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ゴールデンウィークはどこに出かけても混雑するので,私は毎年家に閉じこもることにしているのですが,暇つぶしにと何となく借りてきたのが伊坂幸太郎さんの「クジラアタマの王様」でした。この本を借りた理由もまたいい加減で,伊坂幸太郎さんの小説ならきっとおもしろいだろう,というだけのことでした。読み終えるまで,あらすじすら知りませんでした。
まさか,こんな内容だったとは!
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製菓会社に寄せられた1本のクレーム電話。広報部員の岸はその事後対応をすればよい... はずだった。訪ねてきた男の存在によって,岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。
不可思議な感覚,人々の集まる広場,巨獣,投げる矢,動かない鳥。打ち勝つべき現実とは,いったい何か。
巧みな仕掛けとエンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって,伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。
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ということなのですが,物語の端々に出てくる動かない鳥というのは,かの有名なハシビロコウです。ハシビロコウ,上野動物園にも飼われているこのまったくといっていいほど動かない鳥は,話題になる以前から,私のお気に入りで,上野動物園に行ってはにらめっこしていましたが,どうして,まあ,この小説で強敵となって登場しちゃったのでしょう。何だかハシビロコウがかわいそうです。
「クジラアタマの王様」とは、鳥のハシビロコウのことです。
小説の最後に書いてあるのですが,ハシビロコウの別名がこの小説の題名である「クジラアタマの王様」,つまり,この小説は「ハシビロコウ」という題名なのです。
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「ハシビロコウ」の学名「Balaeniceps rex」は,ラテン語で「balaena=クジラ」と「ceps=頭」と「rex=王様」からなります。特徴的なクチバシの形状を含む頭部のシルエットがクジラの姿に似ていることに起因しています。また,和名のハシビロコウは「クチバシが幅広いコウノトリ」の意ということです。
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と,これで題名の謎は解けたのですが,実は,この小説を読むと,不思議な気持ちにさせられました。その理由は,次のようです。
小説の柱は,「現実の世界」と「夢の世界」の関係がストーリーに大きく関わってくる,というものですが,小説の中で展開される「現実の世界」の出来事というのは,新型インフルエンザによるパンデミックなのです。そして,「現実の世界」で起きたパンデミックを解決するには「夢の世界」でハシビロコウに勝つことが必要だと。
小説で,新型インフルエンザによるパンデミックが語られているのだから,私は,この小説が書かれたのは最近のことなのかな,と思ったのですが,奥づけをみると,発行が2019年7月5日でした。つまり,実際の「現実の世界」で起きた新型コロナウィルスの発生以前です。
私自身も含めて私の周囲にはひとりの感染者もいないのだから,今でも私には,新型コロナウィルスによるパンデミックは,フェイク映像やフェイクニュースによって思い込まされているだけのフィクション,つまり,「夢の世界」の出来事のように思えます。
しかし,家にいるときはまったく実感がなくても,たまに外出すると,社会全体が異様な風景だから,やはりこれはフェイクではなく「現実の世界」の出来事なのかな,とそこではじめて思うわけで,だから,きっとこれは真実であって,この3年間に世界が経験した「現実の世界」の悪夢だったのでしょう(たぶん)。
この小説では,そうした「現実の世界」の悪夢が起きる以前に,まるで,未来を見てきたかのように,すでに生々しくそのことが書かれてあったということが,私には驚きなのです。
一体,何が現実で何が夢なのか? そして,伊坂幸太郎さんは,どうして,小説を書いたあとに現実に起きたことを,それが起きる前に書くことができたのか? はたして,伊坂幸太郎さんは預言者なのか? 冥界と現世を自由に行き来できたという小野篁のように,「現実の世界」と「夢の世界」を自由に行きできたのか? この小説は,そんな自分の能力をもとにした実体験に基づくものだったのか? などなど。
私は,この小説で,そんな不思議な錯覚に陥るような,夢見ここちとなる,奇妙な読後感を味わいました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは