しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

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●ベースボール観戦は楽し。●
 ロサンゼルス・エンゼルスのこの日のゲームの開始は午後7時7分だった。
 どうして午後7時と遅いのか,という質問の答えは夏時間だから,である。また,どうして7分か,というのは,テレビ放送のためである。この細かい開始時間はチームによって異なり,5分というものもあれば11分というものもある。
 アメリカでは,スポーツはテレビ中継のコンテンツなのである。すべてが金なのだ。そこで,オリンピック中継もアメリカの時差に合わせて行われるし,時期が夏なのもまた,秋に行うとアメリカのスポーツシーズンに影響するからである。それにつき合わされるスポーツ選手はたまったものではない。
 未だにスポーツマンシップだとかきれいごとを言う人があるが,そんなものは虚構であって,オリンピックは巨額な金を生む単なる打ち出の小づちなのである。だから,日本の猛暑にオリンピックをするなどというバカげたことになるのだが,そのことを問題視しないマスコミもまた,金儲けのためにすぎない。高校野球もまた同類である。
 アメリカははじめっから,ビジネス,だから金,と割り切っているからそれで問題ないのだが,日本では,そこに,やれスポーツマンシップだとか青春の美談だとか,そういった建前を並べるから,私は嫌いなのだ。日本はいつも「やったふり」なのである。
 アメリカはそういう国なので,ペットボトル1本持ちこめないボールパーク内ではペットボトル1本を3ドル50セントで売っているのだ。そこに遠慮も忖度もない。これは善悪ではなく,アメリカではすべてが金次第の国ということの反映にすぎない。
 その一方で,弱者に対した寄付や慈善などもまた,日本とは違って徹底している。レストランでは金持ちはチップを弾む。これはキリスト教の影響といわれるが,おそらくは,いつもマネーゲームをしている罪悪感から逃れるためであろうと私は今思う。
 それに対して,日本では,建前はおもてなし,本音は金儲けである。これもまた,善悪でなく,これが日本なのだ。世の中は甘くない。見せかけの笑顔のうらには何が潜んでいるのか,これこそが建前と本音が異なる日本なのである。生徒のためと称して,本音は学校の進学実績というのもまた,これが日本なのである。
 
 アメリカのボールパークは開場がその2時間前だから,私は午後4時過ぎにモーテルを出て,ロサンゼルス・エンゼルスの本拠地であるエンゼルスタジアムに向かった。インターステイツ105からインターステイツ710,そして,国道91,国道55と進み,駐車場に着いた。事前に駐車場を予約しチケットを購入してあったので,係員の指示に従って車を停めたが,その近くには球団関係者の高級車がずらりと停まっていた。
 開場にはまだ時間があったので,いつものように,ボールパークの周りを散策していると,ハネムーンやツアー客など多くの日本人がいたので,しばし雑談を楽しんだ。
  ・・
 やがて,ゲームがはじまった。MLBのゲームは40回以上は見ているから,もう,珍しくもなんともない。今回の私の目的は大谷翔平選手の写真を写すことだけだった。歩き回っていい場所を探しておいて,大谷翔平選手の打順になったらそこに行って写真を写せばいいのだから,私の座席なんてあってないようなものだった。そこで,もっとも安価な座席のチケットを買ったのだが,このゲームで,私は,自分の座席に座ったことは一度もなかった。どこなのかもわからなかった。
 幸い,この日,大谷翔平選手は3番指名打者で出場して,ヒットを3本打った。私は大谷選手が出場するときだけゲームに集中して,それ以外の時間は大谷選手をどこで写真に収めるかを探すためにボールパーク中を歩き回っていた。適当な場所でカメラを構えていると係員がやって来て「ここで立ち止まって写真をとっていてはいかん」とか言うので,日本からわざわざミスター・オータニの写真を写しに来たのからちょっとだけごめんね,とか適当なことをいって仲良くなると,快く許してくれるのもまた,アメリカらしいおおらかさである。そこでチップでも出すと,もっといい場所まで連れ行ってくれるのかもしれない。
 ナイトゲームは,終了後,数千台,もしくは数万台の車が一斉に駐車場から出ていくことになるから大渋滞を引き起こす,交通制限もかかるから,道に迷う。そこで,私は毎回,ゲーム終了前に早々ボールパークを後にする。ゲームの勝敗なんてまったく興味がない。
 8回になる前,ボールパークを後にした。こうして,私は今回の旅で,大谷翔平選手も見ることができて,目的をまたひとつ果たした。これで,今後またアメリカにいくことがあっても,心置きなく,MLBのスケジュールにまどわされることもなく,行きたいときに行きたい場所に出かけて観光ができることであろう。…が,その日はまた来るのであろうか?

