●どこの国もそう変わらないものだ。●
デラウェア州はメリーランド州とペンシルベニア州の間にある小さな州なので,メガバスはデラウェア州ニューアークのデラウェア大学にある停留所を出発しインターステイツ95に戻ったら,すぐにペンシルベニア州の州境になった。
思う存分景色が見られるバスの旅はいいものだ。特に,日本と違って,道路に防音壁がないから非常に見通しがよく美しい。
このようにして,いよいよフィラデルフィアに戻ってきた。ボルチモアとは違って,フィラデルフィアのメガバスの停留所はアムトラックステーションの近くなので,ここからダウンタウンにアクセスするのには問題はない。
しかし,考えてみれば,日本の高速バスだって,途中の停留所は高速道路に作られたところやインターチェンジにあって,そこで降りてもそこから公共交通機関すらない場所だったりするからアメリカと同じようなものだ。だから,このことは,アメリカがどうだ,日本がどうだという話ではない。
同様に,ネットの書き込みには,フィラデルフィアのメガバスの停留所はアムトラックステーションからは少し奥まった「不便な」ところだったので治安が心配であった… と書かれたものがあったが,日本の格安バスの停留所だって,さほどの違いはない。東京駅でも,格安バスの停まるのは八重洲口からずいぶん離れた暗い場所だから,外国人には「不便な」ところに思えることであろう。
それに関連して,もう少しこの話題を続けよう。
ニュージーランドではモーテルのような簡易ホテルは不思議な構造になっていて,我々が思うような部屋の入口というものがない。日本でいう縁側のようなところから入る感じなのである。これもまた,ネットの書き込みに,私の泊まったモーテルには入口がなくとても不安だった… と書かれてあったものを見つけたが,それはニュージーランドでは何も特別なことではないから,書いたほうが無知であるだけなのだ。
それ以外にも,ネットの書き込みには,このような,書き込むほうの偏見やら誤解から来ているものが数多くみられるから,書かれるほうはたまったものでない。そういうことをわかって読む分にはその信ぴょう性が判断できるが,そうでない場合が少なくないことであろう。
さて話をもどして…。
バスはインターステイツ95に沿ってフィラデルフィアの西側を南北に流れるスクールキルリバー(Schuylkill River)を西から東に越え,サウスフィラデルフィアをしばらく走り,ジャンクションでインターステイツ76に乗り換えて逆方向に進み,再びスクールキルリバーを今度は東から西に渡ってから,川に沿って西岸を北上しはじめた。
いよいよ終点である。そしてまた,これが今回の私の旅の最終目的地でもある。
目の前に見慣れたアムトラックステーションの建物が見えてきた。5日前はレンタカーを返却するためにこの駅までやってきたのだったが,そのときはレンタカーリターンの駐車場がなかなか見つからず戸惑ったのを思い出した。
やがて,アムトラックステーションを越えたところの路地を1ブロック過ぎたあたりでバスは停車した。ここが停留所であるらしい。前にはボルトバスも停車していた。
ネットの書き込みにあった「不便な」場所とはここのことをいっているのだろうが,ここはまったく不便な場所ではないし治安の悪いところでもない。
バスが停車したので乗客が順々に降りていって,カバンを手にしてダウンタウンに向かって歩いていった。それは日本の高速バスを降りたときとなんら変わる風景でなかった。
私はふだんレンタカーでアメリカを旅することが多いので,こういう状況を見るのはまれである。
しかし,サンフランシスコ,ニューヨークといった大都会を公共交通機関を使って観光すると,日本もアメリカもさほどの違いを感じないし,どちらが便利だ不便だといっても,それはその土地のことを知らないからそう思うだけであって,日本に来る外国人だってきっと同じようなことを思っているであろう。
成田から東京都心に行く交通機関だってそれは同様だ。日本は自分の会社に客を囲い込むことが大好きだから公共交通機関を使うときに他社との接続については冷淡だったりきちんとした案内がなかったりする。表向き「おもてなし」といいながら,このように薄情なことが少なくない。
あるいはまた,セントレア・中部国際空港へのアクセス鉄道である名鉄電車など,座席指定の特急を利用しない限り英語の放送もなく不案内この上ない。私はこれまで電車に乗り間違えそうになった外国人を数多く救出? したものだ。
