しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:ローウェル天文台

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 今日は,フラグスタッフにあるローウェル天文台について紹介しましょう。
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 フラグスタッフ(Flagstaff)はアリゾナ州北部に位置する小さな都市で,人口は約5万人です。コロラド高原の南西端に位置し,標高が2,000メートルを超えます。このように,フラッグスタッフは高地に位置し,かつ,乾燥しています。冬を除いては概ね温暖で,青空が広がる日が多いところですが,冬の寒さは厳しいものです。標高が高いために,同じ州の標高330メートルのフェニックスに比べて夏の最高気温は10度以上も低く,摂氏27度ほどです。しかし,乾燥しているため,夜になると夏でも摂氏10度ほどまで下がって冷え込みます。また,冬は日中こそ摂氏4度から摂氏5度ほどであるものの,夜になると氷点下10度を下回ることもあります。
 7月や8月には夕立がよく起きます。年間降雨量は約570ミリメートル,降雪量は270センチメートルほどです。
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 1855年,エドワード・フィッツジェラルド・ベール(Edward Fitzgerald Beale)は,ニューメキシコ州リオグランデからカリフォルニア州フォートテホンへの道を調査していましたが,その道中でこの場所の東端にキャンプを張りました。エドワード・フィッツジェラルド・ベールとその部下は,すぐ側に立っていた松の木から枝を折って取り除き,星条旗を掲げるための旗竿としました。
 市の名まえであるフラグスタッフは1876年にアメリカ合衆国独立100周年を記念して立てられた旗竿に由来しますが,フラッグスタッフに最初の移民が住みついたのは1876年のことです。
 1880年代に入ると市は成長をはじめ,鉄道産業が栄えました。こうして,1886年ごろには、フラッグスタッフはアルバカーキと西海岸との間では最も大きな都市になりました。

 ローウェル天文台(Lowell Observatory)は,パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)によって,1894年に標高の高さと視界のよさからフラグスタッフに設立された天文台です。
 私も見ることができた歴史的記念物に指定されている口径61センチメートル屈折望遠鏡は今も現役で,一般公開されています。61cm屈折望遠鏡は,1896年に20,000ドルの費用をかけて,アルヴァン・クラークによってボストンで製造され,アリゾナまで列車で運ばれたものです。
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 1900年代のはじめ,ウィリアム・ヘンリー・ピッカリング(William Henry Pickering)とパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,天王星の軌道における摂動の分析からその存在が予測され発見された海王星と同じように,海王星の軌道もまた他の未発見の惑星「惑星X」によって乱されていると推測し,そのような惑星が存在する可能性のある天球座標をいくつか提唱しました。
 1905年,ローウェル天文台ではこの「惑星X」を捜索するプロジェクトを開始,プロジェクトはパーシヴァル・ローウェルが1916年に死去するまでの11年間続けられましたが,見つけることはできませんでした。
 ローウェルの死後の1929年,プロジェクトが再開されることになって,当時の天文台長であったヴェスト・スライファー(Vesto Melvin Slipher)がクライド・トンボーにこの仕事を預けました。クライド・トンボーは,ローウェル天文台の口径33センチメートルの天体写真儀で空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影し,その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行いました。そして,撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果,ついに,1930年2月18日,同年の1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけました。これが冥王星です。

 私はフラグスタッフというところにぜひ行ってみたかったことと,できればローウェル天文台を見てみたいとずっと思っていたのですが,2019年,やっとその念願がかないました。これもまた,今ではかなり幸運なことでした。それは,1年遅れていたら行くことができなかったからです。
 行くまでは,いろいろ調べても,ローウェル天文台がどのように公開されているのか,行けば見学できるものなのか,まったく見当がつかなかったのですが,気軽に中に入って,思う存分見学し,夜は天体観測会にも講演にも参加できるものでした。ここは,市民のための天文台でした。
 私は,冥王星を発見した望遠鏡に,何と,触れることまでできたのが,今では夢のような出来事です。
 星好きにはたまらない素朴な田舎町であるフラグスタッフは,私が住んでみたいアメリカの数少ない町のひとつです。