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●エンゼルスの大谷翔平選手●
 2018年大谷翔平選手がロサンゼルス・エンゼルスに入団した。
 私はMLBでこれまで数多くの日本人メジャーリーガーを見る機会があったが,ぜひ見たいと思ったのは,何といってもロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手であった。本拠地ではなかったが,遠征先のミズーリ州セントルイスでの先発を見る機会があって,何とかその夢を実現した。次に見たかったのはイチロー選手だったが,幸い,イチロー選手の属したすべてのチームで見ることができた。
 新庄剛志選手,城島健司捕手,ダルビッシュ有投手,前田健太投手なども,偶然も手伝って目の前で見ることができた。松井秀樹選手は現役時代に見ることはできなかったが,ニューヨークのヤンキースタジアムに行ったとき,偶然,引退試合を見ることができた。
 そのころの私は,まだMLBにずいぶんと関心があり,しかも情熱があって,思えばよき時であった。

 今の私にはまったくMLBに想い入れもなく,わざわざ見にいきたいとも思わなくなってしまったし,普段,テレビでMLBのゲームを見ることもなくなってしまったが,それでも,なぜか大谷翔平選手(投手?)だけは見てみたいものだと思っていた。
 昨年(2018年),私がロサンゼルスへ行くという計画をしたときには大谷翔平選手の入団は決まっていなくて,ロサンゼルス・エンゼルスに決まったときは,また私は運がいいなあと思ったものだが,このときは,運悪くエンゼルスは遠征中で,見ることができなかった。
 今年(2019年),別にロサンゼルス・エンゼルスの日程は知らなかったが,旅行の日程が決まった後でロサンゼルス・エンゼルスの日程を調べたら,偶然,私がロサンゼルスに滞在するころはホームゲームが続いていた。しかし,昨年のシーズン末に手術をして,復帰できるかとうか,というところであった(らしい)。「(らしい)」と書いたのは,私はMLBにほとんど興味がなくなっていたので,詳しい情報を知らなかったからである。私は,見にいく予定のゲームに大谷翔平選手は果たして出場するのかしらん? とかなり懐疑的であった。まあ,見ることができれば幸運だ,程度に思っていた。

 大谷翔平選手は1994年生まれというから25歳である。私がこの旅のあとで行った奥州市の出身で,投手でありかつ打者,つまり,このふたつを本格的に両立する「二刀流」である。「二刀流」などという居合抜きのようなプレイヤーを私はこれまで知らないから,どうやってやるんだろうと思っていた。 
 高校生時代は,甲子園の通算成績は14回を投げ防御率3.77,16奪三振。野手としては2試合で打率.333,1本塁打ということである。
 日本のプロ野球だけでなくメジャーリーグ球団からも注目され,本人は高等学校卒業後にメジャーリーグへの挑戦を表明したことは知っていた。しかし,北海道日本ハム・ファイターズがドラフト会議で1位指名をすると公表し,私はイランことをするバカな球団だと思った。何を言おうがどんな事情があろうが,北海道日本ハム・ファイターズの自分勝手,金儲けの口実にすぎない。そんなことは,野茂英雄投手が裏切り者同然で日本の野球界を去ったことを思えばわかる。みんな自分勝手なだけだ。北海道日本ハム・ファイターズの会議室で重役やスカウトたちが何を話していたか絵に描いたようにわかる。
 いろんな条件をつけて言いくるめ,その結果,かわいそうに,大谷翔平選手は,2013年から2017年までの5年間を日本のプロ野球でおくることになってしまった。私は日本のプロ野球にはまったく興味がないので,この5年間のことはまったく知らない。

