しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:モロカイ島探索は続く

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●ファーマーズマーケット●
☆3日目 2020年2月22日(土)
 それにしても幸運だったのは,滞在3日目が土曜日だったことだ。それは,土曜日の朝はカウナカカイのダウンタウンでファーマーズマーケットをやっているということだったからだ。わずか2泊4日のモロカイ島への旅であったが,ムダのない充実したものとなった。
  ・・
 ファーマーズマーケットは世界中のさままな場所で行われていて,これまでもいろんなところでそれを見る機会があった。私は,こうした場所が好きなのだ。しかし,海外旅行をはじめたころは,その土地の名所旧跡に行くことに頭がいっぱいで,こうした場所があることすら知らなかった。そして,しばらくして興味が出てきたときは,なぜか曜日が合わずなかなか行く機会がなかったが,このごろは,なぜかいつも曜日が合って結構な割合でファーマーズマーケットを訪れるようになった。

 日本でも,高山の朝市など有名なものがあるし,私の住んでいたところでも,昔,開かれていたことがあった。そもそも,四日市とか八日市とかいうのは,市が開かれた日にちが地名になったものだ。しかし,今では,都会はどこも巨大モールができてしまい,欲しいものが欲しいときに手に入るようになったし,流通も巨大化してしまい,生産者の顔が見られなくなってしまった。
 果たしてこれを便利というのだろうか?
 ただし,私は,欲しいものがあれば,そのときだけ,モールに出かけたり,あるいは,ネットでショッピングをするから,衝動買いをするなんていうことはまったくない。
 そこで,旅に出て,ファーマーズマーケットを覗いても,土産ひとつ買う習慣がないから,ひやかし専門である。ただし,こうしたマーケットではそこに住んでいる人たちの様子が垣間見えるからとても興味深いのである。

 このときも期待してマーケットに行ってみたが,そもそも島民の絶対数が少ないから,マーケットといったって数軒の露店があるだけだった。思えば,アラスカへ行ったときにフェアバンクスのマーケットに行ったときも同様であった。というより,モロカイ島よりもっとさびれていた。
 モロカイ島のファーマーズマーケットは,規模が小さいとはいえ, マーケットのの中央では若い女性がふたりフラダンスをやっていたし,軒下でギターを弾いている人がいたりしたから,マーケットらしい雰囲気がなかったわけでもない。

 それにしても思うのは,人は,こうした地産地消の食材をマーケットで吟味して手に入れて腕によりをかけて食事をつくったり,うれしいときには楽器を手にして音楽をかなでたり,あるいは,美しい風景に出会ったらスケッチブックに絵を描いたり,また,人と気軽に触れ合うために言葉をかけたり,そんな生活が,実は,最も幸せなことではないだろうか。
 私は,そんな当たり前の能力の何ひとつももち合わせていないのを恥じるのである。


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●ハワイは北緯20度●
 星が美しかったのに気をよくした1日目の夜は寝る前に少し星を見たが,夜半には雲が出たようだった。
 2日目の夜はずっと快晴という天気予報だったので,2,3時間ごとに起きて星を見た。この様子はすでに詳しく書いたので,今日は,ハワイの星空についてを話題とする。
  ・・
 日本といっても,北は北海道から南は沖縄まで南北に長いから,石垣島まで行けば,日本でも南十字星を見ることができるが,ここでは,私の住む愛知県で見る星空を日本の星空としてハワイで見る星空との違いを考えてみることにする。

 私の住むところは北緯35度であり,ハワイは北緯20度である。
 この15度の差のが大きいのだ。 
 今日のブログにある3番目と4番目の写真は夏の南の夜空の星図,さそり座が南中した時点での北緯35度と北緯20度の様子である。また,5番目と6番目の写真は春の南の夜空の星図,からす座が南中した時点での北緯35度と北緯20度の様子である。
 このふたつを比べてみるだけでも,ハワイがうらやましくなることだろう。さそり座のしっぽのあたり,ここは星雲の宝庫なのであるが,これが日本では見られない。あるいは,見られたとしても,地平線に近く,鮮やかに見られない。また,からす座の南,ここにあるのがケンタウルス座であり,さらに,その南に南十字星のある南十字座がある。ここには,鮮やかな天の川が横たわり,まさに絶品なのであるが,これが,本当にちょっとだけ,本当にちょっとだけ日本から見られないのだ。日本では,どんなに条件がよかろうと,この,全天で最もすばらしい星空を見ることが不可能なのである。

