しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:吉田秀和

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 今から35年ほど前,毎週日曜日の朝,NHKFM放送で「モーツアルト・その音楽と生涯」という1時間番組が長年放送されていました。 この番組は,モーツアルトは,その短い生涯に600曲以上の作品を残しましたが,レコードやCDなど,音源のあるすべての曲を私の尊敬する音楽評論家・吉田秀和さんの解説とともに聴いていくという番組でした。 その当時,すでに吉田秀和さんは70歳を越えていたので,全部やれるのかなあ? と心配しながらはじめのうち聴いていたのですが,途中でめげた記憶があります。放送自体は無事完結したようです。
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 吉田秀和さんが亡くなったあとで,その放送の解説部分を文字にした「モーツアルト・その音楽と生涯」という全5巻からなる本が出版され購入しました。また,だれがやっているのかは不明なのですが,YouTube にそのときの放送が順にアップロードされはじめました。それを知ってはいたものの,なかなか聴く機会もなかったのですが,コロナ禍で,家にいることが多いので,これまでできなかったこうしたことに時間が割けるのもいいかなと,1年ほど前から,本を読みながら聴きはじめました。

 と,ここまでは昨年書いたお話ですが,1年たって,どうなったことでしょうか?
 やはり,途中の「ポントの王ミトリダーテ」(K.87/74a),「救われしベトゥーリア」(K.118/74c),「アルバのアスカニオ」(K.111),「シピオーネの夢」(K.126)で挫折をしかけました。というか,ここで数か月のブランクができました。
 よく知っているものならともかく,オペラなど,字幕もない状態で何時間を聴くのはかなり困難なことです。それを我慢して乗り越えたら,弦楽作品が多くなってきて,次第に楽しくなってきました。今では,130曲を越えました。本ではやっと第1巻が終わったところです。でも,まだ,モーツアルトは17歳です。
 いかに天才モーツアルトとはいえ,10代の作品は駄作? ばかりです。というか,音楽が専門の人にはおもしろいのでしょうが,聴くだけの私は,退屈な曲が多くあります。しかし,めげずに聴いていると,宝石のような曲にも出会います。たとえば,ディべルティメント(K.136/125b)とか,交響曲第25番(K.183/173dB)などです。こうして順に聴いていくと,モーツアルトの音楽が次第に成熟していくのがわかっておもしろいです。やはり,有名なものは当然いい,という当たり前の結論になってしまうのですが,そうでない曲の中にも,自分の感性と同期できるものがあればなあ,という期待もあるので,これからが楽しみです。
 しかし,私が聴き終えるにはいつまでかかるのだろうか?

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 お昼間は家に籠っている私ですが,まったく退屈することもなく,日々精神的に忙しくしています。
 精神的に堕落するのは,テレビでくだらない情報番組を見ることです。以前書きましたが,現代の社会では情報を得ることより得ないことの方が大切なのです。つまり,自分に不要な情報や何の根拠もない予想を聞いても,不安にこそなれ,何も得るものなどないのです。
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 ということで,私が精神的に忙しくしているのは,主に次の三つの事柄が理由なのです。
 そのひとつは,1980年4月から7年間,NHKFMで放送されていた吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」という番組で取り上げられた「モーツアルト・その音楽と生涯」シリーズの内容が網羅された全集を,当時の録音を聴きながら読むことです。ふたつめは,瀬戸内寂聴さんが訳された「源氏物語」全10巻を味わうことです。そして,三つめは,「升田将棋選集」全5巻の棋譜を並べることです。
 これらのことはこれまでずっとやりたいと思っていたのですが,なかなかじっくりと取り組むことができませんでした。この機会ということではじめたのですが,これがまあ,なんと幸せな気分になるこか。こうした時間を与えてくれた神に感謝です。