 2017年末,大谷翔平選手は,ポスティングシステムを利用してメジャーリーグに挑戦する事を表明した。そして,ロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表され,背番号は「17」と発表,マイナーリーグ契約を結んだ。2018年スプリングトレーニングに招待選手として参加,オープン戦では投手として2試合で先発登板,打者としても指名打者で11試合で起用されたが,防御率27.00,打率.125,本塁打なしと不振だった。それでもメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りし,開幕戦のオークランド・アスレチックス戦で「8番・指名打者」で先発出場し初打席初球初安打を記録。さらに,オークランド・アスレチックス戦で初登板初勝利した。
 この年は打者として104試合(うち代打22試合)に出場し,打率・285,22本塁打,61打点,10盗塁。投手としては10試合に先発登板し4勝2敗,防御率3・31の成績を残し,メジャー史上初の「10登板20本塁打10盗塁」を達成しシーズンを終了した。
 私が見にいったのは,その翌年2019年のことである。

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●リニューアルした古いボールパーク●
 ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)はメジャーリーグベースボール(MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チームである。2015年まではアナハイム・エンジェルスと称していたが,2016年に球団創設時の名称に戻した。
 2010年には全盛期を過ぎた松井秀喜選手が入団,また2018年からは大谷翔平選手が入団して日本での知名度が増した。
 本拠地球場はエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム(Angel Stadium of Anaheim)で,場所はロサンゼルスの東南,ディズニーランドの近くなので,日本人が観光で訪れるには最高の場所であろう。

 1957年,ニューヨークにあったふたつの名門チーム,ナショナルリーグのブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに,ニューヨーク・ジャイアンツもサンフランシスコに移転し,西海岸にMLBの球団が誕生し,ロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツは初年度から多くの観客を集め,興行的に大きな成功を収めた。
 そのため,アメリカンリーグでも西海岸に球団を置くことが検討され,1961年のアメリカンリーグの球団拡張計画に基づき,ロサンゼルスにおける新球団の設置が決定した。新球団の名前はロサンゼルスの地名の由来である「天使=angel」から採られた。
 初年度はロサンゼルス・リグレー・フィールドを使用していたが,2年目からはドジャースの本拠地球場であるドジャー・スタジアムを間借りし,1966年にはついにアナハイムにアナハイム・スタジアムが完成した。

 こうして1961年,アメリカンリーグの球団拡張によって誕生したロサンゼルス・エンゼルスは,1979年に初の地区優勝を果たし,1982年と1986年にも地区優勝を遂げた。そして,2002年にはワイルドカードでプレーオフに進出し,初のワールドチャンピオンに輝いた。
 1997年から2003年までウォルト・ディズニー社が経営に携わっていて,2002年のワールドシリーズ初制覇の優勝パレードはディズニーランドで行われた。
 2003年にヒスパニックの実業家であるアルトゥーロ・モレノがオーナーに就任した。モレノはチケット,ビールの値下げ,家族向けの低価格帯グッズの販売などを展開し,ファン層の拡大にも力を注いだ。また,2003年以降は大規模な補強により,2004年以降の6年間に5度の地区優勝を果たしたが,その後は低迷気味である。
 昨年2018年は開幕15試合で12勝3敗という好成績を挙げ,1979年以来39年ぶりの球団タイ記録となる好スタートを切ったが,その後チームは故障者続出もあり地区4位に低迷,ポストシーズン進出を逃した。

 2019年2月25日,ロサンゼルスタイムズ電子版がエンゼルスの本拠地の移転候補としてロングビーチ市が名乗りを上げていると報じた。その一方で,2020年で現在の本拠地とのリース契約が終了した後もアナハイムに残る選択肢も検討しているという。
 私はMLB30チームすべてのボールパークに行ったことがあるが,ロサンゼルスに本拠地をもつ,ナショナルリーグのドジャースとアメリカンリーグのエンゼルスは,ともにボールパークが古い。さすがにリニューアルをしてはいるが,もともとの設計が古いことは変えることができないから,ほかの新しいボールパークに比べたらかなり見劣りするので,本拠地の移転が考えられるのも当然だろう。
 このふたつのチームのボールパークは,ボールパークとしてわざわざ訪れるような魅力もないし,私がここで特質することもない。

