●深夜に星を見ること●
モロカイ島3泊目の晩になった。明日の朝,帰国する。
昨晩は2時間ごとに起きて星の写真を写したことはすでに書いた。明日は帰国するから,この晩は特に星を見る予定はなかったのだが,体内時計が深夜に起きるサイクルになってしまったので,午前2時過ぎに目覚めた。
明日の朝帰国するといっても,コンドミニアムから空港まではわずかな距離なので,別に寝不足になったところで影響もないから,この晩も星空を眺めることにした。
コロナ禍の前,私は毎年のようにオーストラリアに星を見に出かけていた。オーストラリアのニューサウスウェールズ州の内陸部の晴天率は6割から7割,といったところか。3泊すれば1日以上は星が見られる。であるが,定宿としているところからブリスベンの空港までは約3時間かかり,飛行機の時間が午前10時過ぎなので,早朝チェックアウトをする必要がある。そこで,3泊しても,最終日の晩は徹夜で星を見ることができない。まあ,飛行機に乗ってしまえは眠るだけだが,空港にたどり着くまでがたいへんなのである。
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国内で星を見るときも,年に2度ほど遠征して宿泊する定宿は,オーストラリア同様,自宅から3時間ほどかかるから,ここもまた,徹夜というわけにはいかない。家から1時間程度の,いつも出かける場所の場合は,夕方出かけて深夜に帰ってくるケースと,深夜に出かけて早朝帰ってくる場合があるが,どちらにせよ,徹夜はまずしたことがない。
星を見るのは,なかなか過酷な趣味なのである。
となると,このモロカイ島は,徹夜して星を見るには,最適の場所ではなかろうか。
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2020春アメリカ旅行記-モロカイ島でボーッとする。④
●カウナカカイ桟橋での夕日●
海を眺めて,時間を忘れて過ぎたモロカイ島の1日の最後は,カウナカカイ桟橋で夕日を眺めることに決めていた。
桟橋を渡ったところに広い駐車場があるので,そこに車を停めて,桟橋を歩いて戻り,桟橋の途中にあったベンチに腰掛けた。あとは,夕日が海に沈むのを待つだけだった。
海にには船が浮かび,雲がいい感じに出ていた。
夕日は,雲ひとつない青空のもとで沈むより,雲に光が反射したほうが,ずっときれいだ。そしてまた,沈むまでが極めて美しいものだ。それが日の出とは反対で,日の出は太陽が昇るまでが美しく,太陽が見えてしまうと,急に現実に戻ってしまう。
聞こえるのは,波の音だけだった。
人の少ないモロカイ島は,夕日を眺めるのに最高のハワイの島に違いない。
太陽が沈み,コンドミニアムに戻ると,コンドミニアムのまえのビーチの向こうにはラナイ島が見えた。砂浜には1組のカップルがいた。
2020春アメリカ旅行記-モロカイ島でボーッとする。③
●パドラーズインで夕食をとる。●
ベランダにイスを出して,ずっと海を見て1日を過ごしたのだが,今では,この日に何をしたのか,まったく記憶がない。とにかく,何も記録がない。車に乗ってどこかに出かけたこともないし,テレビもつけなかった。
お昼はいつだったか買ってきたカップヌードルを食べたような気もするが,それがこのときだっだかどうかも定かでない。写真もないからわからない。
ともかく,何もしないというのはかなり退屈だと思うだろうが,海を眺めていると,時間を忘れるのだ。
人生暇つぶし。なので,暇をつぶす方法をたくさん知っていることが生きるコツなのだろうが,それがもっとも難しいことのように思う。特に,私のように,普段,何もしないでいるとすぐにイライラするなどという性格は,最も生きることが下手なのだろう。
しかし,仕事は別として,暇なときに何かをしたとしても,それはしなけらばならないことでなければ,要するに,してもしなくても同じなのではないか,と思うわけで,むしろ,何かをすることで他人に迷惑をかけることも数多くあるのだ,とこのごろ感じるようになった。
さて,そんなわけで,海を眺めていたら夕食の時間になった。 この旅の最後の晩は,モロカイ島でもっとも贅沢だと私が思っていたパドラーズイン(Paddlers Inn)というバーを併設したレストランに行くことにした。
これまでここに行かなかったのは,ここが飲み屋だと思っていたことに加えて,「地球の歩き方」にはこの店で使えるクレジットカードがVISAだけと書かれてあったのが最大の理由であった。私は,この旅にはVISAカードを持っていかなかった。
特に海外では,私は,現金を使うということはほとんどなく,たとえ飲み物1本買うにも,クレジットカードを使う。だから,わずかの現金しか持っていなかったのだ。
事前の情報では,モロカイ島は,少し前の日本のようなところで,Wifiもクレジットカードも使えないと思ったほうがよいところらしかった。しかし,実際はそう困ることもなく,コンドミニアムではWifiがつながったし,ほとんどの場合クレジットカードが使えた。
