しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ロサンゼルス

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 子供のころは,日本のプロ野球のオールスターゲームが楽しみでした。
 しかし,3ゲームもあったし,せっかくのお祭りだというのに,読売巨人の王貞治選手や長嶋茂雄選手が出ずっぱりで,他のチームの選手が出場しても代打くらいでしか出られず,また,別のチームの投手の球種を盗むだのといったようなレギュラーシーズンの思惑ばかりを解説していたので夢も冷め,すっかり嫌になりました。日本はそういう国です。

 一方,アメリカのオールスターはたった1ゲーム。しかも,開催される都市は,ゲームだけでなく,開催される前日から街全体が開催を名誉としフェスティバルとなります。いいなあ。
 さて,そんな,ミッドサマー・クラシックと称されるアメリカのオールスターゲームですが,もう,私は興味から卒業して,今は特に関心があったわけでもないのですが,いつものようにメジャーリーグベースボールを見ようとテレビをつけたら放送していて,今日が,というか,現地時間では昨日の夜ですが,ミッドサマークラシックなんだと気づきました。2001年にハリウッドのマクドナルドで置き引きに遭って以来,大嫌いになったロサンゼルスだったのに,2018年に再び行って以来,その気持ちが変わり,今ではなつかしいロサンゼルスです。そのロサンゼルスの古ぼけたドジャースタジアムが,なぜか今年のオールスターゲームの開催地でした。
 それにしても,いつもそうですが,現地の放送を英語で聴きながらメジャーリーグベースボールを見るのは何とこころときめくことか。すっかり現地に出かけてスタンドで見ている気持ちになりました。しかし,相変わらず,NHKBS1では時折放送に挟まれるニュースと日本のスタジオからの音声で,私の夢がさまされるので,幻滅して消音にしては,そのたびに勝手にしろ,と思うのです。

 さて,今年は,アルバート・プホルス(José Alberto Pujols Alcántara)選手現役最後の年ということでした。
 ボルチモア・オリオールズに所属したカル・リプケン(Calvin Edwin Ripken Jr.)選手,ニューヨーク・ヤンキースに所属したジーター(Derek Sanderson Jeter)選手など,現役最後の年にオールスターに出場するというのは,何と幸せなことでしょう。
 アメリカ人は,そういう,業績を残した人の最後をみんなで称えお祝いするの大好きなのです。それに対して,日本人は「やっかみ文化」。劣等感とひがみがその根底に存在しているので,一度は成功した人が没落する様を見るのが大好きなのです。
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 アルバート・プホルス選手は,2001年のデビューから2010年までの間打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成したMLBにおける最高の打者のひとりです。
 1999年のドラフトでセントルイス・カージナルスから13巡目(全体402位)で指名されて入団しました。やがて,2011年12月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年間の契約に合意し,移籍しました。契約終了後,2021年5月にロサンゼルス・ドジャースと契約し移籍,11月にFAとなった後,セントルイス・カージナルスに復帰しましたが,2022年限りでの現役引退を表明しました。
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 私は,2019年,大谷翔平選手とともに,アルバート・プホルス選手を現地で見たことがあります。

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 1月2日,NHK総合で「ラ・ラ・ランド」(La La Land)が放送されました。
 今や,テレビ番組という時代遅れの放送形態を当てにしなくても,Amazon Prime Video などでいつでも見られるし,私はすでにそれで見たので,もはや「お正月はテレビ」という時代でもないと思うのですが,ちょうどいい機会なので,今日,この映画を取り上げることにしました。
 「ラ・ラ・ランド」は,2016年に公開された,俳優志望とピアニストの恋愛を描いたアメリカ映画です。この年の最高の映画のひとつとして大好評を得て,第74回ゴールデングローブ賞ではノミネートされた7部門すべてを獲得し,第89回アカデミー賞では史上最多14ノミネートを受け,監督賞,主演女優賞,撮影賞,作曲賞,歌曲賞,美術賞の6部門を受賞しました。
 「ラ・ラ・ランド」は映画の舞台であるロサンゼルスのニックネームで,「現実から遊離した精神状態」(being out of touch with reality)を意味するといいます。
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 夢をかなえたい人々が集まる街ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが,何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日,ミアは場末の店で,あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン),いつか自分の店をもち大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがてふたりは恋におち,互いの夢を応援し合う。しかし,セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから,ふたりの心はすれ違いはじめる…。
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というのがあらすじです。

