しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ブロムシュテットのマーラー第9番

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 今日の写真は,ウィーンにあるマーラーが住んでいたという建物です。
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 マーラーの交響曲はみなある種の暗さと深刻さ,それに対比したなまめかしさと通俗的な旋律でできています。私ははじめてマーラーを聴いたときには,この通俗的なところがいやで,これがブルックナーのようなストイックな曲にくらべて質の低いものに感じたものです。
 ブロムシュテッドさんも「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝-音楽こそわが天命-」(Mission Musik: Gespraeche mit Julia Spinola)で,同じようなことを書いていました。
 しかし,聴き込むうちに,それは表面的なことにすぎず,奥の深い音楽であればこその感動を味わうことができるようになります。
 私が最も好きなのは交響曲「大地の歌」ですが,交響曲第9番は,それ以上に高貴なものであり,だからこそ難解で,気軽に接することができるものではありません。また,90分にもわたるこころの内面に訴えかける静寂の音楽は,よほど耳の肥えた聴衆が集う場で,ゆらぎのない演奏でなければ務まりません。

●第1楽章(Andante comodo ニ長調)
 いつ開始されたかよく注意していないとわからないほどの小さな音の短い序奏によって曲は開始されます。やがて,夜明けのように,ヴァイオリンが第1主題の動機を奏します。この動機は,「大地の歌」の結尾「永遠に」(ewig))です。次に,ホルンの音とともにヴァイオリンが半音階的に上昇する第2主題がはじまります。
 第1主題と第2主題は「死の舞踏」となり,金管の半音階的に下降する動機が発展し盛り上がります。これが第3主題です。
 頂点に達すると暗転し,ここから長い長い展開部に入ります。
 序奏が回想されたのち,主題が変形されテンポが早くなり力を増し,さらに狂おしくなっていきクライマックスを築きます。音楽は急速に落ち込み,テンポを落とし陰鬱さが増し,不気味な展開が続いたあと落ち込み,銅鑼が強打され展開部がやっと終了します。
 再現部では,主題が自由に再現され,曲は一転しカデンツァ風の部分となったのち,残照のようなホルンの響きに変わりコーダに入り,最後に救いを感じ,こころ温まる気持ちがします。
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●第2楽章(Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb ハ長調)
 序奏のあと,3つの舞曲が入れ替わり現れます。
 マーラーらしいかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる楽章で,第1楽章で味わった緊張感をほぐします。
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●第3楽章(Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig イ短調)
 「道化」を意味する第3楽章は短い序奏のあとユーモラスな主題が続きます。快活で皮肉的な雰囲気で曲は進んでいきます。頂点でシンバルが打たれたのち雰囲気が一変し,トランペットが柔らかく回音音型を奏します。
 最後は速度を上げて狂おしく盛り上がり楽章がおわります。
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●第4楽章(Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend 変ニ長調)
 コーダの形式で,絶えず表情が変化していきます。
 弦の短い序奏からはじまり,ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏されます。
 ヴァイオリンの独奏や木管ののちホルンが主題を演奏して,やがて弦楽によって感動的に高まり,その後,重苦しくなっていきますが,再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けていきます。
 ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌いながら, 弦,金管が加わって,大きくクライマックスを築きます。
 そして,ヴァイオリンの高音に,第1楽章冒頭のシンコペーションが反復されたのち,大きなクライマックスを築き,それは形を変えて断片的になっていきます。
 ヴァイオリンが「亡き子をしのぶ歌」を引用し,その後,徐々に力を失いながら休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。
 最後の34小節はコントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。なんと神々しいことか。
 浮遊感を湛えつつ「死に絶えるように」,最弱奏で曲は終わりを告げます。

