今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀。そもそも,織田信長なんてパワハラの権化みたいな人物だし,豊臣秀吉だって成金の野党であり,信長のゴマすり。なのに,明智光秀が悪者とされていたこと自体,歴史が権力者の都合で語られていることの象徴です。もし,自分が日本の歴史上最悪の時代であった戦国時代に生きていたにとしたら,おそらく農民だっただろうし,万一武士であったのなら,あんなパワハラ上司に仕えるのは今以上に大変だっただろうに,なぜか,多くの人は権力者を称賛するのです。ということで,この先,この時代がどのように庶民の側から描かれるかが,私には興味あります。
ところで,明智光秀という人物の生涯はわかっていないところだらけだそうで,どこで生まれたのかも諸説ある。その中のひとつの候補として,明智荘があって,ここにある天龍寺というのが明智家の菩提寺。といっても,菩提寺になったのは昭和だそうなので,そのすべては作り話なのですが,ともかく日本の旅はこころでするものだから,そうした場所を歩きながら昔を夢見るのも悪くありません。
旧中山道の伏見宿から南に30分ほど歩いて行くと,小高い山が見えてきました。そこが明智城跡でした。そのふもとに天龍寺があって,まず,天龍寺に寄って,そのあと,明智城跡に登りました。山の上からは,かつて明智荘とよばれていた場所がよく見えました。
大河ドラマで明智光秀が決まってから急ごしらえで整備された場所だそうですが,おそらく,もう数年もすれば,だれも来なくなってしまうことでしょう。私の出かけた日は平日とはいえ,結構多くのお人が来ていました。本当に〇〇ブームというのが好きな人が多いものです。それでも,さすがに,オーバーツーリズムとまではいかないので,のどかな田園地帯には違いがありませんでした。
この場所は結構不便なところで,公共交通で行こうと思えば,私が出かけたように,岐阜駅から名鉄のローカル線に揺られて行って,明智駅から30分近く歩くしかありません。ということで,多くの人は車でやってくるのですが,この国では車でいわゆる観光地なんて出かけても,何も楽しいことはありません。
私は,帰り,明智駅に着いたとき,時刻表を見ると運よくあと1分ほどで電車が来る時間だったので,幸運だと思いました。ところがいっこうに電車は来ません。もう行ってしまったのかな,とがっかりしました。次の電車は30分先。しかも,周りにはなにもありませんでした。とそのうち,5分ほど遅れて電車がやってきました。
こうして,家からさほど遠い場所でもないのに,ずいぶんと遠くに出かけたような楽しい半日を過ごすことができました。次回は今回行くのをやめた伏見宿から西に太田宿まで歩いてみたいと思っています。
ちなみに,今回行ったのはかつては明智荘といわれた場所ですが,明智というのは現在は地名ではありません。ところで,数年前の朝ドラ「半分,青い。」の舞台は岐阜県岩村町で,そこを通る鉄道こそ「明知」鉄道,しかも,終着駅は「明知駅」ではなく明智町の「明智駅」です。私はお恥ずかしい話,今回調べてみるまで明知と明智ふたつの漢字があるのを知らず,また,今回行った可児市と岩村町の明智を混同していて,同じだと思っていました。
こちらの明智町は,かつて岐阜県恵那郡にあった町で,2004年の合併により恵那市となって自治体名としては消滅しましたが恵那市の町名として明智町が設定されました。恵那郡明智町は鎌倉時代の1247年(宝治元年)に「明知」遠山氏の始祖である遠山景重が「明知」城(通称白鷹城)を築城し,一族は本拠の岩村城と苗木城,明知城を中心に現在の恵那市・中津川市にかけての地域を治めていました。ここの地名はもともとは「明智」だったのですが,江戸時代に「明知」に改められ,昭和の合併で「明智」に戻りました。
というわけで, 明智光秀の出身地は,恵那郡明智町なのか,私が今回行った可児市の明智荘のあった場所なのか,そのどちらかで議論になっているということです。