 「名曲のたのしみ」は放送当時私も録音しましたが,残念ながらすべて失いました。それが,ありがたいことに,この番組の録音がYouTubeにあがっているので,これを聴くことができるのです。そして,それを記録した全集が小学館から出版されていて,その本を私は持っています。そこで,40年後の今,当時の放送の録音を聴きながら本を追うことができるのです。毎週1回1時間の放送でしたがこれが7年,これをすべて聴けば,モーツアルトの作曲した音楽のそのほとんどを聴くことができます。
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 モーツアルト好きの人は多く,したがって,研究者も多く,この番組が放送されたのちに,新たにずいぶん多くの情報がインターネットから手に入るようになりました。それらの中には非常に充実したものがあって,今では,モーツアルトの作ったほとんどすべての曲の詳しい解説を読むことができるようになりました。さらに,以前ならレコードを買わない限り交響曲全曲を聴くことすら不可能でしたが,今はインターネットでモーツアルトの作曲した音楽のほとんどを簡単に聴くことができるのです。
 それに加えて,私が2018年と2019年にウィーンに行った経験から,モーツアルトが生きていた時代のオーストリアの様子が手に取るようにわかるようになったこともあります。
 こうしたことが助けになって,モーツアルトの音楽をより深く感じることができるわけですが,それはモーツアルトに限らず,私は,ウィーンのハイリゲンシュタットにあるベートーヴェンの小径を歩いて以来,ベートーヴェンの第6番交響曲「田園」を聴いたときの感動がまるで変わったし,また,マーラーの墓を詣でて以来,マーラーの交響曲を聴く気持ちが大きく変化したのですが,そうしたことと同じです。
 モーツアルトの作った音楽は600曲以上あるので,この先まだまだ楽しむことができます。気長にこれからもずっと「名曲の楽しみ」を通じてモーツアルトを味わいたいものだと楽しみにしています。

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 モオツァルトの音楽みたいに,軽快で,そうして気高く澄んでいる芸術を僕たちは,いま,求めているんです。 へんに大袈裟な身振りのものや,深刻めかしたものは,もう古くて,わかり切っているのです。
    太宰治「パンドラの匣」
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 先日,河村尚子さんのリサイタルを聴いて,すっかりベートーヴェンのピアノソナタにのめりこんだ私は,それ以来,さまざなピアニストで聴き比べをしているのですが,そこで引き込まれてしまった演奏がありました。それは,ホロヴィッツの演奏でした。ホロヴィッツの演奏はすごいを越えていました。
 それを聴いていて,「あること」を思い出しました。ここ数年はこれもまた,ディジタル化してしまいましたが,以前の私は,40年以上前から新聞の興味のある記事を切りとってはスクラップをしていました。それは今もすべて手元にあります。そんなスクラップ帳からやっと探し出したのが,その「あること」に関する記事なのです。
 
 ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ(Vladimir Samoilovich Horowitz)は1903年に生まれ1989年に亡くなったウクライナ生まれのピアニストです。
 ホロヴィッツがはじめて来日したのは1983年で,このときすでに79歳を過ぎていました。2回行われたコンサートのチケットは平均4万円という当時としては非常に高額なものでしたが,即日売り切れて話題となりました。しかし,そのコンサートで起きた「あること」が,ホロビッツ以上に吉田秀和という名を一般に知らしめた次の逸話です。
 それは,一説には,プログラムの前半終了後の休憩時間にインタビューを受けた音楽評論家の吉田秀和さんが,ホロヴィッツの演奏を「ひびの入った骨董品」と評したということになっているのです。そして,この批評を知ったホロヴィッツは,帰国後そのことばを気に病み続け,その3年後に再び来日を果たし,82歳という高齢にもかかわらず,今度は演奏会を成功させたというものです。
 しかし,歴史上の出来事というのは,かなりの部分が歪曲して伝わっていることが多いものです。私は,この,休憩時間のインタビューというのは知りません。むしろ,それは後世におもしろく伝えるための創作であって,実際にそんなインタビューでのやりとりがあったというのは事実でないような気さえします。インタビューして,さらに同じ内容の文章を残したとも思えないからです。
 このコンサートで吉田秀和さんがホロヴィッツの演奏を「ひびの入った骨董品」と評したのは事実で,それは当時朝日新聞に月に1回程度連載していた「音楽展望」に書かれたことなのです。私はこれを読んでびっくりした覚えがあります。
 現在,ネット上には,こうした昔の話を,単に聞いた話として伝えていたり,調べもせずさらに引用しているブログが見受けられたりしますので,ここで,その「音楽展望」から引用しておくことにします。…の部分は省略です。