 アメリカというのは実に単純明快で,映画も,「ラ・ラ・ランド」のような恋愛ものと,やたらと暴力シーンが出てくるものと,ロードムービーにわけられます。だから,日本人には,こうした趣向が好きな人にはおもしろく,受けつけない人には何がおもしろいのかわからない,ということになります。
 アカデミー賞の受賞のときにずいぶんと話題になったので,いったいどういう映画なのだろうかと気になっていたのですが,特にあらすじに深みや複雑な要素はなくて,「ラ・ラ・ランド」は「マジソン郡の橋」や「ユー・ガット・メール」のような媒体にミュージカルの手法を加えた感じでした。大人のディズニー映画です,これは。でも,とてもいいです。たとえると,ホテルの最上階でジャズをバックに夜景を見ながら好きな人とお酒を飲んでいるといった感じです。
 私は,こうした映画,嫌いでないです。主演の女優エマ・ストーン(Emily Jean "Emma" Stone)さんがきわめて魅力的なこととロサンゼルスの雰囲気がよく出ていて,心地よくて,しかも,映画のラストが気に入って,楽しく見ることができました。

 それにしても,アメリカというのは,こうした純粋なこころときめくおとぎ話ができるのに,その反対に,なんときな臭い暴力的な別の面があるのだろうと,いつも思います。しかし,根底は同じような気がします。悪い表現ですが,幼稚なんです。死ぬまで子供なんです。みんな何らかの1等賞を目指していて生きることに冷めていないのです。
 男女平等といいながらも,実は,女の子はつねにシンデレラストーリーにあこがれているし,男の子は力の強いことにあこがれているし,老人はいつまでも夢を追いかけています。やはりこの国は「担任のいない小学校」なのです。
 それはそうと,私は,この映画を見て,またいつか,ロサンゼルスのフリーウェイやダウンタウンを走ってみたいと思いました。昨年までは毎年当たり前のように走っていたのに…。


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●都会のなかの天文台って?●
 ロサンゼルスでは,レンタカーを借りてレンタカー会社の駐車場から出ると,すぐにジャンクションがあって,インターステイツ105に入ることができる。
 ロサンゼルスの市街地はものすごく広く,はじめて走るとつかみどころがない大都市である。インターステイツを走っているだけだと,まったくこの町の様子が把握できないのだ。
 インターステイツ105はロサンゼルスのダウンタウンよりかなり南にある空港から東に向かって走っていて,やがてはダウンタウンから南東に走るインターステイツ5と合流する。インターステイツ5はアメリカの南北を北はシアトルから南はサンディエゴまで続く主要道路である。また,アメリカのインターステイツの3ケタ番号はわかりやすくつけれていて,下2ケタの主要道路にやがては吸収される。
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 私は,今回の旅では帰国まえの2晩をロサンゼルスで過ごし2泊することになっているが,ロサンゼルスの市内観光をする予定はまったくなかった。この旅の計画では,この日の夜はディズニーランドのあるアナハイムでMLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見ること,そして,明日は待望のパロマ天文台に行くことであった。そこで,空港とボールパークとパロマ天文台のどこに行くにも便利で,しかも快適で,かつ安価なモーテルを探していて,リンウッドという町に宿泊することにしたのだった。東京でたとえれば,空港が成田でアナハイムが浦安,パロマ天文台が埼玉県の堂平山,そして,宿泊するのが千葉,みたいな感じだろうか。

 インターステイツ105を東に走って,途中でインターステイツ710(この道がインターステイツ10の支線であることは番号からわかる)に乗り換え,少し北にいったところでジャンクションを降りて,一般道を西に数マイル行ったところに私の予約したモーテルがあった。
 昨年来たときはは少し節約しすぎて,散々なモーテルに宿泊することになってしまったので,今年は昨年よりは宿泊代の少し高いモーテルにしたのだが,改めて調べてみると場所は昨年宿泊したところとさほど離れていなかった。しかし,ずいぶんと町の雰囲気は異なっていて,昨年より断然雰よさそうな場所だった。
 予約してあったモーテルは期待通りきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人だった。建物の外観やら,部屋の様子などから,オーナーの性格が几帳面なのがよくわかった。
 駐車場に車を停めてオフィスに行って予約してあることを告げると,チェックインの時間は午後3時からであり,私が到着したのが午後2時で,まだ少し早かったが,空き部屋があったので,幸いチェックインをすることができた。
 部屋で一休みをしてから,近くにあった「カールズジュニア」というバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとることにした。
 ハンバーガーチェーンの「カールズジュニア」(Carl's Jr.)は私がおすすめする店である。昨年(2018年)アメリカに来たとき,半分冗談でアメリカのハンバーガーチェーン店巡りをしたことはすでにブログに書いたが,そのなかでも「カールズジュニア」のハンバーガーはおいしかった。日本にもかつて進出したことがあるということだが撤退した。近年,再び進出して関東地方に数店舗店を出しているということだ。

