年末から新年にかけて多くのテレビの特番がありましたが,いつものようにしょ~もないものばかりでした。特に民放のニュース番組は見るに絶えません。仕事とはいえあんなものを作ったり出演するような人生に同情します。また,多くの人はあんなものを見て貴重な時間を費やしているのでしょうか?
そんななかで,私が面白いと思ったのはテレビ朝日の「古舘トーキングヒストリー~戦国最大のミステリー 本能寺の変,完全実況~」とNHKBSプレミアムの「絶海!謎と神秘の巨石文明 モアイとイースター島」でした。ともに,人間というのがいかに愚かな生き物なのかが改めてよくわかった番組でした。
今日はそのなかでイースター島について書きます。
私は昨年,仕事がらみで世界遺産を調べていたのですが,特に行きたいと思うようなところもありませんでした。まあ,行きたいなあと思っていたようなところはこれまでですべて行きましたが…。そのなかでただ1箇所,イースター島には惹かれました。今年… は無理でしょうが,ぜひ一度は行きたいものだと思いました。
そうした時期に放送されたのがこの番組だったのです。
イースター島といえばあまりに有名なのがモアイ像です。しかし,モアイ像という存在は知っていても,それ以外のことも,というよりもモアイ像自体,その存在以外のことを私は全く知りせんでした。
イースター島があるのは南米チリの首都であるサンティアゴから西に3,700キロメートルも離れていて,国際便中継地となるタヒチからは東に4,000キロメートルあります。日本からは空路で30時間かかるそうです。が…,昨年26時間かけてアラスカから帰国した私には驚くにあたりません。しかし将来行くとなれば1日でも早く,歳をとる前にしたいものです。
イースター島に最初の住民となるポリネシア人がたどり着いたのは4世紀頃,伝説では「ホトゥ・マトゥア」という首長とその一族が2艘のカヌーで入植したといわれています。ただ,このイースター島に渡ってきたのはもともと台湾の人たちだったというのがこの番組で紹介されたことです。いずれにせよ,いくら航海技術に優れた民族であっても,さぞかしたいへんなことだったでしょう。そしてまた,人間というのはすごいものです。想像を絶します。空路30時間なんていうことでめげていてはいけません。
そうしてイースター島に入植した部族たちは酋長(首長)を中心とする厳しい階級制度をもち,祖先は神格されて祀られ崇拝される対象でした。7世紀には石を積み上げて作られた祭壇「アフ」が,10世紀には「モアイ」が作られるようになったと考えられています。
三角形をしたイースター島には3つの休火山が周囲60キロメートルほどの島の三隅に存在していて,噴火口近くにはモアイを作るのに適した柔らかい巨石が大量にあり,外敵もないためにモアイ像の建造に夢中になるありあまる時間あったようです。住民が増えるにつれ部族が増え,それぞれに少しずつ異なった文化を持つようになるとモアイの姿にも変化が現れ,次第に巨大化しました。
日本の古墳やエジプトのピラミッドもそうですが,こうして巨大化しすぎてそのうちに滅ぶのです。こういうのを身の程知らずといいます。天文ファンの望遠鏡も同様です。
いにしえのイースター島は豊かな緑の森に覆われていたのですが,人口増加に伴って縮小し消滅してしまったことが,まず,この島に襲った悲劇の第1章でした。過剰な人口による部族争いや食糧不足で急激な人口減少が起こりました。そして,大航海時代にともなって残り僅かとなったイースター島の住民たちは抵抗することもなく奴隷として各地に連れ去られてしまったのです。地球上はこういう悲劇ばかりです。
1722年にオランダ海軍が太平洋上に浮かぶ孤島を発見した日がイースターだったことからこの日を「イースター島」と名づけました。ねこがじぶんのことをねこと思っていないのと同様に,イースター島もそこの住民がつけた島の名前ではないのです。住民同士の戦いで生き残っていた島民たちは奴隷として連れ出されていき,さらに天然痘で人口が急激に減少してしまいました。こうして,今ではイースター島はモアイなどの遺物や遺跡は残っているのですが,独自の言葉や文字などの文化はほとんどが失われてしまいました。
さて,モアイ像です。最大で11メートル,80トンにもなるこの石像は島内に1,000体以上が存在しているということです。このモアイ像,石切場から切り出すようにして作られて運ばれたそうで,今でも未完成だったり,運ぶ途中だったりしていたものがごろごろと転がっています。現在立っているものは日本企業の援助で観光用に立てたものだそうです。
この番組で私が納得したのがこのえらく重いマウイ像をいかにして運んだか,という実験でした。マウイ像は実際にのっそのっそと歩いたのです。