 私は,数年前まで,南十字星をひと目見たいと熱望していた。
 若いころ,オーストラリアに行ったとき,シドニーの街中から南十字星を見ることはできたが,なにせ都会であり,そこに横たわる天の川を確認することすら出来なかった。だから,ハワイ島のマウナケア山の山麓で南十字星を見たとき,南十字星はこんなにすばらしい天の川のなかに横たわっていることを知って驚いたものだった。
 南半球に行けば,嫌になるほどこのあたりの星空を一晩中見ることができるわけだが,むしろ,ほんの少しだけ,それも数時間だけこの姿を地平線すれすれに見ることができるハワイは,逆に出し惜しみをしているようで,それはそれですてきではないか。私は,このとき,モロカイ島で,そんな南の空を眺めながらそう思っていた。
 次にこの星空を見ることができるのは,いつのことだろうか。

◇◇◇


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●コカ・コーラとハンバーガー●
 私が愛してやまない炭酸飲料はコカ・コーラである。
 コカ・コーラを飲んでいるのを友人に発見? されるたびに,驚いたように,「コーラ飲むんだ」とか「さすがアメリカかぶれ」とか言わるが,別に珍しくもなく,私は常にコカ・コーラを飲んでいる。
  ・・
 今から50年ほど前のこと,家の近くのラーメン屋で食事をしていたとき,店員が「今度アメリカからすごい飲み物がくる」という話をしていたのを聞いて興味をもったのがおそらくコカ・コーラを知ったはじめだった。その「すごい飲み物」が何を意味していたのかは不明だが,それがコカ・コーラだと勝手に思っている。
 後日,やっと手にして飲んでみたものの,何,こんなもののどこがすごいんだ,というのがその第一印象だった。しかし,私は子供のころ炭酸飲料が飲めなかったから,どうも話の辻褄があわない。おそらく,時間がごちゃごちゃになって記憶しているのであろう。
 今,調べてみると,コカ・コーラは大正時代から日本では紹介されていたということだが,1957年 (昭和32年)に日本飲料工業株式会社(日本コカ・コーラ株式会社の前身)が設立されて,日本で「コカ・コーラ」の製造が開始され,その後、1963年(昭和48年)までに全国16のボトラー社が次々と誕生したとあるので,ちょうどそのころのことだろう。
 私は,アメリカを旅行して軽食をとるときは,ハンバーガーにコカ・コーラというのが定番となっている。

 さて,ここからは,この日の夕食の話である。
 すでに書いたように,モロカイ島で夕食をとることができるレストランは数えるほどしかない。前日に行ったのがモロカイバーガーである。同じ店もどうかと思い,そのとなりにあったモロカイピザカフェに行くことにした。 
 私はピザは食べないことはないが,あまり好みではない。それは,どうもチーズがだめだからなのである。しかし,選択するほど店がないから仕方がないと思い,意を決した。
 「地球の歩き方」によれば,この店のピザはハワイ6島の名前のついたいろんなトッピングが楽しめるということだった。
 店に入ってみると,メニューはピザだけけでなく,いろんなものが食べられることがわかって安心した。そこで注文したのが今日の写真のようなものである。もちろん飲み物はコカ・コーラであった。
 それにしても,ポテトチップスには落胆した。これでは夕食というよりも,おやつではないか。いくらアメリカの食生活がエサの類を越えていないとはいえ,連日これほど貧しくては,この島では到底生活できないとおもった。ハワイまで行って,毎日,こんな夕食をとっている日本人は私くらいのものだろう。

 時折来る客はみなテイクアウトであり,店内で食事をしているのは私だけであった。
 そりゃそうだろう。私のように観光でモロカイ島に来ている人なんて,ほかにだれもいなし,バカンスで長期滞在をしている人たちは,マーケットで食材を買って,コンドミニアムで自炊を楽しんでいるに違いないからである。

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●ワンアリイ・ビーチパーク●
 夕食までまだ時間があったので,コンドミニアムから東の海岸を走って,ワンアリイ・ビーチパーク(One Alii Beach Park)まで行ってみた。
 とても天気のよい日で,というか,私が滞在した3日間すべて天気がよかったので,私のモロカイ島での印象は最高であった。これが,毎日天気の悪かったカウアイ島との違いである。