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●クライド・トンボーと冥王星●
 クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は,1906年に生まれ1997年に亡くなった天文学者である。1930年に冥王星を発見した業績で知られている。
 トンボーはイリノイ州のストリーターで生まれ,高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが,そこで農場が雹で壊滅し大学進学を諦めざるを得なかった。しかし,彼は独学で学問を続け,1926年にはじめて天体望遠鏡を自作,その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いたという。
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 トンボーは,ローウェル天文台で台長のヴェスト・スライファーのもと,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わった。
 新惑星の探索は,撮影時刻の違う同一星野を見比べ,動きがある星はないかを確認することだった。ローウェルが9番目の「惑星X」があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,1930年2月18日についに「冥王星」と名づけられることになる新惑星を発見した。
 トンボーはのち,カンザス大学に入学,修士号を取得し,再びローウェル天文台に戻った。トンボーはローウェル天文台での観測で,数百の変光星,800近い数の小惑星,2個の彗星のほか29,000にも及ぶ銀河を発見している。
 第二次世界大戦中はアリゾナ州立大学でアメリカ海軍に航法を教えたが,戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は,ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で働いたのち,ニューメキシコ州ラスクルーセスのニューメキシコ州立大学で教員を務めた。
 彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体探査機ニュー・ホライズンズのコンテナに納められ,冥王星に到達した。

 1928年から1929年にかけて,パーシヴァル・ローウェルが考えた太陽系の9番目の惑星の名前である「惑星X」の探索をする目的で使われ,のちに冥王星を発見することになるのが,口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀である。また,この望遠鏡のドームは,1896年に24インチ(61センチメートル)望遠鏡ドームのために考案したのと同じ基本計画に従って,楽器メーカーのスタンリー・サイクスによって,1928年に設計され建設されたものである。
 望遠鏡とドームを作る主な資金は,パーシファル・ローウェルの弟であり,ハーバード大学の学長アボット・ローレンス・ローウェルから贈られたものである。
 この写真儀は14インチ×17インチ(35センチメートル×42.5センチメートル)のガラス乾板をもち,約1時間の露出で写真を撮影し,写された写真はコンパレータを使用して精査された。なお,ガラス乾板は現在ワシントンD.C.の航空宇宙博物館に貸し出されている。
 
 「惑星X」の発見後,ヘンリー・ギクラスが同じ13インチ天体写真儀でこの天体の運動を調べた。また,「惑星X」の発見に加えて,この13インチ天体写真儀はローウェル天文台の天文学者によって,彗星や小惑星,測定可能な適切な動き(角度運動)を持つ星を研究するためにも使用された。13インチ天体写真儀は,のち,天文台の別の場所アンダーソンメサに移されたが,1990年代初頭に再び現在の位置に戻された。この冥王星を発見した13インチ天体写真儀は今も一般の関心を集め,世界中から10万人の訪問者がやってくる。私もそのうちのひとりである。
 13インチ天体写真儀とドームは1920年代後半に創設されてから90年経ち,ドームの一部の部分が腐り,望遠鏡の部品の一部が摩耗し,他の部分は洗浄または剥離して再塗装する必要があったので,近年修復された。修復には,まず,望遠鏡をこの場所から撤去し修復,そしてドーム内の構造工事と展示の改修,ドームの修理が行なわれた。ローウェル天文台の技術スタッフは,ドーム材の一部を交換し,施設全体を耐候性にする計画を立てた。また,望遠鏡の制御機構,写真乾板ホルダー,その他のアクセサリーの修理や清掃も行った。望遠鏡とドームの改修には155,000ドルの費用がかかったという。

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●パーシヴァル・ローウェルと火星●
 パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,1855年に生まれ1916年に亡くなったボストン生まれの天文学者だが,同時に日本研究者でもあった。ボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学んだ。もとは実業家だったが,火星に興味をもって天文学者に転じ,私財を投じてローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込んだ。
 ローウェルは天文台の建設地としてアリゾナ州フラッグスタッフという天体観測に最適な場所を見出し,天文台は惑星研究の中心地となった。ローウェルは,フラグスタッフの地を見つけるまえに,日本に天文台を作ろうと候補地をさがしていたが,日本のシーイングの悪さが原因で断念した。
 ローウェル天文台の口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡を「クラーク望遠鏡」という。この望遠鏡は世界で最も歴史のある望遠鏡のひとつである。1895年ローウェルはマサチューセッツ州ケンブリッジポートのアルヴァン・クラーク&サンズに最先端の24インチ屈折望遠鏡の建設を依頼し,1896年に20,000ドルの費用をかけて製造され,アリゾナ州まで列車で運ばれた。ローウェルはこの望遠鏡を使って火星の知的生命に関する理論を進め世界的な注目を集めた。
 しかし,ローウェルの最大の業績は,最晩年の1916年に9番目の「惑星X」の存在を計算により予想した事である。実際,1930年にその予想に従って観測を続けていたクライド・トンボーにより「冥王星」と名づけられる「惑星X」が発見された。今,ローウェルは24インチ屈折望遠鏡のドームの脇の廟に眠っている。