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●都会のなかの天文台って?●
 ロサンゼルスでは,レンタカーを借りてレンタカー会社の駐車場から出ると,すぐにジャンクションがあって,インターステイツ105に入ることができる。
 ロサンゼルスの市街地はものすごく広く,はじめて走るとつかみどころがない大都市である。インターステイツを走っているだけだと,まったくこの町の様子が把握できないのだ。
 インターステイツ105はロサンゼルスのダウンタウンよりかなり南にある空港から東に向かって走っていて,やがてはダウンタウンから南東に走るインターステイツ5と合流する。インターステイツ5はアメリカの南北を北はシアトルから南はサンディエゴまで続く主要道路である。また,アメリカのインターステイツの3ケタ番号はわかりやすくつけれていて,下2ケタの主要道路にやがては吸収される。
  ・・
 私は,今回の旅では帰国まえの2晩をロサンゼルスで過ごし2泊することになっているが,ロサンゼルスの市内観光をする予定はまったくなかった。この旅の計画では,この日の夜はディズニーランドのあるアナハイムでMLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見ること,そして,明日は待望のパロマ天文台に行くことであった。そこで,空港とボールパークとパロマ天文台のどこに行くにも便利で,しかも快適で,かつ安価なモーテルを探していて,リンウッドという町に宿泊することにしたのだった。東京でたとえれば,空港が成田でアナハイムが浦安,パロマ天文台が埼玉県の堂平山,そして,宿泊するのが千葉,みたいな感じだろうか。

 インターステイツ105を東に走って,途中でインターステイツ710(この道がインターステイツ10の支線であることは番号からわかる)に乗り換え,少し北にいったところでジャンクションを降りて,一般道を西に数マイル行ったところに私の予約したモーテルがあった。
 昨年来たときはは少し節約しすぎて,散々なモーテルに宿泊することになってしまったので,今年は昨年よりは宿泊代の少し高いモーテルにしたのだが,改めて調べてみると場所は昨年宿泊したところとさほど離れていなかった。しかし,ずいぶんと町の雰囲気は異なっていて,昨年より断然雰よさそうな場所だった。
 予約してあったモーテルは期待通りきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人だった。建物の外観やら,部屋の様子などから,オーナーの性格が几帳面なのがよくわかった。
 駐車場に車を停めてオフィスに行って予約してあることを告げると,チェックインの時間は午後3時からであり,私が到着したのが午後2時で,まだ少し早かったが,空き部屋があったので,幸いチェックインをすることができた。
 部屋で一休みをしてから,近くにあった「カールズジュニア」というバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとることにした。
 ハンバーガーチェーンの「カールズジュニア」(Carl's Jr.)は私がおすすめする店である。昨年(2018年)アメリカに来たとき,半分冗談でアメリカのハンバーガーチェーン店巡りをしたことはすでにブログに書いたが,そのなかでも「カールズジュニア」のハンバーガーはおいしかった。日本にもかつて進出したことがあるということだが撤退した。近年,再び進出して関東地方に数店舗店を出しているということだ。

 ロサンゼルスはアメリカ西海岸にあって太平洋に面している。
 空港から北西に州道1を走ると,マリーナデルレイというヨットハーバーがあり,その北西にはサンタモニカがあるというように,有名な地名が続く。サンタモニカからは州道2を北東に行くとビバリーヒルズ,ハリウッド,そして,グリフィス天文台というように,ロサンゼルス観光の入門コースが続いている。また,その南がロサンゼルスのダウンタウンでりあり,ダウンタウンの北側にはチャイナタウンとリトルトウキョウ,そして,ドジャースタジアムがある。
 こうした場所がいわゆる日本人の知るロサンゼルスという場所であるが,ロサンゼルスの観光地は決して治安のいいところでない。私は,ハリウッドのマクドナルドで置き引きにあったこともあり,いい思い出はないので,今は行きたいとも住みたいとも思わない。
 グリフィス天文台というのは,19年前に一度,ロサンゼルスの町が一望できる,夜景の美しい場所ということで,行くでもなく行ったことがあるが,ここは「理由なき反抗」「チャーリーズ・エンジェル」といったハリウッド映画のロケ地として有名である。実際は,天文台というより科学館とでもいうべき一般向けの場所であるから,世界中の天文台巡りを趣味とする私には特に興味がない。そもそも,星空の美しい場所ならともかく,夜景が美しい天文台って,一体なんだろうと思ってしまう。
 グリフィス天文台は,メキシコの銀鉱で財産を作った資産家のグリフィス・ジェンキンス・グリフィス(Griffith Jenkins Griffith )が1896年にクリスマス・プレゼントとしてロサンゼルス市に寄付したもので,広さ3,015エーカー(約12平方キロメートル)ある公園である。グリフィスがヨーロッパを視察した際に、整備された公園に感激しロサンゼルス市民の憩いの場所として贈ったのが発端である。…と,ここまではいいのだが,グリフィスは,のちにウィルソン山天文台を見学して感激したことで,公園に天文台の建造を企画した。グリフィスが殺人未遂を起こしたため一度は保留になったのだが,のち,グリフィスが遺言で天文台と劇場の建設の寄付を書き残し,グリフィスの死後,1935年に完成したものだ。しかし,そもそも大都会に天文台を寄付するって,何かひとつおかしい気がする。