一番先頭に座っていたから最後になったが,私もまたメガバスを降りて,アムトラックステーションまで歩いていって,5日前にフィラデルフィアに来たときと同じように地下鉄に乗ってホテルに向かった。そのときはわずか1日間フィラデルフィアに滞在しただけなのに,それでも2度目となると勝手がわかるので,もう戸惑うこともない。
今日から泊まるホテルもまた,前回と同じところを予約してあった。フロントで私が数日前にも来たことを覚えていて,あっさりとチェックインを済ませて,すぐに部屋に入ることができた。
私は部屋に荷物を置いて,再び外に出た。目指すのはフィラデルフィア美術館であった。
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2016夏アメリカ旅行記-再びフィラデルフィアへ③
●対向車線は事故で大渋滞だった。●
すでに書いたことだが,私はこの旅でフロリダ州からジョージア州にかけてインターステイツ95を走っていたときに大渋滞に巻き込まれた。アメリカのような広い国では渋滞など無縁であると思われるかもしれないが,さにあらず,特に東海岸のように交通量の多い場所でこういうことが起きるのだが,一旦起きるとどうにもならない。
私が巻き込まれたときの渋滞の原因はコンボイの横転であったが,情報がわからず難儀した。
今回のものは,バスから眺めていると対向車線がとんでもない状況になっていた。この渋滞の原因は写真のように車の衝突であった。こうなると,もう,逃げ場所もなく,対向車線は延々と大渋滞になっていた。
運よく,私の乗ったバスの進行方向は渋滞とは関係なく,その後も順調に走り続け,ボルチモアの次のバスストップであるデラウェア州ニューアークに到着した。停留所のあったのはデラウェア大学の構内であった。
ニューアーク(Newark)は,デラウェア州の北部,メリーランド州との州境に位置し,人口は約3万人,ウィルミントン,州都ドーバーに次ぐ州第3の都市である。ニューアークはデラウェア大学が本部キャンパスを置く大学町である。
ニューアークは1694年,スコットランド系,アイルランド系,およびウェールズ系の入植者によって創設された。1758年には,イギリス王ジョージ2世がニューアークを町として正式に認可,また,ジョージ2世が農産物取引の場として,半年に1度の祭,および週1回の市場をはじめた。
やがて独立戦争が勃発すると,イギリス軍が進めていたフィラデルフィア方面作戦の最中,ニューアークの近郊,クーチズ・ブリッジで大陸軍がイギリス軍が交戦した。このクーチズ・ブリッジの戦いでは,アメリカ史上初めて星条旗が掲げられた。独立戦争が終わると,デラウェアは1787年に連邦最初の州となった。
ニューアークの歴史においては学校が大きな役割を演じてきた。1743年にフランシス・アリソンが設立したグラマースクールは1765年にペンシルベニア植民地のニューロンドンからニューアークに移され,校名もニューアーク・アカデミーに変更された。このニューアーク・アカデミーとは別個に,デラウェア州は1833年にニューアーク・カレッジという新しい学校を認可した。
1834年にニューアーク・アカデミーとニューアーク・カレッジが合併し,デラウェア・カレッジとなった。1859年にデラウェア・カレッジは一旦閉校に追い込まれたが,11年後の1870年にモリル・ランドグラント法によって土地を供与され,半官半民の大学として再建,1913年デラウェア・カレッジは州議会の決定に従い,デラウェア州政府に完全に移管され,1921年デラウェア大学に改名した。
デラウェア大学はニューアークの中心部,およびその南にキャンパスを置いていて,デラウェア州最大の規模を有する総合大学として広範囲にわたる学部・学科・専攻プログラムを有している。
デュポンが興り,化学産業や製薬産業が発展しているデラウェア州という土地柄から,経営学,化学工学,化学,生化学の分野に特に強みをもっている。
バスの車内から見た限りではとても落ち着いたアカデミックさただようきれいで素敵な町であった。こういう町でならもういちど大学生活をしてみたいと思った。
2016夏アメリカ旅行記-再びフィラデルフィアへ②
●安価で快適な「メガバス」●
私はこの旅で50州制覇とMLB30球団のボールパーク制覇に加えて,長年の夢であった「アムトラック」にも乗ることができた。長距離バスはすでに「グレイハウンド」は乗ったことがあったが「メガバス」は初体験であった。