 ワンアリイ・ビーチパークは広々としていたが,私以外にはだれもいなかった。車を停めて海岸まで歩いて行くと,向こうにラナイ島がきれいに見えた。
  ・・
 ハワイ8島のうち,一般に観光客が行くことができるのは,ホノルルのあるオアフ島をはじめとして,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島,モロカイ島,そしてラナイ島の6島である。ツアーで行くことができるのは,そのなかで,オアフ島,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島の6島で,モロカイ島とラナイ島は個人旅行でしか行くことができない。私は,このときモロカイ島を旅しているが,残念ながら,これまでラナイ島に行く機会がなかった。コロナ禍が起きなければ,今ごろ行っていたかもしれないが,その動機は単に6島制覇がしたいということにすぎず,海外旅行という熱病から醒めてしまった今となっては,もうどうでもいいような気がする。
 率直にいって,私は,ハワイに行っても,もう,やりたいこともなければ見たいものもない。ただしそれでも,ハワイには,夜は満天の星空を見てお昼間は何も考えず海をボーッと見ているだけでも行く価値があるから,そう考えると,モロカイ島こそが私の理想のハワイともいえる。なにせ,うざったい観光客は皆無であり,日本にはない自然がいっぱいある。

 ここで未だ行っていないラナイ島について少し紹介する。
  ・・・・・・
 ラナイ島はハワイ諸島の中心部に位置する火山島で、面積は364平方キロメートルというから,モロカイ島の半部くらいか。島の愛称はパイナップル・アイランドだが,これは,かつて世界のパイナップル生産高の20パーセントを占めるほどのパイナップル産出島であったことからついたニックネームである。
 2012年に,現在世界第2位のソフトウェア会社であるオラクル・コーポレーション(Oracle Corporation)の創業者ラリー・エリソン(Lawrence Joseph Ellison)がラナイ島の土地をすべて購入し,島の土地の98パーセントがラリー・エリソンの持ち分で,残る2パーセントが国有地となった。  
 島のほぼ中央に位置するラナイ・シティに住民のほとんどが居住していて, 島の大部分は未開発のままである。
  ・・・・・・
 そこで,私には,現在のラナイ島は,大金持ちが所有してリゾートホテルを経営しているというイメージがするから,あまり魅力を感じない。

 ワンアリイ・ビーチパークには日系移民の碑があった。
 ハワイにおける日系移民の歴史は次のとおりである。
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 1806年(文化3年),ベルセベランス号の船長がオワフ島で8人の日本人を発見した。この8人は太平洋の中で立ち往生していた帆船 から他の外国船に助けられオワフ島に置き去りにされたものだというが,彼らはその後故郷に戻された。さらに,同じ年,別の難破船がハワイに到着したが,他の船に乗って日本に戻された。当時,他の国から戻ることは罪人だったので,こうして祖国に戻された不幸な日本人たちは,拷問に耐えられず自殺したり,仏教の道に入り生涯をすごしたという記録がある。
 1860年(万延元年),カメハメハ4世は,日本の幕府にハワイへの日本人労働者募集養成の書簡を送ったが,将軍は多くの問題を抱えていたので,その要請に即答できなかった。
 1865年(慶応元年)には,ハワイの外務大臣R・C・ワイリー(R.C.Willey)が,翌年日には,その後の継者であるチャーズル・ド・パリグニーが,日本人労働者の導入を急いで行うように書簡を送った。そこで,1868年(明治元年)に,149名の日本人がハワイに渡った。これがはじめての官約移民で「元年もの」とよばれた。しかし,彼らのハワイへの定着度は低かった。
 やがて,1885年(明治18年)に,日本からの移民が再開された。サトウキビ畑の労働力不足に悩むハワイと,失業者対策と外貨の獲得を望む日本政府の利害が一致したからだ。その後,移住の斡旋は1894年(明治27年)からは民間会社に委託され,労働者は農場主と契約を結び,渡航などに伴う諸経費を負担してもらう代わりに,3年間はその農場主に拘束されることになった。
 1900年(明治33年)に,この「契約移民」制度は廃止され,「自由移民」の時代になり,約15万人が海を渡った。その結果,サトウキビ労働者のうち日本人の数は70パーセントに達したという。
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 だれもいないワンアリイ・ビーチパークを歩いていると,馬に乗った人が海岸を散策していたのに出会った。ここは本当にハワイなのだろうか? と思った。


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●「モロカイ島の日々」●
 こうして,私は,滞在2日目にして,モロカイ島を隅々まで走ることができた。レンタカーを借りるとき,島を1周してもガソリンは半分も使わない,と言われた意味がよくわかった。
 それにしても,この島についてはあまりに情報がないのに驚いた。また,情報があってもそれは古い情報で,今はなくなってしまったリゾートだったり,営業をしていないレストランだったりした。