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●不人気車は売れ残る。●
 ロサンゼルスのダウンタウンが眼下に見えてきた。大きな学校があった。おそらく高等学校だろう。それにしても豪華だ。専用のフットボール競技場やベースボールスタジアムがある。
 こういうのを比較すると,常にいわれるのは,日本は狭いから,という言い訳である。しかし,土地があるかどうかというような問題ではないだろう。日本は教育に金をかけなさすぎるのだから,もうどうしようもない。と,こういう景色を見るといつも思い,絶望的になる。
  ・・
 やがて,定刻ロサンゼルス国際空港に着陸した。
 ロサンゼルスに戻ってきた。
 この旅では,来たときはロサンゼルスに到着して,そのまま乗り換えてフェニックスに行ったので,ロサンゼルスの町に降りるのはこれが最初だった。しかし,昨年もロサンゼルスには来たので,昨年は少し戸惑ったが,もう,すっかり勝手がわかっていて,空港ビルを出て,レンタカー会社のシャトルバス乗り場に行った。
 そういえば,19年前,知ったかぶりでロサンゼルスに着いた私は,そのときは空港ビル内のターミナルにレンタカー会社のカウンタがあるものと思い込んでいたから,それが見つからず,空港で困り果てた。どうすればレンタカーオフィスに行くことができるかさっぱりわからなかった。仕方なくビルの外に出たが,案内標示もなく,しばらく途方に暮れたのを思い出した。
 忘れていることも多いのに,こうした困ったことだけはずっと覚えているのはどうしてだろう?

 レンタカー会社のシャトルバスに乗り込んだ。乗ったときは空いていたが,このシャトルバスは,空港のターミナルを巡回して,それぞれのターミナルで客を乗せていくので,次第に混雑してきた。こういうシステムは,知ってしまえば当たり前なのだが,はじめて行ったときはずいぶんと心細いものだろう。
 隣に乗り合わせた男性が話しかけてきた。日本と違って,見ず知らずの人とも隣り合うと雑談を交わすのがアメリカ流といったところだ。彼はこれまで78か国に仕事で行ったと言っていた。すごいものだ。もちろん日本も行ったことがあるということだった。
 私が行ったことがあるのは…,そう,考えてみると,せいぜい11か国でしかない。

 ロサンゼルス国際空港はめちゃくちゃ混んでいたが,これは,空港のターミナルビルが工事中であることと,ターミナルのアクセス道路が空港の中央部分にすべて集まっていて,これもまた工事中であることが原因であろう。これは,2028年に開催されるオリンピックの準備である。
 シャトルバスは,やっと空港エリアを出て,まもなくレンタカー会社の駐車場に到着した。ロサンゼルスは空港の周りにそれぞれのレンタカー会社の敷地が別々にあるので,自分の借りたレンタカー会社のある場所を覚えておかないと,返すときにパニックになる。これもまた,昨年学んだことだ。
 レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいというのもまた,昨年知った。借りるときにインターネットで選んだ車の車種など全く無関係で,車のランクが同じならどれを借りてもいいわけだ。オプションでカーナビを借りたときは,別途出口で受け取ることになる。
  ・・
 昨年借りたときは車のほとんどがカローラだったので今回もそれを期待したが,カローラは1台しかなかった。それにしようと思ったが,ほかの車も見てみようと物色しているわずかの間に私が借りようと思ったカローラはとられてしまい,後悔した。仕方がないのでニッサンのアルティナにした。
 レンタカーもこのようなシステムにすると,自分で車を選べるので便利だし,レンタカー会社もまた手間がかからないからウィンウィンである。しかし,このシステムは車の人気投票という事実を呈する。まず売れ行きがいいのは故障のない日本車である。最後まで残ってしまうのは不人気車であるが,それはいつもヒュンダイであった。