 ロサンゼルスはアメリカ西海岸にあって太平洋に面している。
 空港から北西に州道1を走ると,マリーナデルレイというヨットハーバーがあり,その北西にはサンタモニカがあるというように,有名な地名が続く。サンタモニカからは州道2を北東に行くとビバリーヒルズ,ハリウッド,そして,グリフィス天文台というように,ロサンゼルス観光の入門コースが続いている。また,その南がロサンゼルスのダウンタウンでりあり,ダウンタウンの北側にはチャイナタウンとリトルトウキョウ,そして,ドジャースタジアムがある。
 こうした場所がいわゆる日本人の知るロサンゼルスという場所であるが,ロサンゼルスの観光地は決して治安のいいところでない。私は,ハリウッドのマクドナルドで置き引きにあったこともあり,いい思い出はないので,今は行きたいとも住みたいとも思わない。
 グリフィス天文台というのは,19年前に一度,ロサンゼルスの町が一望できる,夜景の美しい場所ということで,行くでもなく行ったことがあるが,ここは「理由なき反抗」「チャーリーズ・エンジェル」といったハリウッド映画のロケ地として有名である。実際は,天文台というより科学館とでもいうべき一般向けの場所であるから,世界中の天文台巡りを趣味とする私には特に興味がない。そもそも,星空の美しい場所ならともかく,夜景が美しい天文台って,一体なんだろうと思ってしまう。
 グリフィス天文台は,メキシコの銀鉱で財産を作った資産家のグリフィス・ジェンキンス・グリフィス(Griffith Jenkins Griffith )が1896年にクリスマス・プレゼントとしてロサンゼルス市に寄付したもので,広さ3,015エーカー(約12平方キロメートル)ある公園である。グリフィスがヨーロッパを視察した際に、整備された公園に感激しロサンゼルス市民の憩いの場所として贈ったのが発端である。…と,ここまではいいのだが,グリフィスは,のちにウィルソン山天文台を見学して感激したことで,公園に天文台の建造を企画した。グリフィスが殺人未遂を起こしたため一度は保留になったのだが,のち,グリフィスが遺言で天文台と劇場の建設の寄付を書き残し,グリフィスの死後,1935年に完成したものだ。しかし,そもそも大都会に天文台を寄付するって,何かひとつおかしい気がする。

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●不人気車は売れ残る。●
 ロサンゼルスのダウンタウンが眼下に見えてきた。大きな学校があった。おそらく高等学校だろう。それにしても豪華だ。専用のフットボール競技場やベースボールスタジアムがある。
 こういうのを比較すると,常にいわれるのは,日本は狭いから,という言い訳である。しかし,土地があるかどうかというような問題ではないだろう。日本は教育に金をかけなさすぎるのだから,もうどうしようもない。と,こういう景色を見るといつも思い,絶望的になる。
  ・・
 やがて,定刻ロサンゼルス国際空港に着陸した。
 ロサンゼルスに戻ってきた。
 この旅では,来たときはロサンゼルスに到着して,そのまま乗り換えてフェニックスに行ったので,ロサンゼルスの町に降りるのはこれが最初だった。しかし,昨年もロサンゼルスには来たので,昨年は少し戸惑ったが,もう,すっかり勝手がわかっていて,空港ビルを出て,レンタカー会社のシャトルバス乗り場に行った。
 そういえば,19年前,知ったかぶりでロサンゼルスに着いた私は,そのときは空港ビル内のターミナルにレンタカー会社のカウンタがあるものと思い込んでいたから,それが見つからず,空港で困り果てた。どうすればレンタカーオフィスに行くことができるかさっぱりわからなかった。仕方なくビルの外に出たが,案内標示もなく,しばらく途方に暮れたのを思い出した。
 忘れていることも多いのに,こうした困ったことだけはずっと覚えているのはどうしてだろう?

