しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ルート66

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 オクラホマシティ(Oklahoma City)からアリゾナ州までのテキサス州とニューメキシコ州のルート66はほとんど走ったことがありません。
 唯一,サンタフェ(Santa Fe)あたりだけは,ルート66の標示を見つけて,こんなところを通過するのだと驚いたことがあります。
 その先,アリゾナ州のルート66はなかなかすばらしいところです。私が行ったのはフラグスタッフ(Flagstaff)で,インターステイツ40に並走してルート66が続いています。インターステイツ40を走っているとき,私が借りた車のカーナビの画面にはずっとルート66とかかれた道路が表示されていて,横を見ると,確かに,何度か写真でみたような風景があるのにうれしくなりました。

 フラグスタッフから東には,このブログに何度か書いたバリンジャー隕石孔(Meteor Crater National Landmark)と化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)があって,私はインターステイツ40を走ったのですが,ずっとルート66が並走していました。
 また,その逆に,フラグスタックから西へもルート66が一部インタ―ステイツ40と交わりながらも,ほぼ並走し,ウィリアムズ(Williams),セリグマン(Selogman)といった,ルート66通には有名な町を通っています。
 その中心にあるフラグスタッフは,私はその町で1日を過ごすのをずっと夢見ていたのですが,その夢を2019年に実現させることができました。このことも別のブログに書きましたが,私のこころに残る町の中でも,特に大きな意味をもっているところです。

 ウィリアムスは古きよきルート66をほうふつとさせる町。多くの観光客で賑わいを見せています。
 観光地といえば確かに観光地化しすぎているのですが,それなりにおもしろいところ,日本でいえば高山のようなところです。
 その一方で,セリグマンは小さな町で,あっという間に町を過ぎてしまうのですが,ここには有名なお土産屋さんがあるのです。それにしても不思議なのは,こんな小さな町なのに,私は,偶然,そこに2度も訪れたことです。こんな奇跡的なことがあるのでしょうか?
  ・・
 そんなわけで,フラグスタッフのあたりのルート66は,ルート66の制覇ができなくとも余りあるすばらしいところでした。

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◇◇◇
月,木星,土星,水星,
レナード彗星。

日没後の快晴の西の空。
月齢3.6の月の周りの惑星,そして,レナード彗星。
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 アメリカの南部の中でも,アーカンソー州,ルイジアナ州から東側は特に深南部といい,そこから西側とはずいぶんと雰囲気が異なります。
 それに比べて,ルート66の通るオクラホマ州,テキサス州,ニューメキシコ州などは,日本では考えられない平坦な悠久の大地が延々と続いています。それを走るのを退屈とするか,それとも,何かを思うかは,こうした土地の歴史を知っているかどうかでずいぶんと違います。どんなところにも,その土地を生きた人々の苦悩と喜びが詰まっているのです。
 私はテキサス州もニューメキシコ州も多くの道路を走ったのですが,これまで,ルート66は見事に逃しています。唯一走ったのはサンタフェ近郊だけで,そのころは,こんなところにルート66が走っているんだ,と驚いたことがあります。
 そこで,将来,ルート66を制覇するには,これまで走ったことのないオクラホマ州のオクラホマシティからアリゾナ州までを走らなければならないわけですが,これが並大な距離ではないので,このご時世ではちょっと絶望的です。

 今日の写真は,オクラホマ州の中で私が走ったルート66です。
 オクラホマ州のルート66はとてもきちんと保存されていて,走っていてとても楽しいものです。
 通過する町ごとに,ルート66に対して,リスペクトをもっていることがとてもよく感じられますが,これは,日本で,旧街道を歩くときに感じるものと一致します。
 このブログはルート66の観光案内ではないので,そういった内容他に譲るとして,ここでは,いくつかの私が通過した町について,断片的に書くことにします。
  ・・
 オクラホマ州のルート66を走ると,なだらかな丘とところどころにオイルポンプが点在していて,石油が埋蔵されていることを確認できます。この姿こそ,アメリカ南部であることが実感できます。
 また,そうでないところは,道路の際まで牧場があって,牛がのんびりと草を食べている姿を目撃できます。
 ミズーリ州からオクラホマ州に入ったところにあるのがマイアミという町です。マイアミのランドマークは「コールマンシアター」(Coleman Theatre)です。この劇場でウィル・ロジャース(William Penn Adair "Will" Rogers)のひとり舞台ことを忘れてはならないといいます。マイアミの次の町クレアモア(Claremore)の町の中心から少し外れたところに「ウィル・ロジャース記念博物館」があります。
 また,この劇場には幽霊が出るということで知られているのですが,これらのことは以前ブログに書いたことがあります。 
 ルート66を通る町には,ここだけでなく,幽霊が出るという話が結構あるので,私は興味を惹かれます。どの国でも,こういう話は好きです。