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 私は,一時,マーラーの音楽から遠ざかっていました。墨絵のようなブルックナーとは違い,カラフルなマーラーの音楽が私には重くなってしまっていたからです。
 しかし,2018年,2019年とオーストリアのウィーンに出かけたとき,マーラーの活躍した場所や,ウィーンの中心街から遠く離れたウィーン中央墓地でないグリンツェング墓地にあるマーラーの墓を訪ねて以来,気持ちが変わりました。
 また,偶然,私がこの墓地を訪ねたときに居合わせたある人の葬送で人が埋葬されるのをはじめて目撃して,マーラーの暗さと悲劇性を私に印象づけてしまいました。
 さらには,グスタフ・マーラーの墓の近くに背を向けるようにして不仲といわれた妻アルマ・マーラーの墓があるのを見て,マーラーの孤独がわかったような気もしました。
 以前,私は,このブログに次のように書きました。
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 マーラーのお墓のあるグリンツェング墓地に着くと,グスタフ・マーラーの墓の近くの墓に墓参りに来ていた人がいました。そこにいた人に,アルマ・マーラーの墓がどこにあるかを聞くと,ついておいで,というポーズをとって,連れていってくれました。それは,グスタフ・マーラーの斜め後ろではなく,少し離れた場所にありました。聞かなければ,今回もまた見つからなかったことでしょう。ここに,アルマ・マーラーは,グスタフ・マーラーの死後に再婚したヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘で早世したマノンと眠っています。
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 今回の定期公演で聴いたマーラーの作曲した交響曲第9番ニ長調は,交響曲「大地の歌」 (Das Lied von der Erde)の次に作曲された10番目の交響曲です。
 交響曲には「第9の呪い」があって,それは
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 ベートーヴェンが交響曲第10番を未完成に終わらせ,また,ブルックナーが10曲の交響曲を完成させたものの11番目にあたる交響曲第9番が未完成のうちに死去したことを意識したマーラーが,9番目の交響曲に番号を与えず,単に「大地の歌」としたのですが,その後に作曲したものについに交響曲第9番としたのですが,続く交響曲第10番が未完に終わり,結局「第9」のジンクスが成立してしまったわけです。
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というものです。
 そんな因縁のある交響曲第9番は,全曲が,「別れ」や「死」のテーマによって貫かれています。

 マーラー自身は作曲後すぐに亡くなってしまったので,初演を果たすことはできませんでした。作曲したマーラー自身はこの曲を聴いていないのです。
 マーラーは生涯にわたって死の影に怯えているので,交響曲第9番の完成後にこの世を去っていることでこの曲を「死」と関連づけることになるのですが,NHKFM放送でも解説されていたように,この曲を作曲していた時期のマーラーは,自らが指揮した交響曲第8番の初演を大成功に終わらせ,アメリカにも招かれ旺盛な指揮活動を行っていた時期でした。つまり,マーラーの音楽活動の最盛期であって,エネルギーが充溢していたころのもので,だから「死」の世界に立ち向かい音にする強さがあってこそできた曲であるともいわれます。
 マーラーは交響曲を第9番で終わらせる意図はなく,さらに交響曲第10番の作曲を開始して,さらに進もうと意図していました。この時代の多くの芸術家が「死」を主題として多くの作品を作り上げているので「死」をテーマにした芸術は特別なものではなく,交響曲第9番は終わりの音楽でもなけれは,「死」の恐怖に怯えた作品ではありません。

 グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は1860年に生まれ,1911年,50歳で亡くなりました。
 交響曲第9番は死の2年前1909年夏,イタリアのトブラッハ(Toblach)近郊のアルト・シュルーダーバッハで2か月で作曲され,ニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり,翌1910年に完成しました。
 マーラーの死後,1912年にウィーンでブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されましたが,マーラーの交響曲がウィーンで初演されたのはこれが唯一でした。

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 私は,世界のどこに出かけるのも苦ではなく,わざわざ何かを新たに買って準備するということもなく,旅は普段の変わりない行動の一環となっているのですが,それでもさすがに今回の東京行きは緊張しました。今年最大のイベント,と自分で位置づけたので,まずは,すべてを豪華にしようと考えました。
 NHK交響楽団の定期公演はNHKホールで午後2時開演。そこで,朝7時4分名古屋発ののぞみで出かけることにしました。東京に到着後,午前中は,これもまたマイブームである「男はつらいよ フーテンの寅」にちなんで,葛飾柴又に行き,午後はコンサート。その後,東京駅で食事をして,午後7時発ののぞみで帰宅するということにしました。この時間の新幹線に限定したのは,往復ともに最新型車両のN700Sであるということでした。混雑がきらいなので,当然,グリーン車にしました。