 レンタカー会社のシャトルバスに乗り込んだ。乗ったときは空いていたが,このシャトルバスは,空港のターミナルを巡回して,それぞれのターミナルで客を乗せていくので,次第に混雑してきた。こういうシステムは,知ってしまえば当たり前なのだが,はじめて行ったときはずいぶんと心細いものだろう。
 隣に乗り合わせた男性が話しかけてきた。日本と違って,見ず知らずの人とも隣り合うと雑談を交わすのがアメリカ流といったところだ。彼はこれまで78か国に仕事で行ったと言っていた。すごいものだ。もちろん日本も行ったことがあるということだった。
 私が行ったことがあるのは…,そう,考えてみると,せいぜい11か国でしかない。

 ロサンゼルス国際空港はめちゃくちゃ混んでいたが,これは,空港のターミナルビルが工事中であることと,ターミナルのアクセス道路が空港の中央部分にすべて集まっていて,これもまた工事中であることが原因であろう。これは,2028年に開催されるオリンピックの準備である。
 シャトルバスは,やっと空港エリアを出て,まもなくレンタカー会社の駐車場に到着した。ロサンゼルスは空港の周りにそれぞれのレンタカー会社の敷地が別々にあるので,自分の借りたレンタカー会社のある場所を覚えておかないと,返すときにパニックになる。これもまた,昨年学んだことだ。
 レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいというのもまた,昨年知った。借りるときにインターネットで選んだ車の車種など全く無関係で,車のランクが同じならどれを借りてもいいわけだ。オプションでカーナビを借りたときは,別途出口で受け取ることになる。
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 昨年借りたときは車のほとんどがカローラだったので今回もそれを期待したが,カローラは1台しかなかった。それにしようと思ったが,ほかの車も見てみようと物色しているわずかの間に私が借りようと思ったカローラはとられてしまい,後悔した。仕方がないのでニッサンのアルティナにした。
 レンタカーもこのようなシステムにすると,自分で車を選べるので便利だし,レンタカー会社もまた手間がかからないからウィンウィンである。しかし,このシステムは車の人気投票という事実を呈する。まず売れ行きがいいのは故障のない日本車である。最後まで残ってしまうのは不人気車であるが,それはいつもヒュンダイであった。

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●アメリカの高速道路は美しい。●
 窓際の座席を選んで座ったので,晴れ渡る窓の外にはフェニックスの町がよく見えた。
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 すでに書いたように,19年前,私はロサンゼルスから車でインターステイツ15を北東にラスベガスを経由して,国道93を南東にキングズマンへ出て,そこからインターステイツ40でセリグマン,ウィリアムズと東に向かってに走り,ウィリアムズで北上してグランドキャニオン国立公園のサウスリムにたどり着いた。
 古いことなのでほとんど記憶にないが,ロサンゼルスからグランドキャニオン国立公園がえらく遠かったことと,ウィリアムズから北に向けて走っていたとき,こんな大草原の向こうにグランドキャニオンという大渓谷が本当にあるのだろうかと思ったことだけは覚えている。
 その後,橋のないコロラド川を延々と迂回して対岸のノースリムへ行き,さらに,その先のモニュメントバレーまで行った。そして,南西へ引き返し,フラッグスタッフを経由して,フェニックスへ着いたのだった。
 その時の旅では,フェニックスからロサンゼルスまでも車で帰るつもりだったが,さすがに力尽き飛行機を利用した。
 当時のフェニックスの見どころは,お昼間は動物園くらいのものであったが,夜はMLBダイヤモンドバックスのゲームを見た。先発はあの有名なランディ―・ジョンソン投手であった。私はいつもツイているのだ。
 そのときのフェニックスの印象は,ものすごく暑かったことと,1泊したあと,目覚めたらすでに午後で,こんなに寝てしまったことは人生で後にも先にもなかったということだ。私が当日探して泊った場所は,結構「ヤバい」ところで,周りは古びた家だらけで,昼間から怖そうな男がふらふらしていた…,と当時は思ったが,今考えるとそうでもない普通のアメリカの普通の場所だったかもしれない。
 当時はまだアメリカのことは今ほど知らず,なにもかもが怖かった。であるのに,行動は今よりずっと大胆であった。

