿を使うのかということが問題となるのです。第3番の場合は第1稿から第3稿まで3つの稿があります。
 ブルックナーは交響曲第3番を1872年に着手し1873年に完成させました。これが第1稿です。しかし,計画された初演はリハーサルでオーケストラが「演奏不可能」と判断し見送られました。1876年ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み,1877年に完成しました。これが第2稿です。第2稿はブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮して初演されました。しかし,演奏会終了時にほとんど客が残っていなかったという逸話を残すほどの失敗でした。1888年再度この曲は大幅改訂され,1889年に第3稿が完成し,1890年にハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演され,成功を収めました。
 
 この日聴いた第3稿と第1稿は別の交響曲かと思うほどの違いがあります。第1稿は第3稿に比べて25%も小節が多く,また,洗練されていません。粗削りです。聴いたことのないような旋律が一杯出てきます。しかし,その味わいはまた格別です。ブルックナーの交響曲はスケルツォが格別おもしろいのですが,第1稿と第3稿のスケルツォを聴き比べるだけでもその違いがよくわかります。
 私にはその出来を比較したり批評するような能力は持ち合わせていませんが,こうして違った味わいの稿を聴き比べるのもまた,楽しいものです。いずれにしても,今回,生の演奏会でブルックナーを聴くことができたのは本当に幸せなことでした。そしてまた,この機会に第1稿を思い出すことができたのもまた,別の意味で幸せなことでした。

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