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 百聞は一見に如かず。ホロヴィッツをきいている間,私はこの言葉を何度も噛みしめさせられた。その味は,いつも,苦かった。
 … 今度実際に自分の耳と目で経験したものの重さには対抗できなかった。
 重みとは何か。今のホロヴィッツには過去の伝説の主の姿は,一部しか,認められなかったという事実のそれである。… この人にはもっともっと早く来てほしかった。
 私は人間をものにたとえるのは,インヒューマンなので好きでない。しかし,今はほかに言いようがないので使わせて頂くが,今私たちの目の前にいるのは,骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上,その価値は,つきつめたところ,人の好みによるほかない。
 … だが,残念ながら,私はもうひとつつけ加えなければならない。なるほど,この芸術は,かつては無類の名品だったろうが,今は -最も控え目にいっても- ひびが入っている。それもひとつやふたつのひびではない。
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 そして,その3年後のホロヴィッツの再来日の演奏を聴いた吉田秀和さんは,「音楽展望」で次のように書いています。
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  3年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が,その演奏は私たちの期待を満たすにはほど遠く,苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼はひとりのピアノをひく人間として来た。彼は前よりまた少し年老いて見えた。
 が,その彼は何たるピアノひきだったろう!!
 音楽が人生と同じ広さと深さと高さを持ちうるとしたら,このピアニストが今完全に手中にしているのはその一角にすぎない。だが,それは最も精妙な宝玉の見出される一角である。
 … この人は今も比類のない鍵盤の魔術師であると共に,この概念そのものがどんなに深く十九世紀的なものかということと,当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない。
 … この人が捲土重来,はるばる再訪してくれたことに,心から感謝せずにいられない。
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 これらの文章が,「ひびの入った骨董品」というエピソードに関する記事です。
 ところで,今回,こうして,「あること」を調べるために,今から30年ほどまえの新聞のスクラップ帳を開いてみたのですが,そのころの他の記事を見ていると,この国は30年間何も変わっていないのだなあということを知って驚きます。内政,外交,教育などに関わる問題のあらゆることが,今とほとんど同じものなのです。そして,それらはまったく解決されていない。要するに,日本という国は,何も変わらない,何も変えられない国なのです。
 科学技術もまた,大きく進歩したようで,本質は,欧米から押し寄せるディジタル化にあたふたしているだけで,これもまた本質的にはあまり変わっていません。それ以上に,昔はもっと今よりも夢とロマン,そしてそれに割く予算がありました。そう考えると,むしろ今のほうが退化してしまっているような気さえします。
 音楽家の演奏や評論もまた,今に比べたら,当時は,ショービジネスとしての金儲けが目的でなく,もっと深く,そして,高貴なものであったように思います。

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 The Night of the tenth aged Moon.
とうかんや(十日夜)の月

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 昔,メディアといえば新聞だったころ,朝日新聞の夕刊に月に一度程度掲載された音楽評論家・吉田秀和さんの「音楽展望」は,それはそれはおもしろいものでした。それを読むために新聞の夕刊をとっていたようなものです。
 今とは違って,クラシック音楽の知らない曲を聴くには,高いお金を出してCDを買ってくるか,NHKのFM放送を丹念に調べて,その曲がかかるのを探すといった方法しかなかった時代,その代わりに「音楽展望」を読むことで,曲を聴いたりコンサートに出かけた気になるか,はたまた,自分の知らない知識を手に入れて急に賢くなったような気がしたものでした。
 今,そんな知的好奇心をくすぐるような新聞の記事はありません。
 それをきっかけとして,私は吉田秀和さんの書いた本をずいぶんと読みました。書いてある内容が理解できたかどうかはさておき,この高貴な内容の本を読んで理解したふりをすることで,自分もそうした世界を知ったような,知識人になったようなそんな気持ちになるのが楽しかったのです。
 それは,まだ日本の大学に権威があったころ,大学の構内を散歩すると賢くなって,もっと学問をするぞという決意が沸き起こってきたそんな高揚感と同じものでした。