この番組をみて,私はモアイ像について,すっかりわかった気になりました。そしてまた,イースター島も行った気になりました。そこでわざわざ行くこともないような気になってきました。それよりも,つくづく残念なのは2010年7月11日にこのイースター島で皆既日食が見られたことなのです。そのころに私がイースター島に興味があったのなら行ってみたかったなあ,と,これは取り返しのつかない後悔です。運はやはり自分でつかむものです。
しかし,この地は満天の星空が見られるということで,私はマウイ像よりも,むしろ,この満天の星空が見たいものだと,これはいつものことですが。
タグ:今年は何をしたいのか
2018年がやってきた③-再びハワイ島に行きたい。
年末になると空港から海外に出発する人たちのニュースが流れます。この時期しか旅行のできない人は仕方がないのでしょうが,それにしても,こんな混む時期にあえて高いお金を出して旅をしなければならないのもお気の毒な話です。ハワイだって閑散期なら7万円ほどで往復できるのに,その3倍くらいも出して,大挙して日本人海を渡ります。私はハワイに行ったことのないころ,お正月に芸能人が大挙してハワイに行くのがとても不思議なことでしたが,ハワイに行くようになってから,その不思議さがますます増しました。
それはそれで人様の勝手ですが,このハワイについて書いていて,私がじわじわとまた行きたくなってきたのがハワイ島,特にヒロという町です。
2016年の春,生まれてはじめて行ったハワイはハワイ島でした。そのときは,マウナケア山の山頂に行きかかったことと南十字星が見たかったこと,これだけが目的でした。その後2回ハワイに行ってみて次第に状況がわかってきたら,今度は,はじめに行ったときにゆっくりと観光をしていなかったヒロという町にもう一度行きたくなってきました。
ヒロ(Hilo) はハワイ島で最大の町で人口は4万人ほど,地名は「新月の最初の夜」とか「ポリネシア人の航海者」にちなんで命名されたものであろうといわれています。ヒロは数千種類のランの栽培地としても知られ,「果樹園の町」または「ハワイのランの中心地」の異名もあります。
はじめて行ったときに私がヒロではなくカイルアコナを選んだのはヒロは雨が多いということを聞いたからでした。実際にハワイ島に行ってみて,ハワイ島は四国の半分ほどの大きさにもかかわらず場所によってずいぶんと天候が違うことが驚きでした。そしてまた,雨が多いのにどうしてヒロという町が栄えたのかもわかってきました。
今年,あるいはこの先またハワイに行くときは,今度は観光でなく,その土地に暮らすような気持ちで,何の計画もせず,この素朴なハワイの町をじっくりと味わいたいものだと楽しみにしているのです。
2018年がやってきた②-今年もテカポ湖へ行く。
2016年の秋,南半球の星空が見たくてなんのあてもなくふらっと出かけたニュージーランドでした。クライストチャーチで4泊,成田からクライストチャーチまでの航空券はホテル代込みでわずか11万円でした。私はそのころ,テカポ湖という名前だけは知っていたのですが,具体的な場所はどこか知りませんでした。ともかくテカポ湖畔で天体観察ツアーがあるというのでそれも併せて予約しました。予約したときはクライストチャーチからテカポ湖まで日帰りで往復すればいいや,程度の甘い考えでした。
出発の1週間前になって,はじめてテカポ湖の場所を調べて,クライストチャーチから日帰りで往復できるような距離ではないと知りびっくりしました。そしてあわててテカポ湖畔のホテルを探したのですが,時すでに遅し。ホテルはどこも予約が一杯で空室がありません。苦労してやっと2泊できるホテルを見つけたのですが,宿泊代が往復の航空券代くらいもしました。
そんなわけで,とんでもない計画の末,あわただしく出かけたわけですが,満天の星空とニュージーランドの大自然には感動しました。
しばらくはそのときの思い出はいい思い出だけでしたが,次第に,できればもういちどテカポ湖で星空が見たいものだと思うようになってきました。
私の印象ではニュージーランドはあまり天気がよくありません。お昼間は毎日雲がたくさん出ます。しかし,2016年に行ったとき,夜だけはいつも快晴でした。私は,それがいつもそうであるのかどうかわかりません。また,テカポ湖付近はホテルもなかなか予約がとれないものなのかどうかもよくわかりません。このように,私にはニュージーランドはアメリカに行くのとは違って,謎だらけなのでした。
そんな状態で,ずっとテカポ湖のことが気にはなっていたのですが,先日,今年の秋のテカポ湖畔のホテルの予約状況を調べていて,手ごろな値段で宿泊できるホテルを見つけたのですぐに予約をしてしまいました。ということで,今年の秋,私は再びニュージーランドに行くのです。
果たして,私が抱いているニュージーランドの謎は解けるのでしょうか?