 また,オクラホマ州で生まれたサイラス・アヴェリー(Cyrus Avery)のことを知らずして,ルート66は語れないとさえいわれます。
 サイラス・アヴェリーは石油事業に力を入れ,その採掘のために頑強な道路が必要でした。しかし,その時代,オクラホマ州は道路後進地域だったので,サイラス・アヴェリーは地方行政官に立候補して当選すると,道路を整備することに努力して,1925年,ついにルート66が誕生することになったのです。
 やがて,オクラホマシティに到着するのですが,私は,その先を走っていません。

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 ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)の小説「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath)から,ルート66について書かれた部分を紹介しましょう。
  ・・・・・・
 Highway 66 is the main migrant road. 66 - the long concrete path across the country, waving gently up and down on the map, from Mississippi to Bakersfield - over the red lands and the grey lands, twisting up into the mountains, crossing the Divide and down into the bright and terrible desert, and across the desert to the mountains again, and into the rich California valleys.
 66 is the path of a people in flight, refugees from dust and shrinking land, from the thunder of tractors and shrinking ownership, from the desert's slow northward invasion, from the twisting winds that howl up out of Texas, from the floods that bring no richness to the land and steal what little richness is there. From all of these the people are in flight, and they come into 66 from the tributary side roads, from the wagon tracks and the rutted country roads.
 66 is the mother road, the road of flight.
  ・・
 ルート66は幹線道路である。内陸を横断するこの道は,上下にゆるやかにくねって,ミシシッピ川からベーカーズフィールドへ至るが,赤くまた灰色の大地を越え,山脈を登り分水嶺を横切って砂漠に下り,さらに山脈に入り,やがて豊饒なカリフォルニアに至る。
 ルート66は逃亡する人たちの道である。老廃した土地から,衰微する所有者から砂漠から嵐から洪水から非難する人たちの道だ。彼らはルート66へと集まってくる。
 ルート66はマザーロードだ。逃亡の道だ。
  ・・・・・・

 私は今から25年ほど前にシカゴに行ったことはありますが,そのころは,ルート66のことはほとんど知りませんでした。
 人生とはかくも短いもので,かつ,未来はわからないので,あとでふりかえったとき,もっと計画的に旅をしていればよかったと思うのですが,それは無理なことです。
 ということで,私は,そのときの旅でシカゴから西にアイオワ州をめざしてしまったので,シカゴからセントルイスまでのルート66は走っていません。しかし,アイオワ州に行ったために,偶然,フィールドオブドリームズやマジソン郡の橋に行くことができたのだから,それもまたよし,という感じでしょうか。

 今日の写真は,数年前に行ったセントルイスからスプリングスフィールドまでのミズーリ州のルート66です。
 次回書くことになるこの先のオクラホマ州はルート66を大切にしている雰囲気があって,道路標識などがきちんと設置されていたり,当時通った町に多くの看板などがあるのに対して,ミズーリ州はそういうこともないので,十分に準備をしないと道がわからなくなります。それでも,走っていると,当時の面影を感じるところが多くあって,しかものどかなので,なかなかいい雰囲気です。
 このように,ミズーリ州はなかなかおもしろいところです。


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 「ルート66」はイリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長2,347マイル,3,755キロメートルの道路で,1926年「メイン・ストリート・オブ・アメリカ」の愛称のもと完成しました。
 「ルート66」の名前は,①国道番号を偶数とすること②番号を60からはじめることの2点に基づき,さらには「覚えやすい,言いやすい,聞きやすい」の三拍子が揃うという理由から「66」が割り当てられたということです。
  ・・
 1930年代後半,カンザス州,オクラホマ州にかけて大規模な砂嵐が頻発し,難民と化した農家の人々は明るい未来を求めてルート66を通って温暖なロサンゼルスへ向かって脱出を図ったのですが,作家ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)はその模様を小説「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath)で描き,小説の中で「ルート66」を「マザーロード」とよんだことでその名が現在主流となりました。
 翌年には映画化されて,「ルート66」の名前は一躍世界に知れ渡ることとなりました。
 また,「怒りの葡萄」とは関係がありませんが,テレビドラマ「ルート66」も放映されました。

 1956年,アメリカ国内に高速道路交通網(インタ―ステイツ)の建設を目的とした法案ができたことで「ルート66」の衰退がはじまり,1984年,アリゾナ州ウィリアムズでインターステイツ40の最終部分が完成したことによって「ルート66」は廃線となりました。
 現在は,往年の「ルート66」がそのまま残っているところや,近くにインターステイツが走っていることで寂れてしまったところ,あるいは,途中でインターステイツに吸収されてしまったところなどがあるのは,日本の旧街道とおなじです。
 そんな「ルート66」ですが,これもまた,日本の旧街道同様,昔を懐かしむ人たちで,再び保存がはじまって,その道を走破しようと夢見ている人が私を含めて大勢いるというわけです。
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 私は,66歳に「ルート66」を制覇したいという夢があったのですが,このご時世ではできそうにありません。
 しかし,振り返れば,これまでずいぶんと「ルート66」を走ったことに気づきました。
 そこで,これまでに走った「ルート66」を振り返ることによって,走ったつもりになることにしました。

