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ネット上に,
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あ高等学校の物理の先生が「世の中の事象はすべて物理で説明できる。そして物理を極めれば数学になり,数学を極めれば哲学になる」と仰っていました。
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というものがありました。まじめな高等学校の先生らしいお話です。
それに対して,ふまじめな私が物理学を「卑怯」だと思っているところは,所詮,物理学など,本質的なことは「原理」としてその先を触れることもなく,その「原理」とやらから作った基本法則をもとにして,それを当てはめると,将来起きることや過去に起きたことが導き出せるというたかがそれだけなのに,傲慢にもそれを「すべて説明できる」とかいっちゃうことです。しかし,物理学では,そもそも「原理」がどうして「原理」となりえるのかは何も語っていないのです。
そして,その基本法則を書き表す記述手段が人間の構築した数学なので,「物理学で説明できる」というのは,「人間のこしらえた数学で原理を表すことができる」というだけのことです。そして,それを数学でなく言葉でわかるように説明すれば,それは哲学となっていく,というわけです。要するに,そこでの究極的な問題は「わかるとは何か?」ということなのですが,その点では,何もわかってはいないというのが答えになります。
私が書きたいのは,そうした物理学に意味があるかないかということでなく,人間の生み出した数学,その数学を用いて原理を記述する物理学,それらがどこに向かっているのかということです。つまり,そうした思索ができる(と思い込んでいる)人間を生み出したいわゆる「創造主」(宗教的なものではありません)は,はたして,人間に本当にそれを解明するだけの能力を授けたのだろうか,ということです。今でも,宇宙全体の質量のうち,人間が知っているものはわずか5パーセントの元素であり,26.5パーセントを占めるといわれるダークマターと68.5パーセントを占めるといわれるダークエネルギー(ダーク dark =「わからない」の意)については何も知らないのです。
では,人間は知能という能力を無限にもっているのでしょうか? いくらがんばっても人間は100メートルを1秒で走ることはできないでしょう。では,知能においては,こうした限界というのはないのでしょうか?
私は人間の知能に限界はあると思います。だから,人間の能力では将来も世の中の事象は物理で説明できはしないのです。しかし,人間は,物事の真理に近づきたい,そうした願望で,有史以来延々と知能の限界に挑戦して,少しずつ乗り越えてきました。そのもととなるのは,知りたいという好奇心です。その結果,科学が進歩し,生活が改善されてきたのだから,それはそれでいいのです。物理学は意味があるのです。
しかし,その反面,物理学は,人の争いに利用されてきました。そこでむしろ,物理学によって作られた兵器をもちいた戦争で,人間は滅んでしまうのか? ということのほうが問題なのです。
有史以来,人間の歴史は争いの歴史です。そして,いつの時代も,戦争という過ちを犯すたびに,平和を求めるための作業を延々とやってきました。その結果,避けられた争いも少なくはないから,そうした努力もまた意義があるのです。しかし,そうした努力にも関わらず,依然として,愚かな人たちは争いを続けています。そして,争いの手段として用いられてきたのが物理学なのです。
近年も相変わらず,大国の利権の争いをはじめとして,世界中のどこかで何かがこじれています。しかし,物理学をもとにした急激な科学技術の発展が,そうした争いをこれからも続けることに危機的状況を生み出しているのが,昔の争いとは異なる点でしょう。皮肉にも,兵器があまりに危険になってしまったために,それが抑止力となっているわけです。しかし,どこかの国が何かの間違いで核兵器の発射ボタンを押した瞬間に,世界は容易に滅んでしまうのです。
では,「創造主」は,そうした英知とともに愚かな本能を人間に与えていて,その結果,究極的には人間を滅ぼそうと企てて創造したのでしょうか。残念ながら,私はそうであると思います。近い将来,多くの人間の平和を求める努力にもかかわらず,愚かなひとりの人間が何かのはずみで間違いを犯し,その瞬間,恐竜がたったひとつの隕石の衝突によって消滅したように,地球上の人間はあっという間にあっけなく滅亡するのです。
地球の46憶年の歴史で恐竜が君臨したのが1億年以上,それに対して,人間の歴史はわずが数万年,文明が発達してからはまだ1万年にもなっていないのです。恐竜の繁栄に比べたら,それは1万分の1でしかない。それなのに,人間という傲慢な自称「知的生命」は地球を征服した気になっています。そんな傲慢な人間は,近い将来,たったひとりの愚かな行為で,まるで炭酸飲料のあぶくのように,あっという間に絶滅してしまうのです。
人間はもっと謙虚になるべきなのです。
おそらく,2020年のコロナ禍もまた,傲慢な人間に対する創造主からの警告なのでしょう。
タグ:創造主が作ったもの
どうして生き物がいるのだろう?-創造主が作ったもの①
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私がこのごろとても不思議に思うのは,どうしてこの世界に生き物がいる「必要がある」のだろうか,ということです。私の結論は,この世界を作った創造主(宗教的なものではありません)が,せっかく作ったのにそれを共感してもらう人がいないとさびしかったから,ということです。…というのは冗談ですが,地球上に生息する生き物は,いったい,どうして生きている,生きていなければならないのでしょうか。別に地球上に生き物がいなくても,何も困らないではありませんか。
視点を変えてみましょう。生き物は,生きていて何が楽しいのでしょうか。トラやライオンのご趣味は何なのでしょうか。エサをとったり,繁殖をするのは,おそらくそれを作った創造主が与えた本能で,そうしないと滅びてしまうからそうなったという仕組みにすぎないわけです。そういう仕組みが偶然そなわったから存在している,というだけのことでしょう。
それに加えて,高等な生き物では,生きているという状況に加えて,そこに感情やら知性やら,そういった,いわば余計なものが,これもまた偶然備わってしまったために,さらにややこやしくなっているのですが,そういうことだって,すべては,何らかの化学反応の結果生じた結果にすぎないのでしょう。
とまあ,私は,そんなことを考えるようになってきました。
そうした生き物の不思議を他人ごととしてとらえているうちは,それでもまだ冷静に空言ととして考えることができますが,そこに,個,つまり,生きている自分というものが宿っているから,さらにさらに事態はややこやしくなるのです。
それは,たとえば100人の人がいて,何らかの事故が起きて,その結果,99人が生き延びてひとりが亡くなるという状況が発生したとき,その亡くなったひとりがもし自分だったら,たとえ生き残った人が何人いようと関係なく,それですべてが終わりなのです。自分が亡くなってしまえば,この世界があろうがなかろうが,生き物が存在しようがしまいが,そんなことはすべて超越してしまって,もはやどうでもいいわけです。たまたま生き物というものができたこの世界に,その生き物に自分が宿ったがためにそれを認識している,というだけの話にすぎないからです。
と,単に,生き物は化学変化の多くの偶然が重なってできちゃっただけなのに,人は,その生き物に宿っている時間を退屈しないで過ごすために,ごちゃごちゃといろんなことをして,世の中の仕組みを作ったり生きることを正当化する哲学をこしらえたりしているというのが,この世界というわけです。
そうした生き物である人間は,世界がどうしてできたのかという不思議を納得させるために,いろんなことを考えました。それらを「天地創造」といいます。しかしまあ,それもまた,単に人間が考えただけのものがたりですけれど。
「旧約聖書」には,
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1 In the beginning God created the heavens and the earth.
