バスは,クイーンズタウン(Queenstown)から快調にワカティブ湖(Lake Wakative)の東湖畔を南下していきました。このあたりまで,あいにく天候がよくなくて,周りは霧,景色はほとんど見えませんでした。先に書いたように,まず無理だといわれていたのですが,私には行けるという確信がありました。それは,この日のミルフォードサウンド(Milford Sound)の天気予報が晴ということだったからです。
行程の途中, ゲートがあって,このゲートが締まっているとミルフォードサウンドには行くことができず,そこで引き返すことになるということでした。ゲートに来ました。私は,祈る気持ちでいましたが,すんなりと通りすぎて,やった! と思いました。
さらに進んでいくと,テ・アナウ湖(Lake Te Anau)を過ぎて,今度は険しい山岳地帯になりました。
途中,氷河で浸食したU字谷の美しい景色が見られたり,「ケア」と鳴くからケア(Kea)と名づけらた鳥に遭遇したりと,ミルフォードサウンドに到着するまでにも,日本では見ることもできない絶景が次から次へと広がっていきました。ケアはマオリ語でのよび名で,ミヤマオウム(Nestor notabilis)のことです。
こんな風景を見てしまうと,日本で「秘境」といわれる場所がすべてむなしくなってしまいます。
やがて,最後の難関であるホーマー・トンネル(Homer Tunnel)に差しかかりました。
ホーマー・トンネルはこの国道94最大の難所で,1935年から1953年まで実に18年を要して作られたそうです。狭いトンネルなので一方通行で,運が悪いとずいぶんと時間待ちをする必要があるのだそうですが,これもまた,運よくすんなりと抜けることができました。
国道94はホーマー・トンネルを抜けるとやがて下りはじめ,ついに,ミルフォードサウンド観光船の出るターミナルに到着しました。
ミルフォードサウンドは晴れ渡っていました。ここは1年のうちで300日は雨で,年間降水量は6,000ミリメートル以上なのだそうで,こうして晴れていたのは奇跡的だということでした。 やがて観光船が来て,さっそく乗船しました。甲板の上に出ると,そこには写真などでよく見る風景が広がっていました。そのスケールはものすごいものでした。
ミルフォードサウンドは,ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)という作家が「世界で8番目の不思議」(Eighth Wonder of the World)とよんだ場所です。
ミルフォードサウンドはフィヨルドランドとよばれる地域にあって,690ヘクタールに及びます。1ヘクタールは100メートル四方なので,690ヘクタールは26キロメートル四方ということになります。ちなみに,東京ドームは4.67ヘクタールです。ミルフォードサウンドは世界遺産ですが,日本にあるようなチンケな世界遺産とは全く違っていて,正真正銘,これぞ世界遺産とよべる場所です。
周辺の地層は古く,一部は4億5,000万年前のものだといいます。4億5,000万年前というのはオルドビス紀(Ordovician)といわれる時代で,地球上に魚類が出現したころになります。また,このあたりのフィヨルドの海は2層に分かれていて,上の部分は山から流れてきた淡水,それより下は海水で,それらは混ざり合うことなく層をなしているそうです。
船は1時間ほどでタスマン海(Tasman Sea)まで出ました。この先にオーストラリアがあります。船はここでUターンをして再びミルフォードサウンドの波止場に戻ることになります。途中にレディ・ボーエンとスターリング(Lady Bowen and Stirling Falls)というふたつの滝がありました。また,岩の上にはオットセイを目撃することもできました。
それにしても,何と雄大な景色だったことでしょう。ここを見ずしてニュージーランドを語ることはできないと強く感じました。それとともに,偶然,天気がよい日にこの地を訪れることができた幸運を感謝しました。
これが,奇跡に奇跡が重なった私の2度目のニュージーランドの旅でした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは