金星_海王星 _20170112海王星海王星発見の位置海王星発見望遠鏡

 今日は海王星です。
 海王星は7.7等星より明るくなることはなく,肉眼では見えません。写真で簡単に写せますが,写っていても恒星に埋もれてしまって見わけがつきません。そこで,見わけがつくように,先日,私が,金星が接近したときを狙って写したのが,今日の1番目の写真です。
 天王星に比べて,海王星の発見には多くの物語がありました。
  ・・・・・・
●海王星の発見
 太陽系第8惑星である海王星(Neptune)は,1846年9月23日,フランス人のユルバン・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier)が予測した位置の近くに,ドイツ人のヨハン・ゴットフリート・ガレ(Johann Gottfried Galle)とハインリヒ・ルイス・ダレスト(Heinrich Louis d'Arrest)によって,望遠鏡を用いて発見したということになっています。
 ユルバン・ルヴェリエは,発見後すぐに「Neptune」という名称を提案,天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ(Friedrich Georg Wilhelm von Struve)が支持することを表明し,国際的に受け入れられるようになりました。
 ローマ神話では、名称の元となったネプトゥーヌス(Neptūnus)はギリシア神話のポセイドーン(Poseidōn)と同一視される海の神です。中国語ではこの名称を「海王星」と訳し,日本でも用いられました。
  ・・
 海王星が望遠鏡を用いて観測されたもっとも初期の記録は,1612年12月28日と1613年1月27日にガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が,木星の観察中に偶然スケッチで描いたものです。しかし,ガリレオ・ガリレオは木星の近くにある恒星と誤って認識していました。
 1781年,アンダース・レクセル(Anders Johan Lexell)は,発見されたばかりの天王星の軌道を計算した結果,その不規則性に気づき,天王星の軌道に摂動を与える別の惑星があることを示唆しました。また,1821年,アレクシス・ブヴァール(Alexis Bouvard)はニュートンの万有引力の法則に基づいた天王星の軌道予想表を出版しましたが,実際に観測をするとこの表からかなりの逸脱があることが明らかとなり,摂動を与える天体を仮定するに至りました。
 イギリスのジョン・クーチ・アダムズ(John Couch Adams)も,天王星の軌道の不規則性から,天王星の観測データと万有引力の法則を用いれば,別の惑星の軌道を推定することができると信じていました。1844年2月13日,これを聞いたケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス(James Challis)は,ジョン・クーチ・アダムズのために王室天文官のジョージ・ビドル・エアリー(Sir George Biddell Airy)に,天王星の位置のデータを要求しました。このデータをもとに,ジョン・クーチ・アダムズは1845年9月18日に計算を完了しました。一方,フランスのユルバン・ルヴェリエもまた,1845年11月10日,天王星はそれまでの理論ではその運動を説明できないことを示し,仮想の摂動天体についての位置を示しました。
  ・・
 イギリスでは,王室天文官のジョージ・ビドル・エアリーは,ジョン・クーチ・アダムズとユルバン・ルヴェリエの結果の類似性に気づき,秘密裏に惑星の探索を試みようと,1846年7月,ケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリスに,至急惑星を観測するように提案し,7月29日に捜索がはじまりました。ジョン・クーチ・アダムズは研究を続け,間違った空域を探していたケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス率いるイギリスのチームに新たな解を提供しました。
 一方,フランスでは,ユルバン・ルヴェリエは,8月31日,位置のほかに質量と軌道の情報を得ましたが,フランスの天文学者は関心をもたなかったので,データをベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレに郵送しました。ヨハン・ゴットフリート・ガレは,1846年9月23日に手紙を受け取りすぐに観測を開始し,指導する学生のハインリヒ・ルイス・ダレストとともに,探しはじめてからわずか1時間以内の午前0時直後に,予測された位置からわずか1度以内の場所に新惑星を発見し,新惑星の発見を公表しました。
 その後,ケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス率いるイギリスのチームが,新惑星の発見が公表された1か月前の8月8日と8月12日に,すでに新惑星を観測していたことが明らかとなりましたが,最新の星表を持っていなかったために,それが惑星だと気づかなかったのです。
  ・・・・・・
 海王星の発見に用いられたのはベルリン天文台の口径9.6インチ(約25センチメートル)屈折望遠鏡でした。この望遠鏡は現在,ミュンヘンのドイツ博物館(Deutsches Museum)に移設され展示されています。