現地の7月17日,日本では18日午前,アメリカMLBのオールスターゲームがワシントンDCで行われました。
アメリカではオールスターゲームをミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic)といいます。このゲームにはアメリカの子供たち,いや,子供たちにとどまらず,アメリカ人の夢が詰まっているのです。
今年ゲームが行われたアメリカの首都ワシントンDCにあるナショナルズ・パーク(Nationals Park)は,2年前の夏に行きましたが,すばらしいボールパークでした。特に,スタッフが親切なことにかけてはナンバーワンでした。私にとっては,30球団のボールパーク全制覇の最後を飾ったところとしても印象に残っています。
日本のテレビの中継では,ボールパークだけでなく,ワシントンDCの街のさままざまな様子も紹介されていました。おそらく,数年前までならば,私はそれを見て,ずいぶんと感動したことでしょう。しかし…
今の私には,そういった感情をどこかに失くしてしまったのです。それは,ものすごくさびしく,悲しいことです。
日々の生活を楽しく過ごすには,ひとつでも多く感動できるものがあるのが最も健康的なことです。特に,どんなことであっても,それを生業としている人にとってはそれこそが人生であるから,それを見る側も,同化し感情移入し,同じように感動できるのならばそれは最高にすばらしいことです。
それがどうしてしまったことでしょう? おそらく,それは,知り過ぎてしまったからなのです。
このブログは6年目になります。
数年前のものを読み直してみると,今の私とは違って,このワシントンDCのボールパークも,行ってみたいなあというその思いが強かったころは,今から考えると幸せでした。
そして,幸い,2年前にその願いは遂げられたのですが,その結果,私は多くの好奇心と情熱をなくしてしまったようなのです。
ということで,今年は見るでもなく見ないでもなく,なんとなくゲームが写っているテレビを眺めながら思い出したことがあります。
それは,子供のころ,日本のプロ野球のオールスターゲームを見ていたころのことです。
子供心に,オールスターゲームというのは夢のゲームでした。しかし,私が子供のころのオールスターゲームというのは,というよりも,プロ野球というのは,セントラルリーグにくらにくらべてパシフィックリーグといういのは二流半で,テレビ中継もなければ観客もいない,そして,球場もぼろい,という,場末のような世界でした。そしてまた,セントラルリーグというのは読売巨人のためのリーグのようなものでした。
今から思うと,そんなもの,二リーグ制といえるものでないばかりか,お金をとってその対価として人を楽しませるというショービジネスとしては失格そのものでした。
当時の日本というのはそういうものがまかり通っていたのです。
そういう状況の日本のプロ野球がアメリカMLBのマネをしてオールスターゲームを3ゲームもやるわけです。
私は,読売巨人以外のチームから選出された選手が出場するのを楽しみに期待して見はじめるのですが,ゲームがはじまると,レギュラーシーズンと同様に,1塁を守るのは最初から最後までずっと王貞治であり,3塁を守るのは最初から最後まで長嶋茂雄であるわけです。そして,パシフィックリーグのキャッチャーは南海ホークスという,当時大阪難波にあったチームの野村克也であるわけです。
これでは夢も醒めます。
それに加えて,テレビで放送される中継の解説といえば,夢のオールスターゲーム,などというもはどこかにいってしまっていて,ここで決め球を見せれば,シーズンが再開されたときに不利になるだとか,そんな「せこい」話ばかりをしていたわけです。この日のテレビ中継で解説をしていた牛島さんはこの時代になっても同じような話をしていました。日本人ですねえ。
私はすっかり失望しました。
それから歳をとって,いつの日か,私はアメリカのMLBに詳しくなって,それをもとに,ベースボールだけでなく,アメリカのさまざまプロスポーツを知るようになって,どうやら,こうしたプロスポーツというのは,根本的に日本とは違う発想ですべてが成り立っていることに気づきました。
今でも,そういうことを知らない多くの日本人は,アメリカMLBのオールスターゲームの前日にホームランダービーという出し物があって,それは,ただ単に様々なチームから選出されたプレイヤーがホームラン数を争うだけのゲームなのに,けっこう高価なチケットを買ってまでして見に来るというのが理解できないようです。
しかし,アメリカのプロスポーツの本質を知らなければ,その楽しさというのは理解できないことでしょう。
彼らは,ホームランダービーにせよ,オールスターゲームにせよ,それを見ることが目的ではなく,そうしたものを媒体として,たとえればディズニーランドに行ったような,そんな非日常の世界をすべて楽しんでいるわけです。
私もかつては,そうしたことが理解できるようになるにつれて,その楽しさというものが同じように楽しめました。
ところが,今の私は,それを知った上で,それを越えて,そんなことのいったい何が楽しいのだろうかと,すっかり冷めてしまったのです。私にはそれが残念でもあり,悲しくもあり,さびしいのです。
おそらくそれは,私がかかっていた魔法から醒めてしまったからでしょう。
いつの日か,再び魔法にかかって,そうした夢の世界を楽しめる精神状態に戻してくれないものかなあと,なんとなくオールスターゲームを見ながら強く思ったことでした。
◇◇◇
ミッドサマー・クラシックの想い-1995から2014へ
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク①
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク②
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク③
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2016夏アメリカ旅行記-まだ1年,しか経っていないのか!