 私にとって,吉田秀和さんはそのような存在だったので,ほとんど本を買わなくなった今になっても,書店でKAWADEムック・文藝別冊「吉田秀和-孤高不滅の音楽評論家」という本を見つけて,思わず買ってしまいました。
 買っておいてこんなことを言ってはいけませんが,河出書房新社の出版しているこの文藝別冊の出版目的というものが私にはいまひとつよくわかりません。いろいろ調べてみても何も書かれてありません。ある情報では,「KAWADEムック」というのは「KAWADE夢ムック」というシリーズだと書かれてありましたが,この本のどこを探しても「KAWADEムック」とは書かれてあっても「KAWADE夢ムック」とは書かれていませんでした。いずれにしても,「KAWADE夢ムック」というシリーズが何を狙いとして出版されているのかもいまいちわかりません。どうして今になって,吉田秀和さんを特集した本が出版されたのか,それが私にはいまいちよくかかりません。それは,当然新たに著者にお願いして執筆してもらった原稿が載っているというわけでもないし,これまでに発表された著作から適当に集めてきただけの本だからです。生誕何年とか,何かの記念日ならともかく,そうしたものが特にないのに,今になって,吉田秀和という人の著作を集めたムックを作る意味が不明です。こんなものを買うのは,私のような著者のファンくらいのものでしょう。

 それはそれとして,この本のなかで私が一番おもしろかったのが中河原理さんの書いた「吉田秀和ノート」でした。そして,もうひとつ。この本には吉田秀和さん個人像が書かれている文章があって,それを読むと,これまで私は吉田秀和さんを聖人君主のような人だと思っていたのですが,結構お金にうるさく,女好きのおじさんということがわかって,この人もだたの人間だったなんだなあと,ホッとした半面,それまでのイメージがが崩れ去りました。
 かつて,私の父親ほどの年代の各界のリーダーだった人たちは,ずいぶんと偉大な人が多く,それとともに,確かに偉大ではあったけれども,威張っていて気難しい人が多かったようです。もし,身近にそういう人がいたら,きっとたいへんだっただろうと,今ではそう思います。だから,そうした偉大な人に原稿を依頼しにいくのはめんどうだったことだろうし,一緒にお酒を飲んでもまったく楽しくなかっただろうと,歳をとった私は思います。おそらく,偉大な人というのは,身近な存在ではなくて,物語上の,あるいは歴史上の人物としての英雄であるほうが,きっと好ましいのです。
 それはさておき,吉田秀和さんの著書のほとんどは今,電子書籍では手に入りません。電子書籍なら iPhone に保存して,いつでも気軽に飛行機の機内でも読めるのに残念です。そしてまた,この文藝別冊は文庫や新書よりも大きいので,いつも携帯するには不便です。それが私には残念です。

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Approach of the Moon and the Jupiter.

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 梅雨に入ったばかりのころは,まだ雨も少なく気持ちがよいので,町歩きをするのに最高の季節です。そして,梅雨が深まると,今度は落ち着いて部屋で好きな音楽を聴いたり本を読むことができます。
 だれしも,どこかへ行ったり音楽を聴いたりしたときに,それが素晴らしいものであるとその世界に埋没して我を忘れ,あたかも自分がその世界にタイムワープして感じ入るという経験をするものです。そんなすてきな瞬間を,小林秀雄は,そうした経験はさも自分だけが感じ入ることができるんだとでもいうように「わかりにくい言葉」で語ってみせ,それを「評論」と称しているのだという意見を読んだことがあります。

 たとえば,「無常という事」という作品があります。
 難解なこの作品でも,歳をとった私が読むとよくわかるのです。しかし,若くして「無常観」なんてわかるわけがありません。そんな作品が高校の教科書に載っていても高校生が読んで到底わかるとは思えません。きっと,若い先生が授業でその作品の解釈をしても,教える本人だってよくわからないのだから,習う生徒はわかるわけがないに違いないと,私は思います。
 こうした作品は,ある種の経験を重ねてこそ初めて同化できのです。歳を重ねた後で読むと,それは自分の気持ちを理解してもらえた友人に出会ったようなそんな錯覚をするので,作品を味わうことができたような気になるのです。
 そんなものが高校の教科書に載っているから,学生は大変なのです。しかし,テストに出るからそんなことをいってはいられないという人は,今ではネット上に優れた解説が山ほどあるので,それをたくさん読んでわかった気になるのが一番効率的でしょう。30年前とは時代が違うのです。それが,私が中等教育は意味がないという理由のひとつです。