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●アメリカの高速道路は美しい。●
 窓際の座席を選んで座ったので,晴れ渡る窓の外にはフェニックスの町がよく見えた。
  ・・
 すでに書いたように,19年前,私はロサンゼルスから車でインターステイツ15を北東にラスベガスを経由して,国道93を南東にキングズマンへ出て,そこからインターステイツ40でセリグマン,ウィリアムズと東に向かってに走り,ウィリアムズで北上してグランドキャニオン国立公園のサウスリムにたどり着いた。
 古いことなのでほとんど記憶にないが,ロサンゼルスからグランドキャニオン国立公園がえらく遠かったことと,ウィリアムズから北に向けて走っていたとき,こんな大草原の向こうにグランドキャニオンという大渓谷が本当にあるのだろうかと思ったことだけは覚えている。
 その後,橋のないコロラド川を延々と迂回して対岸のノースリムへ行き,さらに,その先のモニュメントバレーまで行った。そして,南西へ引き返し,フラッグスタッフを経由して,フェニックスへ着いたのだった。
 その時の旅では,フェニックスからロサンゼルスまでも車で帰るつもりだったが,さすがに力尽き飛行機を利用した。
 当時のフェニックスの見どころは,お昼間は動物園くらいのものであったが,夜はMLBダイヤモンドバックスのゲームを見た。先発はあの有名なランディ―・ジョンソン投手であった。私はいつもツイているのだ。
 そのときのフェニックスの印象は,ものすごく暑かったことと,1泊したあと,目覚めたらすでに午後で,こんなに寝てしまったことは人生で後にも先にもなかったということだ。私が当日探して泊った場所は,結構「ヤバい」ところで,周りは古びた家だらけで,昼間から怖そうな男がふらふらしていた…,と当時は思ったが,今考えるとそうでもない普通のアメリカの普通の場所だったかもしれない。
 当時はまだアメリカのことは今ほど知らず,なにもかもが怖かった。であるのに,行動は今よりずっと大胆であった。

 飛行機の窓から見ていると,そんなことを思い出してきた。
 おそらく飛行機はインターステイツ10に沿ってその上空を飛んでいたのだろうが,フェニックスの町を過ぎると,眼下にはオーストラリア大陸の荒涼とした大地のような,砂漠の荒野が広がってきた。どの国でもそうだが,空から見るとそんな景色であっても,地上を走ると結構人が住んでいたりするのが不思議だ。それにしてもいつも思うのだが,地球というのは広いのやら狭いのやら…。新型コロナウィルスのようなたわいもないものが発生するだけで,地球上のすべてがパニックになり,人間の作ってきたシステムはすべて台無しとなり,逃げ場所すらない。
 いずれにしても,未開の地などというものはもはや地球上のどこにも存在せず,人間は地球をぐっちゃぐちゃにしすぎた。地球の代わりになるものはないのだから,やがては破壊しつくして地球をぶっ潰してしまうのだろう。それも近い将来…。人類の滅亡も近いかもしれない。そして,人類に代わる新しい生物がまた登場して,同じ愚を繰り返すのだろう。
 やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきた。大自然をぶっ潰して作ったアメリカの大都市はどこも高速道路がとても美しく見える。ジャンクションの幾何学的な模様には,いつもほれぼれする。

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☆ミミミ
6月21日は,夏至であり,台湾では金環日食,日本では部分日食が見られましたが,残念ながら曇り空でした。雲を通して,なんとか写真を写せました。
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●離陸の順番待ち●
 搭時間になった。今回もまたファーストクラスへのアップグレードだったので,先に乗り込んだ。アメリカの国内線のファーストクラスは国際線とは違って,イスが大きいことと,ガラスのコップで飲み物が出てくることと,軽食が配られることくらいしか特典はないが,なぜかうれしい。
 わずか1時間程度のフライトだから,窓際席にした。

 フェニックスの空港は,スカイハーバー国際空港(Phoenix Sky Harbor International Airport)という。フェニックスの市内,中心部よりやや南東4.8キロメートルにある。
 この空港はアメリカ南西部にある大きな空港のうちのひとつで,グレイトレイクス航空とUSエアウェイズのハブであるほか,フロンティア航空とサウスウェスト航空の焦点都市となっていて,北アメリカ,カナダ,メキシコ,中央アメリカ,ヨーロッパの各都市間を15のキャリアが運航しているので,アメリカで利用者数の多い空港のトップ 10 に入るということだが,私にはそんな印象はまるでなく,小さな空港であった。
 スカイハーバー国際空港には3つのターミナルがあるが,ターミナルの番号は2,3,4となっている。ターミナル1が1990年に取り壊されたからである。