このアメリカ旅行記を書いているところに行ったのは,今からちょうど1年前のことだから,あれから早くも1年が過ぎようとしている… と書くのが普通だろうが,どう考えても,この旅がわずか1年前のことだと私には思えない。
この旅のあと,私は秋にニュージーランドの南島,その翌年つまり今年の春はハワイのマウイ島,そして初夏にオーストラリアのクイーンズランドと旅をした。ハワイ島に行ったのは前の年つまり昨年の春のことだったが,それまで,私はまともに南十字星すら見たことがなかった。そこで南十字星を見たいとハワイ島に行ってみたわけだが,その時期は南十字星は夜の10時過ぎにならなと地平線から昇ってこないのだった。当時の私はそんなことすら知らなかった。
しかし,すでにブログに書いたように,ハワイ島で南十字星を見ることができて以来,南天の星空に夢中になってしまった。ついに不治の病である「南天病」が発病したわけだ。その後,私は,現在の旅行記で書いている旅でアメリカ50州とMLB30球場制覇という夢を実現したこともあって,急速にアメリカなどどうでもよくなり,南半球の星空の虜となってしまった。
それに加えて,あれほど行きたかったのにずっと行く機会のなかった徳島の阿波おどりにも行ったし,どういうわけか,その後,四国にはさらに2回も行った。佐渡島には行かなかったが,いしかわ動物園でトキも見た。
このように,人は目指す夢が変わると,同時に時の流れの感覚も変わってしまうものらしい。ニュージーランドへ行ったのはまだ数か月前のことで,まだ1年も経っていないというのに,ものすごく昔のことのような気がするのが不思議なことなのである。
先日,クラシック音楽を聴いていて不思議なことを思った。
私の大好きなブラームスの交響曲第4番を聴いていて,まさに終曲を迎えんとしたときのことである。それは,どうして曲はいつか終わってしまうのに演奏なんてするのだろう,ということであった。聴いている人は曲が流れているのを楽しんでいるはずなのに,なぜか心の奥ではその曲が終わるのを待っていたりもするのだ。しかし,このことは,どうしていつかは死んじゃうのに生きているのだろう? という問いと同じことなのだ。
なぜかそんなことを思ったのだった。
そんなことばかりを気にしている,私とさほど歳が違わない友人がいる。そしてまた,巷では終活などに精をだしている人もいる。しかし,そんなことを考えるほど無意味なことはない。なにせ,人生がいつかは終わるという確率は100%なのだ。何かの試験に合格できるかを心配することは確率が100%でないから納得がいくが,確率100%のことをあれこれ思い巡らせていても仕方がないではないか。しかも,年齢とは無関係に確率100%なのである。
そして私は悟った。いつかは終わる音楽を聴くというのは,それを聴いている過程を楽しむためなんだというあたりまえのことを、である。そう考えるしか救いはない。旅もまた,いや,生きるということもまた,それと同様であるはずなのだ。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC⑤
●ワシントンDCの便利な地下鉄●
ホワイトハウスまで行ったので,私はホテルに戻ることにした。どこも観光客が多いことに加え,とても暑くて,しかも歩く距離が長いので,年寄りには堪えるの
だった。
ワシントンDCの移動は地下鉄が便利で,ほとんどの場所に行くことができる。地下鉄は東西を横断するオレジラインとシルバーライン,南北を縦断するイエローラインとブルーライン,そして,北側をUの字に走るレッドラインと東からダウンタウンを通って南に行くブルーラインがある。ただし,車両が色分けされているわけではないから,駅の案内板で行き先を確認して乗り,車内放送などで乗換駅を聞いて降りる必要がある。車内放送はわかりにくいので路線図を片手に駅を見ながら自分の降りる駅を確認したほうが無難だ。
私の泊まっているホテルはオレンジラインとシルバーラインを使えば,最寄り駅であるイーストフォールスチャーチ駅に行くことができるのでとても便利であった。
ワシントンDCの治安は,ダウンタウンの北を東西に横断するUストリートやUストリートを越えた北西のアダムス・モーガン地区,ダウンタウンの南を流れるアナコスティア川より南が悪いと書かれているのだが,それ以外は大丈夫である。つまり,中心街は問題ないということだ。また,観光客が殺人事件に巻き込まれたケースは長い間一件もないということであるが,私はチャイナタウン近くのマクドナルドでさえ,やばそうだ,と感じたから,スリなどはどこでも気を付けたほうがいいと思う。
私は地下鉄に乗ってイーストフォールスチャーチ駅で降り,ホテルまで少し遠回りして,ホテル周辺の町を散策することにした。
郊外の住宅地であるこのあたりは,気の利いたレストランもたくさんありそうだったので期待したのだが,ちょっぴり高級そうなレストランばかりで,どこに入ればよいかかわからなくなってしまった。
ひとり旅をしているときに一番困るのが夕食である。一般に旅慣れている人は複数で旅をすることを嫌う。それは,興味も行動のペースも違うからである。ただし,夕食だけは一緒がいいというのが,ほぼ共通した意見である。
アメリカには,日本と同様にファミリーレストランがたくさんあって,ひとりならファミリーレストランが最も無難である。中華料理店も安くてボリュームがあるが,中華料理店のなかにはテイクアウトを主にしているところも多い。また「パンダエクスプレス」(Panda Express)という中華のファーストフード店もあって,これは,客層はあまりよくないけれど,おなかは満たされる。西海岸には日本料理店もたくさんあるが,日本料理店は中華料理店よりもすこし高級のイメージがある。
ホテルの近くにもそうした店があるのを期待したが,どこも少し金持ち相手のレストランばかりであった。おまけにこの日は金曜日であった。
困ってしまって,結局入ったのはシーフードレストランであった。名前を「チェイスン・テイルズ」(Chasin'Tails)という。ここはバケツ一杯入った生ガキが食べられるというのが売りの店であった。こちらではかなりの評判店なのであろう。
しかし,ひとり客の私が食べられそうなものはなく,結局迷った結果,手羽先もどきのものとパンを食べるはめになった。
面白かったのが座席で,私が案内されたのが夕日の眩しい席であったから,私はその席を変えてもらったら,次に来た客もまた,同じ席を案内されて,その客もまたそれに気づいて席を変更し,また,その次の客が同じようにその席に案内されて,また,変更し… を繰り返していたのだった。なんとアホな店員であろうことか。
手羽先もどきは非常に美味ではあったが,私には,そんなものよりも吉野家の牛丼のほうご馳走に感じられた。
食事を終えて,ホテルに戻ったが,このホテル,私がチェックイン時間以前にあてがわれた部屋に,別の客が,今まさに案内されようとしていたところであった。もし,もう少し遅く帰っていたら,部屋にはカバンがあったからどうなっていたことであろうか? フロントにいた係の女性は,私のチェックインしたのとき係とは別人で,係の女性は私がチェックインしたときに担当した女性の無能さに腹を立てているようであった。なんだか毎度繰り返されているミスのような感じであった。