 飛行機の窓から見ていると,そんなことを思い出してきた。
 おそらく飛行機はインターステイツ10に沿ってその上空を飛んでいたのだろうが,フェニックスの町を過ぎると,眼下にはオーストラリア大陸の荒涼とした大地のような,砂漠の荒野が広がってきた。どの国でもそうだが,空から見るとそんな景色であっても,地上を走ると結構人が住んでいたりするのが不思議だ。それにしてもいつも思うのだが,地球というのは広いのやら狭いのやら…。新型コロナウィルスのようなたわいもないものが発生するだけで,地球上のすべてがパニックになり,人間の作ってきたシステムはすべて台無しとなり,逃げ場所すらない。
 いずれにしても,未開の地などというものはもはや地球上のどこにも存在せず,人間は地球をぐっちゃぐちゃにしすぎた。地球の代わりになるものはないのだから,やがては破壊しつくして地球をぶっ潰してしまうのだろう。それも近い将来…。人類の滅亡も近いかもしれない。そして,人類に代わる新しい生物がまた登場して,同じ愚を繰り返すのだろう。
 やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきた。大自然をぶっ潰して作ったアメリカの大都市はどこも高速道路がとても美しく見える。ジャンクションの幾何学的な模様には,いつもほれぼれする。

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☆ミミミ
6月21日は,夏至であり,台湾では金環日食,日本では部分日食が見られましたが,残念ながら曇り空でした。雲を通して,なんとか写真を写せました。
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●19年ぶりのフェニックス●
 ロサンゼルス国際空港はあまりに入国者が多いから,ESTAによる入国者の場合ほぼ流れ作業で,キオスクという機械で手続きをして印刷された用紙を手渡してパスポートに滞在期限のスタンプをもらうだけでさばいているので,むしろ暇そうなニュージーランドなどで入国するよりずっと簡単であった。私はこのあと,国内線のターミナルに行って,アリゾナ州フェニックスまで行く国内線に乗り換えることになる。
 国際線ターミナルから国内線ターミナルまではエアポートシャトルバスもあったようだが,次のフライトまでの待ち時間が3時間程度もあったから,私はのんびり歩いて国内線の第2ターミナルまで行った。そして,混雑する第2ターミナルの搭乗ゲート階を避けて,その上の階にあるラウンジ・デルタスカイクラブで時間をつぶした。
 私はこれまでさまざまな空港を利用したが,どこも入国検査場はごった返しているから,入国を終えるとホッとする。
 国内線に乗り換える場合も,乗り換えない場合も,まず到着した空港で入国の手続きをするのは同じだから,到着早々次のフライトへのトランジットはひと手間減るわけでもないが,逆に,帰国するときのトランジットは,はじめに搭乗手続きをする空港でセキュリティを通ればトランジットをする空港で再びセキュリティを通る必要がないからひと手間少なく楽である。
 しかし,オーストラリアでトランジットしてニュージーランドに行く場合はオーストラリアでは入国手続きをしなくても空港の通路を通ってそのままニュージーランド行きの便に乗ることができるからとても楽(=3番目の写真)だ。今ニュースで話題の香港の空港でトランジットしてオーストラリアに行くときは,香港で入国しなくても再びセキュリティを通らなくてはならず,面倒(=4番目の写真)である。香港はトランジットが楽とよく書いてあるが,私はそうは思わない。
 このように,トランジットをするときは空港によっても国によってもシステムが違うのだ。

 ラウンジに着いたのはお昼過ぎだった。前回書いたように,着陸直前の機内であわただしく配られた朝食ではあったが,ともかく食事を終えたので,ラウンジで再び何かを食べる必要もなかったのだが,食べ物がずらりとならんだラウンジでおいしそうなサンドイッチがあったので,思わず手を出してしまった。
 やがてフェニックス便の搭乗時間になったので乗り込んだ。小さな古い機体だった。なかなか離陸できず,機内でずいぶんと待った。しかし,この日の私はフェニックスに着いてからはレンタカーで2時間ほど走ってフラッグスタッフまで行くだけの予定だったから,多少の遅れは特に問題なかった。
 ところで,飛行機が離陸するために飛行場を滑走路まで走ることを英語で「taxi」という(=2番目の写真)のだが,「taxi」にこんな意味があることを日本の学生はほとんど知らない。
 今日の1番目の写真のように,飛行場では離陸する順番待ちの飛行機がまるで人が順番待ちをするように並んでいて壮観なのだが,窓際にでも座らなければ,乗っている人はなかなかそれが見られない。私は窓側の席だったから窓からずっとそれを見ていた。
 やがて,乗っている飛行機の離陸の順番になった。1時間と少しのフライトののち,砂漠のなかに忽然と,以前見たことがあるフェニックスの町が見えてきた。19年ぶりのフェニックスだった。