 火星は今でこそ探査機が訪れ,詳しく研究される時代だが,そうしたことができなかったその昔,この惑星は興味津々の対象であった。火星に運河が存在する,そしてまた,火星人がいるということが信じられたことがあった。
 ローウェルの生きた19世紀後半から20世紀前半,火星には運河が存在すると信じられていた。「運河」とされたのは初期の低解像度の天体望遠鏡によって眼視によって観測された火星の赤道付近の地域にある網目状の長い直線であった。「運河」は,1877年イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリ(Giovanni Virginio Schiaparelli)がミラノ天文台の口径22センチメートルの屈折望遠鏡での観測ではじめて記述された。スキアパレッリは火星にあるこうした線を「溝」(canali)とよんだのだが,これが「運河」(canals)と英訳(誤訳?)されてしまったのだ。ローウェルはその影響を受けて,運河は火星の知的文明によって灌漑のために開削されたというスキアパレッリよりもさらに踏み込んだ考えをもち,火星人の存在を唱え「Mars」など火星に関する著書を書いた。しかし,スキアパレッリ自身は,ローウェルのスケッチの細部はほとんどが想像上のものと考えていた。
 また,運河の存在が転じて,火星人の存在が話題となっていって,イギリスのSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)が1897年に発表した小説「宇宙戦争」(The War of the Worlds)に登場したタコのような火星人のイメージが世間に定着した。
 ローウェルの死後のことだが,1938年ハロウィーンの特別番組としてアメリカのラジオ局が「マーキュリー放送劇場」(The Mercury Theatre on the Air)を放送した。ウェルズの「宇宙戦争」に基づいたものだったが,この番組は,音楽中継の途中に突如として臨時ニュースとして火星人の侵略が報じられるという体裁になっていて,物語の舞台がアメリカに実在する地名に改変されていた。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ,実際の火星人侵略が進行中であると信じさせたのは有名な逸話である。
 また,クラーク望遠鏡で行われた観測に基づくローウェルの著作は,ロケットの専門家ロバート・ゴダードやSF作家のH・G・ウェルズにも影響を与えた。

 後年,24インチ屈折望遠鏡は惑星や月,彗星などの研究に利用され,V・M・スリッファーは24インチ屈折望遠鏡を分光器と組み合わせて使用して,宇宙の膨張に関する革命を起こした。
 また,1960年代,アメリカの月への有人飛行を支援するために,24インチ屈折望遠鏡を使用して月の詳細な地図が作成した。アポロ宇宙飛行士はこれらの地図を研究し,月に行くための訓練の一部としてクラーク望遠鏡を使用した。
 1980年代になると,24インチ屈折望遠鏡の主な用途は教育利用に変わった。それ以来,200万人以上の一般の人が昼間に行われるツアーに参加したり,夜間の天体観測に訪れるようになった。2014年から2015年にかけて,120年前に作られたクラーク望遠鏡は修復され,すべてのナットとボルトが洗浄され大規模な修復を受けたほか,内側と外側に新たに塗装が施され,今日の姿がある。

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●ローウェルが設立した天文台●
 「化石の森国立公園」から戻って,次にローウェル天文台に向かうことになった。これをもって,念願のフラグスタッへ来て,観光1日目にして,私はここに来た目的のすべてを達成することになる。
 旅慣れてくると,こうした要領がよくなってくるのだが,それはそれで,次第にときめきもなくなる。何も知らなかったころは驚きの連続で,どこまでもまっすぐに続く道を走るだけでも感動したものだが,それもあたりまえになってしまった。このごろは,アメリカを旅行しても,数日間東京に行ってきたのと違いがないみたいになってきた。帰国した後で,本当に行ってきたのかという実感すら乏しくなってきたのが,さびしい限りである。

 インターステイツ40を西に走ってフラグスタッフまで戻ってくると,オールドルート66という茶色の道路標示があったので,そのジャンクションでインターステイツを降りた。
 アメリカでは,観光名所の案内標示はすべて茶色で統一されているからわかりやすい。フラグスタッフの町はメインロードがオールドルート66が走っていたところなのだ。
 オールドルート66はダウンタウンを西に進んでいくと突き当りを左折していくが,その交差点を左折せず直進すると狭い道になって,そのまままっすぐに進んで行くと坂道になる。その坂を登っていくとその先にあるのがローウェル天文台である。ローウェル天文台のシンボルである口径24インチ屈折望遠鏡の収められた白いドームは坂の下からも見ることができる。
 ここに来るまで不安だったのが,果たしてローウェル天文台は自由に見学することができるのだろうか? 念願だったクラウド・トンボーが冥王星を発見したという望遠鏡は見ることができるのだろうか? ということであった。ネットで事前に調べた限りでは,朝から夜まで終日一般に公開されているらしいのだが…。

 ローウェル天文台(Lowell Observatory)は,1894年パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)が私財を投入して設立した天文台である。現在はローウェル天文台財団(Lowell Observatory Foundation)が運営している。歴史的に有名なローウェルが使用した口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡と,クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)が冥王星の発見に使用した口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀があり,ともに一般を対象として公開されている。
 私は,トンボーが冥王星を発見した天体写真儀をこの目で見たくて,この天文台に足を運んだわけであるが,むしろ一般に有名なのは,ローウェルが火星を観測したほうの24インチ屈折望遠鏡で,こちらの望遠鏡のほうがさまざまな本に紹介されている。日本人がこの天文台に行ってブログなどに載せている望遠鏡もほとんどがそちらのほうである。この後で詳しく書くが,私が実際に参加した天文台のガイドツアーも,ローウェルの使用したほうの望遠鏡がメインだし,予備知識がないと,トンボーが使ったほうの13インチ天体写真儀はうっかり見逃してしまうかもしれないから,わざわざこの地を訪れて,ローウェルの使った望遠鏡だけを見学してきた人も少なくないと思われる。

 ローレル天文台に行く坂道の途中に展望台があって,そこからフラグスタッフの町を一望することができた。さらに進んでいくと天文台の門があって,それを過ぎると,その先に広い駐車場があった。結構多くの車が停まっていたが,スペースを見つけて車を停めた。天文台の入口まで歩いていって中に入った。
 扉を開けるとそこに受付があった。見学料を払うと,この日に行われているイベントにすべて参加できるということであったので,さっそく料金を払った。ちょうどガイドツアーがちょうどはじまったところで,受付のとなりの小部屋でレクチャーをしていたので,私も参加した。参加者は十数人といったところだった。レクチャーではビデオを見ながら天文台の説明をしていた。私はものすごく興味があったからとても楽しく聞き入っていた。やがてレクチャーが終わると,いよいよウォーキングツアーがはじまった。

星空の四季 1966年から1986年までの20年くらいの間は,私のような星好きの子供たちにとって夢のような月日でしたが,それが終焉を迎えたのは,おそらくハレー彗星のころだったように思います。
 ハレー彗星で大騒ぎをし,望遠鏡が売れに売れ,その結果,ただでさえ小さな望遠鏡会社が出来もしない増産をするために過剰な設備投資をした(させられた)のです。それ以降も天文ブームが続けばいいのですが,ハレー彗星も,接近する前からわかっていたのにもかかわらず,商売上過剰な期待を抱かせたために,その反動で,まったく見えなかったこととその後の不景気も手伝って星への興味も失せ,望遠鏡会社が軒並み倒産したのです。

 当時に比べて現在は,学問としての天文学は飛躍的に進歩しましたが,アマチュアの星好きには,夢がなくなりました。それに加えて,天気が悪く空の明るい日本では,どこへ行っても星がほとんど見えません。これで,子どもたちに星に興味を持てといっても無理があります。近くにある書店に毎月並ぶ天文雑誌ですが,残念ながら,1冊として売れていたことがありません。望遠鏡だって,おそらく,ほとんど売れないでしょう。
 これまでずっと星好きだった私は,本当の星空を見たいときはオーストラリアに出かけます。普段は,家の近くで,もっぱら彗星の写真を写していますが,それにしても汚い日本の夜空です。それでも,現在の技術,つまり,ディジタルカメラなどを使えば,1980年代では夢だったくらいの水準の写真なら簡単に写せますから,その程度で満足,というか,満足するしかないのです。そうしたときに参考となるのは,そしてまた癒しになるのは,当時出版された夢のいっぱい詰まった本なのです。