 「無常という事」では,小林秀雄は比叡山を散策しているときにタイムトリップ状態に入るのです。
 -あの時,私は無常を感じる女性の姿に鎌倉時代を思い出していた。
 「蘇我馬子の墓」では,飛鳥を歩きつつタイムトリップ状態に入ります。
 -山が美しいと思ったとき,私はそこに健全な古代人を見つけた。
 「モオツァルト」では,大阪の道頓堀をぶらついている最中にタイムトリップ状態に入ります。
 -モオツァルトの音楽は「思い出す」というようなことは出来ない。それはいつもそのままの姿で私の中に存在している。
 小林秀雄は,そうして自分がそれを思う瞬間,瞬間をいとおしんでるというだけなのです。それを「無常という事」では「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」と名づけ,「蘇我馬子の墓」では「芸術の始原とでもいうべきものに立ち会った」といい,「モオツァルト」では「音楽が絶対的な新鮮さとでもいうべきもので僕を驚かした」と表現するわけです。そのつど難解な言葉を並べ立てて英雄気取りで自慢するのです。俗物の君にはわからないだろうと。
 吉田秀和は言葉によって見えない音楽を見えるものにしましたが,小林秀雄は見える景色を言葉で見えなくするのです。だから,丸谷才一は吉田秀和を絶賛しても小林秀雄は嫌いだったのです。

 私は思うのです。
 私が好きな瞬間,たとえば,カントリーミュージックを聞きながらアメリカのインターステイツを走っているとき,ブラームスの第4番交響曲のパッサカリアを聴きながら吉田秀和の「音楽展望」を読んでいるとき…,など,そうした瞬間は,自分にとっては純粋にそれだけでいいのです。それを言葉で表現する手段を,実は,私はもち合わせていないし,もつ必要もないのです。
 しかし,それを小林秀雄は評論という鎧を着せて言葉で表現してみたいのでしょう。自分なら書けると。しかし,小林秀雄が「無常という事」でいいたかったことは,そんな難解な言葉を使わずとも,かつて芭蕉が,
 夏草や兵どもが夢の跡
という17文字で表現してしまっている,それだけのことなのです。

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紫陽花を見つつ偲はむ-北鎌倉・明月院
パッサカリアに身をゆだね-世界が不条理だったとしても

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 吉田秀和さんがNHKFMの「名曲の楽しみ」で「モーツアルト・その音楽と生涯」をはじめたのは1980年4月13日のことだから,すでに66歳でした。
 まだ20代だった私は,モーツアルトの全曲をこれから聴きはじめるのだから,いつになったら終わるのか,失礼にも吉田秀和さんがご存命のうちに終われるのかしら,と思いました。当時はインターネットもなかったから,珍しい曲を聴く機会などなかったので,モーツアルトのほとんどの曲を聴くことができるのが驚きでもあり,楽しみでした。カセットテープに,毎週録音しました。それが,いつの間にか,録音したテープもどこかへ行ってしまい,途中で聴くことも止めてしまいました。理由は,延々と続くオペラでした。当時の私には,オペラの連続放送は退屈でたまりませんでした。それも,「フィガロの結婚」とか「魔笛」ならともかく,「ポントの王ミトリダーテ」といわれても,なんじゃそりゃ,という感じでした。それとともに,放送時間が変更になったり,仕事が忙しくなったりで,そのうちに放送自体の存在も忘れてしまいました。本当に残念なことをしました。

 「ポントの王ミトリダーテ」(Mitridate, re di Ponto)K87は,モーツァルトが作曲した3幕からなる最初のオペラ・セリアです。1770年,14歳のモーツァルトは,ボローニャでフィルミアン伯爵からの依頼を受けてオペラを完成させ,ミラノ宮廷劇場においてモーツァルト自身の指揮によって初演されて大成功を収めたといわれています。
 このオペラの登場人物であるミトリダーテは、プルタルコスの「対比列伝」の中のマリウスやスッラの伝記にも登場するアナトリア半島のポントスの王ミトリダテス6世のことで,このミトリダテス6世は,ローマ内部の抗争に乗じて近隣諸国やローマの属州アジアを侵略して,ローマの居住民を劫掠した人物だそうです。