 そんなとき,「モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より」という1冊の本を見つけた。この本が出版されたのは2020年10月ということなので,私がモロカイ島に行ったあとのことだ。
 著者は山崎美弥子さんという人だ。
  ・・・・・・
 山崎美弥子さんは,1969年東京生まれで,多摩美術大学を卒業後,東京を拠点にアーティストとして活動していたが,一転して,2004年より船上生活をはじめる。そののち,モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。
 現在はそこから東に数マイル移動し,「島の天国131番地」とよぶその家で,心理学者の夫とふたりの娘,馬や犬たちと海と空や花を絵描きながら暮らしている。
  ・・・・・・
と紹介されていた。
 こういう人を知ると,すごいなあと思ってしまう。私とは生活力が違い過ぎるのだ。

 サンダルウッドの丘というのがどこにあるのかよくわからなかった。おそらくサンダルウッドとはSandalwood のことなのだろう。Sandalwood というのは白檀のことだが,白檀は,ハワイでは1790年代から貿易の対象となっていたということだ。さらに調べてみると,サンダルウッドピット(Sandalwood Pit)というものが見つかった。Pit は穴のことだ。森の中に作られたサンダルウッドピットは,船倉に収まる量を測定するために使用された。収穫したサンダルウッドをピットに入れていき,ピットいっぱいになると,サンダルウッドの丸太は山を下って待っている船に運ばれた。
 そのサンダルウッドピットのあったあたりがサンダルウッドの丘なのだろう。場所は,モロカイ島の東側の山の中である。

 林民子さんという山崎美弥子さんの友人が「モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より」を読んだ感想として,次のように書いていたので,引用してみる。
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 ジェシーは歯がなく,白髪のロン毛というまるで仙人のような愛らしいおじいさんだった。私たちはジェシーおじいさんとモロカイの聖地のひとつである森を歩こう! ということになった。森の一番聖なる場所に連れて行ってくれたとき,「持参した法螺貝を吹くから みんな目を閉じているように」とジェシーがいう。輪になり座ってジェシーの法螺貝を静かに聴き入っていると,ある方向から視線を感じ,無性に目を開きたくなった。瞼を上にあげ 周りの木々を眺めると,ある木と木と間からオレンジ色の光がまるで私たちを見つめているかのように輝いていた。法螺貝の演奏が終わった途端,その光は消えた。
 ハワイの島の森の精は「メネフネ」とよぶ。ひょっとしたらその光は森の精「メネフネ」だったのかもねと嬉々として話をした。山崎美弥子さんは,森の精「メネフネ」からお役目を授かり,モロカイ島のネイティブ・ハワイアンの守り継がれてきた文化や精神性を日本に伝える役割を果たす人なんだろうな。
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 なんともすてきな話だ。

モロカイ島


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●ケプヒビーチリゾート●
 パポハクビーチ,カプカヘフビーチと遠征して,再び,ケプヒビーチリゾート(Kepuhi Beach Resort)まで戻ってきた。
 「地球の歩き方」には次のように書かれてある。
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 高いヤシの木がそびえる芝生の敷地に,ポリネシアン風の建物がオーシャンフロントに点在するコンドミニアム,各ユニットのオーナーがウェブサイトを通じて独自に貸し出しをしている。
  ・・・・・・
 また,英語のサイトには
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 ここに宿泊しようとすれば,このユニットから気に入ったところを探し出して予約をする必要がある。
 ケプヒビーチリゾートの設備は,オーシャンフロントプール,ピクニックテーブルつきのガスバーベキュー,そして,コインランドリーの施設があって,コンドミニアムは,小さなキッチンエリアとバスルームを備えた部屋となっている。
 近くにはハワイで最も長い白い砂浜がつづくパポハクビーチがあり,リゾートの前には古いホテルや,周辺には廃墟となった建物がある。
 また,古いホテルの両側にあるのがケプヒビーチ。右に行くと,冬の間は素晴らしいサーフブレイクがあり,夏の間は,ビーチからオアフ島に向かうパドリングレースがたくさん開催される。また,夏はシュノーケルや水泳に最適であり,冬はサーフィンが盛んである。
  ・・・・・・
とある。しかし,実際はオーシャンフロントプールは閉鎖されているから,これは正しくない。
 …なんだか,もう,「盛っただけ」のやけくそ,という感じにも思える。

