



来た時と同じ経路で,帰りの地下鉄に乗った。
つまり,タイムズスクエア42ストリート駅から1,2,3番ラインに乗って,14ストリート駅で降りて,6番街14ストリートまで地下の通路を歩いて,Lラインに乗った。
深夜であったが,頻繁に地下鉄は走っていて,多くの乗客がいた。日本と同じであった。
Lラインに乗って座っていたら,イーストリバーを越えたあたりの駅で,あまりガラのよくない若者が3,4人乗り込んできた。彼らは,ドル札(ほとんどが1ドル札)の一杯入ったカバンと,音楽デッキを持っていた。
まず,彼らは,電車の中で札を数えはじめた。
私は状況が呑み込めなかった。ほかの乗客も見て見ぬふりをしていた。次第にわかってきたことは,彼らは大道芸人だということだった。そして,この札は,今日の儲けというわけであった。それにしても,これほど儲かるとは,と思った。しかし,今考えてみると,1ドル札を束にしてもそうたいした額でもあるまい。
しばらく札束を数えていた彼らは,それを山分けにした。それぞれの今日の儲けということなのだろう。駅に停まるごとに乗客が降りて,次第に,立っている乗客がいないほどになった。
この後,予想もしないことが起こった。彼らは,車内で大道芸をはじめ,音楽デッキからけたたましいリズムが流れて,車内で踊りだしたのだった。巧みにつり革や止まり棒を使って,曲芸まがいの踊りに興じた。
やがて,乗客に帽子を回して,おひねりをせびりだした。乗客はだれもお金を入れようとはしなかったが,それでも,彼らは踊り続けた。近くの乗客は,別に無視するでもなく,話しかけたりする人もいた。別に,車内が険悪な状況になったわけでもなかったし,危害が及ぶような状況ではなかった。
私は,これもニューヨークなんだなあ,と思ってみていたが,夜遅くでもあり,きょう1日いろんなことがあって少し疲れていたこともあって,すごい音量の音楽だけは,いい加減にしてくれ,と思った。
写真を写してやろうと思ったが,何事かが起きそうでそれを躊躇した。
今にして思うには,5ドル札1枚でも恵んでやって写真を写せはよかったと思った。こういうことができないから,私は,トラベルライターには程遠い。
そういえば,ニューオリンズのプリザベーションホールの時も同じであった。ジャズマンにいくらかのチップを渡せばツーショットで写真が写せたのに,ただカメラを向けたので拒否されたのであった。
しかし,私の気持ちとしては,数ドルのチップを渡して写真を写すなんていうのは,相手を見下げているというか,まるでその人を物乞いとして扱っているようではないのか? しかし,もともと,チップという行為そのものの本質がそういうものなのではなかろうか。であれば,これは文化の違いとして理解するしかない。やはり,私には,西洋の文化は謎である。
大道芸人のかれらのボス的存在の体のおおきいアフリカンアメリカンが音楽デッキの操作をしていたが,電車が駅に停車すると,彼はスイッチを切るのである。そして,再び電車が走り始めると,スイッチを入れる,この繰り返しであった。その様子をみると,かれらの行為は違法なのであろう。
電車に乗っている30分くらの時間がずいぶんと長く感じられたが,やっと,ホージーストリート駅に到着した。
駅を降りて改札を出て,階段を上がって,無事,ホテルに戻ることができた。
もし,夕方ブルックリンで道に迷っていなかったら,おそらく,このときに間違った地下鉄に乗って,右往左往していたことだろう。その場合,私はどうなっていたのだろうと考えると,ぞっとした。
やはり,幸運であったと考えたほうがよいのだろう。
・・
ホテルに戻って,部屋に入った。
見た目にはましな部屋に見えるだろうが,この部屋は wifi が通じなかった。
シャワールームは,お湯は出たが,レバーを切り替えても,シャワーは使えなかった。
一昔前の,退廃したニューヨークを思い出したが,疲れていたので,フロントに行って文句を言う気も失せ,寝ることにした。
良くも悪くも,ここは,ニューヨークであった。