●ここはアメリカの「美観地区」●
朝食を終えても独立記念館のツアーの整理券を配布する時間にはまだ余裕があったので,オールドシティ地区を散策することにした。
ここはヨーロッパでいうところの旧市街であり,京都の祇園や高山の歴史地区,あるいは,倉敷の美観地区のような感じの場所であった。
ここにはアメリカ建国初期の史跡が数多くあり,すべて徒歩圏内で,こじんまりとした美しい場所であった。アメリカのこうしたところは概して治安が悪かったりするが,ここはそうしたこともないとても素晴らしいところであった。
近年,外国人観光客だらけで情緒を失った -日本はすべて金儲けが目的だから,そういうところにはやたらと店ができたりして,ますます落ち着いた雰囲気がなくなるが- 京都や高山よりも,ずっと落ち着いたところであった。赤煉瓦が美しい古い街並みで,建国時のアメリカにタイムスリップしたかのような気持ちになれた。
この一角はデラウエア川(Delaware River)が真近に迫っている狭い場所だが,そのなかでももっと東側,つまり,川に近い場所がエルフレス小径(Elfeth's Alley)である。石畳のエルフレス小径は1720年から1830年に造られたとされる現存するアメリカ最古の住宅街である。
道の両脇には赤煉瓦で統一された可愛らしい家々が30軒ほど並んでいる。現在でも普通の住居として一般人が居住している。
エルフレス小路から歴史公園の方向に少し歩いていくと,ベッツィ・ロスの家(Betsy Ross House)がある。
ベッツィ・ロスは初めて星条旗を縫った女性として有名で,現在は彼女の家が史跡になっている。家の外には昔のアメリカの星条旗が掲げられていて,その星のデザインは今より数が少なく独立当時の13個である。
アメリカは13の州から独立したわけだが,国旗のcanton(右上の小区画)に描かれた星が州の数を表していて,それが次第に増えていくというアイデアははじめからそのように考えられたものなのだろうか? と私は疑問に思った。
この史跡は博物館になっていて,有料で見学することができる。当時の裁縫道具やキッチン用具が展示されているということだったが,時間が早かったので,私は入ることができなかった。
星条旗は独立戦争時にフィラデルフィアでベッツィ・ロスが裁縫したものが始まりだといわれているが,ベッツィ・ロスが最初のアメリカの国旗を作ったということは歴史上資料では証明されていない。それは,ベッツィ・ロスの孫のウイリアム・キャンビー(William Canby)が11歳の時に,ベッツィ・ロスから「自分の夫の兄ジョージ・ロスがアメリカの国旗を作る必要性を痛感していたジョージ・ワシントンの意を受けてロバート・モリスと一緒にアメリカの国旗を作るよう頼みにやってきた。そしてcantonに13個の五芒星を円形にあしらった国旗を作った」というのを聞いたと証言したことによる。
独立戦争当時,アメリカでは国旗が国作りに必要とは考えられていなかったようである。独立戦争が拡大し植民地共通の旗の必要性が叫ばれるようになってできあがったのが,cantonの部分にイギリスの国旗が組み込まれ,残りの部分に13本のストライプが組み込まれた「大陸旗」とよばれるものであった。
その後,大陸会議が1777年6月14日に「合衆国国旗は赤白交互の13本のストライプからなりcantonには青地に白色の星座をつくるべし」という決議を行った。この決議をした議員たちにはcantonの部分の白色の星の円形の置き方について共通理解があったといわれ,また,cantonの部分に13の白色の星を円形に並べたのはフランシス・ホプキンソン(Francis Hopkinson)という人物のデザインであったことはわかっている。
その2か月後に国旗制定の記事がアメリカ各地の新聞に掲載されアメリカ国旗は人々に認知された。そのころの国旗は「条星旗」(Stripes and Stars)と呼ばれ,現在とは異なって星よりもストライプの方が重要とみなされていた。
国旗が有名になったのはフランシス・スコット・キー(Francis Scott Key)が1814年に「星条旗」(The Star-Spangled Banner)という愛国歌を作詞してからである。そして,南北戦争で国旗は「市民宗教」の最高位に登りつめ,国旗崇拝の運動が高まり,1880年代から20世紀初頭にかけて国旗はアメリカのすべての公立学校に置かれ「忠誠の誓い」(Pledge of Allegiance)で称えられた。
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Pledge of Allegiance
I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.
忠誠の誓い
私はアメリカ合衆国国旗とそれが象徴する万民のための自由と正義を備えた神の下の分割すべからざる国家である共和国に忠誠を誓う
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1924年の全国国旗会議で国旗の礼式に関する民用規定が決まり,そこで星条旗のデザインが確定しアメリカ国民の愛国心の中枢に位置するようになった。
さらに歴史公園に向かっていくと,ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)の墓があった。
ベンジャミン・フランクリンはアメリカ建国の父のひとりであり,現在の100ドル札にも描かれている。
ここもまた,墓地に入るのには入場料が必要なのだが,墓は墓地の柵の隣にあるので柵越しに外から見学することができる。並んだ隣には夫人が眠っているということである。