 このコンドミニアムに宿泊したカップルが書いたブログがあったが,その内容は,カウナカカイのスーパーマーケットに食材の買い出しに行ってきて,部屋で食事を作った,というだけのものであった。
 このリゾート,世界の中でも「秘境」のリゾートとして紹介されているくらいの場所だが,「秘境」とはいえ所詮はハワイなので,アクセスするのは難しいことでもないから,こういった「秘境」に憧れる人には最適な場所かもしれない。しかし,レストランすらないから,自炊をするか,カウナカカイまで足をのばす必要がある。
 
 フィンランドのヘルシンキを舞台とした「かもめ食堂」の姉妹編に「めがね」という映画がある。
 「めがね」は
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 春,この世界のどこかにある南の海辺。人生の一瞬にふと立ち止った女性が訪れた場所に流れるのどかな時間と,そこで出会う人々との奇妙なふれあいを通じて,日常の中で忘れていた何かを取り戻していく…。
  ・・・・・・
という映画である。この映画の舞台は与論島だが,この映画を見て,与論島にあこがれて訪れる人があとを絶たないらしい。しかし,おそらく,与論島なんて,行ってみれば,そりゃ,自然破壊の大好きな日本のことだから,あこがれるほどの大自然でもないだろう。それに,どこにいっても群れたがる,そして,騒ぎたがる,そんな日本人観光客が少なからずいるに違いない。そのくらいなら,モロカイ島にでも行った方がずっと素朴でいいと,私は思う。しかし,モロカイ島では人とのふれあいは期待しないほうがいいけれど。


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●カプカへフビーチ●
 パポハクビーチのさらに南にカプカへフビーチ(kapukahehu beach)があるということなので,そこまで行ってみることにした。
 以前行ったカウアイ島もそうであったが,島の西側は未開の地である。それは,波が高く,ビーチとはいえ,泳ぐのには適さないから発展しないのであろう。
 海岸にそって道路はあったが,道路からは海の方向には樹林がひろがっていて,海はみられなかった。道路は一応舗装されれていたが,整備されているとはいい難く,それだけであった。ほどんど,というか,まったく車が通らなかった。そりゃそうであろう。この先行っても人が住んでいないし,観光地もない。だから,店もない。しかし,道路際には花が咲き,とても美しかった。
 こののどかさがたまらない。

 パポハクビーチに関する情報はほどんどない。本当にここもハワイなのだろうか? そこで,かろうじて見つけた英語のサイトから翻訳してみる。 
  ・・・・・・
 モロカイ島の西岸に位置するディキシイマルコーブ(Dixie Maru Cove)には,モロカイ島で最高の海水浴場のひとつがある。砂浜の入り江は両側に溶岩の露出があって,のんびりと水あびをしたり,シュノーケリングをするには最適な場所である。
 ビーチはサンゴ礁に縁取られ,通常,夏の間は穏やかな海となる。ここはこの地域の他のパポハクビーチなどよりも穏やかではあるが,波が高いときは海に近づかないほうがいい。ここには監視員はいない。
  ・・
 ディキシイマルコーブは,日本の漁船の名前「ディキシ丸」から名づけられたものである。日本では「丸」は船名につけられる接尾辞である。
 1920年,日本の帆船「ディキシイ丸」が難破し,その銘板が浜の門の近くに吊るされた。それ以来,この人里離れたビーチは愛情を込めてディキシイマルコーブとよばれるようになった。ハワイの名前はカプカヘフビーチである。
  ・・
 ディキシイマルコーブはモロカイ島のもっとも遠く離れた西海岸にあるため,アクセスするには少し時間がかかる。しかし、ここに続く道は舗装されている。ほとんどの日、ビーチはまばらにしか人が訪れない。
 なお,ビーチにはとげのあるキアベの木があるので,木陰のある場所を探すときは注意が必要である。また,捨てられた釣り針があるので,裸足で歩くのは危険である。
  ・・・・・・
 「ディキシイ丸」の本当の名前は何というのだろうか。これは調べてもわからなかった。

 道路が行きどまりとなる場所がパポハクビーチの入口らしかった。ビーチという看板はあったが,パポハクビーチという地名は書かれていなかった。どこにでも車が停められたので,適当な場所に車をとめて,海岸まで歩いていった。
  ・・・・・・
 どこへ行ってもビーチにはたくさん人がいます。誰もいない美しいビーチへ行ってみたい。モロカイなら「秘密のビーチ」が見つかるかも… 
  ・・・・・・
ということで,ここにやって来た日本人のブログを見つけたが,行ってみて,そう大騒ぎするほどのこともない場所だと私は思った。こんな場所に大騒ぎをするくらいだから,これを書いた人はおそらくハワイのマウイ島にはヌーディストビーチがあることも知らないだろう。
 私は,海まで行って,しばらく波を見ていた。それだけだった。しかし,考えようでは,これは最高の贅沢ではあるまいか。このずっとずっと先に日本が本当にあるのだろうか,と海を見ながら私は思った。

