2年ほど前,私は突如「人恋しい病」にかかったということは前回書きました。そしてめでたく全快しました。すると今度は「人恋しくない病」になったようです。私は本来人嫌い,そこに戻ってしまったのです。
学生さんは,普段,学校で多くの級友に囲まれて生活しているので,人恋しいという感情より,人が煩わしいという感情のほうが多いように思います。職場で仕事をしている人もまた,人間関係で煩わしい思いをするほうが多いように思います。
その反対に,退職したあとのお年寄りは孤独に悩まされていることが多く,そういった孤独にどう対処するかといった内容の本もたくさん出版されています。このことも前回書きました。そこで,人恋しくなると,だれでもいいから人と接したいという思いが募ってきます。しかし,実際に人と接すると,よほどその人と価値観や人生観が一致しないと今度は煩わしいことのほうが多いというのが実態です。特に,子供のころならともかく,人生経験が豊富になればなるほど,価値観や人生観は強固になっていくので,他人と合わせることはより難しくなります。
私が「人恋しい病」になったというのは,ひとりで旅をするときに孤独を感じるということではなく,何かがあったときに助けてくれる人が欲しい,ということが理由のひとつでした。しかし,考えてみれば,そんな事態になったとしても,それはそれで,何がしかの手段で助けを得ることは可能なので,心配には及ばないのです。そんなことは,これまで実際に何度も経験しました。
それよりも,「人恋しい病」にかかった私がやたらと人と接してみた結果,そこで体験したことは不思議なことばかりでした。私と接した相手は,私にとって,いったい何を考えているのやら,ということだらけでした。そうした経験を通してわかったのは,結局,失望ばかりでした。
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たとえば,相手の希望を聞いて,集合場所や時間を決めたとします。朝10時に京都駅前集合がいいな,と言われるとします。そのとき私は,朝7時に京都に行って,ひとりで10時までゆっくり食事をしたり観光をして集合時間までを過ごします。孤独を楽しむわけです。そして10時に相手と落ち合ったときに,私が会うまでにそうした行動をしていたと話すと,相手は,そんなことならどうして7時に集合にしてくれなかったのか,と言うわけです。私は,相手の希望を聞いて集合時間を決めたことなので,それ以前に何をしようか相手には関係がないと思うのです。
あるいは,どこかに連れて行ってくださいと頼まれたとします。そのときもまた,相手の都合を聞いて,日時を決めます。私は,よほどのことがなければ自分の都合を変更してでも相手に合わせますが,誘った相手自身が,突然都合が悪くなったといってドタキャンをしてくるのです。
「人恋しい病」にかかった私が人と接点をもってみたら,そんなことばかりが起こりました。そんなこんなで,私は,善かれと思って人に合わせても,結局は身勝手な相手に振り回されるだけで,何のメリットもない,というあたりまえのことを改めて思い知ることになったのです。
そうした現実がよみがえって,私は「人恋しい病」がすっかり全快してしまったのでした。
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「不良老人」の暇つぶし⑧-続・人恋しくなってきた。
書店で目につくのは「孤独」と名のつく本です。それは,歳をとるとだれでも「孤独」を感じるからでしょう。
たとえば 下重暁子さんの書いた「ああ極上の孤独」。この本は,
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現代では「孤独=悪」だというイメージが強く,たとえば孤独死は「憐れだ」「ああはなりたくない」と一方的に忌み嫌われる。しかし,それは少しおかしくないか。そもそも孤独でいるのは,まわりに自分を合わせるくらいならひとりでいるほうが何倍も愉しく充実しているからで,成熟した人間だけが到達できる境地でもある。
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また,諸富祥彦さんの書いた「孤独の達人 自己を深める心理学」では,
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私たちは必要なつながりを持てずにいるとき,惨めでさみしくつらい気持ちになることがある。しかし,このひとりの状態を「どうせひとりでいるのなら」と主体的に選択し直すと全く異なる意味合いを帯びてくる。大きな自由と解放感が得られる。さらに世間の喧噪から離れて徹底的に孤独に徹し,「深いひとりの時間」を持つことではじめてより深く自分自身であることができ,真実の自己と内面的な充足が得られる。そして同時に,説的に,もっとも強く他者とのつながりを感じ取ることができるのだ。
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齋藤孝さんの「50歳からの孤独入門」には,
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いよいよ「人生の後半戦」という覚悟を迫られる50歳。後悔の念や喪失の不安といかに折り合いをつけることができるか? やがて訪れる「孤独」をむしろ楽しむにはどうすればよいか? 古今東西の賢者に学ぶ齋藤流「後半生をよく生きるメソッド」!