なお,今日の最後の写真は,前回書いたホテルの廊下にあったスターバックスコーヒーのマシンである。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC④
●35年前の軌跡をたどる。●
私には2度目のワシントンDCであった。前回来たのが1981年のことだから35年前であったが,そのときに行くことができなかったアーリントン国立墓地の海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)に行くことができたから,今日の目的は達成した。
国立墓地を出てメモリアルアベニューを歩くと地下鉄の駅に着いた。このまま地下鉄でホテルに戻ってもよかったのだが,まだ帰るには早かったことと,目の前に1番目の写真のポトマック川を渡るアーリントンメモリアルブリッジがあり,その川の向こうにはワシントン記念塔が見えたものだから,その意外な近さに驚いて,ワシントン記念塔の向こうのナショナルモールに行くことを決めたのだった。
結局,この日,私はナショナルモールをさらに歩いて,ホワイトハウスまで行った。この場所は,ワシントンDC観光の定番コースであり35年前にも同じように歩いたが今回再び歩いた印象は,ずいぶんと古びたなあ,ということであった。これが歳月ということであろうか。
はじめてここに来た時は,この広大なアメリカ合衆国の首都を見て,よくもまあこんな国と戦争をしたものだ,と思った。その印象があまりに強かったものだから,私のワシントンDCの思い出は35年前のままであった。
その時代,アメリカでは大都市の中心部はどこもスラム化が進んでいて治安が悪く,それにもまた驚いたものだった。その後の好景気で,いくつかの都市を除いて,アメリカの大都市は再開発が進み,新しい高層ビルが立ち並ぶようになったが,ワシントンDCのナショナルモールの周辺は35年前そのままの姿であった。ただし,美しかった芝生も枯かけていたり,あるいは修復の工事中だったりした。そしてまた,観光客が異常に多かった。
奈良時代からすでに,日本は大陸の脅威におびえ,それは今も相変わらず同じだが,それに対抗するために,庶民は弥生時代同然の暮らしをしていたのにもかかわらず,巨大な平城京,そして,平安京を作り上げた。今,東京の皇居から霞が関あたりに行くと,やはり,その広大な敷地に驚く。こうした「大きさ」というものこそが「権威」なのであろう。その大きさに人々はひれ伏すのだ。そしてまた,ある人は何か勘違いをし,そうした権威を手に入れようとして一生を棒に振るのだ。
しかし,歴史を学べば容易にわかるように,幸せな人生をおくった権力者などいないわけで,人として最も幸せな生き方というのは,自由をいかに手にいれるか,ということなのだが,そのことが最も難しい。
私は,こうした「権威」を目の前にすると,いつもそうしたことを思う。
さて,今日は,どこにでもある写真であるが,この日に私の写したワシントンDCの観光の定番をご覧ください。
2番目の写真がリンカーン記念館(Lincoln Memorial)である。古代ギリシアの神殿を模した白亜の記念館には椅子に腰かけた5.8メートルのリンカーンの座像がある。この座像には
・・・・・・
IN THIS TEMPLE
AS IN THE HEARTS OF THE PEOPLE
FOR WHOM HE SAVED THE UNION
THE MEMORY OF ABRAHAM LINCOLN
IS ENSHRINED FOREVER
・・
エイブラハム・リンカーンの名声は
彼に合衆国を救われた国民の心と同様
この神殿に永遠に秘められる
・・・・・・
と刻まれている。
そして,3番目の写真がワシントン記念塔(Washington Monument)である。高さが169メートルあり,最上階には展望台がある。以前は並べば容易に昇ることができたが,今は事前にインターネットで予約しないととてもでないが人が多すぎて昇ることが不可能になってしまった。
アメリカの観光地には,馬に乗った警官の姿をよく見かけるが,これが4番目の写真である。考えてみれば,車なら渋滞して動かないところでも馬なら移動が容易なのであろう。
そして,5番目と6番目の写真がホワイトハウス(White House)である。5番目のものが南側,6番目のものが北側で,南側は遥か遠くまでしか近づくことができない。非常にガードが厳しいのである。それに対して,北側はほぼ正面まで行くことができる。よくテレビに出てくるのは北側からのもので,ここで,プラカードをもって座り込んでいたりする姿も見ることができる。
35年前に行ったときは,この北側からイーストウィングの見学コースに入ることができた。朝早く行ってワシントンDCの観光コースをまわる前に並んで,入館する時間の決められたチケットを入手するのがコツであった。現在は国会議員の紹介があれば入れるとか,いや,外国人は大使館の斡旋が必要だとか日本大使館では斡旋をしていないとか,さまざまな情報があるが,いずれにしても,日本からの観光客が入るのは不可能であろう。
私は再びここに来ることができた興奮から,まわりの観光客たちに「私は昔ホワイトハウスのなかに入ったことがあるよ」と自慢げに話しかけていたのだった。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC③
●若いというのはすごいことだ。●
チェックインを済ませ荷物を部屋に入れてから,私は再び外に出た。今度はインターステイツの側道を歩いていったら,思いのほかすぐに地下鉄の駅に出た。ただし,日差しを遮るものがないのて大変だった。それにまた,ここはサイクリング道路を兼ねていたので,多くの自転車が行き交っていた。
短い滞在日程のなかで,まず,どこに行こうか考えたが,35年前に行くことができなかったところを優先することにした。
若い人が旅行をするときには,これが最後だとは思わないほうがいい。この先,その気になればいくらだって行くことができるから,そうした将来を考えて,旅行の計画を立てるといいと思う。若いときこそ行ってみたほうがいいと思われる場所もあれば,歳をとってからのほうが有意義なところもある。
などと書いてはいるが,そんなことを35年前私は夢にも思わなかった。そのときに来たワシントンDCで行ったのは,アーリントンの国立墓地にあるケネディ大統領の墓,ワシントン記念塔,ホワイトハウス,スミソニアン博物館,国会議事堂,造幣局,FBI,さらには,ウォーターゲートビルであった。当時は,観光客も今ほど多くはなかったし,セキュリティも今のようなことはなかったから,ワシントン記念塔も少し並んだだだけで昇れたし,ホワイトハウスの内部を見学することもできたし,さらには,国会議事堂の見学コースに行くつもりが,間違えて?! 国会の傍聴をすることになってしまった。
その代り,私は,国立墓地では有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)の存在を知らず行かなかったし,ポトマック川の存在を意識することもなかったし,ワシントンのダウンタウンなども歩くことができなかった。
ホテルから最も近いのがアーリントンの国立墓地だったから,私は,まず,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)へ行くことにした。