 どの空港もそうだが,フライトの離陸は,同じ時刻に設定された複数のフライトがあって,それらは要するに「早いもん順」に離陸するのである。つまり,離陸の順番は事前に決まっているわけでなく,離陸準備のできた飛行機から滑走路の手前に陣取り離陸にそなえ,順番がくると滑走路に入り飛び立つわけだ。それらの調整を担うのが管制塔である。
 大概の空港は滑走路が1~2本で,同じ滑走路を離陸も着陸も使うので,着陸してくる飛行機があると,離陸する飛行機はしばらく待たなけれればならない。そうして,いよいよ離陸の番になると,しずしずと滑走路に向かうことになる。
 今日の4番目の写真がまさにそれで,こんな感じで飛び立つ飛行機がずらりと並んで離陸の順番待ちをしている姿はまさに壮観なのであるが,これは窓際席でなければ見られない姿である。大概の乗客は離陸までどうしてこんなに時間がかかるのだろうなどと思いながら,機内でその時間をすごすことになる。
  ・・
 私の乗った飛行機もこうしていよいよ離陸する順番になった。このころは,海外旅行ばかりしていたので,離着陸で1回のフライトと考えると,私は,1年で平均30回は飛行機に乗っていた勘定になるが,それもまた,今では懐かしい。こんな当たり前だった旅がまたいつかできる日が来るのだろうか?

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●ここは砂漠のど真ん中●
 予想通り,フェニックスの市街に近づくにつれて車が多くなって道路は混んできたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,午前8時過ぎにはレンタカーセンターに到着することができた。
 車を返してから少しだけレンタカーセンターの建物のなかを散歩した。建物のなかにはずらりとレンタカー会社のカウンタが並んでいたが,朝早いこともあって,人がほとんどおらず,閑散としていた。
 その昔,アメリカの空港は,ターミナルのなかにレンタカー会社があって,外に出るとレンタカー会社の駐車場があった。今でも多くの地方都市はそうである。
 大都市では,やがて空港が手狭になってくると,空港の近くにレンタカー会社が移動するようになった。新しく作られた都市だと,フェニックスのように,レンタカー会社が集められてひとつの建物に入っているところもあるが,古い町では,それぞれの会社がバラバラになっていてわかりにくいところもある。さらにまた,大きな建物にレンタカー会社が集めれているにもかかわらず,そこに入り切れなくなった新興のレンタカー会社だけ別の場所にオフィスがあって,それがわからず混乱することもある。私はニューヨークのJFKでその被害? にあった。
 建物を出たところに,空港までのシャトルバスの乗り場があったのでバスに乗り込み,やがて空港に着いた。

 フェニックス(Phoenix)はアリゾナ州最大の都市かつ州都である。愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)。日本語では不死鳥のフェニックスから慣フェニックスと表記されるが英語の発音はフィーニクスのほうが近い。
 フェニックスは1867年に灌漑事業と共に創設され,開拓者が都市を創設した。 20世紀前半からニューディール政策によるコロラド川の電源開発,ルーズベルトダム,フーバーダム,クーリッジダムの開発によって、無尽蔵の電力を供給,軍事産業に関わる航空機産業や電器機械工業が発展していき,今日では半導体などのエレクトロニクス産業,また観光都市としても発達している。
 当初はロサンゼルスやシリコンバレーに後れを取っていたが,1990年頃から安価な労働力と広大な土地,安い税金,精密機械製作には好適な温暖で乾燥した気候,大消費地への近さという条件があいまってカリフォルニア州から大量の半導体,エレクトロニクス産業が流入してきたことで急速に発展した。シリコンデザート(砂漠)とよばれる。
  ・・
 年間を通して温暖,というより年中暑く,夏は日中は摂氏40度を超える。ただし,非常に暑いが乾燥しているので,日本より過ごしやすい。逆に,フロリダは湿度が高いので,夏にフロリダに行くというとアメリカ人にバカにされる。なら,日本の夏なんてもっともっとバカにされそうだ。冬は日中摂氏20度を超える気温となり,朝晩でも摂氏4度以下に下がることはほとんどないため,保養都市として注目を浴びている。
 最高気温記録は1990年6月26日の摂氏50度で,最低気温記録は1913年1月7日のマイナス8.8度ということだ。

