しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:古都アレキサンドリア

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●マザーロード国道1●
 アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.(Washington, D.C.の正式名称は「コロンビア特別区」(District of Columbia)である。ワシントンDCの面積はわずか176平方キロメートルで,名古屋市の約半分,世田谷区の約3倍である。北はメリーランド州,南はヴァージニア州に挟まれたポトマック川河畔に位置し,首都としての機能を果たすべく設計された計画都市である。
 1790年に「コロンビア特別領」 (territory of Columbia) として創設され,1801年の旧コロンビア特別区自治法により「コロンビア特別区」となったが,特別区内にあった自治体のひとつがワシントン市だった。そして,1871年の新コロンビア特別区自治法により特別区内の全ての自治体がワシントン市に統合された。
 このような経緯から今でもワシントンDCといわれているのである。

 今日の1番目の写真は,ポトマック川クルーズ船から見上げたものである。この橋は国道1であるが,国道1はポトマック川にかかるこの橋を通ってワシントンDCに達する,この国道1こそ,私がこの旅で最南端キーウェストから走ってきた道そのものなのである。
 キーウェストからは1,200マイル,約2,000キロもの距離で,これは鹿児島・青森間の距離に相当する。
 はじめてニューヨークに来た35年前に,ニューヨークからフロリダまでドライブするという在米の日本人の話を聞いてうらやましく思ったものだったが,私もいつかはそうした旅ができようとは,そのときは思いもよらなかった。感無量であった。

 ポトマック川クルーズは,ほかの観光船とは違って,いたって地味なものであったが,景色もよく,なかなか素晴らしいものであった。なんといっても暑さがしのげたことと,ワシントンDCをポトマック川から見ることができたのがよかった。
 クルーズを終えて,再び,「魚雷工場美術センター」に戻ってきた。この波止場でバンドがパフォーマンスをしていた。写真では暑さがわからないので,このアレキサンドリアは美しく楽しそうな町に見えることであろう。
 東海岸は夏に行ってはいけないのだ。
 お昼になってさらに暑くなってきたので,暑さに弱い私はまったく観光をする気がなくなった。おいしいものを食べる意欲すら失われた。そこで適当に昼食を済ませて帰ることにした。「魚雷工場美術センター」に一軒の店があったので,そこで私はサンドウィッチとジュースを買って,店の前のテーブルと椅子に座って,ともかく,腹ごしらえをした。

 このアレキサンドリアからマウントバーノンまではさらに南に10マイルである。「魚雷工場美術センター」を出ると,ちょうど,地下鉄の駅まで行く無料シャトルバスが来たので,それに乗り込んだ。

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●ウオーター・シーボート・クルーズ●
 アレキサンドリアには面白そうな店もたくさんあった。そのうちの1軒で大統領選挙のグッズを売っていた。
 私がこの旅をしていた時期はまだオバマ政権で,ちょうど民主党の大統領候補が選ばれたころである。すでに書いたが,私は,マイアミのコンドミニアムで民主党の党大会の様子をテレビで見ていたが,その党大会が行われていた場所というのが,数日前に行ったフィラデルフィアであった。
 それにしても,この時期,まさかトランプ大統領が誕生するなど夢にも思わなかった。
 
 私は土産物をほとんど買わないが, 大統領選挙グッズとならば,希少価値があろうというものである。そこで,店に入っていった。
 私が探していたのは「クリントン・トランプ」というものであった。日本人にこれを話すと結構受けた。しかし,日本語の「トランプ」というのはトランプゲームのカードのことだから英語では「カード」という。だから決して共和党候補の「トランプ」と掛け合わせたものではないのだが,みな,そうは思わないらしい。しかし,残念ながら私が探していたものはここでは見つからなかった。そこで私が買いこんだのはそれぞれに次にように書かれたくだらない2個のバッジであった。
  DUMP TRUMP 2016
  HELL NO HILLARY 2016

