●ベースボール観戦は楽し。●
ロサンゼルス・エンゼルスのこの日のゲームの開始は午後7時7分だった。
どうして午後7時と遅いのか,という質問の答えは夏時間だから,である。また,どうして7分か,というのは,テレビ放送のためである。この細かい開始時間はチームによって異なり,5分というものもあれば11分というものもある。
アメリカでは,スポーツはテレビ中継のコンテンツなのである。すべてが金なのだ。そこで,オリンピック中継もアメリカの時差に合わせて行われるし,時期が夏なのもまた,秋に行うとアメリカのスポーツシーズンに影響するからである。それにつき合わされるスポーツ選手はたまったものではない。
未だにスポーツマンシップだとかきれいごとを言う人があるが,そんなものは虚構であって,オリンピックは巨額な金を生む単なる打ち出の小づちなのである。だから,日本の猛暑にオリンピックをするなどというバカげたことになるのだが,そのことを問題視しないマスコミもまた,金儲けのためにすぎない。高校野球もまた同類である。
アメリカははじめっから,ビジネス,だから金,と割り切っているからそれで問題ないのだが,日本では,そこに,やれスポーツマンシップだとか青春の美談だとか,そういった建前を並べるから,私は嫌いなのだ。日本はいつも「やったふり」なのである。
アメリカはそういう国なので,ペットボトル1本持ちこめないボールパーク内ではペットボトル1本を3ドル50セントで売っているのだ。そこに遠慮も忖度もない。これは善悪ではなく,アメリカではすべてが金次第の国ということの反映にすぎない。
その一方で,弱者に対した寄付や慈善などもまた,日本とは違って徹底している。レストランでは金持ちはチップを弾む。これはキリスト教の影響といわれるが,おそらくは,いつもマネーゲームをしている罪悪感から逃れるためであろうと私は今思う。
それに対して,日本では,建前はおもてなし,本音は金儲けである。これもまた,善悪でなく,これが日本なのだ。世の中は甘くない。見せかけの笑顔のうらには何が潜んでいるのか,これこそが建前と本音が異なる日本なのである。生徒のためと称して,本音は学校の進学実績というのもまた,これが日本なのである。
アメリカのボールパークは開場がその2時間前だから,私は午後4時過ぎにモーテルを出て,ロサンゼルス・エンゼルスの本拠地であるエンゼルスタジアムに向かった。インターステイツ105からインターステイツ710,そして,国道91,国道55と進み,駐車場に着いた。事前に駐車場を予約しチケットを購入してあったので,係員の指示に従って車を停めたが,その近くには球団関係者の高級車がずらりと停まっていた。
開場にはまだ時間があったので,いつものように,ボールパークの周りを散策していると,ハネムーンやツアー客など多くの日本人がいたので,しばし雑談を楽しんだ。
・・
やがて,ゲームがはじまった。MLBのゲームは40回以上は見ているから,もう,珍しくもなんともない。今回の私の目的は大谷翔平選手の写真を写すことだけだった。歩き回っていい場所を探しておいて,大谷翔平選手の打順になったらそこに行って写真を写せばいいのだから,私の座席なんてあってないようなものだった。そこで,もっとも安価な座席のチケットを買ったのだが,このゲームで,私は,自分の座席に座ったことは一度もなかった。どこなのかもわからなかった。
幸い,この日,大谷翔平選手は3番指名打者で出場して,ヒットを3本打った。私は大谷選手が出場するときだけゲームに集中して,それ以外の時間は大谷選手をどこで写真に収めるかを探すためにボールパーク中を歩き回っていた。適当な場所でカメラを構えていると係員がやって来て「ここで立ち止まって写真をとっていてはいかん」とか言うので,日本からわざわざミスター・オータニの写真を写しに来たのからちょっとだけごめんね,とか適当なことをいって仲良くなると,快く許してくれるのもまた,アメリカらしいおおらかさである。そこでチップでも出すと,もっといい場所まで連れ行ってくれるのかもしれない。
ナイトゲームは,終了後,数千台,もしくは数万台の車が一斉に駐車場から出ていくことになるから大渋滞を引き起こす,交通制限もかかるから,道に迷う。そこで,私は毎回,ゲーム終了前に早々ボールパークを後にする。ゲームの勝敗なんてまったく興味がない。
8回になる前,ボールパークを後にした。こうして,私は今回の旅で,大谷翔平選手も見ることができて,目的をまたひとつ果たした。これで,今後またアメリカにいくことがあっても,心置きなく,MLBのスケジュールにまどわされることもなく,行きたいときに行きたい場所に出かけて観光ができることであろう。…が,その日はまた来るのであろうか?