そんなわけで,わずかしか現金を持っていなかったが,これまでほとんど現金を使わなかったために,というか,お金を使うところもほとんどなかったために,手元の現金はまったく減ることもなかったので,この晩,たとえ夕食を現金で支払っても大丈夫という見込みが立ったので, 入ってみることにしたのだった。
入ってみると,私のほかに初老の夫婦がいただけだった。彼らはカウンタに腰かけて,おいしそうにアルコールを楽しんでいた。
ここは,オーストラリアの田舎町で入ったことがあるタバーン,つまり,お酒も飲めるレストランという感じのところで,とても居心地がよかった。また,かしこまった場所でもなかった。メニューも高級そうなものはなく,ハンバーガーがいろいろあるくらいのものだったが,それでも,ここはこの島でもっともマシなレストランであった。もう少し遅く来れば,ライブ演奏をやっていることもあるということで,店内の端にはステージもあったが,この晩,それが行われたのかどうかは知らない。
ライブ演奏といえば,ハワイは,レジャーランドのような日本人観光客のあふれるオアフ島は別としても,ハワイ島でもカウアイ島でもマウイ島でも,なかなか雰囲気のいいライブ演奏のつきのレストランがあって,私もこれまで楽しんだ経験がある。まあしかし,モロカイ島では,それは望めないだろう。
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食事を終えて支払いをしようとしたとき,このお店でもほとんどすべてのクレジットカードが使えることがわかり,拍子抜けした。それはともかくとして,最後の晩にいい思い出ができた。そしてまた,私のモロカイ島の,食事をする場所もない,という印象もこれで払拭されることとなった。
それにしても,次回,もし,モロカイ島に行くことがあれば,連日,朝はカネミツベーカリーで朝食をとり,昼はカネミツベーカリーで買っておいたパンを食べ,夜はパドラーズインで夕食を繰り返すしかないのだろうか。
2020春アメリカ旅行記-モロカイ島でボーッとする。②
●極めつけのハワイの過ごし方●
この日は,朝,ファーマーズマーケットに行って,帰りがけにカネミツ・ベーカリーでシナモンロールを,スーパーマーケットでジュースを買って帰ってきた。
もはや,モロカイ島でやることも行くところもないので,1日中,部屋のテラスで海を眺めながら過ごすことにした。
私の好物であるシナモンロール(cinnamon roll)だが,不思議なことに日本ではあまり売っていない。どうしてだろう。
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シナモンロールは,イースト入りのパン生地を大きめの長方形に伸ばして,表面にバターを薄く塗り,シナモン,砂糖をまんべんなくふりかけてロール状に巻き,それをひとり分ごとに輪切りにして,切り口を上にしてオーブンで焼いたものである。
シナモンロールは,北欧や中欧,そして,北アメリカで浸透しているペストリー(pastries),つまり,パン生地に油脂を多く加え,パイ状に焼き上げたもので,スウェーデンで発明されたと考えられている。
焼き上がったものにアイシングとよばれる砂糖衣や砂糖シロップ,または北欧で一般的なニブシュガーという胡麻粒状の砂糖,フロストシュガーなどをトッピングする。
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シナモンは,ニッケイ属(Cinnamomum)の複数の樹木の内樹皮をはがし乾燥させて得られる香辛料である。熱帯各地で幅広く栽培され,香り高く「スパイスの王様」とよばれる。
シナモンには,独特の甘みと香り,そして,かすかな辛味があり,カクテル,紅茶,コーヒー等の飲料やアップルパイ,シナモンロールなどの洋菓子の香りづけに使われる。
インドネシアと中国が世界のシナモン生産の76パーセントを占めている。
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以前,カウアイ島に行ったときも,滞在最後の1日,することがなくなったので,ホテルのプライベートビーチで1日海を見て過ごしたことがある。このとき,こんなすばらしい時間の過ごし方があるんだなあ,とはじめて知った。また,マウイ島でも,マケナビーチで半日,海を見て過ごした。
日本人は仕事以上のハードスケジュールで名所旧跡を見て回ることを旅と考えてることが多いが,西洋でのバカンスというのは,何もしないことが最も贅沢な過ごし方なのである。
高いお金を出して,しかも,やっと手に入れた短い休日に,外国に出かけて何もしない,ということは,もったいないことのようには思えないだろうか。私もそのひとりであった。さらに,日ごろ,何もしないなどという生活をしたことがないから,どう過ごせばいいのかもわからないし,さらには,罪悪感を感じてしまうことも少なくない。しかし,その一方で,近ごろ,巷では,退職した老人が朝から晩まで,することもしたいこともなく,右往左往している姿をよく見かけたりする。
しかし,よくよく考えると,あくせく何かをすることがしあわせなのだろうか?
暇つぶしに何かをしても,それは実際はやらなくても何も困ることではないことがほとんどなのである。