しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ベルベルト・ブロムシュテット

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【Summary】
I attended the NHK Symphony Orchestra's A Program on the first day in October 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. Despite his age, his profound musical leadership captivated the audience. On October 20, NHK BS broadcasted Blomstedt's remarkable performance of Bruckner's Symphony No. 9, which moved me deeply to tears.

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 今回私が聴いたのは,NHK交響楽団2024年10月のAプログラム1日目でした。もちろん満席でした。
 私の左隣は結構お歳を召された男性でした。少しお話をしたのですが,とても詳しくて,若いころは,楽器をやっていたようでした。
 やがて,開演時間になりました。いつもはじめにステージに姿を見せるのは,ファゴットの水谷上総さんとフルートの神田寛明さん。それに続いて,続々と入場するのですが,今回に限っては,第1ヴァイオリンのメンバーだけが入ってきません。それは,97歳の巨匠ブロムシュテットさんが,第1ヴァイオリンのメンバーより先に,この日のコンサートマスター川崎陽介さんの介添えでゆっくりゆっくりと入ってきたからです。すでにこの時点でものすごい拍手でした。この日は,その姿が見られるだけで,この会場に足を運んできた甲斐があったというものです。
 そして,それに続いて,第1ヴァイオリンのメンバーが入場しました。
 マエストロは,指揮台に上がるのもたいへんそうで,少し心配しました。この時点でもし転んでもしたら大変です。
 やがて,チューニングのあと,静かに曲がはじまりました。

 はじめはどうなるかと思ったのですが,マエストロは,手ぶりも指示もしっかりしていたし,やがて,そんなことも,また,マエストロが座っていることも忘れて,音楽にのめりこむことができました。不思議なもので,音楽は,それを指揮する人が偉大であればあるほど,単に音を奏でる以上の生命が宿るのです。
 途中の休憩をはさみ,プログラムの2曲がすべてが終了しました。
 マエストロが静かに指揮台から降りて,そのままステージから姿を消しました。
 いつものコンサートのようなカーテンコールはできないのです。しかし,川崎陽介さんの介添えで,2度ほどゆっくりとステージに登場したとき,場内は最高潮となりました。
 今回の「神が宿った」コンサートは,演奏について,何かをいうという次元を超えたもので,その時間をマエストロと同じ空間で共有できただけで,そのすべてが満ち足りたものになりました。
 来年の10月もまた,プログラムに名前があります。どうかお元気で,また,その姿を拝見できるのを楽しみにしています。

 ところで,翌10月20日の深夜,NHKBSで
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 2度の怪我からの復帰を果たし,依然として音楽に対して真摯な情熱を傾ける現役最長老指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)が,2024年7月11日に97歳の誕生日を迎え,オルガン奏者だったブルックナー所縁の聖フローリアン修道院付属教会で,バンベルク交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番を演奏しました。
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という番組が放送されました。
 まるで神が乗り移ったかのようなそのすばらしい演奏に,私は泣けて泣けて仕方がありませんでした。


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【Summary】
I attended the 2020th NHK Symphony Orchestra concert on October 19, 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. The program featured Honegger's Symphony No. 3 "Liturgique" and Brahms' Symphony No. 4. Honegger's work, composed after World War II, explores themes of suffering, faith, and hope, while Brahms’ 4th symphony shares a similar message of finding joy in hardship, reflecting Blomstedt's deep faith. This concert was a profound experience of prayer through music.

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  2024年10月19日,第2020回NHK交響楽団定期公演Aプログラムを聴きました。
 曲目は,オネゲル(Arthur Honegger)の交響曲第3番「典礼風」 (Symphonie Liturgique) とブラームスの交響曲第4番でした。このプログラムは,コロナ禍で中止となった2020年10月に行われるはずだった1950回定期公演Bプログラムと同じものです。
 ということですが,今回の演奏会は,指揮者が97歳となったヘルベルト・ブロムシュテットさんである,ということだけでも,歴史的なものでした。ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,一昨年来日されたときは,マーラーの交響曲第9番などを指揮し,私はそれを聴いたのですが,昨年は,体調不良からドクターストップがかかって来日できなかったので,今年の来日も不安視されていました。しかし,元気な姿を見せました。
 とはいえ,一昨年に比べたら,やはり,2年の月日は大きくて,歩くのがやっと。指揮台に上るのもたいへん,という状態でした。しかし,「存在そのものが放つオーラでオーケストラをまとめ,唯一無二の演奏を生み出す」巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮する演奏会に立ち会える,というだけでも,貴重な体験となりました。