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●エンゼルスの大谷翔平選手●
2018年大谷翔平選手がロサンゼルス・エンゼルスに入団した。
私はMLBでこれまで数多くの日本人メジャーリーガーを見る機会があったが,ぜひ見たいと思ったのは,何といってもロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手であった。本拠地ではなかったが,遠征先のミズーリ州セントルイスでの先発を見る機会があって,何とかその夢を実現した。次に見たかったのはイチロー選手だったが,幸い,イチロー選手の属したすべてのチームで見ることができた。
新庄剛志選手,城島健司捕手,ダルビッシュ有投手,前田健太投手なども,偶然も手伝って目の前で見ることができた。松井秀樹選手は現役時代に見ることはできなかったが,ニューヨークのヤンキースタジアムに行ったとき,偶然,引退試合を見ることができた。
そのころの私は,まだMLBにずいぶんと関心があり,しかも情熱があって,思えばよき時であった。
今の私にはまったくMLBに想い入れもなく,わざわざ見にいきたいとも思わなくなってしまったし,普段,テレビでMLBのゲームを見ることもなくなってしまったが,それでも,なぜか大谷翔平選手(投手?)だけは見てみたいものだと思っていた。
昨年(2018年),私がロサンゼルスへ行くという計画をしたときには大谷翔平選手の入団は決まっていなくて,ロサンゼルス・エンゼルスに決まったときは,また私は運がいいなあと思ったものだが,このときは,運悪くエンゼルスは遠征中で,見ることができなかった。
今年(2019年),別にロサンゼルス・エンゼルスの日程は知らなかったが,旅行の日程が決まった後でロサンゼルス・エンゼルスの日程を調べたら,偶然,私がロサンゼルスに滞在するころはホームゲームが続いていた。しかし,昨年のシーズン末に手術をして,復帰できるかとうか,というところであった(らしい)。「(らしい)」と書いたのは,私はMLBにほとんど興味がなくなっていたので,詳しい情報を知らなかったからである。私は,見にいく予定のゲームに大谷翔平選手は果たして出場するのかしらん? とかなり懐疑的であった。まあ,見ることができれば幸運だ,程度に思っていた。
大谷翔平選手は1994年生まれというから25歳である。私がこの旅のあとで行った奥州市の出身で,投手でありかつ打者,つまり,このふたつを本格的に両立する「二刀流」である。「二刀流」などという居合抜きのようなプレイヤーを私はこれまで知らないから,どうやってやるんだろうと思っていた。
高校生時代は,甲子園の通算成績は14回を投げ防御率3.77,16奪三振。野手としては2試合で打率.333,1本塁打ということである。
日本のプロ野球だけでなくメジャーリーグ球団からも注目され,本人は高等学校卒業後にメジャーリーグへの挑戦を表明したことは知っていた。しかし,北海道日本ハム・ファイターズがドラフト会議で1位指名をすると公表し,私はイランことをするバカな球団だと思った。何を言おうがどんな事情があろうが,北海道日本ハム・ファイターズの自分勝手,金儲けの口実にすぎない。そんなことは,野茂英雄投手が裏切り者同然で日本の野球界を去ったことを思えばわかる。みんな自分勝手なだけだ。北海道日本ハム・ファイターズの会議室で重役やスカウトたちが何を話していたか絵に描いたようにわかる。
いろんな条件をつけて言いくるめ,その結果,かわいそうに,大谷翔平選手は,2013年から2017年までの5年間を日本のプロ野球でおくることになってしまった。私は日本のプロ野球にはまったく興味がないので,この5年間のことはまったく知らない。
2017年末,大谷翔平選手は,ポスティングシステムを利用してメジャーリーグに挑戦する事を表明した。そして,ロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表され,背番号は「17」と発表,マイナーリーグ契約を結んだ。2018年スプリングトレーニングに招待選手として参加,オープン戦では投手として2試合で先発登板,打者としても指名打者で11試合で起用されたが,防御率27.00,打率.125,本塁打なしと不振だった。それでもメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りし,開幕戦のオークランド・アスレチックス戦で「8番・指名打者」で先発出場し初打席初球初安打を記録。さらに,オークランド・アスレチックス戦で初登板初勝利した。
