しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

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 今日は立秋。
 朝日新聞の「天声人語」,新聞紙上には題名はありませんが,ウェブページ「アサヒコム」に掲載されているものにはあります。そのウェブページに「百日紅には申し訳ないが」と題した8月1日の「天声人語」は本当にひどく,私はこれを読んで不快になりました。
 冒頭
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 咲きはじめたころの百日紅(さるすべり)は,色の鮮やかさに目を奪われた。しかし猛暑や酷暑といわれるこの時分になると,あの赤色や濃いピンク色が暑苦しく思えてしまう。がんばって長いこと咲いている花には申し訳ないのだが
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からはじまって,この「天声人語」は,白を身にまとう人を見ると涼しく想い,床屋ですっきりした髪になっていく女の子の様子で涼を感じるといった内容に展開し,その一方で,セミの鳴き声が暑さを助長し,赤い色が気持ちがなえさせる,とあります。
 要するに,人は,物理的な気温だけでなく,視覚や聴覚で涼を感じたり,その反対に,暑さを増幅してしまうことがある,というようなことを書きたいのでしょうが,百日紅を愛する私が読むと,この文章は耐え難いものです。
 そんなテーマで書きたいのなら,今日,立秋の日に
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 8月7日。暦の上では立秋だが,まだ,暑さが和らぐ気配もない。こうしたとき,今より涼しかったとはいえ,クーラーもなかった昔の人は,視覚や聴覚からも涼をとる工夫をした
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とでもいった文章を書けばいいのであって,何も,この暑さに腹を立てて百日紅を敵に回す必要などないではないか,と私は思わず腹立たしくなりました。こうした文章もまた,体を暑くさせるのです。

 今日の写真は,ずいぶん前の8月16日,ちょうど五山の送り火の日に私が京都で写したものですが,この写真にある百日紅を見て,人は暑さを感じるでしょうか? 百日紅に失礼です。
 百日紅は,鎌倉時代に渡ってきた花で,夏の花の代表格といいます。鎌倉時代には「さるなめり」とか「なめら木」といったらしく,また,幹をさすると木全体が揺れるので「さすり木」の別名もあるといいます。
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 あしひきの山のかけぢのさるなめり
 すべらかにても世を渡らばや
   「夫木和歌抄」藤原為家
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 「百日紅」は,字のごとく,花が100日も咲き続けることからきているのですが,実際は咲き続けるのではなく,一度咲いて散った枝先からまた芽が出て花をつけるというのが本当の姿です。
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 私が今も思い出すのは,すっかりその魅力取りつかれて,毎月のように京都に足繁く通っていた今から30年ほど前のこと。夏の暑い日に行った山科の毘沙門堂で美しく咲いていた百日紅の花を見て,ああ,あまり花のない夏でもこうして美しくけなげに咲く花もあるんだんあ,と思ったことです。

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七夕s

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 7月7日は七夕です。各地の七夕まつりが中止になり,また,この時期は梅雨空で星も満足に見られないので,今日は,私が先日,木曽駒高原で写した写真とともに,七夕のお話です。
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 天の川をはさんで,こと座のベガが織姫(織女星),わし座のアルタイルが彦星(牽牛星),そして,はくちょう座のデネブがふたりをとりもつカササギです。この3つの星を結んだものが「夏の大三角形」です。

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 天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。織姫は機織りの名手で美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせていました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ,ふたりはめでたく夫婦になりました。
 ところが,結婚してからというもの,ふたりは仕事もせずに仲睦まじくするばかりです。これに怒った天帝が,ふたりを天の川を隔てて離れ離れにしてしまいました。しかし,悲しみに明け暮れるふたりを不憫に思った天帝は,七夕の夜に限って天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡って再会することを許しました。
 こうしてふたりは,年に一度の逢瀬をするようになりました。
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 中国では,このふたりの逢瀬を祝って「乞巧奠」(きっこうでん)という行事が催されるようになりました。奈良時代,「乞巧奠」が遣唐使によって日本に伝わると,宮中行事として取り入れられるようになり,詩歌や裁縫の上達を願って星に祈りをささげ,梶の葉に和歌をしたためてお祀りをしていました。旧暦の7月はお盆です。この季節は,稲の開花期,麦などの収穫期にあたります。そこで,民間では,お盆の祖霊を迎えるために,乙女たちが水辺の機屋にこもって穢れを祓い,機を織る行事が行われました。
 水の上に棚を作って機を織ることから,これを「棚機」(たなばた)といい,機を織る乙女を「棚機つ女」(たなばたつめ)とよびました。やがてこの行事と乞巧奠が交じり合って,現在の七夕まつりとなっていき,7月7日の夕方を七夕(しちせき)とよばれていたものが棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わりました。
 また,笹竹に短冊をつるして願い事をするようになったのは江戸時代からです。手習いごとをする人が星に上達を願うのです。また,五色は「青,赤,黄,白,黒」で,古代中国の「木,火,土,金,水」の五つの要素がこの世のものすべての根源である」という陰陽五行説にちなんで,「木=青」「火=赤」「土=黄」「金=白」「水=黒」を表します。
 私は子供の頃,七夕の話を聞きました。しかし,都会では満足に星を見ることもできず,さらに,七夕の季節は天気もよくないので,天の川というものすら見たこともありませんでした。上に書いた物語はカササギの翼に乗ってとありますが,そもそも星が天の川を越えて移動するなどということなどありえないから不思議は話だと思いました。それでも,当時の多くの子供は,本当に星が移動すると思っていたようです。今は,そんな話も聞きません。
 