数年前にニューヨーク行ったときにも思ったが,若いというのすごいものである。それほど語学力もなかったし,世のなかのことも知らなかったが,35年前の私が行ったところは,その多くが,今ではもう公開していないので入ることすらできない場所だったり,混雑していて入ることが困難なところで,今やろうとしても夢のようなことばかりなのである。こんなことができたのが,今の自分でも信じららないのだ。
私はもうすでに乗り慣れたワシントンDCの地下鉄に乗って,アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)を目指した。,アーリントン国立墓地へ行くには,地下鉄のブリーラインのアーリントンセメトリー(Arlington Cemetry)駅で降りるのだが,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は国立墓地の北にあるので,地図を見て,私はロズリン(Rosslyn)駅で降りることにした。ロズリン駅まではイーストフォールズチャーチ駅からはわずか5駅で,乗り換える必要もなかった。
ロズリン駅を出ると,非常にきれいなビジネス街で,まさに,日本でいう副都心のようなところであった。
なにせ,ものすごく暑い日で,そのなかをこのあとは歩いて行かなければいけないのだが,道案内があるわけでもないし,どこをどう歩けばいいのか,さっぱりわからない。
後で知ったことには,アーリントン墓地へ行くにはアーリントンセメトリー駅で降りるべきなのだ。そうすれば,正門ゲートからなかに入ることができるし,循環バスにのって,園内を回ることができるわけだ。
それを私はひとつ前のロズリン駅で降りたものだから,裏口入学のようになってしまった。こちらの方向だろうと見当をつけて歩いていくと,やがて私のめざす海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)(Marine Corps War Memorial (Iwo Jima Memorial))が見えてきた。思っていたより,はるかに巨大なものであった。
1945年2月23日,太平洋戦争でアメリカ軍の日本侵攻のため,硫黄島上陸作戦が行われた。約1か月の激戦でアメリカ軍が勝利し,占領した証に兵士たちがアメリカ国旗を立てた。その姿をジョー・ロウゼンタール(Joe Rosenthal)がカメラに収め発表した。海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は,写真を見た彫刻家のデ・ウェルダン(W.de.Weldom)がそれをブロンズ像に表現したものである。高さが10メートル,幅が20メートルで,たなびく星条旗は本物である。
この場所は治安が悪く,日没後は行かないほうがよいらしい。
私は,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)を見てから,墓地に沿って南に歩き,ジョン・F・ケネディの墓,無名戦士の墓と回った。
無名戦士の墓は1948年以降,陸軍第3歩兵隊(The Old Guard)の衛兵によって雨の日も風の日も24時間警護されている。衛兵はライフルを片手に墓地を21歩,21秒で往復し,方向転換をする。そして,30分おきに交替式を行い,その姿は見ることができる。21というのは国際的な儀典礼式にならい「敬意」を表すものである。
アメリカでは国を守るということに対してこれだけのリスペクトをはらっているのである。
国立墓地はすでに来たことがあるとはいえ,思ったよりもずっと広く大変であったが,なんとか逆回りにして国立墓地のビジターセンターに行き,そこから正門をくぐって外に出た。
海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)にはほとん観光客がいなかったが,正門のあたりにはバスもたくさん停まっていて,すごい観光客であった。有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)であるが,墓地からはかなり遠いので,35年前に行くことができなかったのも無理のないことだったなあと,このとき知った。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC②
●クレジットカードがスキミングされた!●
ワシントンDCの地下鉄も,日本の郊外と全く同じで,私の降りたイーストフォールチャー駅は地上の高架にある駅だった。グーグルマップで調べてあったから,私は,日本にいるときから,この駅付近の様子はわかっていた。
すでに書いたことだが,私はニューヨークへ行ったときもサンフランシスコへ行ったときも,ダウンタウンまで15分から30分程度の郊外の地下鉄の駅近くにホテルをとったが,このワシントンDCで私が予約した場所は,そのなかでも特に想像以上に便利なところであった。この場所は治安も全く問題がなく,郊外の静寂な住宅地であった。ひとつ問題があるとすれば,ホテルの近くには「適当な」レストランがなかったということだけであった。
ここで,少し話題がずれる。
この旅で,私はワシントンDCを予想以上に楽しむことができた。ホテルも申し分なかった。
ただし,クレジットカードをワシントンDCで使用したときにスキミングにあったらしく,日本に帰国して3か月ほどしたあとで,アメリカのアマゾンコムと,もうひとつ,私のまったく知らないファッショングッズの通信販売で使われたのが発覚したのだった。
ネットで支払いの詳細をチェックしていたときにそれを見つけカード会社に連絡した。幸い銀行で引き落とされる前だったので引き落としを中止してもらい,クレジットカードは即座に番号を変更して再発行してもらった。その後,不正利用が証明されるのにさらに数か月を要したが,結果として私に損害はなかった。
カードがスキミングにあったのは,おそらく,ワシントンDCのレストランでクレジットカードを利用したときであろう。アメリカでは,レストランの精算ではクレジットカードを店員に渡すからである。
私は,カードを用途ごとに使い分けているからよかったが,もし,公共料金などの引き落としにも同じカードを利用していれば,カードの番号を変えればさらに多くの手続きが必要になっていたことだろう。
こういうことが起きても,私は,クレジットカードは現金よりもはるかに安全だと思っている。日本では,未だ,現金しか使わない人も多いが,ずいぶんと危険でかつ無駄なことをしているものだと,私は思う。ただし,クレジットカードは使い方次第であるし,その危険性を理解していなければならない。私は用途ごとに使うカードを分けているのだが,これもひとつの方法であろう。
そうしたこともあって,せっかく楽しかったワシントンDCの思い出が,このクレジットカードのスキミング事件で台なしとなってしまった。
さて,話をもとに戻そう。
駅からホテルまでは,写真にあるような清楚な住宅街で思ったよりも時間がかかった。暑いのでカバンを転がして歩くのは結構大変であった。しかし,このあとわかったことだが,高速道路の側道を歩けば5分くらいの距離であった。
歩いてたいへんな距離ではなかったが,坂があることや,日差しが強く,真夏の炎天下が体に堪えた。アメリカの東海岸は日本と同じような高温多湿な気候なので,夏にわざわざ観光旅行で行くようなところではないのかもしれない。