 時は流れて,モーツアルトの作品も,CDを購入しなくても,インターネットで探せば,K1のかわいい小品から聞くことができるようになりました。そんな折に,小学館から,吉田秀和さんが放送で語られた内容を本にした「名曲の楽しみ-モーツアルト・その音楽と生涯」全5巻が出版となりました。私は,これからは,お休みの昼下がりに,紹介された曲を一曲ずつ丁寧に聞きながら,のんびりとこの本を読む贅沢をささやかな楽しみにしたいと思います。
 いつになったら,この「ポントの王ミトリダーテ」を乗り越えて,全曲を聞き終えられるかはわかりませんけれど,もう一度,モーツアルトに近づいてみたいとも思います。よい機会を与えてくれたこの本に感謝します。

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8月18日(月)~21日(木)の午後2時から3時55分に,NHKFMの夏休み特集で「吉田秀和が語ったモーツアルト」という番組が放送されています。これは「名曲の楽しみ」の貴重な音源から,いくつかの音楽を厳選し,当時の吉田秀和氏の解説とともに放送しているものです。
なかでも,20日(水)に放送されたクラリネット5重奏曲の以下の解説と音楽を聞いて,私は涙が出てきました。ほんとうに音楽を愛し,人間を愛していた人なんだなあ,と改めて思いました。
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こんなに幸せでいいのかしら,と感じます。
幸福というのはいつ壊れるかわからないのではないでしょうか。歳を重ねると,人は,そういうものが続かないって知っているから,よけい,幸福を身に染みて感じますね。
この曲は,そのことを身に染みて感じさせてくれます。
クラリネットという楽器で,幸福は静けさの中で満ちたりた感じ,そして,幸福のいつ破られるかわからない感じを表しています。
私は,この曲を聞くと,いつまでもこの音が鳴っていてほしいと思うのですが,曲は流れていくものです。でも,その曲の流れの変化の中に,今度は,新しい出会いの持つ喜びも一杯詰まっているのです。
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 ブラームスの最高傑作交響曲第4番の第4楽章パッサカリアが流れる部屋で,音楽評論家・吉田秀和の「音楽展望」(単行本として「たとえ世界が不条理だったとしても 新・音楽展望2000-2004」。「音楽展望」は吉田秀和氏が亡くなるまで,朝日新聞文化欄に連載していました)を読むのは,私にとって至福な時間です。
 私の最も尊敬する吉田秀和という音楽批評家は
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 音楽というものはその原点では叫びや感動のうめき声や原初的な肉体と結びついた生動から生まれるものであり,そして,そのことを忘れてはならない。
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ということをよく知っていた人で,その人が敢えて「理」について説いているから尊いのです。

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 「諦念に満ちた霊妙の世界」が精神と信仰の深遠に至れば,われわれ各自がわれとわが胸にその答えを求めるしかないのであろう。その音楽の残していった沈黙は「およそ音楽から生まれた沈黙の中でも最も深いもの」である。それこそ,われわれが日々聞かされて,感性を鈍らされている,世上の文化的乱痴気騒ぎからは最も遠いものであるにちがいない。
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 こうした本を読むと,俗世の何もかもが,もう,どうでもよくなります。そして,私はパッサカリアに身をゆだねてしまうのです。

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 東京から鎌倉を訪れるのなら,横須賀線に乗って,北鎌倉で降りて,のんびりと散策するのがお勧めです。この辺りには,多くの文人や文化人の住む静かな住宅街があって,その空気に触れるだけで,多くの名作を読んだり,名曲を聴いたりしたときに感じるのと同じ満ちたりた気持ちになります。
 駅を降りて円覚寺のある通りを横須賀線の線路に沿ってまっすぐ歩いていくと,北鎌倉の谷戸といわれる,明月院にたどり着きます。
 明月院は,鎌倉時代に,八代執権北条時宗が建てた禅興寺というお寺の塔頭の ひとつに過ぎなかったのですが,その後,禅興寺の方が衰退して明治期に廃絶し,明月院のみが残ったということです。 とりわけこの時期は,お寺の境内は青色の紫陽花でいっぱいになります。
 明月院は紫陽花寺とよばれています。 明月院には,青色の「姫紫陽花」とよばれる種類の紫陽花しかありませんが,このことが,むしろ,このお寺の潔さを引き立たせます。紫陽花咲き誇る明月院を訪れると、この鎌倉に住み紫陽花咲くころに亡くなった吉田秀和を想い出します。