それにしても,ニュージーランドというのは,なんと魅力的なところなのでしょう。その想いがどんどん募ってきました。愛すべきニュージーランドがもう少し日本から近いといいのですけれど…。
2018年がやってきた①-今年もオーロラを見よう。
Happy New Year 2018
◇◇◇
2016年夏,念願のアメリカ50州を制覇したのち,今後はどこに行きたくなるのかがそのときの楽しみでしたが,2017年にはわずか2か月の間に「星好きの三大願望」を再び達成することができました。では,私は2018年は何をしたいのでしょうか?
それがまあ,自分でも不思議なことに,雄大な大自然にすっかり魅せられてしまい,そのほかの場所には急激に興味をなくしてしまったのです。雄大な大自然…そうした場所には特に何かがあるというわけではありません。旅行のガイドブックにもほとんど何の情報も載っていませんし,その場所に出かけても,特に見どころがあるわけでもなく,むしろ退屈なだけの場所が多いのです。
しかし,そうした場所は,帰ってから,なぜか,忘れられなくなってしまうのです。
これは以前にも書いたと思うのですが,はじめてグランドキャニオンに行ったとき,人の作ったものなんてそれに比べたら何とちっぽけなものだとしみじみと思いました。ニューヨークの摩天楼もカリフォルニアのディズニーラドも,むなしいものだと感じましたが,まさに,それと同じです。
私が忘れられなくなってしまったのが,ニュージーランドとオーストラリアで見る満天の星空であり,アラスカで見たオーロラなのです。
今日はそのなかでオーロラについて書きましょう。
2017年の夏,せっかくシアトルに行くのだからと,ふと出かけることにしたアラスカでした。夏でもオーロラが見られるということを知って思い立ったのですが,期待は淡いものでした。が,その夢がかなってしまいました。
今でもその旅で滞在したフェアバンクスの街並みをはっきりと思い出せるのですが,特に何があるか,といっても思い浮かぶものもないのに懐かしいのです。しかし,考えてみればアラスカは遠い,遠い,遠い,…… 遠いのです。今すぐにでも行けそうな気がするのですがそれは錯覚です。
と思っていたら,なんと,フィンランドという近い場所を見つけちゃいました。私はスカンジナビアなんてまったく眼中にありませんでしたし,行こうとも思っていませんでした。それにはひとつ誤解があって,それはフィンランド語がわからない,ということでした。しかし,フィンランドでは英語通じる(らしい)のです。ということを知って,急に行きたくなってきました。フィンランドならアラスカよりずっと近いのです。セントレア・中部国際空港からは直行便があって10時間足らずでヘルシンキに着きます。オーロラを見るにはそこから北にさらに800キロほど北上しなけらばなりませんが,その場所にあるロヴァニエミまではヘルシンキから空路で1時間ほどで行けるのです。ということで,さっそくこの春に出かけることにしました。さて,極間の地,どんな素敵なことが待っているでしょうか?
世界はいつもときめきに満ちているのです。
◇◇◇
今日の写真はアラスカで写したものです。