やがて,予約してあったホテルに到着した。まだチェックインの時間よりは早かったが,部屋に入ることができた。部屋は写真のように広く,私ひとりではもったいないほどであった。このホテル,廊下にスターバックスコーヒーの器械があって,自由にできたてのコーヒーを飲むことができたのがとてもよかったし,ちゃんとした朝食もついていた。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC①
●ワシントンDCの地下鉄●
私はこの旅でワシントンDCを観光するにあたって,一番大変だったのはホテルを探すことであった。これは,アメリカの大都市を旅するとき共通の悩みである。
シアトルのようなよく知っている都会ならともかく,どこに宿泊すればよいのかがわからないのである。私のような一人旅ではダウンタウンのホテルの宿泊代は異常に高いのでなるべく郊外に泊まりたいのだが,車を使わないならば,フィラデルフィアでもそうであったが,公共交通機関の最寄りの駅に近くでなければならないというのがホテル探しの最大のポイントである。
ワシントンDCの地下鉄の路線図を見ながらホテル探しをして,私がようやく見つけたのは「イーストフォールチャーチ駅」(East Fall Church Metor Station)から歩いて5分ほどのところにあるエコノロッジメトロ(Econo Lodge Metro)という名のホテルであった。この「イーストフォールチャーチ駅」というのは,ワシントンDCのダウンタウンから西にポトマック川を渡ったバージニア州アーリントン地区にあって,地下鉄のオレンジラインとシルバーラインの駅である。ダウンタウンまでは15分程度で行けるので,理想的なものであった。
問題は,夜,駅から歩いてホテルに戻るときの治安だけであったが,この場所なら特に問題はなかろうと思った。
ワシントンDCのユニオン駅はさすがアメリカ合衆国の首都だけのことはあって,かなり立派な総合駅であった。とはいえ,新装なった東京駅のような豪華さを期待してはいけない。
思うに,アメリカで豪華なのは空港である。これは日本とは全く比較にならない。成田空港など,せまく古く汚いし,レストランもたいしたところがない。これが天下の! 日本の首都の空港かという感じである。鉄道の駅はその正反対であろう。
私は,まず,ユニオン駅で昼食をとることにした。適当な店を選んでなかに入ってみたが,私には,東京同様,アメリカの首都の人々の行動の速度に全くついていけないのだった。なにせ,どんどんと注文をして,人が流れていくのである。一体私は何を注文すればよいのであろうか? 私が東京駅でとまどうのと同じシチュエーションであった。わけがわからず,前にいた客と同じようなものを適当に注文した。ともかく,グルメでない私はおなかが満たされて,野菜が取れればそれでよいのである。
その後,地下鉄の駅に行った。
チケットの自動販売機が並んでいて,親切な係員もいた。ワシントンDCでは,日本の「Suica」のようなシステムの「Smartrip」カードがあって,とても便利であった。このカードは発券時にカード代が2ドル必要(この2ドルは戻らない)で,はじめにこのカード代の2ドルとさらに乗車用の数ドルをチャージするわけである。もちろん日本とは違ってクレジットカードで購入ができる。これを購入して,数ドル分をチャージした。
ワシントンDCの地下鉄に乗るのは,前回35年前に来たとき以来であった。核シェルターになるといわれる広い地下道を走る地下鉄は,35年前にはずいぶんときれいな地下鉄だと思ったが,今回は古びて汚い地下鉄だなあと思ったことだった。
2016夏アメリカ旅行記-アムトラックでワシントンDCへ⑤
●定刻,ワシントンDCに着いた。●
憧れだった2時間余りのアムトラックの旅を終えて,私は,定刻,ワシントンDCに到着した。日本でいう在来線の特急列車の旅を終えたような感じであった。
日本は近年新幹線網が出来上がって,どこにも新幹線で行くことができるようになった。それは確かに便利だが,旅情という点では非常に物足りないものがある。時間と勝負をしているようなビジネスマンならともなくも,旅自体が楽しみである人たちにとれば,新幹線には全く魅力を感じない。この先リニア新幹線ができて,トンネルばかりのなかを走ったところで,さらに何も楽しくない。
それとは逆に,100万円もする超豪華列車も走るようになった。お金が余っていて,しかし,海外旅行などには無縁のシニア世代の人たちがそれを利用するのだろうが,それもまた,庶民とは無縁のものでしかない。
庶民が,例えば,東京から名古屋まで在来線で行こうとすると,何度も乗り換える必要があり,その都度,せっかくそれまで座っていたのに座れなくなったり,ホームで次の列車が来るのを並んで待つというストレスの多い旅をする必要がある。まるで,長距離は在来線には乗るな,新幹線に乗れ,と言わんばかりである。
そんなことよりも,私は,時間がかかっても構わないから長距離を走る座席指定の普通列車を走らせてほしいものだと思う。この国は,効率だけを求めていて,人の心の幸せなど考えてもいない「おもてなし」のだ。
さて,アムトラックは,ワシントンDCのユニオン駅(Union Station)に到着した。ユニオン駅はワシントンの東,国会議事堂のあるキャピトルヒルとよばれる場所の北側にあって,新しく整備された建物であった。
ボルチモアとは違って,大勢の人でにぎわっていた。ここはアメリカ合衆国の首都なのである。
乗客はここで降りて,広いコンコースを歩いてホームから駅の構内に出た。このユニオン駅からは地下鉄でワシントンDCのおおよその場所に便利に行くことができるのである。
私がワシントンDCに来たのは,今回が2度目である。初めて来たのは35年前のことであった。このときは人生初のアメリカへのひとり旅で,ニューヨークとワシントンDCとボストンに行った。移動は長距離バスの「グレイハウンド」を使った。
私の手元に,1980年版の「地球の歩き方」という本がある。これは,天下の「地球の歩き方」のなんと初版本なのである。この時代,こんな旅行ガイドブックは他にはなく画期的なものであった。1980年代は,今よりもはるかに治安は悪かったが,今のような国際テロとは無縁のアメリカであった。しかし,この本の表紙に書かれていた「アメリカを1か月以上の期間1日3,000円以内でホテルなどの予約なしでバスを使って旅するための徹底ガイド」を実践できた勇気ある人がどれぼどいたことであろうか。
そのときの私は,確かに一人旅ではあったが,ホテルは出発前に予約してあったし,1か月以上もも期間を旅しなかった。それでも,私にはかなり勇気の必要なことであった。
そのときの旅で降り立ったワシントンDCはグレイハウンドのバスティボウ(長距離バスの発着するバスセンター)であった。当時の場所は現在とは違ってホワイトハウスの裏手であった。私は大胆にも数日間ワシントンDCでの宿泊に必要な着替えだけを別のバッグに詰め替えて,以外の荷物は旅行バッグに入れてバスティボウのコインロッカーに預けて,タクシーに乗ってホテルに行こうした。
しかし,私の乗り込んだタクシーの運転手は,私と同じ方向に行く別の客が来るまで待っていて,相乗りを強要されたことを今でも覚えている。私はそれに対して何の抵抗もできなかった。そのときの心細さったら!