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中山道を歩く。-ローカルムード一杯の御嶽宿から伏見宿②
御嶽宿から北東,つまり,江戸に向かうと,12キロメートル宿場がなく,険しい山道の峠越えになります。ここは今でも自動車道路がありません。その先が細久手宿,そして,大湫宿です。
大湫宿から先は歩いたことがありますが,私の感覚ではJR中央線の沿線なので,まったく別の場所のような気がします。つまり,御嶽宿と細久手宿の間がタイムトンネルのような感じで,このふたつの宿場はまったく別の場所なのです。旧中山道沿いのこの間には有名な大黒屋という今も営業している宿屋があって,外国人にも人気です。私もいつか泊まってみたいものだと思っています。
さて,私は,今回はその反対方向,西に向かって御嶽宿から伏見宿をめざして歩きはじめました。
御嶽宿は願興寺の門前町として栄えました。28軒の旅籠があり人口は600人ほど,東に向かう険しい山道を控えて多くの旅人が逗留しました。
御嵩町の立派な図書館の2階にこれもまた立派な郷土館がありました。なかなか充実した展示でした。こうしたものを見ると,その町の文化水準がわかりますし,御嵩町が旧中山道の宿場町としてのプライドをもっていることを実感しました。
さて,ここからは県道341号線が国道21号線を取り巻くようにして並走したり吸収したりしていて,その道が旧中山道となります。その南には私が乗ってきた名鉄の線路も並走しています。
旧街道沿いには,鬼の首塚とか一里塚とか願戸城跡とかいったもの以外,ほかに特に何があるというわけでもないのですが,のどかな道路に沿って歩きます。
ずっと平坦なので,江戸時代はまわりに田畑が広がり,さぞ気持ちのよい歩きだったことでしょう。
そのうちにやがて町が見えてきました。そこが伏見宿でした。伏見宿というのは明智町。しかし,明智宿とはいわず伏見宿でした。伏見宿は本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠29軒。もともとは間宿だったのですが,木曽川の渡しの場が移動して土田宿が廃宿となったために1694年(元禄7年)に新設されたものだそうです。新設された宿場は大きく発展することはなく,1848年(嘉永元年)に本陣をはじめ26戸を焼失する大火が発生しましたが本陣は再建されることなく明治維新を迎えました。
伏見宿はペルシャ産のラクダが伏見宿内の旅籠「松屋」に滞在したという記録で有名な宿場です。オランダ商人が幕府にラクダを献上しますが,幕府は受け取りを拒否。ラクダは興業師にわたり,1824年(文政7年),興業師が病気になったために3日間伏見に滞在。このとき2,000人がラクダを見に集まったとかいうお話です。
伏見宿は特になにもなく,旧街道の面影もそれほどなく,当時の宿場の中心あたりに中山道ゆったり伏見宿という休憩所があるだけでした。休憩所の中にはいると,初老の女性が番をしていました。お菓子をいただきコーヒーをご馳走になり,しばし休憩しました。
もともとは,中山道ゆったり伏見宿からさらに西に8キロメートルほど歩いて太田宿に向かい,太田宿のある美濃太田駅からのJRの高山線に乗って岐阜を経由して帰るつもりでしたが,今回は明智へ寄り道するために変更して,南の方向に歩くことにしました。
中山道を歩く。-ローカルムード一杯の御嶽宿から伏見宿①
先日,静岡県の旧東海道蒲原宿と愛知県二川宿へ行ったばかりですが,今度は,旧中山道の御嶽宿から太田宿まで歩くことにしました。
旧中山道といえば,長野県というイメージがあるのですが,長野県から岐阜県,そして,滋賀県を通ります。ところが,愛知県に住む私には,岐阜県を通る旧中山道が謎に包まれていて,どこを通っているのかよく知りませんでした。そこで,この辺りを探索してみることにしたわけです。こうした旧街道歩きをしている人も少なくないのですが,書かれたものを読んでいても実感がなく,やはり自分の足で歩くに限るのです。