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●パホハクビーチ●
 マウナロアから少し州道460号線を東にもどって左折,つまり北西に向かって海岸線へ降りる道路に入る。その道路の曲がり角には目立たない看板があると「地球の歩き方」には書かれてあったが,すぐにわかった。
 その道路は一応舗装されていたが,でこぼこであった。そのまま4.5マイル,約7キロメートルほど下っていくと,島の北西の海岸線に出た。そこがケプヒ・ビーチリゾート(Kepuhi Beach Resort)であった。
 遠くから見ると,マウイ島にあるような立派なコンドミニアムが立ち並び,プライベートビーチもあった。マウイ島などのリゾートは,よそ者お断り感満々なので,ビジターが車を停めることさえなかなか困難だから,ここも同じように,私は遠慮しがちにビジター用の駐車場をさがして車を停め,少し様子見をすることにしたのだが,すっかり当てが外れて,ここは場末感ただよう寂れたリゾートであった。

 とりあえず,ここはまた来ることにして,その先を急ぐことにして,車に戻った。
 この先,島の西側の海岸に沿って,パポハクビーチとカプカヘフビーチがあるということだったので,ともかく,先に,そこまで行ってみることにした。
  ・・
 まず,島の西側を海岸に沿って南に走ると,パポハクビーチ(Papohaku Beach)に着いた。
 ビーチの入口には看板があって,広い広い駐車場が完備されていた。また,ピクニックエリアもあったので,マウイ島のマケナビーチのような感じではあった。しかし,唯一の,しかも最大の違いは,来ている人がほとんどいないということであった。当然,レストランも何もない。
 パホハクビーチはハワイで最も長い白砂のビーチで,その距離は約5キロメートルも続いているという。風が強く波が高く潮の流れも速いので泳ぐことはできないということなので,砂浜でパラソルを広げてボーッと海を眺めるくらいしかすることがない場所である。
 私が行ったときは,一組の家族がいただけだった。
 
 このような砂浜はハワイには結構あるのだが,見ると行くのとは大違いで,砂は深く,歩くのがたいへんなのである。スニーカーなどを履いていても,どんどん砂が入ってくる。さらには,日焼け止めにパラソル,そして,イス,これが必需品で,それがないと,砂浜で立ち尽くす以外どうしようもなかったりするから,憧れるほど楽しいところではない。こんな場所で海を眺めるのならホテルのテラスのほうがずっと快適な気がする。
 ハワイの海岸よりも,オーストラリアのゴールドコーストのほうがずっと快適で美しいと,私は,ゴールドコーストに行ったときにそう思った。
 いずれにしても,ここは,こんな巨大なビーチを独り占めにできる,日本では考えられない場所である。こんな場所を知ってしまうと,オアフ島のワイキキビーチなど,箱庭にすぎない。とにもかくにも,ここは太平洋のど真ん中なのである。


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●不思議な町&謎の町・マウナロア●
 さて,空港から西に行くには州道460,通称マイナロア・ハイウェイ(Maunaloa Hwy.)を走ることになる。この道路もまた,片側1車線ののどかで穏やかな舗装道路であった。約10マイル,16キロメートルほど行った先が,このハイウェイの終点がマウナロア(Maunaloa)の町である。途中はこれといって何もない,赤土が顔をのぞかせる乾燥地帯であった。
 モロカイ島の西側の大部分にあたる広大な54,000エーカー(約220平方キロメートル)の土地はモロカイランチ(Molokai Ranch)の所有地で,かつてはドール社(Dole)と契約し,パイナップルプランテーションとなっていて,マウナロアはその中心地であった。ドール社というのは,日本のマーケットでもよくジュースを見かけるあのドール(Dole)である。
 なお,何度書いても(私が)忘れるので,またまた書くが,3エーカーが約12万平方メートルで野球場1個分である。なお,1エーカーは1224坪だそうだが,何度調べてもまったくもって大きさがよくわからない。
 私は,小学生に英語を教えるのも結構なことだが,そのとき,頭の柔らかいうちに,エーカーだの,インチだの,ポンドだの,はたまた,坪だの尺だのといった,たくさんの単位を教えたほうがいいと思う。それが現在正規で使われている単位であろうとなかろうと,実際には使われているから,アメリカ人と会話をするときに知らないと困るからである。
 学校は死ぬまで使わないようなことはたくさん教えるが,知らないと困ることを教えないのだ。