現在は,グレイハウンドもまた,このユニオン駅から発着する。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑯-ワシントンDC
今日はワシントンDCの最終日。午後に国会議事堂を見学するツアーの予約をいれておいたので,それまでをどう過ごそうか考えました。
35年前に来てワシントンDCは大方見たので,今回来たのはMLBを見るためだけだったのですが,それなのに何と4泊もしてしまったので,まあ行くことができればいいしできなくてもいいし,程度に気ままな観光をしているのですが,今考えてみても,35年前にひとりでアメリカに来てよくもまた精力的にあちこち歩き回れたものだとそのときの自分に感心します。
それほど英語もできなかったと思うし,自分でも信じられません。若いというのはすごいものです。そのときは国会議事堂の見学をするつもりで間違えて議会の傍聴をしてしまったくらいなのです。今ではそんなことはできません。
調べた結果,朝一番でまずはフォード劇場に行くことにしました。
フォード劇場というのはリンカーンが暗殺されたところ。朝9時開館なのですが午前8時30分に整理券が配られるというので並びました。まず地下の博物館に案内されてしばらくしてから劇場に行くことができました。そしてそのあとで道を隔てたところにある,狙撃されたリンカーンが運び込まれて息絶えたピーターセンハウスの見学となりました。時系列で展示がされていてとても充実していました。
次に行ったのが国立公文書館でした。ここでは独立宣言と合衆国憲法と人権宣言のホンモノを見ることができましたが35年前に来たのを思い出しました。
その次は自然史博物館でした。ここには45カラットのダイヤモンドとか珍しいものがたくさんありました。
時間が近づいてきたので国会議事堂まで歩いて行ったのですが,これは選択を誤りました。
暑いなかをえらく遠い距離を歩くことになってしまいましたが,ともかくビジターセンターになんとか到着して見学ツアーコースに並びました。特に予約などしていかなくとも問題なく見学ができるのでした。見学は期待はずれというか,見学ツアーでしか入れないというところはほんの限定的なところで,その他の場所は自由に見学ができるのでした。その後,そのまま建物の中を通ってトーマスジェファーソン図書館へ行ったのですが,国会議事堂よりもこちらの方が凄かったのです。こちらを見逃している人も多いでしょうが,これを見逃す手はありません。ここは,建物のなかは素晴らしい装飾が施されていて,グーテンベルクの聖書やジェファーソンが寄贈した蔵書の山を見ることができました。
帰りはさすがに歩くのは懲りたので,地下鉄でスミソニアン駅まで戻ってアメリカ史博物館へ行きました。ここは全く期待していなかったのにも関わらず,ベーブルースのサインボールとかモハメドアリの使ったグローブとかすごく広く興味深い展示がたくさんありました。
ダウンタウンでサンドウィッチとスープの夕食ををとってから,帰宅時間(午後5時)と重なって少しだけ混雑する地下鉄でホテルに戻りました。
これでこの旅のワシントンDCはおしまいです。
私が泊まったホテル「エコノロッジメトロ」は大正解でした。もしワシントンDC観光をされる方があれば,このホテルをお勧めします。レーガン,ダラスどちらの国際空港からも地下鉄で便利にアクセスできますし車なら広い駐車場があります。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑮-ワシントンDC
今日のイベントはMLBワシントン・ナショナルズのゲームを見ることでした。ゲームは午後からなので午前中どうしようかと考えて結局航空宇宙博物館へ行きました。私にはやはりこういうところが心躍ります。
月の石は幾つか展示してあるし,結構新しい展示もあったし,随分と楽しめました。
それにしても35年前に来たときから考えるとワシントンDCのモールも随分と汚くなったなあというのが実感でした。そしてまた,あの頃はこんなに混雑していなかったのにとも思いました。
お昼は博物館の巨大なフードコートで済ませて,その後,ボールパークに向かいました。
地下鉄に乗ってたったの2駅でナショナルズパークに着きました。ついにこれでMLB30球団のボールパーク訪問の達成です。思えば36年前にロサンゼルスでドジャースタジアムに行って夢中になってからの長い道のりでした。
入るときにこのボールパークの係りの人にそういう話をしたら,このボールパークの初回訪問証明書をあげましょうといって作ってくれました。ベースボールカードももらいました。奇しくも今日はイチローも3,000本安打を達成した日でした。
ここのボールパークはいいです。ものすごく雰囲気がいいのです。Wifiも問題なく全席でつながります。今回の旅で行った四つのボールパークのなかで問題なく最高です。お客さんを楽しませることを心がけています。それで思わず私はゲームに夢中になってしまいました。
全て行った30のボールパークのなかで私が特にお勧めするのは,フェンウェイパークとリグレーフィールドは別格として,今日イチローが記録を達成したデンバーを始め,ミネアポリスとシアトルですが,ここワシントンもその仲間入りです。ボルチモアはボールパークは素晴らしいのですが,街の治安が悪すぎます。
ボールパークに行くたびに思うのは,ここに来ている人たちはそれにしてもよく食いよく飲むことです。ビールなんて小瓶が1本1,000円もするのに4本も5本も飲んでるし,ホットドッグなんて800円もするのによくこんなもの買うなあと思います。水がペットボトルで300円,コーラがミディアムサイズのコップで500円,コップにチームのロゴが入ると800円,みんなが着ている球団をあしらったユニフォームなんて10,000円は下らないのです。ボールパークのなかは物価めちゃくちゃです。
私が何度アメリカに来ても本当によくわからないのは,普通の夕食を食べても何千円もしてしまうし,みんなえらくすごい車に乗っているのだけど,どう考えたってこれじゃあ日本の一般の人に比べたら3倍も4倍も収入がなければおかしいのです。それに平日だといってもどこもすごい人混みだし,アメリカ人ってそんなにお金もちで暇なんだろうか? いったいどうなっているのだろう? ということです。
なんかちまちまと早朝から夜中まで非効率に仕事することしか能がなく,憂さ晴らしに酒を飲み,走る道もないのに高級車を買わされて,せっまい家ひとつ買うのに人生を費やし,役にも立たない学校教育とプリントやるだけの塾に子供を通わせてお金を浪費し,子供たちは「ブカツ」とかいって週末さえ自分の時間を奪われ ,それもレギュラーならともかくも応援しに行くだけなのに無駄に時間を使わされて,それを善だと信じている教師と生き甲斐だと信じ込まされている生徒,そんな日本人全体がよりバカみたいに思えてきます。
ゲームは7回裏のホームランが効いて1対0でナショナルズの勝ちでした。デーゲームということもあり,久し振りに最後まで見ました。
その後,チャイナタウンに行ってラーメンを食べました。ワシントンDCのチャイナタウンはあまり規模が大きくはなく,治安がいいのか悪いのか,ホームレスは結構いるのですが,実際のところはよくわかりません。こういうところを歩くときアジア人顔というのは便利ですが,アメリカで食事に飽きたときボリューム満点で安い中華料理があると本当に助かります。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑭-ワシントンDC