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とあります。
3番目に紹介した本の題名には「孤独」に加えて「50歳」という言葉があります。そうすると今度は大江英樹さんの「定年前50歳から始める「定活」」とか,楠木新さんの「定年後50歳からの生き方,終わり方」と,よく似た類の題名の本がいくらでもでてきます。
このごろ私は,自分が若いころから抱いていた価値観や人生観が,どうやら多くの人のそれとはまったく違っているようだ,ということに気づきました。こうした本の題名にあるような,多くの人が孤独を感じはじめた50歳を過ぎたころに感じる現実が,私には多くの人とは正反対のものだったということです。
それは,多くの人が定年退職をするとそれで人生が終わりだと考えるのとは違って,私はやっとこれからが自分の人生のはじまりだと思っていたということです。つまり,人の最大の幸福とは自由を手に入れること,という価値観に基づくと,現役時代に地位とか名誉いう要らないものを手に入れるということは,それで自由が制限されるから,私の価値観とは真逆のこと,だから,そんなものにこだわるのは究極の負け犬だということなのです。
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そんな私に,2年前,突然「人恋しい病」が襲ってきたのですが,このことはずっと以前に書きました。そして,その結末はまた後日。
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「不良老人」の暇つぶし①-人恋しくなってきた。
若いころは何ともなかったのですが,このごろ,ひとりで旅に出ると人恋しくなってきました。これはいけません。これでは旅に出られません。と思っていたら,私は忘れていた大事なことがあったのを思い出しました。それは,「夢と勇気と知恵」という言葉だったのです。これからもこの言葉を忘れずに,旅に出たいと思います。
ところで,私が不思議なのは,海外からどうして日本にこれほどたくさんの人がやってくるのか,ということでした。狭い日本,わざわざやってきてまで特に見るべき場所もないのに,と私は思いました。確かに,日本の観光地は無防備に歩いていても,なんの気兼ねも必要ありません。狭いことが逆に利点となって,どこに行くにも便利だし,食べるところも事欠きません。珍しい食べ物もたくさんあります。しかし,どこも「異常に」混んでいます。
そこで,海外に出かけるたびに,その理由を聞いてみるのですが,その答えとして,日本に出かけるのは「お得感」なのだそうです。安い。そして,対価が大きい。ということでした。そりゃそうです。自分の国の半分ほどの値段でお腹いっぱい食べられて,店員さんは親切ですから。
そんなわけで,この国はゲストとして来るにはとてもよい国のようです。
日本に住む私は,これまでに,白川郷も鹿児島も四国も,一度は行ってみたいと思っていたところには,ここ数年ですべて行くことができました。どこもそれなりに思った通りでしたけれど,また行きたいと思うようなところはまったくありませんでした。私が日本に期待するのは自然と古き日本の持っていたのどかさです。しかし,そんな自然など,いまやどこに行ってもありません。のどかさもどこかに消え失せました。これまではいいなあと思っていたところも少なからずあったのですが,そうした場所は開発され,破壊されていきました。
そこに,観光というお墨付きが付くともういけません。すべては金儲けの媒体と化してしまうのです。恐らくそれでいいのでしょう,観光立国としては。国がお金を稼ぐには車1台売るよりも,外国人に来てもらってお金を落としてもらうほうがずっと効率がいいのですから。そしてまた,過疎地は投資をせずとも潤うわけですから。国はしたたかなものです。
こうして,星がきれいな場所だといえば1泊2日で5万円もするツアーが組まれます。とにかく人が来てお金を落としてくれればいいのです。しかし,客の側は天候が悪ければそれで終わりです。星を見るのに5万円はないでしょう,と私は思うのでそんなものには興味が向きません。
そこで私は海外に目を向けるのです。しかし,いつまでも今のように海外に出かけて車に乗って旅をすることは,歳をとればできなくなることでしょう。そこで困っているのです。
おそらく,この先も私ができることといえば,海外であるなら,現地まではひとりで行ってそこで現地ツアーに参加することでしょう。国内旅行なら,それでもひとり旅ができるうちは,鉄道に乗ってどこかに定宿を見つけて,そこでゆっくりと過ごすような旅が理想です。
そろそろ,人恋しいというのを利点として,新たな楽しみ方を考えたいと思っているこのごろです。