 トランプ,クリントン両候補のバブルヘッド人形があったので欲しかったのだが,あまりに巨大で,持って帰ることができずあきらめざるを得なかったのは残念であった。
 また,この町には,日本人の経営する日本料理のレストランもあったし,ショッピングをしたり散策をするにはもってこいのところであったから,もっと時間をとってゆっくりと観光をすればよかったとこれを書きながら思う。しかし,現実は,この日の異常な暑さが私を怠惰にした。
 この町での見どころは私が行った「ギャッツビーズタバーン」の他には「魚雷工場美術センター」と「アレキサンドリア・ウオーター・シーボート・クルーズ」であった。暑さから逃げ出すために,私は,ポトマック川を40分かけて航行するというこのクルーズに乗りたくなった。ちょうど乗り場のある場所が「魚雷工場美術センター」だったから,とりあえず,この建物に入って涼をとった。

 「魚雷工場美術センター」(Torpedo Factory Art Center)は第2次世界大戦時に魚雷の製造工場だったところで,現在は有名アーティストのギャラリーとなっている。とはいえ,私はほとんど興味がなかった。
 クルーズはアドミラル・ティルプ号(The Admiral Tilp)という小さな船に乗ってガイドがアレキサンドリアやポトマック川の歴史などを説明してくれるものであった。乗り場はわかったのだが,そこにはウオータータクシーの乗り場などの表示はあれど,私の乗りたいクルーズの乗り場の表示がない。大概はどこのハーバーも客引きがいるのだが,そうしたやる気すら感じられなかった。目の前に停泊していた船に船員がいたので聞いてみると,クルーズはこの船だと言うではないか。そこで,チケットを購入してさっそく乗り込んだわけだった。
 船が港から離れてポトマック川に出ると,遠くにワシントンンDCの景色がきれいで,最高の船旅になった。また,空には,レーガン空港を離着陸する航空機が絶えず飛んでいてそれを眺められた。

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●ギャッツビーズタバーン●
 アレキサンドリアにある歴史的建造物で1番の見ものは「ギャッツビーズタバーン」(Gadsby's Tavern)ということであった。タバーンというのは英語で居酒屋のことであり,日本でも気取った居酒屋ではこの名がある。
 この「ギャッツビーズタバーン」の公開は10時からということであったが,私が着いたときは,すでにはじめのツアーがはじまっていて,次のツアーは30分後と入口に掲げてあった。
 この建物もまたアメリカのそうした観光地同様に,派手な看板などまったくなく,単に入口にそうした掲示があるだけで,入るのもはばかられる感じであった。

 入口にはもうひとり,私のようにこの建物を目当てに来た若い女性が立っていた。どこからお見えですか,などというたわいのない話から親しくなったが,ではまた30分後に来ます,と言って,私は一旦前回書いた市場へ行った。
 30分後に戻ってきたらそのときの女性がいた。彼女に招かれて建物に入ったら,実は,その彼女が今回のツアーのガイドであった。
 ツアーは人が集まり次第開始,ということであったが,参加者は私ともうひとり別の女性のふたりであった。彼女の案内で,建物のなかを存分に見学した。
 アメリカでは,見学というのは大概こうした親切なそして博学なガイドさんと一緒で,日本の寺院のように自由に見学するというのはまれであるから,旅慣れていない,かつ,英語の苦手な人だと居心地が悪く困ってしまうであろう。いわば,京都へ観光に来た外国人が伏見の寺田屋を観光しようとなかに入って日本語のガイドさんに連れられて見学コースをまわるようなものである。

 このタバーンという歴史的建造物はアメリカ初期のもので,1785年に建てられたジョージアスタイルの居酒屋と1792年に建てられたフィラデルスタイルのホテルからなっている。 
 「ギャッツビー」というのはこの居酒屋の最盛期に経営をしていたイギリス人の名前「ジョン・ギャッツビー」(John Gatsby)にちなんだものである。
 当時,この居酒屋はアレキサンドリアの政治,ビジネス,文化の中心となっていた。1階は居酒屋とレストランであった。2階にはベッドのある居間と,その隣がホールになっていた。このホールでは結婚式,舞踏会,演劇会,集会などが開かれていて,トーマス・ジェファソン(Thomas Jefferson),ジョン・アダムス(John Adams),ジョージ・ワシントン(George Washington)もここをよく訪れていたという。
 19世紀の終わりごろまで栄えていたが,その後は荒廃し1972年に市へ寄贈され1976年に博物館としてオープンしたというものであった。