フィラデルフィアからワシントンDC まで利用したアムトラックは39ドルであった。そして,今回ワシントンDCからフィラデルフィアに行くメガバスは2階の最前列という最も高価な席でも10ドル,そこに手数料を加えて私が支払ったのは12ドル75セントであった。わずか1,500円くらいでワシントンDCからフィラデルフィアまで行くことができるのである。240キロ,東京から浜松ほどの距離である。
アメリカのメガロポリス,つまり,ニューヨーク,ワシントンDC,ボストンなどを観光するには車は邪魔になるだけだから,都市間の移動にはバスを使い,市内観光には地下鉄などを利用するに限る。このとき,公共交通機関を利用して観光するのに便利なように,地下鉄の駅から徒歩圏内の場所に適当なホテルを見つけるのがポイントである。
しかし,アメリカの東海岸の夏は日本以上に蒸暑いから,夏休みに旅をするには覚悟がいる。
考えてみれば,私にとっては,35年前に生まれてはじめて何もわからずアメリカをひとり旅をしたときが最も旅のやり方としては優れていたようなのだ。
確かに今よりも大都市の治安は悪かったが,今ほどに観光客でごった返していなかったし,市内観光は歩くか公共交通機関を使い,都市間の移動にはグレイハウンドを利用したとても楽しい旅であった。若さは暑ささえ苦にしなかった。
思い出すのは,ニューヨークで宿泊した安ホテルから,朝,歩いて近くのレストランに行ってモーニングサービスのような食事をしたときのことだ。ビリージョエルのアメリカが,吉田ルイ子のアメリカがそこにはあった。ああ,懐かしき日々よ。
今考えると,たいして英語もできなかったのに,今回の旅以上にいろんなところに行き,様々な経験をしているのだ。若いというのは実に素晴らしい。そして,そうした旅をしたことが生涯の思い出となる。若い時間を決して無駄に使ってはいけない,としみじみ思う理由である。
メガバスの乗り心地は,日本の高速バスとほとんど変わらなかった,というよりも日本のバスよりも広く快適であった。
私は,2階の最前列の席に座ったからずっと景色を見ることにしていた。このバスは無料のWifiが通じてはいるがさほど入りがよくないらしい。しかし,私はこの貴重な時間をネットサーフィンをするような無駄をして過ごす気はまったくなかった。
バスはユニオンステーションを出て,そのままインターステイツ95を目指してワシントンDCのダウンタウンを走っていった。
写真にあるように,私の乗ったバスの前にボルトバスが走っていた。それと進路を別にすると,その前にもう1台のメガバスが別の目的地に向かって走っていて,ジャンクションで分かれていった。
私の乗ったバスはインターステイツ95に乗ってフィラデルフィアを目指して進んでいく。この道はすでに私が数日前に車で走ったところである。それにしても… と前回走ったときに思ったのは,このインターステイツの道路標示が変だったことである。アメリカでは茶色地の標示は観光地を示すものなのである。道路標示なら緑色地でなければならないのだ。
今回,座席から見ても,ここの標示は確かに茶色地であった。どうやら,このインターステイツ95の走っているところは国立公園のなかであって,管轄が国立公園局のようで… あった。
そうこうするうちに,バスはボルチモアの行政区域に入った。さらに走っていくと道路は有料道路になった。私は有料道路を走るのは避けたので,この道路は走っていない。バスはこのまま有料道路を通ってインターステイツを一旦降りて,ボルチモアのダウンタウンに向かうのかと思った。このあたり,窓から外を見ても,インターステイツにもパトカーが数台停まってなにやら取り調べをしているし,物騒なところだった。
実は,私はバスがボルチモアのダウンタウンを走るのを密かに期待していた。ダウンタウンの疲弊した景色が見たかったからだ。しかし,バスはインターステイツを降りずそのままボルチモアを通過してしまい,それからもずいぶんと走って,ボルチモア郊外のモールの駐車場に停まった。
メガバスのボルチモアの停留所は意外な場所にあった。後で調べると,そこは,
White Marsh Mall Opp Red Lobster
- 8092 Honeygo Blvd Baltimore MD Bus Station -
というところであった。ダウンタウンからは20マイルも離れていて,こんな場所で降りても車がなければボルチモアのダウンタウンには行くことができない。