 交響曲を5曲作曲したオネゲルは,1892年に生まれ,1955年に亡くなったスイスとフランスの二重国籍をもち,主にフランスで活躍した作曲家です。
 父はコーヒーの輸入商社の支配人を務めていた人物で,母と同じく音楽愛好家でした。教会のオルガニストを経て,チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(Tonhalle Orchester Zürich)の創設者フリードリヒ・ヘーガー(Friedrich Hegar)に勧められて作曲家を志しました。
 交響曲第3番「典礼風」は,プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受け,第2次世界大戦が終結した1945年から1946年にかけて作曲されました。「典礼風」は交響曲の宗教的な性格を表すために命名されたもので,3つの楽章には,死者のためのミサ(レクイエム)と詩篇の中から取られた句がタイトルとしてつけられています。
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●第1楽章「怒りの日」(Dies irae )
 神の怒りに直面した人間の恐れを表す楽章で,オーケストラは「全てを一掃する絶対的な激怒した竜巻」「力の爆発と全てを破壊する憎悪」を表現しています。
●第2楽章「深き淵より」(De profundis clamavi )
 神に見捨てられた人々の苦しみの瞑想,祈りを表現する,霊感に満ちた深遠なアダージョ楽章です。終結部分で「鳥の主題」がフルートの装飾的なソロに変容し,悲劇の中にあって平和への約束を象徴するオリーブの枝をくわえた鳩です。
●第3楽章「我らに平和を」(Dona nobis pacem )
 文明がもたらした「集団的な愚かさの台頭」と「隷属への人の絶え間ない進行のさま」を表しています。バスクラリネットによる「馬鹿げた主題」の行進は進み,ホルンの主題「被害者の反抗意識と暴動」,半音階で下降する木管楽器の動機,弦楽器によるエスプレッシーヴォの主題などが加わって次第に盛り上がり,不協和音によるクライマックスに至ります。これが静まると,人類の平和への願いを表す主題が奏でられ,「鳥の主題」を回想し静かに曲を閉じます。
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 ChatGPTはつぎのように説明します。
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 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」は,第2次世界大戦後の荒廃と人間の苦しみを反映しつつ,最終的には平和と希望への祈りを表現しています。
 この作品は,戦争による破壊や人間の恐れ,そして苦悩を描きながらも,そこからの再生や癒し,平和への希求というメッセージを人類に伝えようとしています。
 第1楽章「怒りの日」は,神の怒りと戦争の恐怖を象徴し,人類の罪や破壊の衝動に向き合う姿を描きます。第2楽章「深き淵より」は,苦しみと祈りの中で救いを求める人々の姿を静かに表現しつつm悲劇の中にも希望があることを示唆します。第3楽章「我らに平和を」では,暴力と愚かさの中にあっても,人間の平和への願いが強く描かれ,最終的には静かな祈りとして曲を閉じます。
 オネゲルは,戦争の悲劇を経て,絶望の中でも平和と希望を見出そうとする強いメッセージをこの交響曲に込めており,特に,人類が戦争の教訓から学び,平和を追求する必要性を強調しています。
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 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」ははじめて聴きましたが,まだ聴きこんでいない私にはそのよさがわかったとはいい難いものでした。ブロムシュテットさんもあまり指揮を経験した曲ではないようで,スコアをめくるのが精いっぱい,という感じを受けました。

 それに続くのが,私の大好きなブラームスの交響曲第4番でした。私はこれで救われました。
 ブロムシュテットさんも暗譜で,オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とは打って変わって,大きく両腕を振り上げたり,細かな指示を出したり,座っているのを忘れるほどの熱演でした。
 第4楽章パッサカリアの主題の元になったコラールの歌詞は「苦難に満ちた私の日々を,神は喜びに変えてくださる」というもので,ここに,オネゲル作品との共通性があって「それこそが揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットのメッセージを表している」とプログラムの解説にありました。
 今回は祈りの演奏会でした。