私はここワシントン郊外のホテルを3泊予約して後でさらに1泊追加したので,合計4泊することにしていたので,とんでもないところだったらどうしようと思っていただけに,予想以上に快適なところだったので安心しました。
それより問題だったのは,この日は35度もあってしかも蒸し暑いことで,観光などせず1日ホテルでテレビでも見ていたい気持ちでした。こんな時期に何を好んでアメリカ東海岸など旅行するのか,私にも信じられません。
ワシントンDCについた翌日,つまり今日の予定はウドハーハージセンターにスペースシャトルを見に行くことだったのですが,もう数日前に行ってしまったので予定が空いてしまいました。そこで考えたのはアレキサンドリアというワシントンDCとはポトマック川を隔てた対岸の街に行くことでした。
地下鉄に乗ってオールドタウンという駅で降りると1本の道をはさんで歩いて30分くらいの川岸まで綺麗な街並みが広がっていました。川といっても海のような広さだから,まさに海岸のような感じです。
まずその川岸まで歩いたのですが,まだ午前10時前だというのに,すでに暑くて大変でした。
途中のシティホールの前の広場でマーケットが開かれていたのですが,これは毎週土曜日だけのことだったから幸運でした。シティホールの隣にビジターセンターがあったので中に入りましたがクーラーの涼しかったこと!
シティホールを隔てた反対側にあったのがギャッツビーズタバーンという昔の居酒屋の跡で見学ができるというのでツアーの始まるまで10分くらい外で待ってなかに入りました。もうひとり女性が待っていたのでてっきり観光客だと思ったらその女性がツアーガイドさんで,彼女の案内で家のなかを見ることができました。
そして最後にポトマック川の40分クルーズに乗りました。川の上は風が吹いて快適でした。船を降りてから昼食をとりました。
駅までの帰りはさすがに歩く気はしなかったのですが,この町は観光用に無料のトロリーバスが走っていてそれに乗ることができました。
さてその後に困りました。今日は天気予報では午後は雨が降るという予報だったし暑いしどこかへ行く気にもなりません。外を歩く気にはならなかったので向かったのはナショナルジオグラフィックの本社にある博物館でした。古代ローマ帝国に関する展覧会をやっていました。この展覧会を見ていてるうちに思い出したのがスミソニアンのナショナルギャラリーでフェルメールが3作品見られるということでした。
そこでナショナルギャラリーまで行ってともかくフェルメールを見ることにしました。
ナショナルギャラリーは無料で自由に絵画ので写真も写せます。不思議なのはあれだけ入口は人でごった返していたのに,展示室にはほとんど人がいないということでした。絵に対する興味のある人が少ないということなのでしょうか。もし日本にここのフェルメールが来ればそのうちの作品ひとつだけで黒山の人だかりになるのです。
ちなみにこのギャラリーの一番の見ものはダビンチ初期の傑作「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」です。
この日は土曜日だったのでギャラリーは午後5時まで。冷房の効いた館内から外に出てもまだ焼けるほど暑かったのですが,北のほうのダウンタウンへ向かうと治安がよろしくないようで,マクドナルドにすら警官が立っていました。
今日は暑いのでばてました。明日からは涼しくなる… らしいです。本当かなあ。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑬-ワシントンDC
アメリカのテレビは,チャンネルがたくさんある割にはあまりおもしろくないのですが,なんとか見られるのはニュース番組にドラマ,そして視聴者参加クイズという感じでしょうか。ニュースは大統領選挙の話題でもちきりですが,両党の候補者が出そろった今になって,彼らに比べるかたちでオバマ大統領の支持率が上がってきたというのが皮肉な話です。
私が一番楽しみなのがNBCの「トゥナイトショー」なのですが,東海岸では開始時間が夜の11時30分と遅いのが難点です。リスニングの勉強なんてこの番組だけ毎晩見ていればいいような気もします。
それから「ファミリーフュード」です。これは昔日本でやっていた「クイズ100人に聞きました」ですが,英語の単語を覚えるのに最適です。入試必須3,000語のような現地の英会話では全く使えない単語でなく実際に使っているこういう単語の本当の意味することを覚えたいものです。今日の写真の問題はダンナが奥さんをベッドの上でどう呼ぶか100人に聞きましたの回答です。
35年ぶりに来たワシントンの印象はずいぶん街が古くなったなあという感じでした。35年前は地下鉄もきれいだったし,モールももっと落ち着いた感じに思えたのですが,今は地下鉄も汚く、モールも古くなったのを直していて工事中ばかり,そして世界中からの人多すぎです。観光客で溢れていて街全体がめっちゃくちゃという感じで,こんな状態で何事も起きない方が不思議な気がします。
これだけいろんな人種がいて皮膚の色が違えば背の高さも体重も言葉も違うと,何をもって美しいのかという基準さえさっぱりわからないし,道徳観も違いすぎてるし,改めて,人はどう生まれるかを選択できないということを,私はこの街で強く認識しました。
周りを見回して,もし私がそこにいる人に生まれていたとしたら… と考えるのです。幸いなことにとても愛くるしい女性だったかもしれないし,えらくボリュームのある黒人のおばちゃんだったかもしれないし,不幸にも地下鉄で騒いで悪たれついていた不良に生まれていたかもしれないし,あるいはホームレスだったかもしれないのです。そしてそのように生まれたことこそが自分では選択のできない運命なのです。
それにしてもまあ,いろんな人間がいるものです。こういう世界を見てしまうと,日本で教わった常識やら道徳やら既成概念などは全てどうでもいいように思えるから不思議です。そんな些細なことをちまちまやっているような時間は,短い人生にはないのです。さっさと本当に能力を使いこなせる実力を身につけないと,この過激な生存競争の渦の中に飲み込まれてしまいます。
そしてさらに思うことは,今年の春に行ったハワイと1か月前にドライブしたモンタナとそして今回旅をしている東海岸は全て同じアメリカ合衆国なのになんだこの違いは! と思うほど異なっているということです。
結局ホワイトハウスまで歩いてそこから地下鉄でホテルの最寄り駅・イーストフォールスチャーチに戻った私は,どこかで夕食をとろうと思ったのですが,結局,手頃なお店に限定すると選択肢もほとんどなく,ホテルの隣にあったレストランに入りました。
そこはどうやらシーフードを売りにしている店のようで,バケツいっぱいに入ったロブスターやら生カキをみんな手で剥いてかじっていたのですが,私はそんなもの食べる気もしなかったのでチキンなんとかとかいてあるものをオーダーしました。
メニューなど見たって何なのか想像もできないので出てきたものが何であろうと食べてやろうじゃないかと覚悟していたのですが,出てきたのはなんと山盛りの手羽先でした。それがまた意外に美味しかったこと!
