大洲城でチケットを買ったとき,大洲城のほかに「盤泉荘」と「臥龍山荘」のついたセット券があると薦められたので,どういうところか知らなかったのですが,せっかく来たのだからと,それを購入しました。
ということで,昼食をとる場所を探しながら「盤泉荘」と「臥龍山荘」を見てくることにしました。
大洲市の歴史地区,ヨーロッパでいうなら旧市街,といったところですが,そこから東に歩いて行って,歴史地区の外れまで歩いて行くと,それらはありました。多くの観光客は,大洲城には行っても,このふたつの施設を訪れる人はほとんどいないようでした。
こういう知らなかったところを訪れることこそが旅の醍醐味というものです。しかし,ほとんどの観光客は,有名なところしか行きません。そこで,道後温泉は人がうじゃうじゃいたし,東京に行っても,浅草とか原宿とか渋谷駅前だけが異常な混雑をしているから,私は,行きたいとは思いませんが,そこからわずか数百メートルも離れてしまうと,観光客なんてまったくいなくなってしまうのです。多くの人は群れる磁気みたいなものがあるようです。というか,主体性がないのでしょう。私は抗力しか感じませんが…。
はじめに訪れたのが「盤泉荘」でした。私以外に訪れていた人がいなかったので,とてもていねいにひとつひとつていねいに説明を受けながら案内をしてもらえました。
・・・・・・
裏山の岩盤からしみ出す水を利用していたことから「盤泉荘」ともよばれた旧松井家住宅は,マニラで貿易会社を経営するなど,多角的な事業拡大を行い,大きな富を成した松井國五郎氏によって,1926年(大正15年)に建設された,高台の急斜面にせり出すように建つ木造3階の別荘です。
良質な栂(つが)や黒檀(こくたん)が贅沢に使われていたり,南洋材が廊下に20枚連続して使用されていたり,鬼瓦にはイニシャルの「K・M 」を用いられていたりと,近代和風の貴重な別荘建築として評価されています。
・・・・・・
私がおもしろいと思ったのは横井戸でした。裏山の岩盤からしみ出す水を得るために,奥に向けて50メートル以上も井戸が掘られていて,この井戸に奥から流れ込んできた水が台所に設けられた貯水槽に送られる仕組みになっていました。
次に訪れたのが「臥龍山荘」でした。こちらは「盤泉荘」とは違って,何組かの観光客が来ていましたが,そのなかで,とりわけうざったかったのは中国人の家族連れでした。子供は大声で叫ぶわ,年寄りは山荘に座り込んで動かないわ,場違いな人たちでした。ああいう人たちが日本の観光地の雰囲気のすべてを台なしにしているのです。私は不快になりました。インバウンド御免です。
こちらは,録音を聴いての案内で,私は興味深くすべて聞きましたが,案内を聞いている人はほとんどいませんでした。
・・・・・・
「臥龍山荘」は肱川流域随一の景勝地「臥龍淵」に臨む3,000坪の山荘です。
文禄年間,この地は藤堂高虎の重臣であった渡辺勘兵衛が広大な屋敷を構えていたところで「勘兵衛屋敷」の名でよばれていましたが,その後,大洲藩3代藩主・加藤泰恒が吉野の桜・龍田の楓を移植し,庭園に一層の風情を加えました。そして,「蓬莢山(ほうらいさん)が龍の臥す姿に似ている」ことから「臥龍」と命名したといわれています。
臥龍院,不老庵,知止庵の3つの建築は,それぞれ数寄をこらした逸品揃いで,山々と肱川,如法寺河原の自然をとりいれた借景庭園は,自然と人工の典雅な調和をみせ,四季折々に違った顔を見せてくれます。
・・・・・・
その後は,手を入れられることもなく荒廃していましたが,明治の貿易商・河内寅次郎氏が10年余りの歳月をかけ,再興したものだそうです。
こうした建築物が大洲市のすばらしさを一段と深めていた場所となっていました。
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

