2 Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of the deep. God's Spirit was hovering over the surface of the waters.
3 God said, "Let there be light," and there was light.
4 God saw the light, and saw that it was good. God divided the light from the darkness.
5 God called the light "day," and the darkness he called "night." There was evening and there was morning, one day.
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1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく,むなしく,闇が淵の表にあり,神の霊が水の表を覆っていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て,よしとされた。神はその光と闇とを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ,闇を夜と名づけられた。夕となり,また朝となった。第1日である。
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と書かれてあります。
また,中国の思想書「淮南子」の天文訓には,
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道始生虛廓 虛廓生宇宙
宇宙生氣
氣有涯垠 清陽者薄靡而為天 重濁者凝滯而為地
清妙之合專易 重濁之凝竭難
故天先成而地後定
天地之襲精為陰陽
陰陽之專精為四時 四時之散精為萬物
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最初に虚空があり,虚空のうちに宇宙が生まれる。
その宇宙のうちに,気が生ずる。
気には重さがあり,軽くて透明なものは,うすくたなびいて天となり
重く濁ったものは沈み固まって地となる。
軽くて透明な気は集まりやすいが,重くて濁っている気は固まるのが遅い。
だからまず天ができあがり,地はそのあとにできる。
天の気は集まって陽気となり,地の気は集まって陰気となる。
この陰陽二気のうち,純粋なものは春夏秋冬の四季を構成し,そこからあふれでた気は万物を構成する。
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とあります。
この書の影響を受けたといわれる「日本書紀」には,
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古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鷄子 溟涬而含牙
及其清陽者 薄靡而爲天 重濁者 淹滞而爲地
精妙之合摶易 重濁之凝竭難 故天先成而地後定
然後 神聖生其中焉
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昔,まだ天と地が分かれておらず,陰陽の別もまだ生じていなかったとき,鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に,ほの暗くぼんやりと何かが芽生ていた。
やがてその澄んで明るいものは,のぼりたなびいて天となり,重く濁ったものは,下を覆い滞って大地となった。
澄んで明るいものは,ひとつにまとまりやすかったが,重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。それゆえ,まずは天が出来上がり,大地はそのあとでできた。
その後,そのなかに神がお生まれになった。
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となっています。
このように,昔から人はこの世界の創造について,さまざまに思いを巡らせてきたのですが,どれもよく似た感じです。おそらく,実際も,な~んにもないところに,なんらかの「ゆがみ」やら「ひずみ」やらが偶然できて,それが物質となり,物質がさまざまに化学反応を起こして,やがて,生き物という摩訶不思議なものができちゃって,それがさまざまな反応を繰りかえすうちに,創造主すら予期しなったこんな複雑な世界になった,というだけのことでしょう。
ということで,この問題に対する私の結論は,世界なんてそんな程度でできちゃったっていうことなのだから,それらはすべて,生き物の力を越えたところにあるどうにもならないもの,ということです。そのうち,世界自体がなくなってそれで終わりです。それが早いか遅いかだけで,未来永劫なんてありえないのです。
物質の化学反応でできちゃったのが生き物なのだから,生きている意義なんて本当は何もない。だから,人と競っても,名を残しても仕方がない。ただ,それではむなしくなってしまうから,生きているってすばらしいよみたいな哲学をこしらえたり,人と比べることに喜びを見出してみたり,競争して勝つことに快感を得たりと,いろいろ理屈を作ってそれぞれが生きがいとやらを見つけているのです。
私個人の独断と偏見でいえば,出世欲と権力欲はその中でも最も下等な生きがいです。でも,人に迷惑さえかけなければそれでいいではないですか。それでその人が救われるのなら…。
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今日は,生きることは所詮死ぬまでの暇つぶし,だから,堅いこといわずに,生きている間を,みんなせいぜい楽しみましょう,というお話でした。
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Hunter's Moon 2020.
今年の中秋の名月は10月の月です。
ちなみに,2020年の10月は満月が2回あります。
次の満月 Blue Moon は,地球と月の距離が最遠となります。