MLBロサンゼルス・エンジェルスのこの日のゲームの開始は午後7時7分でした。開場はその2時間前なので,私は午後4時過ぎにモーテルを出て,ロサンゼルス・エンジェルスの本拠地であるエンジェルスタジアムに向かいました。インターステイツ105からインターステイツ710,そして,国道91,国道55と進みます。
渋滞するロサンゼルスのハイウェイは昨年も走ったので慣れていたのですが,日本人がはじめてアメリカでレンタカーを借りて走るようなところではありません。やがて,駐車場に着きました。事前に駐車場のチケットは購入してあったので,係員の指示に従って車を停めました。ここに来たのは19年ぶりのことでした。
昨年ロサンゼルスに来たときは残念ながらエンゼルスは本拠地におらず,見ることができませんでした。そこで,ドジャースタジアムで2ゲームを見ました。先発はカーショー投手と前田健太投手でした。

私はこれまでMLBのすべてのチームのホームグランドに行ったことがあります。当時は熱狂的なMLBのファンでした。ところがどういうわけでしょう。私はこのMLBをはじめとして,大相撲を除くおおよそすべてのスポーツというものを見ることに興味がなくなってしまったのです。ロサンゼルスで宿泊するのは,明日,パロマ天文台に行くことが目的で,その前日,私が興味をなくしたMLBを見にここに来たのは,単に大谷翔平選手が見たい,大谷翔平選手の写真がとりたい,ということが目的でした。
開場にはまだ時間があったので,いつものように,ボールパークの周りを散策していると,ハネムーンやツアー客など多くの日本人がいました。ここは近くにディズニーランドもあって,日本人観光客が訪れるのには適したボールパークなのです。
私は,日本のプロ野球というものはまったく関心がないのでわからないのですが,MLBは見慣れているので,MLBのボールパークには目が肥えています。ロサンゼルスにはドジャースとエンジェルスというふたつのチームがあるのですが,どちらも本拠地のボールパークは古く,最新式のものとは差があります。昨年行ったサンディエゴのペトコパークなどに比べたらずいぶん貧弱です。とはいえ,これまでMLBを見たことのない日本人にとっては,貧弱とはいえその豪華さに驚くことでしょう。

幸い,この日,大谷翔平選手は3番指名打者で出場でした。ヒットを3本打ちました。私は大谷選手が出場するときだけゲームに集中して,それ以外の時間はどこで写真を写すといいかを探すためにボールパークを歩き回っていました。
ボールパークによっては銅像があったり博物館があったり名物の食べ物があったりと,見落としてはいけないスポットがあるものですが,このボールパークは特に見どころといってもほとんどありませんでした。エンジェルホットドッグというものを食べてみましたが普通のホットドッグでした。大谷バーガーもありませんでした。
MLBは,デーゲームはいいのですが,ナイトゲームは終了後に帰るのが大変です。なにせ,数千台,もしくは数万台の車が一斉に駐車場から出ていくのですからたまったものではありません。そこで,今回も,いつもの通り,ゲーム終了前に早々ボールパークを後にしました。
今回の旅は,大谷翔平選手を見ることが目的で来たのではなかったのですが,おまけとしてはかなり豪華な賞品となりました。