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 天漢 水左閇而照 舟竟 舟人 妹等所見寸哉
 天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや
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 天の川では水までが輝いている
 舟を泊め舟に乗っていた人は
 妻と逢えたであろうかな
   「万葉集」巻10・1996 柿本人麻呂
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 今日は七夕です。この時期,日本は梅雨真っ盛りなので,星空が見られることはほとんどありません。そこで今日は私がオーストラリアで写してきた織姫と彦星,そして天の川の写真で七夕気分をお楽しみください。
 今日の写真の右下にある1等星が織姫,つまり,こと座のα星ベガ(Vega)です。アラビア語で「急降下するワシ」を意味する「al-nasr al-wāqiʿ」(アン=ナスル・アル=ワーキ)に由来するベガは,19日の周期で僅かに変光するたて座δ型の変光星です。近年,この星には惑星系が形成されつつあることがわかりました。ベガは周期が12.5時間という高速で自転していて,極付近と赤道付近では大きな温度差が生じています。また,地球の歳差運動によって2,000年後には北極星となります。
 そして,右上にある1等星が彦星,つまり,わし座のα星アルタイル(Altair)です。アラビア語で「飛翔する鷲」を意味する「an-nasr aṭ-ṭā’ir」(アン=ナスル・ッ=ターイル)に由来するアルタイルは,周期約1.5時間のたて座δ型変光星です。シリウスに似ていて,非常に若い恒星であるために,水素の核融合反応によって生じたヘリウムが中心核を形成しています。アルタイルは毎秒240キロ,8.9時間で1回転しているために楕円となっています。アルタイルは3個の伴星を持つ4重星です。
 地球からベガまでの距離は25光年,アルタイルまでは16光年あって,ふたつの星の間の実際の距離は16光年も離れているので,1年に1度会うなどということはありえません。

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 昔々,天の川の近くに天の神様が住んでいました。天の神様には,名前を織姫というひとりの娘がいました。織姫は機を織って,神様たちの着物を作る仕事をしていました。
 やがて,織姫が年頃になり,天の神様は娘にお婿さんを迎えてあげようと思いました。そこで,いろいろと探して見つけたのが,天の川の岸で天の牛を飼っている彦星という若者だったのです。彦星は,とても立派な若者でした。織姫もまた,かがやくばかりに美しい娘です。ふたりは相手をひとめ見ただけで,好きになりました。そして,ふたりは結婚して,楽しい生活を送るようになりました。
 ところが,仲が良過ぎるのも困りもので,ふたりは仕事を忘れて,遊んでばかりいるようになったのです。すると,天の神様のもとへ,皆が文句を言いに来るようになりました。
 「織姫が機織りをしないので,皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」
 「彦星が世話をしないので,牛たちが病気になってしまいます」
 神様はすっかり怒ってしまい,「ふたりは天の川の東と西に別れて暮らすがよい」と言って,織姫と彦星を別れ別れにしたのです。
 しかし,天の神様は織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て,こう言いました。
 「1年に1度,7月7日の夜だけ彦星と会ってもよろしい」
  それからは,1年に1度会える日だけを楽しみにして,織姫は毎日毎日一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も,天の牛を飼う仕事に精を出しました。そうして,待ちに待った7月7日の夜,織姫は天の川を渡って,彦星の所へ会いに行くのです。
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