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朝の国道378号線を海岸線に沿って走っていきました。すばらしい景色でした。日本も知らないところがあるものだと思いました。それとともに,これまで車で走ったことがあるアメリカやオーストラリア,ニュージーランド,アイスランドでは,まったく人の住んでいない雄大なところがいくらでもあるのに,日本は,どんなところに行っても人が住んでいるということにも驚きました。そろそろ海外旅行に出かけて,人がまったく住んでいないところをドライブしてみたいという欲望が再び起きてきました。
そうこうしているうちに,昨日行った下灘駅のあたりも過ぎ,佐田岬半島が近づいてきました。
私は車のディスプレイに連動した私のiPhoneのGoogleMapsの指示に従って走っていたので,帰ってから地図を見ても,どこを走ったのか定かでないのですが,「佐田岬メロディーライン」を走った記憶があるので,おそらく,国道378号線から八幡浜市で国道197号線に乗り換えて走っていったのでしょう。「佐田岬メロディーライン」というのは国道197号線の愛称で,走っているとスピーカーから音楽が流れている近所迷惑な仕組みだと思ったのですが,そうではなく,車が通るとき道路に刻まれた溝をタイヤが拾って車内で音楽が聞こえるという凝ったものでした。だれがこんなことを考えるのやら…。
そのうち,伊方町に着きました。

伊方町というと,名前だけは聞いたことがありました。そうです。伊方原発です。
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伊方発電所は,四国電力および四国地方唯一の原子力発電所です。国内の原子力発電所で唯一内海に面しています。
1977年に運転を開始した1号機は,新規制基準適合の対策を一度は検討しましたが,2016年に廃炉を発表しました。2号機は運転再開を前提としていましたが,こちらも,やむなく2018年に廃止しました。そこで,現在は3号機だけが稼働しています。
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奇しくも,10月21日のこの日,地震が発生し原発から放射性物質が放出されたという想定で防災訓練が実施されていて,住民や関係機関の約1,500人が参加したそうです。そんなことはまったく知らず,突然,私のiPhoneに緊急速報が入ってびっくりしました。しかし,私は旅人,訓練とは関係がないのですが,これが実際の事故だったとき,旅人はどうするのだろう,と思いました。つまり,この訓練は片手落ちなのです。これもまた,日本らしい「責任逃れのやったふり」です。

伊方町を過ぎて,さらに延々と国道197号線を走っていくと,三崎町まで来ました。国道197号線は佐田岬半島の中央部を走っているのですが,時折,海が見えました。道路は整備されていて,なかなか走り甲斐がありました。
国道197号線がこのように整備されたのは1987年(昭和62年)のことで,それまでは「197(=行くな)酷道」といわれれるほどの険しい道路だったそうです。
国道197号線は,三崎町から先は海を通ります。つまり,約15キロメートルの三崎港と大分市の佐賀関港の間は国道はフェリーの航路となります。これを「海上国道」とよびます。
三崎町はけっこう大きな町で,民宿などもありました。三崎町を過ぎ,国道197号線が終わると,道は狭くなりました。この先行くのは,佐田岬灯台に観光で行く人くらいのものでしょう。

9月に行った隠岐諸島の知夫里島を思い出すような狭い道路をそれからまた,かなり走っていくと,広い駐車場に着きました。やっと佐田岬の先端に到着,かと思ったら,佐田岬の先端はそこからさらに約1,500メートル,25分も遊歩道を上り下りしながら歩く必要があるのでした。とはいえ,ここまで来て行かないという選択肢はないから,しかたなく歩きました。
かなりばてました。もう,2度といくことはないでしょう。とはいえ,結構すばらしい景色が広がっていました。友人が「よくなかった」と言ったような,つまらない場所ではありませんでした。
佐田岬の先端には佐田岬灯台がありました。
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佐田岬灯台は,四国最西端に突き出た佐田岬半島の先端に建つ灯台で,四国八十八景の52番に選定されています。
灯台の光達距離は約35キロメールで,光力は対岸の佐賀関まで十分達します。また,1966年にレーマーク・ビーコンが併置され,豊後水道と伊予灘の間を往来する船舶の安全に寄与しています。
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灯台敷地の西側には,四国最西端の碑が設置されていました。

確かに,この場所が佐田岬半島の最西端でした。しかし,まだその100メートル先に最高点の標高36メートル,面積5,300平方メートルの御籠島(みかごじま)があったのです。
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御籠島は,江戸時代に野坂権現が祭られ,神聖な島とされていました。
1945年(昭和20年)芸予要塞の一部として,島の内部をくり抜いて佐田岬第4砲台の工事が開始されましたが,程なく終戦となり,砲台は廃止され,設置されていた三八式十二糎榴弾砲は解体されました。
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1967年(1992年)に,三崎漁協が佐田岬と御籠島の間の狭い海峡に畜養池を作ったことで,佐田岬と陸続きとなりましたが,一般人の立ち入りは禁止されていました。
その後,蓄養池は使用されなくなり,2017年(平成29年)に「佐田岬灯台点灯100年記念」として周辺の整備が行われ,遊歩道が新たに造成されたことで,御籠島に一般者が渡れるようになりました。
そして,四国最西端の御籠島展望所と灯台点灯100年記念のモニュメントが作られ,佐田岬第4砲台が再整備され,榴弾砲のレプリカも配置され,内部が見学できるようになりました。
こうして,私は,ついに,四国最西端の地にヘロヘロになりながらもたどり着くことができました。

帰る途中,佐田岬半島は,ノーベル物理学賞を受賞した中村修二博士の出身地ということで,それを記念した碑と展望台があったので,寄ってみました。
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中村修二博士は1954年(昭和29年)生まれで,日亜化学時代の1993年(平成5年)に世界に先駆けて実用的な高輝度青色発光ダイオードを開発し,その発明により赤﨑勇博士,天野浩博士とともに2014年(平成26年)のノーベル物理学賞を受賞しました。
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なお,蛇足ですが,鹿児島県には本州最南端の佐多岬があります。名前が似ていますが,佐田岬は「さだ」みさきで佐多岬は「さた」みさきと読みます。私は,佐多岬には,まだ,行ったことがありません。

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