いつも書いているように,だからといって日本に大して美しい風景があるわけでもなく,観光地でもないのですが,そうした場所を歩きながら昔の姿を想像するのも悪くないものです。なにせ,私の嫌いな人混みがないし,お金がかかりません。
以前,旧中山道は岐阜県の土岐のあたりから北東へ落合宿までと,大垣市の北の赤坂宿から関ヶ原宿あたりまでは歩いたので,その間も歩いてみようと思いました。最寄りの駅を調べてみると,名鉄電車の各務原線,広見線と乗り継いで御嵩駅で降りて,そこから引き返す形で西に向かって歩くとよさそうでした。しかし,岐阜から西に走る名鉄電車のローカル線なんて,学生時代に鬼岩公園とやらに行ったっきりそれ以来乗ったことがありません。
さらに調べてみると,どうやら旧中山道というのは,JRの高山本線と今回利用しようと思った名鉄の各務原線と広見線,そして,国道21号線にそって存在していたことがわかりました。
私は寒いのは苦手でなく,むしろ汗をかかないので,冬は旧街道歩きにはもってこいなのです。
そうしていろいろと調べているころ,今年はじまったNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀にちなむところということで,明智荘と明智城を紹介していました。で,どこかなと地図を見ると,なんと私が歩こうと思っていた場所の近くではないですか。
そこで,御嶽宿から太田宿まで歩くのを変更して,御嶽宿から途中の伏見宿,そこから南に旧中山道を逸れて,明智へ行ってみることにしました。
しかし,こうした場所はテレビで取り上げられただけで多くの人が押しかけるので,ちょっとどうかな,という気持ちがなかったわけでもないのですが,まあ,平日のことゆえ,たいしたこともあるまい,と楽観しました。
早朝,名鉄電車に乗って岐阜駅に着きました。ここで各務原線に乗り換えるのです。乗り換えたら急にローカルムード一杯になるのがまた,日本です。というか,周りが急に昭和にタイムスリップしてしまうのです。電車は各駅停車で,かつ,数えるのがいやになるほどの駅があるので,たいした距離でもないのに,いつ着くのか不安になるほどでした。
私は岐阜駅から御嵩駅までの直通の電車があるものだと思っていたのですがそうではなく,途中,新可児とかいう駅で乗り換える必要がありました。しかも接続がわるく30分待ちでした。それに加えて,新可児駅からはICカードが使えない…!
待ち時間にすることもないので,一旦駅を出て,近くの可児市の市民センターのようなところへ行きました。その建物のなかに観光案内所があったので地図をもらいました。
やがて,電車が来たので乗車しました。車内には数えるほどの私のような暇な乗客が,どうやら明智を目指して乗っていました。私も帰りに明智に行くのですが,私の目的はあくまで旧中山道歩きであって,明智がブームだからそこに行くというミーハーではありません。というのは自己弁護です。
さて,御嵩駅に着きました。このさびれた駅舎,最高でした。遠出をしたわけでもないのに,旅情たっぷりでした。御嵩の駅前から旧中山道の御嶽宿が当時のままの雰囲気で残っていました。これもまた最高でした。安藤広重の描いた「木曽海道六拾九次」では,御嶽では宿場の中ではなくその東の細久手宿から御嶽宿に至る街道沿いの木賃宿をモチーフにしています。木賃宿というのは薪代のみを支払い食事は自炊する簡易な宿泊施設のことです。囲炉裏を囲み旅の疲れを癒しながら談笑する旅人たちの会話が今にも聴こえてきそうな様子が描かれているといいます。この図柄のモデルになったと推測される場所は御嵩町謡坂ではないかといわれています。
宿場の様子は,ほかのブログに譲ってここで詳しくは触れません。ともかく,私はいつもの通り,御嶽宿の端まで行って,そこから西に,次の伏見宿まで歩きはじめました。