 以前,ブログに,星好きの「バイブル」として3冊の本を取り上げましたが,その当時,毎日のように手に取って眺めていた本であればあるほどどこかに行ってしまって見つからないか,あるいは,ボロボロになってしまっています。しかし,そうした本の多くは,ネットで探してみると,ずいぶんと安価に古書が手に入るのです。
 そこで,星好きの「バイブル」の続編として,そのような本からいくつかを紹介してみたいと思います。
 今日取り上げるのは「カラーアルバム 星空の四季」です。家じゅう探しても見つからなかったこの本を,ただ同然で再び手に入れました。送られてきた本は,発売から30年も経っているというのに,ほどんど新品であったのに驚きました。
 私がこの本を思い出したのは,この2019年6月末に出かけたアリゾナ州のバリンジャー隕石孔がきっかけでした。この本のなかに,著者である藤井旭さんが,バリンジャー隕石孔(この本には「アリゾナ隕石孔」と書かれています)に座っている写真があったなあということを覚えていたからです。入手した本で改めて探してみると,私が覚えていたその写真だけでなく,フラッグスタッフにあるローウェル天文台の写真もたくさん載っていました。
 こうした場所が私の原風景となって,今でも強く記憶に残っているのですが,今,この本を読みなおしてみると,憧れだったそうした場所に実際行くことができたという喜びが湧いてくるのです。 

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化石の森国立公園からフラッグスタッフに戻って,待望のローウェル天文台に行きました。
ローウェル天文台はフラッグスタッフを見下ろす高台にあって,オールドルート66を西に向かて走っていくと,天文台のドームは街中からもよく見えました。オールドルート66が南に左折する交差点をそのまま直進すると,ローウェル天文台に登る道になります。そのまま登っていくと展望台があって,そこの駐車スペースに車を停めて眼下を見れば,フラッグスタッフの街が一望できました。
道路はさらに進んでいって,ローウェル天文台の門を越えると,広い天文台の駐車場に到着しました。
私は,3月に行ったオーストラリア・シドニーにあるシドニー天文台のような博物館を予想していたのですが,ここはもっと大きくて,今でも現役。また,多くの人に天文を啓蒙する施設となっていました。
受付で入館料を払うと,ちょうど施設見学ツアーがはじまったところで,そのツアーに参加することができました。

1855年に生まれ1916年に死んだパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)はボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学びました。ちょうど火星観測熱が当時高まっていたころのことで,私財を投じてこのローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込みました。ローウェルはここローウェル天文台に眠っています。
このローウェル天文台で冥王星を発見したのがトンボ-です。1906年に生まれ1997年に亡くなったクライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は1930年冥王星を発見した業績で特に知られています。ローウェル天文台に勤務して,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わり,ローウェルが予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,前月に撮影された写真と比べて動きがある天体があることに気づき,それが9番目の惑星であると確信したのです。
その時に使われた望遠鏡が整備されて,今もその姿を見ることができます。

天文台のツアーには,トンボ-が冥王星を発見した望遠鏡は含まれていませんでしたが,午後6時30分からこの望遠鏡のドームが公開されるということだったので,私は楽しみに待ちました。やがて時間になってドームのドアが開き,私は待望の望遠鏡を見ることができました。見学者は私だけで,ガイドの若者からいろんな説明を聞きながら,この歴史的望遠鏡の姿に感動しました。
このように,この望遠鏡は公開されていますが,見ることができる時間が限られていたので,それを見ることができたのは,いつもながら幸運なことでした。
もう少し時間が経って日が沈んで星が見えだすと,天文台の公開用の望遠鏡で木星を見ることができました。また,レクチャールームでは惑星の説明を聞くことができました。
こうした施設に行っていつも思うのは,平日だというのに多くの人が訪れて,熱心に難しい話を聞いている姿です。おそらく日本でこういうことをしてもほとんど人が集まらないでしょう。日本人は本質的に学問というのは生活とは無縁の存在なのです。勉強というのはテストで点を取って人と比べるだけのものだと幼少期からそう育つからです。

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