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 N700Sは東海道新幹線の第6世代で,「S」は英語で「最高の」「究極の」などを意味する「Supreme」の頭文字です。高速鉄道で世界初となるバッテリ自走システムを搭載します。
 先代のN700Aとの違いは乗り心地で, グリーン車のシートは背もたれを倒すと座面が沈み,さらにシート全体がわずかに後ろへずれることで,腰と太ももの負担を軽減し,疲れにくい姿勢を維持できるように人間工学に基づいて設計されました。
 また,N700Sは,照明を間接照明化したうえ,スピーカーも天井から客室前後にある仕切り壁の上側へ移動することで,視覚的に車内空間が広く感じられるようにされ,さらに,LEDの間接照明で大型の曲面天井パネルを照らすことで,客室全体に暖かみのある光が均一に降り注ぎ,落ち着きのある雰囲気のなかで過ごせるといいます。
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 いつものとおり,名古屋駅までは自家用車で行き,太閤通口近くの駐車場に車を停めました。
 出発まで何かがあっては大変と,要らぬ心配に陥りました。それは,朝,寝坊したら,とか,車が動かなかったら,とか,熱が出たら,とか,新幹線が遅れたら,とか。また,1日目は無事に終了したコンサートでしたが,マエストロは2日目も元気だろうか,とさえ,考えました。
 ということで,旅慣れていてもこんな心配をするなんて,私はいつまでたっても成長しません。
 しかし,多くの心配をよそに,当日は数日前までは天気がよくないという予報もあったのですが,やはり,今回も晴れました。
 何の問題もなく,名古屋駅に到着しました。
 また,何の問題もなく,新幹線は出発しました。
 途中,雪のまったくない富士山がきれいに見えました。
 そして,定刻通り東京駅に到着しました。
 かねてからの計画通り,午前中は葛飾柴又に行きましたが,このことは,また,後日書きます。
 そして,前回書いたように,大感激の定期公演も無事終了しました。
 再び,東京駅に戻り,夕食をとり,また,予定通り,新幹線も運行して,帰宅しました。
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 このように,2022年10月16日という日は,私の計画していたとおりに,すべてが完璧に終わりました。

 それにしても,いつも東京へ行くたびに思うのですが,この大都会,人多すぎです。確かに東京には何でもあります。何でもありますが,だからといって,自分が何かをしたいときに出かければよいのであって,ここに住みたいという気になるところではありません。
 また,交通の便もものすごくいいです。どこにもほとんど待ち時間もなく,簡単に行くことができます。しかし,乗客は私ひとりというわけもなく,何に乗っても混雑しています。
 また,どんなときもほぼキャッシュレスで過ごすことができます。Suica さえあれば,他に何も要りません。
 そんな都会で生活している人たちは,これもまた,いつも書いていることですが,政治家もマスコミをはじめとして,この日本の中では異質な東京という中の出来事を,さも日本であるように思っている。そして,その中で何かの政策を決め,また,報道しているようです。であっても,やはり,ここは日本を代表しているところではなく,日本の現状とはまったく異質な空間です。
 そしてまた,いつものことですが,NHKホールの中で,時間も忘れ,場所も忘れ,すっかり偉大な芸術に浸りきっていても,そのあとホールから出ると,あらゆるところから聞こえてくる雑音やらわけのわからぬ音楽やら,人だらけの雑踏に,それまでの余韻はすべて吹っ飛んでしまいます。ウィーンとの違いです。これがとても残念なことです。


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 ついに待望のNHK交響楽団第1965回2日目の10月16日がやってきて、緊張して出かけました。私の今年最大のイベントです。
 指揮は95歳,桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,曲目はマーラーの交響曲第9番です。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんが去る6月25日に転倒し入院したというニュースがあって,来日がかなわないのでは,と私はずいぶん心配していたので,無事来日されたという情報があったときは泣けました。昨年来日されたときはとてもお元気そうだったのですが,1年という月日は高齢者には過酷でした。
 数年前に亡くなった私の父と同じ年に生まれた,おそらく,世界最高年齢の偉大なマエストロが指揮するマーラー交響曲第9番とあっては,これを聴きにいかずにおれようか,ということで,前回も書いたように,もともとCプログラムの定期会員だったものを変更して,この10月の定期公演を含め,9月と11月の3回のAプログラムのシーズン券を購入しました。