さすがにこれだけでは情けないのでパンを追加したのですが,これでは野菜が足りません。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑫-ワシントンDC
私はこの旅の途中で様々に思いを巡らせます。今はネットで日本のニュースはいくらでも見られるようになったのですが,その多くは巨大なアメリカにいるとあまりにちまちまとしたものに思えてしまいます。まさに象とアリです。
もうひとつは中村紘子さんや元横綱千代の富士関の死去を知って彼らが幼い時からの姿をテレビで見てきた者としては,あれだけ偉大な人の一生もたかがこれだけのことだったのかという感慨です。
そしてまた,こうして元気に好きなだけ旅のできる自分に対して不思議な気持ちになったりもするのです。
ひとりで旅行をしているとたまに極度の恐怖感を抱くことがあります。渋滞のインターステイツで動くことのできない車の中にいるときなどがそうです。そして自由自在に英語ができない自分にいらだって,若いころにもっとたくさん吸収しておけばよかったのにと後悔するのです。
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日本の若者よ。意味のないことに時間など費やしていてはいけないんだよ。そんなことしている時間などないんだよ。地位だの学歴だのと形だけ取り繕っていても何もできないんだよ。偉そうなことを言って人生や道徳を説いていても日本から一歩外に出たら自分の力で生きていけないような大人の説教なんて信じちゃいけないんだよ。日本でやっている教育なんて実社会で通用することは何も身につかないからみんなままごとみたいなものさ。そんなことでは世界では生きていけないよ。
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さて今日の私のイベントはアムトラックに乗ることでした。アムトラックはアメリカの長距離列車です。私はこれまでアメリカの長距離バス・グレイハウンドには乗ったことがありますが,長距離列車のアムトラックには乗ったことがありません。そこで今回フィラデルフィアからワシントンDCの移動でアムトラックに挑戦してみることにしました。何事も経験です。
フィラデルフィアのアムトラックステーション・30thストリート駅はとても大きな駅で威厳があります。ここから乗るわけです。所要時間はわずか2時間程度なので,東京ー名古屋といった感じでしょうか。
日本人は狭い国土で小さな家に住んでいて些細なことにこだわりすぎ余分な工夫をするのが大好きなので,列車も時間通りに走らせることに命をかけています。それもわずか数秒という誤差みたいな値にこだわっています。やりすぎです。「3のことをするのに10の苦労をしている」わけです。真逆のこちらはいい加減で,「3のことをするのに2くらいの程度で済ませよう」とするわけです。そして残った8の力は遊びに費やすわけです。そんな調子だから時間もあまりあてにならないので,遅れてもいいように早めの時間の電車を予約しました。
駅に着いて朝食を済ませて,発車時刻を待ちました。出発の10分前に改札が開くというのでその少し前に列に並び,時間になったら係員が来たのでチケットを見せてホームに降りて電車に乗り込みました。
座席は自由なので適当なところに座りました。しばらくすると車掌が来て検札をして座席の上部の棚のところに紙を貼りました。座席は飛行機のビジネスクラス並みの広さで50パーセント程度の乗車率でした。
結構揺れて,日本の私鉄に乗っているような感じ,あるいはひと昔前の国鉄の特急列車みたいな感じでしたが,いい経験になりました。途中でボルチモアを通ったのですが,窓から眺めていてあの町の退廃ぶりに改めて驚きました。
やがてワシントンのユニオン駅に,なんと時間どおりに着きました。ここもまたすごく大きな駅でした。フードコートがあったのでともかく昼食を済ませました。
予定では,この後地下鉄に乗って今日から4日間泊まるワシントン郊外のホテルに行くことにしてあったのですが,まず,スマートパスという日本のSuicaのようなチケットの買い方に戸惑いました。自動販売機の前で困っていたらちょうど係員が来たので聞いたら親切に教えてくれました。
そして地下鉄に乗車,ホテルの最寄り駅まで15分くらい乗車しました。ワシントンDCの地下鉄の駅は核シェルターになるように作られています。だから円柱形で物凄く広いです。ちなみにワシントンDCの地下鉄は飲食厳禁です。
ダウンタウンのホテルはものすごく高価なのでこうした郊外のホテルを予約したわけですが,最寄りの地下鉄の駅から歩いて5分くらいの静かな住宅街にあったので助かりました。名古屋でいえば藤が丘のようなところでしょうか。チェックイン時間よりも早かったのですが,部屋に入ることができました。
荷物を置いて再びワシントンDCに出かけました。とりあえずは地下鉄に乗ってホテルから近いアーリントンの国立墓地を目指しました。ケネディ元大統領の墓まで歩いて行ってみると,そこからずっと東に遠くにリンカーン記念館が見えました。少し距離があったのですがそこまで歩いていったら,さらに歩きたくなってそのうちホワイトハウスまで行ってしまいました。
思えばここに来たのは35年ぶりのことでした。そのときは今と違ってホワイトハウスの中が見学できました。