 1990年ごろから東南アジア産の安いパイナップルの市場進出におされて,ハワイにあるドール社のパイナップル畑は閉鎖となってしまった。モロカイ島だけでなくラナイ島もまた同様であったが,ラナイ島には今もその場所が公園となって残っているが,モロカイ島には何もない。
 ドール社が撤退したのちは,マウナロアには,高級リゾート「モロカイロッジ&ビーチビレッジ」(The Lodge & Beach Village at Moloka'i Ranch)に従事する人が住んでいたが,208年にモロカイランチが閉鎖され,ホテルもクローズしてしまった。 
 そこで,今は死んだような町となってしまい,ほとんどの店は閉店し,1軒のスーパーマーケットと手作り凧の店だけが残っていた。

 マウナロアに関する情報はあまりに少ない。調べても何も出てこない。唯一あったのは,次のものであった。
  ・・・・・・
 モロカイ島で有名なホテルといえば「モロカイロッジ&ビーチビレッジ」である。泊まることはできなかったけれど,せっかくモロカイ島に来たんだからと,夕食に行ってみた。
 標高1,200フィートの高台に位置するので,すこし気温が低い。建物の雰囲気もハワイとは思えないし,涼しさもラナイ島のロッジアットコエレと似ていた。
 65,000エーカーの広い敷地に22室だけの小さなホテル棟がぽつり。
 見渡す限り平原であった。
 ホテルからマウナロアの中心までは歩いてすぐだが,マウナロアには,映画館,お土産屋,郵便局,スーパー,ガソリンスタンドが1軒ずつあるぐらいで、レストランもない模様。夕暮れ時はお店も閉まっていて、人通りなく,本当に静かだった。ホテル内もゲストがちら。
 こんなに静かな町とホテルを見たのははじめてだった。
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 しかし,この記事は,先に書いたように,ホテルがクローズされた2008年以前に書かれたものである。インターネットというのはおかしなもので,過去も現在も一緒くたにある。ネットにはここにあったリゾートの写真やさらにはホームページまであったが,こんな建物,今はないしホテルもない。マウナロアにはモロカイ島唯一の映画館があるというが,これもまた,今あるかどうかは知らない。ただし,マウナロアには,現在,たった1軒,B&B が営業している(らしい)。

 正直って,私は,この町を何も見ないで通り過ぎてしまった。というより,何もなかった。しかし,今思うに,少し探検すべきであった。つまり,調べても何も出てこないので,何が真実なのかわからないからである。それをこの目で確かめておくべきであった。 
 それにしても,現在この町に住んでいる人は何をして暮らしているのだろう。不思議で仕方がない。


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2020-02-22_07-19-25_2462020-02-22_07-28-58_882 クム2

●クムファーム●
 私は,早朝,島の最東端までいてから,カウナカカイまで戻り,今度は,中央部を北に走って,カラウパパ展望台へ行った。その次に,来た道を戻ってく来た道をクラウプウまで戻って,プアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファームに寄った。
 午後は,モロカイ島の西の端,右向きのアユでいえば尾ひれのあたりを目指すことにした。 が,モロカイ島は北の海岸線にも道路がない。西の果てまで行くには島の西側の中央の内陸部を走る州道460号線を終点のマウナロア(Maunaloa)とい町まで行って,そこからさらに,西の海岸に向かって走る必要があるのだった。
 プアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファームがあったクアラルプーの西にモロカイ空港があるが,モロカイ空港の手前に,クムファームという有機野菜をつくっている農園があって,それをショップで販売しているというので寄ってみることにした。