 私は,マエストロが前回,この曲を指揮した2010年にもNHKホールで聴きましたが,あれから12年の月日が流れ,今回のコンサートは特別でした。
 私の出かけた日の前日に行われた1日目の様子はNHKFMで中継されましたが,ラジオからだけでもものすごい緊張感が漂ってきて,曲が終わった後にしばらく続いた静寂,そして,観客のだれかが小さな声で「ブラボー」と叫んだ,その絶妙なタイミングに続いた割れんばかりの拍手がすごいものでした。番組の司会をしていた金子奈緒さんは涙声でした。
  ・・
 さて,私の聴いた2日目。
 もう,ひとりで歩くことさえままならなくなったマエストロが,コンサートマスターの篠崎史紀さんのサポートでステージに姿を現したときにすでに会場は熱気に包まれました。これだけで泣けてきました。本当によく来日できたものです。マーラーの交響曲第9番は長く,かつ重く,難解で,この曲のよさがわかるのはとても大変なことです。私は,この場に立ち会うことができて,そしてまた,曲が理解できて,本当に幸せでした。2日目の演奏は,1日目以上の出来だったということです。
 静かに静かに第1楽章がはじまりました。序奏のあとの旋律はマーラーの最高傑作である交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の最後「永遠に永遠に」(Ewig... ewig...)に続くものです。マーラーらしいおどけのある第2楽章。まったく乱れのなかった第3楽章。そして,いつ終わるとも知れない長いアダージョが奏でる第4楽章では,あの大きなNHKホール一杯の観客がまったく音を立てず,ただ聴こえるのはオーケストラの小さな小さな音色だけという,とんでもない状況が延々と続きました。やがて,生命賛歌のような高揚が終わったあとの消え入るような救いの最後の1音が終わると,まるで時が止まったかのように,静止画を見ているように,ステージ上のオーケストラの団員も,そして,観客もだれひとり全く動かない,という状態がしばらく続きました。まるで,終わってはいけない,とでもいうように…。私はこれが永遠に続くのでは,とさえ思いました。ずっとこのままならどんなにすばらしいことか。
 やがて,マエストロの力が抜けて,曲が終わったことをだれしもが自分にいい聞かせ,納得しはじめたころ,ものすごい拍手が起きました。イスに座ったままのマエストロがなんとか観客のほうを振り返ると,さらに拍手が大きくなりました。観客が,ひとりひとりと立ち上がりはじめました。そして,団員の人たちがステージから去り,マエストロも篠崎史紀さんとともに退場すると,スタンディングオベイションが起きました。それにつられて,マエストロはふたりのコンサートマスターに寄り添われながら3回もステージに登場しました。会場中に「ブラボー」が巻き起こりました。日本の会場で,クラシック音楽のコンサートで,観客がみな立ち上がるのを私ははじめて見ました。

 マーラーの交響曲第9番は、会場で配布される「フィルハーモニー」によると
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 この作品は3重の意味で「辞世の歌」である。
 第1に,死を目前にしたグスタフ・マーラー最後の完成作だということ。第2に,ウィーン古典派以来のドイツ/オーストリア交響曲文化を総括する作品だということ。そして,第3に,第1次世界大戦によってほどなく崩れ落ちる運命にあったヨーロッパ・ベルエポックへの哀歌だということ。
 ブロムシュテットは2010年にもN響と本作品の超絶的名演を残した。本公演が一期一会のものとなることはまちがいない。
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とありました。そして,最後に
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 本作品が「死」を連想させずにおかないとすれば,それは生成と分解のこのプロセスが生命の営みそのものと聴こえるからであろう。
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と結ばれているのですが,結局,この曲は「死」ではなく「生への賛歌」なのです。
 今回,マエストロがこの曲を選んだ理由もわかるような気がしました。
 これまで数多くのコンサートに出かけましたが,これほどまでの演奏を聴いたのははじめてのことでした。音楽は時間の芸術,忘却の芸術といわれますが,私には決して忘れることのないとても幸福な時間となりました。

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