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4日目になりました。今日はフラッグスタッフからフェニックスまで戻って,フェニックスからロサンゼルスまで空路,そして,ロサンゼルスで再び車をレンタルして,夜,MLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見るという予定でした。
フラッグスタッフからフェニックスまでは2時間もかからず戻れると思って旅の予定を立てたのですが,フェニックスの市街地が思った以上に渋滞するということと,それに加えてこの日は金曜日で朝の渋滞に巻き込まれる恐れがあるということで,来るまではフェニックスの出発時間が10時過ぎなのでゆっくりチェックアウトをすればいいやと思っていたのが甘い考えだと気づきました。そこで,朝5時起床。昨晩,マクドナルドで夕食を食べたときに次の朝に食べようとビックマックをテイクアウトして,それを部屋の冷蔵庫に入れてあったのをレンジで温めて朝食代わりにして,午前6時にはチェックアウトしました。さすがに3時間以上の余裕があればフェニックスに戻ることは大丈夫でしょう。
まだ夜が明けきらず,暗い中,インターステイツ17をフェニックスに向けて走りました。
来るときは途中の山道でコンボイが別のコンボイと衝突して横転,そのために1車線が閉鎖されていて渋滞に巻きこまれもしたのですが,今度はそういったこともなく,順調にフェニックスに近づいてきました。フェニックスに近づくと,あたりはサボテンだらけになります。そういえば,19年前,はじめてアリゾナ州に来たときに,アリゾナ州といえばサボテン,というこの景色を追い求めてあてもなく走ったことを思い出しました。
フェニックスの少し手前にブラックキャニオンシティという田舎町がありました。ちょうど夜明けだったので朝日を見ようと,ここで一旦インターステイツを降りました。こののどかな町でサボテンと朝日を眺めることができました。

予想通り,フェニックスの市街地は混んでいましたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,搭乗開始時間の1時間ほど前にフェニックスのレンタカーセンターに着きました。車を返して,シャトルバスに乗り込みました。
フェニックスの空港は他の大都市の空港に比べて空いていました。この空港はどこの航空会社のハブ空港でもないようで,デルタ航空のラウンジもなければ,プライオリティパスで入れるラウンジもなかったので,ゲートで搭乗時間を待ちましたが,空港は新しく,しかも人が少なかったので,問題はありませんでした。
やがて搭乗し,定刻に離陸しました。窓際の座席を選んであったので,晴れ渡る窓からはフェニックスの町がよく見えました。19年前に来たときに比べて,フェニックスの町はずいぶんと発展を遂げていました。
やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきました。
ロサンゼルスの空港は昨年も来たので勝手がわかっていて,空港に降りて,レンタカー会社のシャトルバスに乗りました。バスに乗り合わせた男性が,これまで78か国に仕事で行ったと言っていました。もちろん日本も行ったことがあるそうでした。
レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいのですが,昨年はその車のほとんどがカローラだったのに,今年は1台しかなく,私が物色している間にカローラはとられてしまいました。そこでニッサンのアルティナにしました。
レンタカーもこういったシステムにすると,まず売れ行きがいいのは故障のない日本車で,最後まで残ってしまうのは韓国車のヒュンダイです。

まず,空港からインターステイツ105を東に走って,今日から2泊するモーテルに行きました。
私は大都市のダウンタウンが嫌いです。なにせ車も人も多すぎです。治安もいいのか悪いのかよくわかりません。ロサンゼルスに来たのは,前回はスペースシャトルを見ることとウィルソン山天文台にいくことが目的でした。今回わざわざロサンゼルスに2泊することになったのは,昨年行くことができなかったパロマ山天文台に今年こそ行くことが目的だったので,モーテルは移動の楽なインターステイツに近い場所で,ともかく安全に眠ることができればいいのですが,昨年は少し節約しすぎて,散々なモーテルになってしまいました。そこで,今年は昨年よりは宿泊代の高いモーテルにしました。場所はリンウッドというところで,昨年宿泊したところとさほど離れていないのですが,到着してみて,昨年よりは断然雰囲気のよさそうな場所だと思いました。
予約してあったモーテルもきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人でした。性格が几帳面なのがよくわかりました。
チェックインの時間は午後3時で,私が到着したのは午後2時でしたが,幸いチェックインをすることができました。
部屋で一休みをしてから,近くにあったカールズジュニアというバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとりました。

