今日の写真は,ウィーンにあるマーラーが住んでいたという建物です。
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マーラーの交響曲はみなある種の暗さと深刻さ,それに対比したなまめかしさと通俗的な旋律でできています。私ははじめてマーラーを聴いたときには,この通俗的なところがいやで,これがブルックナーのようなストイックな曲にくらべて質の低いものに感じたものです。
ブロムシュテッドさんも「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝-音楽こそわが天命-」(Mission Musik: Gespraeche mit Julia Spinola)で,同じようなことを書いていました。
しかし,聴き込むうちに,それは表面的なことにすぎず,奥の深い音楽であればこその感動を味わうことができるようになります。
私が最も好きなのは交響曲「大地の歌」ですが,交響曲第9番は,それ以上に高貴なものであり,だからこそ難解で,気軽に接することができるものではありません。また,90分にもわたるこころの内面に訴えかける静寂の音楽は,よほど耳の肥えた聴衆が集う場で,ゆらぎのない演奏でなければ務まりません。
●第1楽章(Andante comodo ニ長調)
いつ開始されたかよく注意していないとわからないほどの小さな音の短い序奏によって曲は開始されます。やがて,夜明けのように,ヴァイオリンが第1主題の動機を奏します。この動機は,「大地の歌」の結尾「永遠に」(ewig))です。次に,ホルンの音とともにヴァイオリンが半音階的に上昇する第2主題がはじまります。
第1主題と第2主題は「死の舞踏」となり,金管の半音階的に下降する動機が発展し盛り上がります。これが第3主題です。
頂点に達すると暗転し,ここから長い長い展開部に入ります。
序奏が回想されたのち,主題が変形されテンポが早くなり力を増し,さらに狂おしくなっていきクライマックスを築きます。音楽は急速に落ち込み,テンポを落とし陰鬱さが増し,不気味な展開が続いたあと落ち込み,銅鑼が強打され展開部がやっと終了します。
再現部では,主題が自由に再現され,曲は一転しカデンツァ風の部分となったのち,残照のようなホルンの響きに変わりコーダに入り,最後に救いを感じ,こころ温まる気持ちがします。
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●第2楽章(Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb ハ長調)
序奏のあと,3つの舞曲が入れ替わり現れます。
マーラーらしいかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる楽章で,第1楽章で味わった緊張感をほぐします。
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●第3楽章(Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig イ短調)
「道化」を意味する第3楽章は短い序奏のあとユーモラスな主題が続きます。快活で皮肉的な雰囲気で曲は進んでいきます。頂点でシンバルが打たれたのち雰囲気が一変し,トランペットが柔らかく回音音型を奏します。
最後は速度を上げて狂おしく盛り上がり楽章がおわります。
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●第4楽章(Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend 変ニ長調)
コーダの形式で,絶えず表情が変化していきます。
弦の短い序奏からはじまり,ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏されます。
ヴァイオリンの独奏や木管ののちホルンが主題を演奏して,やがて弦楽によって感動的に高まり,その後,重苦しくなっていきますが,再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けていきます。
ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌いながら, 弦,金管が加わって,大きくクライマックスを築きます。
そして,ヴァイオリンの高音に,第1楽章冒頭のシンコペーションが反復されたのち,大きなクライマックスを築き,それは形を変えて断片的になっていきます。
ヴァイオリンが「亡き子をしのぶ歌」を引用し,その後,徐々に力を失いながら休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。
最後の34小節はコントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。なんと神々しいことか。
浮遊感を湛えつつ「死に絶えるように」,最弱奏で曲は終わりを告げます。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは