しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:マウントバーノンとワシントン

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●アメリカ大統領の墓地●
 マウントバーノンは年中無休ということである。
 ひろい敷地は塀で囲まれていて,その外側に多くの駐車スペースがあるが,どこも満杯で,私は,車を停める場所を少し遠くまで探さなければならなかたから,車を停めた場所から入口まで暑い昼下がりけっこう歩く必要があった。
 やっと入口に着いて,入場料を払ってなかに入った。ここで邸宅を案内するツアーの参加時間を決められて,その時間まで,園内を自由に散策できるのだ。
 まず,豪華な建物があって,その内部は博物館になっていた。私の目的地はワシントンの墓地であったから,ともかくそこまで大急ぎで行くことにした。
 なにせ,時間がない。
 私は,もともとここに来る予定はなかったから,ツアーで邸宅を見学する時間すらなかったのだ。

 それにしても園内は広く,ずいぶんと歩いたところにワシントンの墓地があった。それが前回載せた写真である。
 このワシントン夫妻が静かに眠る墓所は,毎日リースを置く儀式が行われ,スカウトが参加しているという。
 この敷地には,ワシントンの邸宅以外にも,多くの建物,奴隷用宿舎,台所,厩,温室などがあって,それらを回ることができる。
 ワシントンの墓地までたどり着いて念願を果たした後,私は,再び入口にある建物に戻るついでに,庭園を散策し,森の小道を歩いた。4エーカー (すでに書いたが1エーカーは小学校の校庭ほどの広さ)の農園には再建された16面の納屋もあった。

 帰りがけ,博物館(ドナルド・W・レイノルズ博物館)(Donald W.Reynolds Museum)を少しだけ見た。
 ここにはワシントンの測量用具,武器。衣類のほかに最初に大統領になった頃の義歯も保管され,見ることができた。
 私はこうして駆け足でマウントバーノンのワシントンの墓へ行くことができたのだが,これで,アメリカの歴代大統領のうち,ジョージ・ワシントン,モンテチェロにあったジェファーソン,アーリントンのケネディ,テキサス州ののジョンソンへ行ったことになる。それらの墓地はすべて立派なものであった。しかし,こうした立派な墓地にすべての大統領が葬られているというわけでもない。

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●ワシントンの住んだ場所●
 マウントバーノン(Mount Vernon Estate & Garden)はアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン(George Washington)が22歳から67歳まで過ごした土地である。
 当時,ジョージ・ワシントンの邸宅は広大な農園に囲まれたこの地にあって,ワシントンは農園主であった。
 もともとワシントンは現在の地に葬られたわけではないが,現在は改葬されて,バウントバーノンの一角に建てられたこの写真の建物のなかの棺に眠っている。
 ここは1960年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定,国家歴史登録財にも登録されて,マウントバーノン婦人協会による信託で所有・維持されている。

 この地の歴史は17世紀に遡る。
 1674年,ジョージ・ワシントンの曽祖父となるジョン・ワシントンとニコラス・スペンサーがマウントバーノン・プランテーションとなる土地を所有した。
 その後,ジョン・ワシントンの子ローレンス・ワシントンが相続し,ニコラス・スペンサーの相続人と協議して、ワシントン家とスペンサー家はこの土地を分割した。
 ローレンス・ワシントンの死後,娘のミルドレッドが相続した。
 1726年,ョージ・ワシントンの父であるオーガスティン・ワシントンの要請によってポトマック川に近い部分の土地がオーガスティン・ワシントンに売却され,彼はは家族と共にこの土地に引っ越してきた。
 1738年になって,オーガスティン・ワシントンはイギリスに留学していた長子のローレンス・ワシントンを呼び戻しタバコを栽培するプランテーションを預け,オーガスティン・ワシントン自身は以前住んでいたフレデリックスバーグに隠居した。
 成人したローレンス・ワシントンは隣接するスペンサー家の領地から少しずつ土地を購入し,ローレンス・ワシントンの上官で海軍少将だったエドワード・バーノンに因んで「マウントバーノン」と名づけた。

 1752年7月,ローレンス・ワシントンの早すぎる死に接したジョージ・ワシントンがマウントバーノンに住んで,プランテーションの経営を後継したと考えられている。1759年からアメリカ独立戦争に至る間,傑出した農業専門家になることを目指していたワシントンはこの敷地を5つの農園に分けて運営した。
 ワシントンは1775年以来の独立戦争を指揮し,1783年アメリカ合衆国の独立を成就させ,初代の大統領に就任した。ワシントンは独立戦争に参加した後マウントバーノンに戻り,1785年から1786年にかけて敷地の景観の改善に多くを費やした。ワシントンはマウントバーノンでの幸福な引退生活を望んだのだが,1798年フランスとの戦いが切迫し総司令官となった。
 1799年12月12日,彼は喉頭炎にかかり医者の勧めに従って960ccの血液を抜いたことが彼の生命力の衰えを促し,14日に死亡した。18日の朝,マホガニーの棺に入ったワシントンの遺体はポトマック河を見下ろすマウントバーノンの広場に安置された。霊廟の前で宗教儀礼が行われたあとフリーメーソンによる古代儀礼が厳粛に行われ棺が廟に納められた。

 1799年にワシントンが死んだ後,プランテーションの所有権は何人かの子孫に受け継がれたが,その資産を維持する意思や手段には欠けていた。バージニア州もアメリカ合衆国もこの家と敷地を購入することは辞退したが,1860年,アン・パメラ・カニンガムが指導するマウントバーノン婦人協会が邸宅とその周辺の土地を20万ドルで購入し,荒廃と放棄の状態から救った。
 ここ,マウントバーノンはこうした経緯をたどって,現在に至っている。

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●少しだけ遠回りをして…●
 ウドバーハジーセンターで長居をしてしまったが,そろそろ話を進めよう。
 ワシントンDCからポトマック川の西岸にそって南に30キロ行ったところに「マウントバーノン」というところがある。アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの墓地があるところだ。私はここにジョージ・ワシントンが眠っているということは少し前にテレビの番組で知ったが,交通の便もあまりよくないので,まさか自分が行くことができるとは思ってもいなかった。

 この私には縁のない場所だと思っていたマウントバーノンの位置関係を日本と比べて説明してみよう。
 私が昨日走ってきたシェーランド国立公園が南アルプスで,宿泊したフロントロイヤルが甲府市,そして,ウドバ―ハジーセンターが府中の飛行場で,東京都心がワシントンDC,ボルチモアがつくば市という感じだと考えていただこう。
 すると,マウントバーノンは横浜あたり,という感じになるであろうか。
 この日,私の目的地はボルチモアの「デイズイン」というホテルであった。もともと,今日はこのボルチモアを終日観光するつもりであった。そして,夜,ボルチモアでメジャーリーグベースボール(MLB)のゲームを見て1泊したのちに,翌日はフィラデルフィアまで行ってレンタカーを返すことになっていた。
 先ほどの例に従うと,フォラデルフィアは仙台あたり,という感じであろうか。

 それが,ウドバーハジーセンターがフロントロイヤルとボルチモアの中間にあることとと,マウントバーノンもまた,行くことがができない距離ではないことと,さらには,ボルチモアは終日観光するほどの魅力がないように思えたことから,ボルチモアへ行く途中で,この2箇所に寄り道をすることになった。
 つまり,私は甲府市(フロントロイヤル)からつくば市(ボルチモア)に行くのに,府中市(ウドバーハジーセンター),横浜(マウントバーノン)へ遠回りをして,そののち,東京湾アクアラインを経由して北上し,つくば市へ向かう,そんな感じになった。 

 マウントバーノンは,車がなければワシントンDCから地下鉄のイエローラインに乗って,ハンテイントン(Huntington)駅でバスに乗り換えてさらに30分,というアクセスになる。バスは30分おきに出るそうだが,それでもかなり不便である。要するにワシントンDCから行こうと思うと1日がかりなのである。だからこの旅でマウントバーノンに行くことは全く考えていなかったわけだが,車なら少し遠回りすれば行くことができないわけでもなさそうに思えたので行くことにしたのだった。とはいえあまり時間の余裕もなかったので,マウントバーノンではせめてジョージ・ワシントンの墓地だけみてこようと思って立ち寄ったわけだった。
 ウドバーハジーセンターからマウントバーノンまでは1時間弱であった。

 ワシントンDCの近郊もやはりフロリダ州のように有料道路があった。別に有料道路だからといって日本のように通行料が高額ということもないのだが,私はこの旅では,すでに書いたように,フロリダ州のややこしい有料道路のシステムにすっかり嫌気がさしていて有料道路恐怖症になっていたから,車のカーナビに有料道路をさけるように設定してマウントバーノンまで走っていった。やがて,マウントバーノンの広い敷地が見えてきた。入口は愛知県の博物館明治村のような感じであったが,ずいぶんと多くの観光客でにぎわっていた。アメリカでは,平日も休日も関係なくどこもものすごい観光客であふれている。
 駐車場もたくさんあるのだが,空いたスペースを探すのにずいぶんと戸惑った。入口からかなり遠い場所まで行って,ようやく車を停めることができた。

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