しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:国内旅行

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 退職して仕事を離れると「毎日が日曜日」といわれます。であっても,やりたいことがあり過ぎる人から,毎日が退屈で仕方がない人まで,人それぞれです。おせっかいにも,よほど本が売れないのか,企画がないのか,あるいは,暇な人しか読者がいないのか,こうした「毎日が日曜日」の人向けの生き方の本がたくさん出版されています。かくいう不良老人の私も「毎日が日曜日」のような生活をしています。
 私にも,かつてはやりたいことがたくさんありました。そうしたやりたいことをほぼ実現してしまった今は「ステージ1」を卒業して「ステージ2」にステップアップ,そんな状況となりました。そこで,この先10年ほどをいかにより楽しく過ごそうか,そうしたことを考えながら過ごすようになりました。
 
 これまでずっと海外にだけ関心があった私ですが,昨年あたりから,私は,日本にも関心が戻ってきました。とはいえ,いつも書いているように,私は日本の旅にさほどの魅力を感じているわけではありません。そうでなく,考えてみれば,これまで行ったことがない場所が結構あることに気づいて,元気なうちに一度は行ってみようと思うようになった,というだけのことです。
 おそらく,そうした場所のどこへ行ったとしても,日本では同じようなところばかりでしょうが,これもまたいつも書いているように,日本の旅はこころでするものです。それは,まさに,NHKBSPで放送されている「こころ旅」という番組名が示すように,単なる風景であっても,その人の思い出がまつわると懐かしくなるというものと同じです。
 私の場合は,思い出というよりも,その地の歴史やら風土を思い浮かべるということになります。そこで,訪れる場所の歴史やら文化を知れば知るぼど,行った場所が光り輝くことになります。

 今,旧街道が再び脚光を浴びています。昔の状態に復元するような活動をしている場所もけっこうあります。しかし,そうした場所にも二面性があります。そのひとつは,観光地として人を集めることが目的で,テーマパークのようになってしまった場所です。テーマパークのようになってしまった場所には,団体ツアーをはじめとして,多くの観光客が訪れます。そうした場所は,伊勢であり,私が以前行った大内宿です。馬籠宿もそれに近い状態です。私が行きたいのは,そうした場所ではありません。
 もうひとつは,明治以降,新しい道路や鉄道が作られたときにその場所を避けて作られたために取り残されたために,期せずして昔のままの姿で取り残されたところを,近年になって整備している場所です。私は,これまで数多くの宿場町に行きましたが,そうした場所の中で,これは,と思ったのは,旧東海道の土山宿や旧中山道の大湫宿でした。私が行きたいのは,むしろそうした場所です。
 このようなところは情報も少なく,そこで,私が知らないだけのすばらしいところがまだ多く残っているように思います。そうした場所をこころであじわうためにも,日ごろは,これからも,歴史や文化を楽しく学んでいきたいものです。

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藤井聡太新棋聖誕生

おめでとうございます。

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 「このごろ日本国内でこれまで気になっていて行く機会のなかった場所に出かける機会を作っている」と書いていますが,これから20年くらいはまだ旅ができそうなので,ゆっくりと楽しみたいと思っています。そこで,そうした旅をなるべく安価にしようと調べ出したらおもしろくなってきました。
 そこで,今日はそのお話の続きです。

 それにしても安価に旅をしようとすると,どうしてこの国はこんなに不便なのだろうかと思います。JRは高価な新幹線に乗ってくれと言わんばかりです。在来線に乗ろうとする人には,国鉄時代ほどではないにせよ,乗れるものなら乗ってみろと,まるでいじめているかのようなダイヤを組んでいることもあります。
 JRが国鉄という組織だったころ,終着駅に着くとその先の列車が1分前に出発していて,次が1時間後,などというのはざらでした。これこそ,乗れるものなら乗ってみろという意思がありありでした。しかし,そういうダイヤ編成だから乗りたくても乗れないのに,ほとんど人が乗っていないようなところをがらがらの6両編成の列車が走っていたりしていました。
 JRになって効率化が図られてからは,乗客の少ないところは編成が減ったり,あるいは,長距離の路線が減ったりということが起きました。さらに,新幹線が走る区間では在来線が廃止されたりと,逆に不便になりました。テレビ番組の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組では,バスがないので結局歩く旅になってしまうのですが,新幹線でなく在来線で旅をしようと思ってもまた,その接続に悩みます。
 しかし,時間はあれど金がないという老人にとって,あるいは,私のように,新幹線で旅をしても楽しくないと思っている旅人にとって,これは醜い仕打ちです。こうなったら意地でも新幹線なぞ乗るものか,という気持ちがますます強くなってきました。

