宮下奈都(みやしたなお)さんが書いた「羊と鋼の森」を読みました。
「羊と鋼の森」は「別册文藝春秋」に連載され,のちに単行本化,2016年に第13回本屋大賞に選ばれました。現在,映画化され話題になっています。
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外村は高校2年の2学期のある日の放課後,体育館に置かれているグランドピアノを調律師が調律するのを偶然目の当たりにする。そのことがきっかけとなり,外村は生まれてはじめて北海道を出て,本州にある調律師養成のための専門学校で2年間調律の技術を学んだ。そして北海道に戻り,江藤楽器という楽器店に就職する。入社して5か月が過ぎた秋のある日,ふたごの姉妹の住む家で柳が行う調律に同行する。入社2年目のある日,板鳥が行う一流ピアニストのコンサートの調律に同行する。
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著者の宮下奈都さんは「静かな雨」で小説家デビュー。2013年より1年間,北海道新得町に家族5人で山村留学を経験したのだそうです。この本では「師がいてそこに弟子入りする男の子の話を書きたかった」と語っています。
なお,本屋大賞というのは本屋大賞実行委員会が運営する文学賞で,一般に日本国内の文学賞は主催が出版社であったり選考委員が作家や文学者であることが多いのですが,本屋大賞は「新刊を扱う書店(オンライン書店含む)の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定されるものです。
私は本屋大賞を受賞した「謎解きはディナーのあとで」を読んで以来,この大賞を受賞した作品の「でき」を信用しなくなってしまったので,むしろ大賞受賞と銘打つとその本を読む意欲をなくしてしまっていたのですが…。
この本はその予想に反して,とてもすばらしい作品でした。この本のよさは,読んていると,その背後に品のよいこころの音楽が響いてくる,ということです。そうしたさわやな空気を感じながらはじめからさいごまで読み通すことができます。私は好きな音楽を聴きながら読書をすればそれで満ち足りるのですが,まさにそうした大切な時間を費やすのにふさわしい小説でした。
調律師という仕事は,ピアノを調律して一定の正しい音が出るようにする,というだけではありません。他の楽器と違って自分の楽器を持ち運びできないプロのピアニストにとって,会場にあるピアノを自分好みの音にしてくれる存在こそが調律師です。つまり,演奏家にとってみれば調律師というのは自分の楽器に等しい存在なのです。そうした知識をもってこの本を読むとさらに深みが増すことでしょう。
それとともにこの本で感じたのは,私がいつも考えている「プロとアマの違い」というのは何だろう,ということでした。私は常々「プロとアマ」には,物質の運動が光の速度が越えられないのと同じような,決定的な壁があると感じています。ここでいう「プロ」というのはその仕事でお金をもらっているということではありません。「ホンモノ」の仕事師という意味です。
世の中には,私を含めて「偽の仕事のプロ」,つまり「マガイモノ」があふれています。マガイモノの政治家,マガイモノの教育者,マガイモノの学者,などなどですが,彼らには自分が「マガイモノ」であるという自覚ががないのが問題なのです。それだけでなく,そうした「マガイモノ」がプライドだけは「ホンモノ」であるから余計にたちが悪いわけです。
一方で「ホンモノのプロ」というのはものすごいものです。「ホンモノのプロ」のこだわりというのは,凡人には到底たどり着けない世界です。それは才能に裏打ちされていて,「マガイモノ」が決してもちえない技を授かった人たちです。この小説で描かれる調律師は,この「ホンモノのプロ」になっていく人の情熱とその姿を描いているのでしょう。だから私は,そこに羨ましさと眩しさを感じるのです。
読後感もすばらしいまさに「ホンモノ」の小説でした。