 吉田秀和について,丸谷才一は「袖のボタン」というエッセイ集で次のように書いています。(以下,( )内は私の補足です。)
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 前まえから,(私=丸谷才一は)現存する日本の批評家で最高の人は吉田さんだと評価している。…… 
 この数十年間の日本の批評は,小林秀雄の悪影響がはなはだしかった。…… 文芸の実技を抜きにして,いきなり倫理とか政治とか人生とかを扱いがちだったのである。……
 吉田さんの方法はまるで違う。いつも音楽の実技と実際とがそばにある。…… 
 二人の批評家(吉田秀和と小林秀雄のこと)は鎌倉で住いが近かった。そのつきあいの様子が(吉田秀和さんの著書に,次のように)書いてある。
 私(=吉田秀和)の知る小林さんは実に親切で情に篤い人だったが,反面,何とも潔い人でもあった。…… (小林秀雄の)最後の大著は「本居宣長」で,ある日何の前ぶれもなく風のようにわが家(=吉田邸)を訪れた小林さんは「君,出たよ」と言いながら,真新しい本を置いていった。それからしばらくして,お宅に上がった折「やっぱり私にはこの本はわかりません」と申し上げた。せっかくの好意に,正直にいうよりほかないのが悲しかったが。
 そして私(=丸谷才一)は,吉田さんが,「本居宣長」を賞揚する多くの人と違って,宣長をずいぶんよく読んでいることを知っている。
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 この本は,私の知る限り,エッセイの最高傑作のひとつだと思います。はじめてこの文章を読んだときの感動と戦慄を昨日のように覚えています。 吉田秀和を追うように,丸谷才一も亡くなりました。きっと,今,おふたりは,仲よく,音楽談義をしていることでしょう。

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 安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
  「万葉集」巻2・4448 橘諸兄
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 紫陽花 八重咲く如く 弥つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ
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 紫陽花の花が八重に咲く様に何代も健勝でいらしてください
 花を見ては貴方様をお慕い致しましょう
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 NHKFMの「名曲のたのしみ」は,1971年の4月から始まり,吉田秀和の死によって2012年12月で終了しました。今回,放送した内容が「名曲の楽しみ,吉田秀和」として,5巻にまとめられて出版されることになりました。その第1巻は「ピアニストききくらべ」。
 本にはCDが付属していますが,音楽は録音されていません。でも,生前にマイクの前で,朴訥と,しかし知性と愛情のある語り口で話された内容を改めて活字として読んでみると,心の中に,確実に,音楽が聞こえてきます。

 私は,この本に書かれたピアニストの幾人かの演奏を生で聞いたことがあります。
 アルゲリッチ,ムストネン,小菅優,河村尚子,ユンディ・リ,ユジャ・ワン。何事でもそうですが,その道に優れた人は,その個性が引き立っています。それぞれの人たちは確かにその人でしかありえない抜群の存在感があります。それぞれのピアニストの,その人にしか奏でられない音楽が,どうして,吉田秀和の手にかかると,その文章から,音としてよみがえってくるのでしょうか。

 たとえば,ムストネンのところには,
  ・・・・・・
  僕が特におもしろいと思うのは,音楽の解釈に自分の考えっていうものがはっきり出てるんですね。それでいてちっとも独断的にきこえなくて,歯切れのいいピアノをひいている。
  ・・・・・・
と書いてあります。

 それだけです。それだけであるのに,そのことばだけで,それを読んでいる頭の中に,ムストネンの,ピアノに向かう姿やら,そのときの音楽やらが,頭の中で,はっきりと姿を見せ始めるのです。
 この本を読んでいると,ああ,そうなんだ。人が生きているということは,こういうことなんだなあ,としみじみと感じます。また,ひとつ,大切な宝物を手に入れました。

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