 私は,国内で,ぜひ行ってみたいと思うようなところはほとんどありません。以前書いたように,少し前には,行きたかったところは,佐渡島でトキが見たい,徳島で阿波踊りが見たい,それだけでした。
 しかし,このごろ「これまで気になっていて行く機会のなかった場所」に行こうと計画するようになってからは,行ってみようという場所が増えてきました。とりあえず,今,行ってみようと思っているのは,高知県の四万十川付近,山形県の山寺や天童のあたり,青森県の弘前の桜,新潟県の親不知海岸,兵庫県の餘部鉄橋,鹿児島県の種子島と与論島,そして,沖縄県の石垣島です。
 そこで,これから,こうした場所にできる限り安価で行こうというわけなのです。
 しかし,容易には行く方が見つからない。そこで頭を悩ませることになったのです。で,私はどうするか? これから,そうした場所に順に出かけていくので,その旅行記をお楽しみに!

☆ミミミ
1月11日の早朝,薄雲ごしに半影月食が見られました。今日の写真は,月食が起きる前の満月と半影月食を並べたものです。
地球と月は太陽の光を反射して輝いているので,地球にも太陽の光による影があり太陽と反対の方向に伸びています。この地球の影の中を月が通過することによって、月が暗くなったり,欠けたように見えたりする現象が「月食」です。
地球の影には「本影(太陽光がほぼさえぎられた濃い影)」と「半影(本影を取り囲む薄い影)」の2種類あって,月の一部または全部が半影だけに入った状態を「半影食」,月の一部または全部が本影に入った状態を「本影食」といいます。また,「本影食」のなかで,月の一部だけが本影に入り込む現象が「部分食」,月の全てが本影に入り込む現象が「皆既食」です。

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 日本国内を旅行しようと計画しても,観光地はどこも混雑しているし,公共交通も混んでいるし,道路は渋滞しているし,しかも,高級旅館は高いし,そうでないところは当たり外れが大きいし,地方では未だに現金しか使えないお店が多いし,となって,私はいつも,こんなことなら外国に行ったほうがいいや,という結論になってしまうのです。考えてみれば,ずっとこんなことだから,日本国内でまだ行ったことがないという場所が決して少なくないことに思い当たりました。
 たまに日本を旅すると,電車の乗り方もよくわからず,宿泊先を探すのにもとまどってしまうくらいなのです。しかも,どこに行っても空き地はゴミだらけだし,潰れたテーマパークや廃墟となった旅館,それに,有名なところはどこも外国人観光客だらけ。これでは行く意欲も湧きません。リゾートやらオートキャンプ場やらと,名前だけは立派な施設がたくさんあっても,所詮,海外のそれとは比較にもなりません。
 しかし,いくら期待していないとはいえ,子供の頃から地名だけはよく知っている場所だから,元気なうちに一度は見ておきたいものだと,このごろ急に考えるようになったので,ならば,なるべく時間とお金をかけないで,できるだけ多くの場所に行ってみようと思うようになりました。
 そこで,今日は,時間とお金を極力かけないで,日本国内を旅する方法についてというお話です。

 はじめに考えるのは交通機関です。直接車で目的地に行くなど,日本の旅の楽しみとしてはまったく論外です。高速道路は渋滞し運転は荒く,一般道路はせまく走るのに難儀します。目的地が観光するのに公共交通では不便なところなら,しかたなく現地でレンタカーを借りればいいのです。近場なら在来線や私鉄などを利用し,少し遠くまで足を延ばすときは夜行バスが一番です。
 私は夜行バスに乗るのを苦にしません。夜行バスなら夜出発すれば翌朝到着するので,時間的にも無駄がありません。それに安いです。夜出かけて早朝に到着し,そこで1日観光して現地で1泊,翌日も1日観光して,行きと同様に夜行バスで帰ることにすれば,まる2日現地で十分に楽しむことができます。つまり,1泊4日でたっぷり2日間観光できる,ということになります。しかし,私の住む愛知県からこうして行くことができる場所は,四国や中国地方,北陸地方,そして,東京近郊で,東北地方となると,まず,東京へ行く必要があります。すべて東京中心,これが日本のだめなところです。また,九州はバスではちょっと遠すぎます。
 とはいえ,ビジネスで使うならともかく,観光で使う交通手段として最も意味がないと思うのは新幹線です。先に書いたように,日本の東京を中心とする交通網では,名古屋から東北に行こうとすれば,ともかく東京へ行かなくてはなりません。東北にバスで行こうとしても,まず,東京へ行かねばならず,これではものすごく手間がかかります。新幹線を使えば,東海道新幹線と東北新幹線や山形新幹線,秋田新幹線と乗り継ぐ必要があるのですが,これがまたものすごく高価であり,かつ,夜行でないのでお昼間に時間がかかります。むしろ,名古屋から直接格安航空を利用したほうがずっと早く,しかも新幹線の半額ほどと安価なのです。
 そうしたわけで,日本国内の移動は,在来線と夜行バス,そして,格安航空,これが交通手段の選択肢となります。

