自分にはさほど関わりのない人とのお付き合いというのは結構長く続くものです。普段気にもしていない人とは逆に疎遠にもなりません。その一方で,親しい人ほど一度仲たがいをすると絶縁状態になってしまいます。
それはモノも同様で,大切にしていたモノほど,いつの日かなくなってしまうのですが,どうでもいいものはいつまでも残っています。
旅をしていても,貴重品はきちんと管理していないとどこかになくしてしまいそうで危険なのですが,どうでもいいチラシとかゴミはいつまでも存在します。
国と国のお付き合いもまた,お隣同士はなかなかうまくいかないものです。お隣同士なのに仲がよいというオーストラリアとニュージーランドの不思議な関係なんて,日本人には全く理解できないことでしょう。この2国は紛争の歴史を共有していないからなのかもしれません。
多くの日本人は,北朝鮮が世界中から孤立しているように報道されるからそう思っていますが,世界の120以上の国と国交があって,国交がない国の方がむしろまれです。それは,地理的にも経済的にも関わりのない存在だと思っている,つまり,どうでもいいと思っている国の方が多いからです。
日本は島国なので,国境線という意識がほとんどありません。そこで,大陸で異国と接している国の人とは全く異なる感覚をもっているのでしょう。
私が陸の国境線を越えた経験は,アメリカ合衆国とカナダ,アメリカ合衆国とメキシコくらいのものですが,それはとても不思議な感覚でした。しかし,アメリカの隣国は国境を越えればすぐにお隣の国に入国できます。
それに対して,西アジアの国々の国境では,単に国境に壁やら塀があるだけでなく,そこには国境緩衝地帯というものが存在しているようです。陸上で国を出国しても一旦緩衝地帯を経由しないと,次の国に入国ということにはならないわけです。だから,出国しても次の国に入国できない,という宙ぶらりんの状態で何日もすごすという羽目に陥ることもあるらしいのです。
今日載せた写真は,私が写した国境の写真です。1番目から3番目のはアメリカ合衆国とメキシコの国境です。
テキサス州ではリオ・グランデ川(Rio Grande)が国境となっていて,この川が国を隔てています。この川にはいくつかの橋が架かっていて,ある橋では車が通行でき,またある橋は徒歩で国境を越えることができます。
ここでは川の向こうにあるメキシコの家々や空高くたなびく国旗をアメリカ側から見ることができますが,そうしたものを見ると何かとても不思議な気になります。
一方,4番目と5番目はアメリカ合衆国とカナダとの国境ですが,こちらは,まるで,高速道路の料金所のような感じです。今はどうなのか知りませんが,10年以上前,私がアイダホ州の北の国境でカナダからアメリカへ国境を越えたときは,パスポートを見せるくらいで行き来ができました。
また,ナイアガラの滝では,滝にかかるレインボーブリッジの上が国境になっています。
人間が人工的に作った「国」とそれを隔てるための「国境」,国と国のお付き合いというものは人間の歴史に多くの事件や紛争を生んできました。
以前,「日本はアメリカの51番目の州になればいい」とか発言して物議をかもした代議士がいました。政治家がそういう話をすると大問題となるのですが,もし,日本がアメリカの属国とか植民地ではなく,ハワイ州のように,51番目の独立した州となったら,どういうことになるのでしょうか?
まず,為替差益の問題がなくなります。円高だの円安だのという話題は不要になります。貿易赤字という問題もなくなります。
当然大学の入試制度も変わりますし,日本人の働きすぎもなくなります。
日本のプロ野球もメジャーリーグの機構に組み込まれます。現在メジャーリーグは30球団あって,これは実際には32球団あったほうが望ましい数なので,日本から2球団を加え,残りの10球団はマイナーリーグにすればいいわけです。日本人プレイヤーはもっと容易にメジャーリーガーとなれます。
しかし,アメリカは「合衆国=合州国」なので,州の独自性は認められます。ハワイのように憲法すら存在できます。つまり,日本の独自性も尊厳も保たれます。当然,文化も尊重されます。
内閣総理大臣は自動的に「日本州」知事となり,国会は州議会となります。また,アメリカ大統領選挙に投票もできます。
しかし,こんな理屈を語っていても,それを越えたところでその国の尊厳とか誇りとか独立性があるからそんな話は空論に過ぎないわけで,それが「国」だということでしょう。難しいものです。