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 ついに待望のNHK交響楽団第1965回2日目の10月16日がやってきて、緊張して出かけました。私の今年最大のイベントです。
 指揮は95歳,桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,曲目はマーラーの交響曲第9番です。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんが去る6月25日に転倒し入院したというニュースがあって,来日がかなわないのでは,と私はずいぶん心配していたので,無事来日されたという情報があったときは泣けました。昨年来日されたときはとてもお元気そうだったのですが,1年という月日は高齢者には過酷でした。
 数年前に亡くなった私の父と同じ年に生まれた,おそらく,世界最高年齢の偉大なマエストロが指揮するマーラー交響曲第9番とあっては,これを聴きにいかずにおれようか,ということで,前回も書いたように,もともとCプログラムの定期会員だったものを変更して,この10月の定期公演を含め,9月と11月の3回のAプログラムのシーズン券を購入しました。

 私は,マエストロが前回,この曲を指揮した2010年にもNHKホールで聴きましたが,あれから12年の月日が流れ,今回のコンサートは特別でした。
 私の出かけた日の前日に行われた1日目の様子はNHKFMで中継されましたが,ラジオからだけでもものすごい緊張感が漂ってきて,曲が終わった後にしばらく続いた静寂,そして,観客のだれかが小さな声で「ブラボー」と叫んだ,その絶妙なタイミングに続いた割れんばかりの拍手がすごいものでした。番組の司会をしていた金子奈緒さんは涙声でした。
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 さて,私の聴いた2日目。
 もう,ひとりで歩くことさえままならなくなったマエストロが,コンサートマスターの篠崎史紀さんのサポートでステージに姿を現したときにすでに会場は熱気に包まれました。これだけで泣けてきました。本当によく来日できたものです。マーラーの交響曲第9番は長く,かつ重く,難解で,この曲のよさがわかるのはとても大変なことです。私は,この場に立ち会うことができて,そしてまた,曲が理解できて,本当に幸せでした。2日目の演奏は,1日目以上の出来だったということです。
 静かに静かに第1楽章がはじまりました。序奏のあとの旋律はマーラーの最高傑作である交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の最後「永遠に永遠に」(Ewig... ewig...)に続くものです。マーラーらしいおどけのある第2楽章。まったく乱れのなかった第3楽章。そして,いつ終わるとも知れない長いアダージョが奏でる第4楽章では,あの大きなNHKホール一杯の観客がまったく音を立てず,ただ聴こえるのはオーケストラの小さな小さな音色だけという,とんでもない状況が延々と続きました。やがて,生命賛歌のような高揚が終わったあとの消え入るような救いの最後の1音が終わると,まるで時が止まったかのように,静止画を見ているように,ステージ上のオーケストラの団員も,そして,観客もだれひとり全く動かない,という状態がしばらく続きました。まるで,終わってはいけない,とでもいうように…。私はこれが永遠に続くのでは,とさえ思いました。ずっとこのままならどんなにすばらしいことか。
 やがて,マエストロの力が抜けて,曲が終わったことをだれしもが自分にいい聞かせ,納得しはじめたころ,ものすごい拍手が起きました。イスに座ったままのマエストロがなんとか観客のほうを振り返ると,さらに拍手が大きくなりました。観客が,ひとりひとりと立ち上がりはじめました。そして,団員の人たちがステージから去り,マエストロも篠崎史紀さんとともに退場すると,スタンディングオベイションが起きました。それにつられて,マエストロはふたりのコンサートマスターに寄り添われながら3回もステージに登場しました。会場中に「ブラボー」が巻き起こりました。日本の会場で,クラシック音楽のコンサートで,観客がみな立ち上がるのを私ははじめて見ました。

 マーラーの交響曲第9番は、会場で配布される「フィルハーモニー」によると
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 この作品は3重の意味で「辞世の歌」である。
 第1に,死を目前にしたグスタフ・マーラー最後の完成作だということ。第2に,ウィーン古典派以来のドイツ/オーストリア交響曲文化を総括する作品だということ。そして,第3に,第1次世界大戦によってほどなく崩れ落ちる運命にあったヨーロッパ・ベルエポックへの哀歌だということ。
 ブロムシュテットは2010年にもN響と本作品の超絶的名演を残した。本公演が一期一会のものとなることはまちがいない。
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とありました。そして,最後に
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 本作品が「死」を連想させずにおかないとすれば,それは生成と分解のこのプロセスが生命の営みそのものと聴こえるからであろう。
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と結ばれているのですが,結局,この曲は「死」ではなく「生への賛歌」なのです。
 今回,マエストロがこの曲を選んだ理由もわかるような気がしました。
 これまで数多くのコンサートに出かけましたが,これほどまでの演奏を聴いたのははじめてのことでした。音楽は時間の芸術,忘却の芸術といわれますが,私には決して忘れることのないとても幸福な時間となりました。

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