この年は打者として104試合(うち代打22試合)に出場し,打率・285,22本塁打,61打点,10盗塁。投手としては10試合に先発登板し4勝2敗,防御率3・31の成績を残し,メジャー史上初の「10登板20本塁打10盗塁」を達成しシーズンを終了した。
私が見にいったのは,その翌年2019年のことである。
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●リニューアルした古いボールパーク●
ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)はメジャーリーグベースボール(MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チームである。2015年まではアナハイム・エンジェルスと称していたが,2016年に球団創設時の名称に戻した。
2010年には全盛期を過ぎた松井秀喜選手が入団,また2018年からは大谷翔平選手が入団して日本での知名度が増した。
本拠地球場はエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム(Angel Stadium of Anaheim)で,場所はロサンゼルスの東南,ディズニーランドの近くなので,日本人が観光で訪れるには最高の場所であろう。
1957年,ニューヨークにあったふたつの名門チーム,ナショナルリーグのブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに,ニューヨーク・ジャイアンツもサンフランシスコに移転し,西海岸にMLBの球団が誕生し,ロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツは初年度から多くの観客を集め,興行的に大きな成功を収めた。
そのため,アメリカンリーグでも西海岸に球団を置くことが検討され,1961年のアメリカンリーグの球団拡張計画に基づき,ロサンゼルスにおける新球団の設置が決定した。新球団の名前はロサンゼルスの地名の由来である「天使=angel」から採られた。
初年度はロサンゼルス・リグレー・フィールドを使用していたが,2年目からはドジャースの本拠地球場であるドジャー・スタジアムを間借りし,1966年にはついにアナハイムにアナハイム・スタジアムが完成した。
こうして1961年,アメリカンリーグの球団拡張によって誕生したロサンゼルス・エンゼルスは,1979年に初の地区優勝を果たし,1982年と1986年にも地区優勝を遂げた。そして,2002年にはワイルドカードでプレーオフに進出し,初のワールドチャンピオンに輝いた。
1997年から2003年までウォルト・ディズニー社が経営に携わっていて,2002年のワールドシリーズ初制覇の優勝パレードはディズニーランドで行われた。
2003年にヒスパニックの実業家であるアルトゥーロ・モレノがオーナーに就任した。モレノはチケット,ビールの値下げ,家族向けの低価格帯グッズの販売などを展開し,ファン層の拡大にも力を注いだ。また,2003年以降は大規模な補強により,2004年以降の6年間に5度の地区優勝を果たしたが,その後は低迷気味である。
昨年2018年は開幕15試合で12勝3敗という好成績を挙げ,1979年以来39年ぶりの球団タイ記録となる好スタートを切ったが,その後チームは故障者続出もあり地区4位に低迷,ポストシーズン進出を逃した。
2019年2月25日,ロサンゼルスタイムズ電子版がエンゼルスの本拠地の移転候補としてロングビーチ市が名乗りを上げていると報じた。その一方で,2020年で現在の本拠地とのリース契約が終了した後もアナハイムに残る選択肢も検討しているという。
私はMLB30チームすべてのボールパークに行ったことがあるが,ロサンゼルスに本拠地をもつ,ナショナルリーグのドジャースとアメリカンリーグのエンゼルスは,ともにボールパークが古い。さすがにリニューアルをしてはいるが,もともとの設計が古いことは変えることができないから,ほかの新しいボールパークに比べたらかなり見劣りするので,本拠地の移転が考えられるのも当然だろう。
このふたつのチームのボールパークは,ボールパークとしてわざわざ訪れるような魅力もないし,私がここで特質することもない。