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2024年5月11日,NHK交響楽団第2010回 定期公演 Aプログラムを聴きました。
4月の定期公演は,天童市の人間将棋に行ったので,パスしましたが,このときのメインプログラムはブラームスの交響曲第1番でした。風のたよりでは,何がしかのことが起き,賛否両論だったということなので,聴いてみたかったな,と少し思いました。
今回の指揮はファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さん,曲目は,パンフィリ(Riccardo Panfili)の「戦いに生きて」(Abitare la battaglia)の日本初演と,「ローマ三部作」であるレスピーギ(Ottorino Respighi)の交響詩「ローマの松」(Pini di Roma)「ローマの噴水」(Fontane di Roma)「ローマの祭り」(Feste Romane)でした。
イタリア中部の都市テルニに生まれたパンフィリの管弦楽曲「戦いに生きて」は,2017年にフィレンツェ5月音楽祭管弦楽団の委嘱で作曲され,ファビオ・ルイージの指揮で世界初演されたものです。
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弦楽器の弱音によるかすかな響きに雫を落とすようなハープの音からはじまり,曲が進むにつれて時折襲う激しい音の波やティンパニの悍ましいほどの厳しい刻みが「戦い」をイメージさせ,厳選された音の集積によって私たちを包み込む響きの美しさとその和声的な美から滲み出る秘めたる意志,そして,最後に悲壮的な美がもたらされる。
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という曲だそうです。
私には,「戦い」が終わった安らぎよりも,敗北感としか思えませんでしたが…。救いがない曲でした。こういう,はじめて聴く曲をどう受け入れるのか,いまもって私はよくわかりません。事前にYouTubeなどから探して聴きこんでくるほうがいいのか,そういう予備知識なしで初対面で聴くのがいいのか…,いつも困るのです。そして,どう受け止めればいいのかわからぬまま,消化不良で終わってしまいます。そして,音楽を聴くということがどういうことなのか,音楽を楽しむというより,忍耐をためされているのだろうか,と考えてしまいます。はたして,演奏する人たちはどう思っているのでしょうか。
さて,今回のメインである「ローマ三部作」です。
ボローニャ生まれのレスピーギは,1913年にローマに移住し、この地を活動の拠点とし,「ローマ三部作」とよばれる「ローマの噴水」を1916年に,「ローマの松」を1924年に、「ローマの祭り」を1928年に作曲しました。
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●「ローマの松」
ローマの4つの歴史的名所に立つ松を主題とします。何世紀も生き続ける松の木を前に,古代ローマへと想像の羽は広がり,荘厳な古代世界が音楽によって表現されるというものです。
〈ボルゲーゼ荘の松〉では,17世紀初頭に建造されたボルゲーゼ荘の庭園で子供たちが遊んでいる様子を,チェレスタ,ハープ,ピアノを加えた輝かしい響きで描きます。
〈カタコンブ付近の松〉では,古代ローマで迫害された初期キリスト教徒の地下墓所であるカタコンブから聞こえてくる祈りの歌を,グレゴリオ聖歌に由来する旋律を用いて表現します。
ピアノの分散和音に続くクラリネットの旋律で幕を開ける〈ジャニコロの松〉では,ローマの街を一望できるジャニコロの丘に立つ松が月明かりに浮かび上がり,幻想的な響きの中から,最後にナイチンゲールのさえずりが聞こえてきます。
夜明けのアッピア街道に立つ松を表す〈アッピア街道の松〉では,低い弱音の刻みの中から,イングリッシュ・ホルンの異国的旋律が漂い,古代ローマの世界に入り込んでいきます。街道を行進する古代ローマ軍が次第に近づき通過していく様が,オルガンやバンダとして指定された金管楽器の堂々とした響きによって蘇るのです。
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●「ローマの噴水」
夜明けから夕暮れまで刻々と変化する日の光を反映した水の幻想的美しさを表しているローマの噴水に施された神々の彫刻が,水と一体となって想像の世界を広げていきます。古い書法と前衛の融合した響きによって,ローマの4つの噴水を表現します。
〈夜明けのジュリアの谷の噴水〉では,夜明けの冷たく湿った霧のなかを羊の群れが通り過ぎる牧歌的情景を表します。
〈朝のトリトンの噴水〉では,ホルンのファンファーレにはじまり、この噴水を飾るトリトンの像が、朝日のなか、水の精ナイアデスと水しぶきを浴びて踊り出します。
〈昼のトレヴィの噴水〉では,ネプチューンの戦車が通過する勇ましさが描かれます。
〈たそがれのメディチ荘の噴水〉では,夕暮れどきの穏やかな自然の音と噴水や鐘の音が溶け合う感覚的な美を映し出します。
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●「ローマの祭り」
ローマの特徴的な4つの祭りを時代を自在に行き来して劇的に描写した作品です。キリスト教と関わりの深い「祭り」の音楽は,アメリカ的な趣味が反映されています。
〈チルチェンセス〉では,古代ローマの皇帝ネロの時代の,猛獣と人間が見世物として決闘した残酷な祭りを描写します。
50年ごとに行われるカトリックの聖年祭〈50年祭〉では,巡礼者たちがローマを眼前にしたときの感慨を賛歌の旋律も援用して表現します。
秋のぶどうの収穫を祝う〈10月祭〉では,前半にホルン,後半でマンドリンによるセレナーデなどの楽器の独奏が華を添えます。
〈主顕祭〉では,主顕祭前夜の祭りの賑やかさを管弦楽法を尽くして描きます。
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当初発表になった曲順は「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」だったのですが,「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭り」に変更になりました。これは,前半の時間と後半の時間のバランスを考えてのことだったように思います。
多くの人が語るように,「ローマの松」が「ローマ三部作」の中で最も充実した曲だといわれています。私もこれまではそう思っていたのですが,今回,実際の演奏を聴いてみたら,「ローマの松」は金管楽器の音が派手すぎて,むしろ,地味だと感じていた「ローマの噴水」が一番いいなあと思いました。「ローマの祭り」に至っては,単なる映画音楽です。実際,「ローマの祭り」を作曲していた当時のレスピーギはアメリカの映画音楽を意識していたということです。とはいえ,「ローマの祭り」で終わるのが,もっとも観客のノリがいいでしょう。特に,ブラボーおじさんには…。
いずれにしても,私は,リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」とか今回聴いた「ローマ三部作」のような,こういった写実主義的な曲のよさがよくわかりません。こころに響かないのです。ということで,私の好みだけで,今回の定期公演は,きっと空いているだろう,と思ったのですが,さにあらず。「ローマ三部作」というのは,すごく人気があるようで,満員でした。こうしたお祭りの出囃子のような音楽が好き,という人が多いんだなあ,というのが驚きでした。
いつもはだれもいない私の周りも,はじめて聴きにきた,というような人が大勢座っていました。リズミカルなところでは体を躍らせたり,本人なりに楽しんでいるようでしたが,私は,クラシック音楽の演奏会では,そういうのは好ましいとは思えません。ブルックナーやマーラーを取り上げる演奏会とは,客層が違うのだなあ,と感じました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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