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 上野寛永寺を見学し,上野公園にある寛永寺ゆかりの各所を散策したのち,最後に行ったのが上野東照宮でした。
 東照宮といえば,日光東照宮を思い浮かべますが,東照宮というのは徳川家康を「東照大権現」として,つまり神として祀る神社です。1616年(元和2年)に徳川家康が薨去したとき,柩は久能山に運ばれ,遺言に従って久能山に東照社が創建されました。朝廷は翌年,東照社に「東照大権現」の神号を宣下しました。また,幕府は日光にも東照社を建設し,遷座祭を挙行しました。その後,全国に東照社が造られ,宮号の宣下によって,「東照大権現」は東照宮と号するようになりました。
 危篤の徳川家康が,自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと藤堂高虎と南光坊天海に遺言したことから,1627年(寛永4年)に藤堂高虎が創建した上野東照宮は,日光東照宮,久能山東照宮に加え,三大東照宮のひとつに数えられ,徳川家康,徳川吉宗,徳川慶喜を祀っています。現在の社殿は1651年(慶安4年)に徳川家光が改築したものです。

 境内には社殿のほか,狸の木像をご神体とした栄誉権現社や,ぼたん苑があります。
 一見,拝殿の門が閉じられていて,社殿まで行くことができないように思えますが,有料ですが,門から中に入って,社殿まで行くことができて,社殿の立派な装飾を鑑賞できます。社殿内には「唐獅子の壁画」があるそうですが,これは非公開です。
 栄誉権現は,四国八百八狸の総師で,栄誉権現として狸の木像が社殿の左側の小社祠に祀られていて,「お狸さま」とよばれています。法衣を着て座わり,顔を真上に向け,鼻を突き上げて天井を仰ぎ見ている姿を垣間見ることができます。この狸の木像は,江戸時代は大奥に奉納されたものでしたが,そこで大暴れしたり災いをもたらしたので,大奥を追放されていくつかの大名や旗本の家に渡り,追放先でも,大名,旗本の諸家をお家断絶にまで追い込むなど数々の災いをなしたのですが,大正年間に上野東照宮に納められて,ようやく災いをもたらさなくなったといわれています。
 ぼたん苑では,元日から2月下旬に特別に冬に開花するよう促成栽培した冬牡丹を展示する「上野東照宮・冬ぼたん」が開催されていました。ぼたんには早春と初冬,二季咲きの性質をもつ寒ぼたんという品種があるのですが,着花率が低いので,これを正月の縁起花として抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬ぼたんで,ぼたん苑には160株の冬ぼたんがあって,美しく咲き誇っていました。 
 また,遠くに見える五重塔は,もともとは上野東照宮のものでしたが,明治の神仏分離令で寛永寺の所属となりましたが,幕末の上野戦争で焼失しました。その後現在地に再建され,東京都に譲渡されたものです。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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