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 私は,このところ何年もハワイには行っていてもアメリカ本土には行っていないような気がするのですが,実際は2017年も2018年もアメリカ本土に上陸しているのです。2017年は8月にアイダホ州で皆既日食を見ましたし,2018年は6月になんとなくカリフォルニア州に行ってきました。そのときの旅行記は現在も続行中です。
 私は,アメリカは行き過ぎたので,旅行をしても日常と非日常が混在してしまっている感じになっていて,旅をしてきたという感覚がもはやないのですが,昨年の旅行については,今にして一番に思い出すのは,遅く着いたイニョカーンという小さな町,というのだから,自分でもそのことに驚いています。イニョカーンに限らず,同じく,昨年行ったニュージーランドでも,一番に思い出すのはクイーンタウン近郊のアロータウンという小さく古い静かな町だし,オーストリアでもウィーンの郊外ハイリゲンシュタットだし,というように,こうした小さな町に,まるで何年も住んでいるような気がして,愛着を感じるのです。その感覚は,それらとは実際はまったく違うところにもかかわらず,夕暮れに車で走った四国・徳島郊外の小さな町と同じようなのです。
 どうやら,名所とか観光地とかではなく,夕暮れのわびしい里山の風景,そんな心に染みるような情景こそが,私の原風景のような気がします。

 さて,私がアメリカで見てみたかったものは,これまでに何度も書いたように,今はもう旧式となった往年の天文台とそこで活躍した天体望遠鏡だったのです。そこで,それらを効率的に見て回る計画を立てて,昨年はカリフォルニア州にあるパロマ天文台とウィルソン山天文台に行ってみようと思いました。そして,そのついでに,ずっと行きたかったデスバレー国立公園とセコイア国立公園にも行くことにしました。
 アメリカは広く,その広いことが,私はずっと好きだったのですが,それも次第に億劫になってきました。簡単に電車で行ける距離ではないのです。様々な場所をまわるにもそれぞれがまる1日かかるわけです。ところが,わざわざ出かけた,年中無休だと思っていたパロマ天文台の公開が,私が行ったときに限って中止されていたのです。いったいどういうことでしょう。いつも幸運に恵まれている私にも,時にはこんなこともあるのです。そこで,おそらくそれは,私に「また来いよ」と言っているのだなあ,と思うことにしました。

 そんなわけで,数々の場所を訪れることができた2018年は,思った以上の幸運に恵まれた旅も多けれど,パロマ天文台に行くことができなかったこととアイスランドでオーロラを見ることができなかったこと,このふたつのことだけが成し遂げられず,心残りになってしまいまいた。
 「また来いよ」と言われれば,また行くしかないなあ,と今は思っているのです。そして,これこそが,私が再び旅に出るぞという気持ちにさせる力なのです。

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アメリカ合衆国50州を制覇して以来,アメリカ以外の国を旅行しはじめたのですが,それがまたアメリカよりもずっと居心地がよくて,それに従ってアメリカに対する情熱も以前のようにはなくなりました。しかし,考えてみれば,それでも,昨年2017年の8月には皆既日食を見るためにアイダホ州に出かけ,そのついでにオーロラを見るためにアラスカに出かけたし,同じ年の秋にはハワイ・カウアイ島にも行ったし,けっこうアメリカの地を踏んでいるのです。
そして今回私が出かけるのはロサンゼルスです。目的は一度は行ってみたかったパロマ天文台とウィルソン山天文台へ行くこと。それ以外は未定で,行ってから考えます。

今回,私はESTAという電子渡航認証の期限が切れていて再登録をする必要がありました。日本人が海外旅行をするときにこうした電子渡航認証が必要な国はアメリカとカナダとオーストラリアです。特にアメリカのESTA登録は年々面倒になってきていて,今回はなんと,登録を済ませても保留中という表示がでてびっくりしましたが,これが今では一般的ということで安心しました。幸い数分後に承認されました。
なお,ESTAで渡航ができるのは,アンドラ,オーストラリア,オーストリア,ベルギー,ブルネイ,チリ,チェコ,デンマーク,エストニア,フィンランド,フランス,ドイツ,ギリシャ,ハンガリー,アイスランド,アイルランド,イタリア,日本,ラトビア,リヒテンシュタイン,リトアニア,ルクセンブルグ,モナコ,オランダ,ニュージーランド,ノルウェー,ポルトガル,マルタ,サン・マリノ,シンガポール,スロバキア,スロベニア,大韓民国,スペイン,スウェーデン,スイス,台湾、イギリスの人たちだそうです。意外と少ないものです。
電子渡航認証はアメリカではESTA(Electric System for Travel Authorization)と呼ばれ,カナダではeTA(Electronic Travel Authorizations),オーストラリアではETA(Electronic Travel Authority)と呼ばれています。アメリカは有効期限が2年,オーストラリアは1年です。カナダは5年です。

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