 この町は砂漠のど真ん中に形成された人口都市である。私はこの町にはじめて来たのは19年前のことだったが,その当時,こんな砂漠のど真ん中にむりやり水を引いて草木を植え,緑の都会を作り上げるアメリカってとんでもない国だと思ったことを思い出す。
 そのころはまだ素朴さも多く残っていた。今回はフェニックスの町は通り抜けただけで,その風景は空から見ただけだったが,町はさらに巨大化し,アメリカのほかの大都市と変わらない様相を呈していた。

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●絶品の夜明け●
☆4日目 2019年6月28日(金)
 この旅も4日目となった。
 チコちゃんではないけれど,ふだんボーっと生きていると1週間は何もせず終わるけれど,旅に出るとわずか数日間でも,それまで長年ずっと思い焦がれていた経験はすべてできるし,そのときに成しえた思い出はずっと生き続ける。
 旅をしないできた人は,そうした蓄積がないから,歳をとったとき,思い出もなく生きるしかない。そんな人の話にば奥行きがない,退屈な話しかできない老人は,そのような体験の少ない人なのであろう。

 さて,今日は,フラッグスタッフからフェニックスまで戻って,フェニックスからロサンゼルスへは空路,そして,ロサンゼルスで再び車をレンタルして,夜はMLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見るという予定であった。
 フラッグスタッフからフェニックスまで車でほぼ2時間かかる。フェニックスからのフライトは10時過ぎの出発なので,朝はフェニックスを午前7時くらいに出発すればいいかな,と思っていたのだけれど,来るときにフェニックスの市街地が思った以上に渋滞していたことと,この日は週末でなく金曜日だから朝の通勤時間と重なること,そして,来るときにインターステイツで事故渋滞があったことなどを考えると,もっと早く出発するほうがいいと思いなおし,朝は午前5時に起床し,朝食をとって午前6時にはチェックアウトすることにした。
 昨晩買って冷蔵庫に入れておいたビックマックをレンジで温めて朝食代わりにした。チェックアウトといってもキーをフロンのある建物の外にあるキーボックスに返すだけ,ほったらかしのモーテルである。

 まだ夜が明けきらず暗いフラッグスタッフのヒストリック・ルート66を,インターステイツ17のジャンクションに向かって走った。
 インターステイツ17に入ると,周囲は真っ暗で,自分の車のヘッドランプだけを頼りに走ることになるが,こういうとき,アメリカの道路はとても走りやすい。
 私は,よく星を見にいくので,深夜の道路を走ることが少なくないが,日本の道路のひどさは,暗いときとか雨のとき,霧のときに顕著になる。そうした悪条件をまったく考慮しないで整備されているのである。反対に,アメリカの道路は,悪条件になるほど,安全に走行できるように整備されている。これが日本人の「発想の限界」である。

 やがて東の空が白んできた。アメリカの大自然は,このときが最も美しい。日本では決して見られない風景が広がってくる。フラッグスタッフからフェニックスまでは緩い坂を下ることになるから,来るときはよくわからなかったが,眼下に広がる景色は想像以上にすばらしいものだった。
 順調にフェニックスのダウンタウンに近づいてくると,あたりはサボテンだらけになる。
 アリゾナといえばサボテンであろうが,そうした風景がどこで見られるかといえば,すぐには思い浮かばない。19年前,はじめてアリゾナ州に来たときにこの「サボンのある景色」を追い求めてあてもなく走ったことを思い出したが,そのときにどの道を走ったのかは記憶にない。しかし,それほどの道路があるわけでもないから,そのときは,インターステイツでは景色が見られないと思ってそのあたりの一般道をふらふら走ったのだろう。しかし,そんなことをしなくても,実は,インターステイツからとてもよく「サボテンのある風景」は見ることができたのだった。それをこの日知った。

 やがて,太陽が昇ってきた。どこかで日の出の写真を写そうと走っていて,ブラックキャニオンシティという田舎町を見つけたので,そこで,一旦ジャンクションを降りた。
 ブラックキャニオンシティはインターステイツ17にそった一般道の周りに家が数件あるだけの田舎町だったが,なかなかいい雰囲気であった。こういう町に着くと,いつかこんなところに泊ってみたいものだといつも思うのだが,実際泊ってみると,こうした町には何もなく,夕食をとろうと1軒のレストランを探すのすら苦労することも,私は,これまでの経験ですでに知ってしまっている。

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