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木星,月,土星,金星とISS。
New1sx2x


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アンテロープキャニオンからフラッグスタッフまで戻ってきたのは午後3時過ぎでした。
この日,私はホースシューベンドとアンテロープキャニオンに行きましたが,もともとはフラッグスタッフを中心にオールドルート66沿いのいくつかの町を訪れることにしていました。日本の旧街道の宿場町のように,オールドルート66にも道路沿いに町が点在しています。そして,それらの中には,今も当時の面影を大切に保存してるところがあるのですが,それが,今回行ったフラグスタッフのあたりに多くあるのです。
まだ時間が早かったので,フラッグスタッフから西にこれらの町を訪ねることにしました。

フラッグスタッフのオールドルート66を西に走っていくと,道はインターステイツ40に吸収されてしまいました。無味乾燥のインターステイツ40を西に走っていくと,オールドルート66の道路標示がありました。ウィリアムズという町でした。そこでジャンクションを降りました。
ウィリアムズはけっこう大きな町でしたが,オールドルート66の面影に浸るには十分な町でした。私は,町の中心にあった無料の駐車場の車を停めて,しばらく町を歩きました。ダウンタウンはほどほど古臭く,また,きれいとはいえないところでしたが,それがまた,観光地として整備されていないようで,好感がもてました。結構多くの観光客がルート66の面影を求めて来ていました。

ウィリアムズを出て,さらに西にインターステイツ40を走りました。インターステイツ40に吸収されていたルート66は途中で昔の道路に分岐しているようでしたが,私はそのままインターステイツ40を走りました。そして到着したのがセリグマンという町でした。
私は19年前,役目を終え破壊されかかっていたルート66を保存する活動をしていたエンジェル・ディルカディオさんに会って,一緒に写真を写したことがあります。それがどの町のことであったか忘れていたのですが,セリグマンに着いて,それがこの町であることを思い出しました。この日,あいにくエンジェル・デルカディーロさんは所要で自分の経営する土産物屋が閉店していたのがとても残念でしたが,ともかく,この町に再び来たことにずいぶんと感動しました。そしてまた,19年前,こんな遠い町まで私が来たことにも驚きました。
  ・・
私は満足感の中,フラッグスタッフに戻ることにしました。帰りはセリグマンからウィリアムズの途中まで,今も残されたオールドルート66を走りました。

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USハイウェイ66,通称ルート66は1926年に誕生しました。シカゴからロサンゼルスを結び,北アメリカ大陸を斜行する,全長3,920キロメートルに及ぶ,もっとも距離が長く近代的なハイウェイでした。当時の人々は,この道を通って,仕事を探しに,農業の新天地を求めて,あるいは,戦場に赴くために,映画や音楽の夢をかなえようと,あるいは北上し,または西進していったのです。1972年にインターステイツが完成してその役割を終えたのですが,2000年には保存法が成立し,今は,古きよきアメリカを懐かしむ道路として,観光名所になっています。
私の宿泊しているフラグスタッフはダウンタウンにこのオールドルート66が通り,今も当時の面影を残す街として多くの人が訪れます。また,オールドルート66に平行してサンタフェ鉄道が走っていて,アメリカの高速鉄道「アムトラック」の停車する駅があります。

ローウェル天文台の見学を終え,私は,宿泊しているモーテルに戻る途中で,フラッグスタッフのダウンタウンに車を停めて,オールドルート66の面影の残る街を歩くことにしました。
フラッグスタッフもまたアメリカの多くの街同様,車を停めるのに苦労しますが,ここは駐車するスペースが多くあって,駐車したら近くにある料金を払う機械に車のナンバープレートを入力して料金を支払うというシステムになっていました。説明を読んでいると,月曜日から水曜日までは午後5時以降は無料ということでした。この日は幸運にも水曜日だったので,午後5時を待って,駐車場に車を停めました。近くを通ったおじさんに,無料だぞ! といわれました。
ダウンタウンは平日なので空いていましたが,すてきなレストランやカフェなどが立ち並んでいて,夕食を楽しむ人の姿がありました。また,駅に行くと,アムトラックが到着する時間に近く,乗客が時間待ちをしていました。

これまで私はニューメキシコ州のサンタフェあたりや,オクラホマ州からミズーリ州にかけてのオールドルート66を走り,また,オールドルート66が通る街を散策したことがあります。
日本では旧東海道や旧中山道のような旧街道がありますが,これは徒歩で歩く道です。それとは違って,ルート66は駅馬車の通った道なので,今も車で走ることができる幅があります。共通するのは,そのどちらも,昔のまま残ったところもあれば,現代の新しい道路に吸収されてしまった場所があるということです。また,日本でも旧街道の宿場町はプライドを持っているように,オールドルート66が通った多くの街は今もオールドルート66の看板を掲げ,当時の面影を残すように保存活動をしていることです。
私は66歳になったら,オールドルート66をシカゴからロサンゼルスまで走ってみたいものだという夢を持っていました。その夢も風化しつつあったのですが,今回改めてオールドルート66に触れてみて,その想いがまたよみがえってきたのでした。

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