私が子供のころ,太陽系の惑星のうちで,水星から土星までと比べて,どうして天王星,海王星,冥王星だけ名前が異質なのか疑問をもったということを書きました。それは,水星から土星までは肉眼で容易に見えたから発見された惑星ではなく,天王星から冥王星までは「発見」された惑星だったからですが,天王星と海王星の発見についてはこれまでに書いたような経緯でした。
冥王星は14等級以下でアマチュアの望遠鏡でも見ることが困難なので,私の子供のころに読んだ天文書にはアマチュアには見ることができないと書かれていて,そのの知識のまま今もそう思っている私の知人がいます。
私は,機会があれば,一度は写真に収めたいと思っているのですが,もし,写ったとしても,それが冥王星であるという見わけをすることはずいぶん困難なことでしょう。
さて,今日は冥王星の発見についてです。今では,冥王星は惑星としての地位を追われてしまいましたが,私には,今も,冥王星はその後に発見され,準惑星とされるケレス,エリス,マケマケ,ハウメアなどとは一線を画す存在です。
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●冥王星の発見
準惑星である冥王星(Pluto)は,かつては太陽系第9惑星とされた天体です。1930年にクライド・トンボー(Clyde William Tombaugh)によって発見されました。
発見された新天体に「Pluto」という名前を最初に提案したのはイングランドのオックスフォード出身で当時11歳の少女ヴェネチア・バーニー(Venetia Katharine Douglas Burney)でした。トンボーは、偶然にも,冥王星の存在を予言したパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)のイニシャル「P.L」ではじまるこの名前をいたく気に入ったといいます。
日本語名の「冥王星」は日本人の野尻抱影が提案した名称です。1933年に中国でも「冥王星」(míngwángxīng)が使われるようになりました。
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ウィリアム・ヘンリー・ピッカリング(William Henry Pickering)とパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,天王星の軌道における摂動の分析からその存在が予測され発見された海王星と同じように,海王星の軌道もまた他の未発見の惑星「惑星X」によって乱されていると推測し,そのような惑星が存在する可能性のある天球座標をいくつか提唱しましたた。
1905年,ローウェル天文台では「惑星X」を捜索するプロジェクトを開始しました。プロジェクトはパーシヴァル・ローウェルが1916年に死去するまでの11年間続けられました。
1929年,プロジェクトが再びはじめられ,当時の天文台長であったヴェスト・スライファー(Vesto Melvin Slipher)がクライド・トンボーにこの仕事を預けました。
クライド・トンボーは,ローウェル天文台の口径13インチ(約33センチメートル)の天体写真儀で空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影し,その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行いました。そして,撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果,ついに,1930年2月18日,同年の1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけました。
なお,2枚の写真を比べて新天体を発見する方法は今も行われていますが,クライド・トンボーが行っていた当時とは違って,コンピュータが自動的にそれを行っています。
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しかし,クライド・トンボーが発見した「惑星X」は,海王星の軌道の摂動の原因となるにはあまりにも小さすぎたのです。実際は,19世紀に天文学者が観測した海王星の軌道の計算との食い違いは「惑星X」によるものではなく,海王星の質量の見積もりが正確でなかったためのものでした。
それにしても,パーシヴァル・ローウェルが予測した「惑星X」の位置は,クライド・トンボーが発見した実際の位置にかなり近いものでした。不思議な話です。イギリス人の天文学者アーネスト・ウィリアム・ブラウン(Ernest William Brown)はこれを「偶然の一致」だと結論づけました。
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☆ミミミ
この写真は,2018年5月にオーストラリアに出かけたときに私が写した写真から冥王星を探し出したものです。14.3等星です。