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最上川逆白波のたつまでに
ふぶくゆふべとなりにけるかも
「白き山」斎藤茂吉
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山形生まれの歌人斎藤茂吉の最後の歌集「白き山」に収録されたこの歌は、終戦当時に疎開していた大石田の知人宅で,病中の孤独の中でつくられた晩年の代表作だといわれています。
大石田あたりのゆったりと流れる最上川にさえ白波のたつ吹雪の冬。この歌は,老歌人の心がそんな厳しい情景をくっきりと描かせているといいます。
今日の東北の寒さを感じさせるようです。東北の人たちに,どうか,幸せが訪れますように。
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青春とは,明るい。華やかな,生気に満ちたものであろうか。
それとも,もっとうちぶれて陰鬱な,抑圧されたものであろうか。
「どくとるマンボウ青春記」北杜夫
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歌人斎藤茂吉の子北杜夫は,旧制の松本高校を卒業し,医師でありながら作家として大成しました。「どくとるマンボウ青春記」で,北杜夫は,独特のユーモアを交え,自分の青春を振り返るのです。
松本で,日本アルプスの雪景色を眺めると,北杜夫の思いとともに,いつも,この本の冒頭を思い出します。
この本の最後は,次のように締めくくられています。
医師国家試験を前にしても相変わらず恥じ多き怠惰な日を送っていた杜夫は,父茂吉の死の報知を受けたのでした。そして,東京へ戻る夜汽車の中で茂吉の歌集「赤光」をあてもなく開いて過ごしながら,こういう歌を作った茂吉という男は,もうこの世にいないのだな,もうどこにもいないのだなと幾遍も繰返し考えたのです。そのとき,杜夫のカバンの中には,自分の最初の長編「幽霊」のかなり分厚い原稿が入っていたのでした。
母の死をうたった歌によって誕生した茂吉の「赤光」,その茂吉の死が語られる「どくとるマンボウ青春記」。
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「どくとるマンボウ青春記」を書いたその北杜夫もすでに亡く,青春という言葉さえも不似合いな時代となってしまいました。今,私の手元には,「人はなぜ追憶を語るのだろうか」からはじまる「幽霊」の,歴史を重ねて黄色くなってしまった古い文庫本があります。小さな一冊の本は,そうした,歌人と作家の人生の重さを今も無言で語りかけているのです。
旅と読書は,人生を豊かにします。季節の移り変わりが,日々の生活に彩りを与えてくれます。
そして,いつの日か,人は追憶を語るのです。