◇◇◇
私の訪れたアレキサンドリアで,6月14日午前7時ごろ,共和党の連邦下院議員スティーヴ・スカリス(Steve Scalise)らが男に銃撃されるという痛ましい事件が起きました。現場はユージーン・シンプソン・スタジアム・パーク(Eugene Simpson Stadium Park)で,スカリス氏は共和党議員らでつくる野球チームの練習中だったということです。事件が起きた場所はアレキサンドリアと報道されていますが,このブログに書かれているアレキサンドリアのダウンタウンからは北に2マイル(3.2キロ)ほど離れた場所です。

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●古都アレキサンドリアへ行く。●
☆11日目 8月6日(土)
 この日私は1日かけてスミソニアン航空宇宙博物館の別館であるウドバーハジーセンターに行くつもりであった。
 ウドバ―ハジーセンターはワシントンDCのダウンタウンから遠い。しかし,これはまったくの偶然であったが,私の宿泊したホテルの最寄り駅イーストフォールスチャーチ駅からならば,そのままシルバーラインの西向きに乗って終点のウィウハルレストンイースト(Wiehle-Reston East)駅で降りてバスに乗り替えれば行くことができるのだった。
 このシルバーラインはウドバ―ハジーセンターのあるダレス国際空港まで延長する予定なのだが,まだ完成していない。
 しかし,すでに書いたように,私は4日前にウドバーハジーセンターに行くことができたので,この日の予定が空いてしまった。そこで35年前には行くことができなかったワシントンDCの郊外にまで足をのばすことにした。いろいろ調べた結果,そのなかで最も魅力的であったアレキサンドリア(Alexandria)へ行くことにした。

 アレキサンドリアまではイースフォールスチャーチ駅からワシントンDCのダウンタウン方向である東向きに5駅行って,昨日,アーリントン国立墓地に行くときに下車したロズリン駅でブルーラインに乗り換えて南へ7駅,キングストリート・オールドタウン(King Street - Old Town)駅で降りればよいのだった。
 その途中,地下鉄は,ロナルドレーガンワシントンナショナルエアポート駅に停車した。空港はこの駅の目の前だから非常にアクセスがよい場所にある。しかし,この空港が手狭になったのでその役割をダレス国際空港に譲って国内線専用の空港になったのである。それに対してダレス国際空港は非常にアクセスが悪く,日本から空路ワシントンDCに行くのは結構大変である。
 ちなみに空港からダウンタウンに鉄道でアクセスのよいアメリカの大都市はオレゴン州のポートランド,サンフランシスコ,ミネアポリス,フィラデルフィア,シカゴ,アトランタ,ニューヨークといったところであろうか。アメリカでもこれらの都市なら車を借りなくても観光ができるところだ。

 30分ほどの乗車で私はキングストリート・オールドタウン駅に到着した。アレキサンドリアはこの駅からポトマック川に向かってキングストリート沿いにダウンタウンが続いている。
 無料のトロリーバスがあるということだったがまだ朝早く走っていなかった。
 アレキサンドリアはアメリカ合衆国の建国前の1749年に港町としてスコットランドの商人によって造られた町である。今でも当時のままの石畳にレンガ造りの建物が続き歴史保存地区に指定されている。いわば,アメリカ版の高山市である。
 それにしてもこの日は暑かった。早朝とはいえ,すでに歩くと汗が噴き出してきた。しかし,私の強烈な運の強さがこの日もまた発揮された。キングストリートを歩いていくと,市庁舎前の中庭に到着した。ここでは260年以上も続くアメリカで最も古い市場が今も毎週土曜日の7時から12時まで開かれているのだが,今日がまさに土曜日だったのだ。私はそんなことはまったく知らなかった。
 ここではとれたての野菜や果物,ホームメイドのパン屋スイーツ,花などの露天が所狭しと100以上立ち並んでいた。アメリカでこうしたマーケットに出会って歩きまわるのは本当に楽しいものである。

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