 クムファーム(Kumu Farm)は ハワイ州で唯一「遺伝子組み換えでない」種を使ったパパイヤを栽培している 農場である。パパイヤといえばクムファームといわれる。
 特に,ストロベリーパパイヤとよばれるここのパパイヤは皮が薄く内側はピンク色で甘くて人気があるという。
 クムファームは1981年にモロカイ島の小さな家族経営の農場としてはじまり,当初は地元の市場向けに料理用のハーブやピーマンなどの特産品を栽培していた。30年ほど前からは,フルーツや野菜の栽培を手掛け, できるだけ自然のままで化学的な処理を行わない農法で生産活動を行ってきたという。現在では週に2トン以上のパパイヤ,2,000キログラムに及ぶハーブ野菜などを全米に向けて出荷している。また,生産だけではなく,持続可能で地球と人間にやさしい農業経営を提唱し,農園を訪れる人々や学校,各団体などに30年間に培ってきた経験を惜しみなくシェアしている。
 モロカイ島では,有機および従来の方法で栽培されたサンライズパパイヤ,バナナなど新鮮な農産物を栽培しているが,マウイ島でも,マウイトロピカルプランテーションに,2011年からレタス,ケール,トウモロコシ,ナス,ニンジン,バナナ,フェンネルなどのさまざまな新鮮な食材を栽培しているという。

 私は,広い駐車場に車を停めて,農場に入り,ショップを見てまわった。
 ショップでは,地元の人たちが買い物をしていた。
 とはいえ,私はパパイヤを買ったところでどうしようもないので,ただぶらりと散歩をして,この地を後にした。

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Worm Moon.

March’s full Moon goes by the name Worm Moon,
which was originally thought to refer to the earthworms that appear as the soil warms in spring.
This invites robins and other birds to feed - a true sign of spring!
昨日から降り続いた雨もやみ,朝霧の中,うっすらと,沈みゆく月が見えました。

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●マカダミアナッツ・ファーム●
 お昼になったが,このあたりレストランも何もないので,朝購入したドーナッツが昼食になった。
 次に行ったのがプアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファーム(Purdy's Natural Macadamia Nuts Farm)だった。
 カラウパパからカウナカカイに戻る途中に,クララプウ(Kualapuu)という小さな町がある。小さなといっても町の面積が狭いのではなく,広い敷地にポツンポツンと家が建っているところだ。この町の外れにモロカイ高校があって,そこから1本別の道を入ったところに農場の目立たない看板があった。この農場は,わずか5エーカー(1エーカーは陸上トラックの内側の半分くらい)の土地に約50本のマカダミアナッツの木があって,来園者にマカダミアナッツの実のつき方を紹介して,最後に試食をするということを無料で行うところであった。
 以前,ハワイ島のコナでロイヤル・コナコーヒー工場&博物館というところに行ったことがあるが,それを小さくしたような感じであった。

 1980年より続くこの農園は、アットホームな雰囲気あふれる農園となっていた。
 私が行ったときは,すでに来ていた観光客の人たちに説明をしている最中だったので,ナッツを自分で割りながら,しばらく待つように言われた。
 やがて,説明が終わり,私の番になった。
 モロカイ島で生まれ育ったオーナーのタッディー・プアディー(Tuddie Purdy)さんは,マカダミアナッツやハワイの文化に関する豊富な知識を披露しながら,木になっているマカダミアナッツを取り,殻を割ってテイスティングをしてみたりできた。また,  小さなギフトショップには,ローストしたマカダミアナッツの販売はや,珍しいマカダミアの花か作られるハチミツなども販売されていた。

 マカダミアナッツの木は、オーストラリアのクイーンズランド州の熱帯雨林で生まれた。1882年、ウィリアム・パービス(William Purvis)が最初のマカダミアの木をハワイに持ち込み,現在,世界のマカダミアの木の90パーセントはハワイで栽培されている。
 果物であるマカダミアナッツは世界中で珍味とみなされていて,人気がある。マカダミアの木が実を結ぶまで約7年かかる。果実は木で熟す必要があり,通常8月から翌年の6月まで手作業で集められる。
 この農園の50本の木は1920年代に植えられた。1980年以来、農園は拡大され,現在では数百本の若い木が年間生産量に追加されているという。

 マカダミアの木から収穫したナッツは,次のようにして,テイスティングすると説明された。
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 まず,マカダミアナッツを実を保持するための溝をつけた平らな岩の上に置き,ハンマーなどでしっかりと叩く。
 こうして,殻から取り出されたナッツを湯でよく濯いだのち,ナッツに塩を振りかけ,約30分乾かす。そして,ベーキングパンにナッツを均等に広げ,10分から15分オーブンに入れ,次第にに熱を下げる。このとき,ナッツが均等に茶色になるように,時々回す。
 ナッツが黄金色になったら,弱火で35分から45分トーストする。そして,オーブンから取り出し冷ます。
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 私は土産を買う気もなかったので,説明を聞いたのち,農園を後にした。しかし,こうした説明も,土産を買ってもらうことが目的だから,私のような客は単に迷惑だけなのかもしれないなあと思った。


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