この停留所で数人の乗客が下車した。どうやら家族がここまで迎えに来ているようで,モールの駐車場に停めていた車に乗って帰っていくのが見えた。メガバスの停留所は都会によってはこういう郊外の不便なところにあるあるから利用する際は注意が必要,とガイドブックに書かれてあったのを思い出した。
2016夏アメリカ旅行記-再びフィラデルフィアへ①
●アメリカの格安バスに乗る。●
☆14日目 8月9日(火)
今日はワシントンDCからフィラデルフィアに移動する日であった。いよいよ長いこの旅も最終章であり,フィラデルフィアの市内観光を残すのみとなった。
フィラデルフィアからワシントンDCへ来たときは鉄道の「アムトラック」を利用したが,今回は「メガバス」を利用することにした。アメリカには「グレイハウンド」(greyhound)という老舗の長距離バスがあるが,「メガバス」(megabus)というのは現在売り出し中の長距離格安バスである。経営母体などは全く異なるが,イメージとしてはちょうど日本でいうJRバスと格安長距離バスのような感じであろうか。
「グレイハウンド」はアメリカで最大規模のバス会社であるが,この会社の走らせる長距離バスそのものを「グレイハウンド」と称することも多い。アラスカ州とハワイ州を除くアメリカ本土とカナダ及びメキシコの一部の都市を結ぶ膨大な数の路線を持ち,3,100路線以上が存在する。
「グレイハウンド」は1913年にミネソタ州ヒビングにて設立され,1926年にグレイハウンド・コーポレーションとなる。現在はテキサス州ダラスに本社を構えている。
私もまだアメリカでは車を運転しなかった今から35年前,グレイハウンドを利用してニューヨーク,ワシントンDC,ボストンを移動した。当時はこのグレイハウンドに乗ってアメリカを横断するのが夢であった。
思えば,若いというのはよいものよ! 大学に入ったばかりの大学生諸君,ともかく,英語ができないとか金がないとかいった言い訳をせずに,この夏は思い切って旅に出て,グレイハウンドでアメリカ横断をしてみるとよい。人生の何かが確実に変わり,自分に自信ができることであろう。当時もまた,お金のない若者や留学生はグレイハウンドに乗ってアメリカを旅した。谷村新司さんも若いころそうしたと聞く。
アメリカではグレイハウンドのような長距離バスの停車場をバスティーボ(bus depot)という。日本ではバスターミナルを「バスセンター」と名乗るが「バスセンター」という言葉は和製英語である。また,「terminal」という語はターミナルケアのように人生の終点を連想させるので,アメリカでは嫌われている場合もある。
バスティーボは都市によってその場所が非常に治安の悪いところであったりするので注意を要するが,比較的規模の小さい都市ではダウンタウンにあることが多く,たまたまそこに差しかかったとき,そこからバスに乗り込む人の姿を見ていると,ああ,アメリカだなあ,とけっこう感動する。
旅はいいものだ。
私はレンタカーで旅をしていることが多いので,こういう公共交通機関に疎かったのだが,近年,「グレイハウンド」に加えて「メガバス」とか「ボルトバス」といった格安バスがあるという話だったので,今回,ぜひ利用してみたいと思っていたのだった。
「ボルトバス」(boltbus)というのはアメリカ北東部のバス事業者で,本社はニュージャージー州セコーカスにある。2008年に設立されたグレイハウンドとピーターパン・バスラインズの折半出資の事業で,グレイハウンドの営業許可を利用してニューヨークとアメリカ北東部の都市を結ぶバス路線を運行しはじめたという。
ボルトバスもメガバスもグレイハウンドをスタイリッシュに改善したバスで,車内には無料Wifiやモバイル用の電源もあり快適だという話でだった。また,どれくらいの人々がチケットを購入したかによって運賃が決まり,最低1ドルの運賃が設定されているという。
私は,インターネットでメガバスを予約した。予約したときに座席の選択ができて,席によって値段が若干違っていたのがまたアメリカらしい話であった。私はせっかくなので2階席の最前列を予約した。値段はアムトラックよりはるかに安く3分の1くらいであった。
ワシントDCでは,バスターミナルはユニオンステーションの3階にあって,ここからはグレイハウンドもメガバスもボルトバスも発着していて,過剰に豪華な新宿は別として,日本の大都市のバスターミナルとほとんど変わらないところであった。