 私は,宿泊地として,大きなホテルや旅館は苦手です。大広間でずらっとならんで朝食のバイキングなどというのはできればご遠慮申し上げたいものですし,たかが国内旅行をするのに,何万円も出す気にもなりません。日本の旅館は,素泊まりなら安いのに,温泉と夕食をつけただけで5倍以上に宿泊代が跳ね上がるというのは,トッピングをすると急に高価になるメシやと同じ商法です。ならば,素泊まりにして現地で日帰り温泉を探し,食事も外で食べたほうがずっと安価に済みますし,むしろ,このほうが現地の人と交流できて楽しいものです。
 そこで,地方の都市で1泊するなら東横イン,ここは朝食が混雑するのが難点ですが,それ以外は無駄がなく安価なので満足できます。そして,田舎であれば,小さな家族経営の民宿のような宿をさがして,そこでゆっくりと滞在するのが最高です。そうしたところだと,うまくいけば,ずいぶんと安価においしい食事つきで宿泊することもできます。しかし,これは当たり外れが多いので,行ってみるまでわかりません。まあ,これこそが行き当たりばったりの旅の醍醐味であると思えば,それなりに楽しいものです。
 今年は,海外に出かける合間に,そんな旅もしてみたいものだと思っているのです。
 それにしても,近年は,京都に奈良,高山,伊勢などの観光地は,どこもかもテーマパークのように改造されてしまい,これでは,まったく旅情もなにもあったものではありません。日本の観光地はどこもディズニーランドです。これこそ,おもてなしというオブラートにつつまれた,本音は金儲けが目的なだけで歴史や文化をリスペクトしていない日本らしい姿ですが,このような場所は「自撮り棒をもって黒いレンズの入ったサングラスをかけやたらと声のでかい」某大国の団体さんにお任せするとして,私は,そうしたこととは無縁の場所を求めるのです。

 日本で暮らしていると,やはり,日本の有名な場所にも一度は行ってみたいものです。
 雄大なアメリカに行ったことのなかった若いころは北海道に憧れて,毎年のよう出かけたこともありました。また40代になったころ,紅葉の時期の前の静寂な京都に行ってすっかり魅せられて,それ以降は毎月のように京都にも行きました。私はどういうわけか沖縄には行ったことがないのですが,それ以外の日本の都道府県にはすべて行きました。さらに,穂高を縦走したこともあるし,利尻富士も伯耆大山も登りました。有名な「見どころ」といわれる場所にもほどんど行きました。
 しかし,私はそうした場所に行ってみて,この国の観光地のほとんどは,一度行けば充分だと思うようになりました。とにかく,どこへ行っても人が多すぎます。どこへ行くにも渋滞しています。そして,交通費と宿泊代が高価です。日本は食べ物だけは世界一といわれますが,歳をとると,旅館で食べきれないほどの料理を出されても困るし,観光地で食事をしようとしても,どこも満員です。
 数年前に行った阿蘇の外輪にある温泉も,温泉に入っても日本人はほとんどおらず外国人ばかりで,ルールも知らず,せっかくのんびりと湯につかりたいのにストレスだけが増えました。白川郷も,外国人が大挙して観光バスで押し掛けて,奇声を発したり自撮り棒を振り回し,山里の雰囲気は台なしでした。これでは日本のよさを味わうなどということは不可能でだなあ,と落胆しました。

 そんな日本の観光地であることは重々承知しているのですが,それでも頻繁に海外に行くこともできません。さらに,歳をとれば今のように遠くまで旅に出かけることもできなくなるでしょうから,どこか,近場で落ち着いて旅を楽しめるところがないものかと思案をしてるこのごろです。
 日本国内の旅で私が楽しみにしているのは,旧街道を歩くことです。それも,観光地ではないところです。そうした場所を歩くためにJRで出かけて最寄りの駅から半日ほど山里を歩くのです。馬篭とか箱根とか,そういった有名な場所は観光客であふれかえっています。しかし,車を使わず歩いて少し横道に入れば,急に人が少なくなって風情が残っている場所がないとは限らないので,あえて事前にガイドブックも読まず出かけたりもします。
 日本では,人や車をかけわけてでも行きたいと思う場所もないので,結局,この国の旅はこころでするものだということに落ち着くわけですが,そんな場所でこころを感じるためには,その地に残る歴史やその地を詠んだ歌などを知ることだと,いつも思うのです。

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