2016年に放送されたNHKEテレの「旅するドイツ語」を見なければ,私はおそらくウィーンに行くこともなかっただろうし,ハプスブルグ家について知ることもなかったから,「ハプスブルグ展」に足を運ぶことも,当然なかったことでしょう。縁というのは不思議なものです。
13世紀から19世紀のヨーロッパの歴史は,神聖ローマ帝国とハプスブルグ家を軸にして考えると理解がしやすいものです。学校で学ぶ歴史ではそうした流れがわかりません。実際は,その時代を彩るさまざまな芸術を味わうことこそが,その時代に生きた人の姿を知ることにつながるのです。
今回,東京で開催されているハプスブルグ展に展示されているコレクションの多くは,すでに昨年ウィーンですでに見たので行く必要もなかったのですが,昨年はあまり知識もなかったので,せっかくそうした絵画に接したのによくわかっていなかったから,今回東京に行った折に足を運んでみました。
ハプスブルグ家とこの時代の歴史については講談社現代新書の「ハプスブルグ家」に詳しく書かれています。この本は1990年の発行なので古いのですが,内容がすばらしくて,高等学校の世界史の教科書を読むよりもずっとわかりやすくためになります。
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ヨーロッパ随一の家柄を誇るハプスブルグ家は,もともとはスイスの片田舎を本拠地とした貧しい貴族でした。13世紀後半,のちにルドルフ1世となった人物こそが,のちにヨーロッパ史の中心として力をふるったハプスブルグ家の起こりです。15世紀になって,ルドルフ1世の6代後マクシミリアン1世がブルグント公国のひとり娘マリアと結婚して領地と莫大な富を手に入れたことから繁栄がはじまりました。マクシミリアン1世は,自分の子,孫を次々と他家の王女,王子と婚姻させることで,スペインやハンガリーも手に入れることに成功したのです。
マクシミリアン1世の子,美男子だったのでフィリップ美公とあだ名されるフィリップ4世(別名フェリペ1世)が,コロンブスを支援したことで知られるスペインのイザベラ女王の娘ファナと結婚し,その子カール5世(別名カルロス1世)が神聖ローマ皇帝とスペイン王を継承します。その子フェリペ2世の時代になると,スペインのハプスブルグ家は黄金時代を迎えますが,スペインのハプスブルグ家は近親婚が原因で5代にして断絶してしまいます。
生前退位をしたカール5世は弟のフェルディナント1世に神聖ローマ皇帝を譲り,オーストリアのハプスブルグ家を継承します。しかし,オーストリアのハプスブルグ家も次第に勢力が後退しついには男系の後継ぎもいなくなり,女性であるマリア・テレジアが相続することになります。ここでオーストリア継承戦争,つまり,オーストリアの領土の分捕り合戦が起きます。この難事にマリア・テレジアはハンガリーの助けを受けて国を守り抜くのです。また,彼女は16人の子供をなし,そのうちのひとりがマリー・アントワネットです。マリア・テレジアは女帝として君臨しますが,次第にハプスブルグ家は落日を迎えてゆくことになります。
マリア・テレジアの孫のフランツ2世(別名オーストリア初代皇帝フランツ1世)はナポレオンに惨敗し,神聖ローマ皇帝位を失います。フランツ2世の子フランツ・カールに嫁いだバイエルン王女ゾフィは,愚鈍な夫が皇帝となることに反対し,息子フランツ・ヨーゼフ1世を皇帝として継がせます。そのフランツ・ヨーゼフ1世がひとめぼれをしたのがエリーザベトです。しかし,エリーザベトはゾフィのいじめなどで悲惨な人生を送ります。そして,最後は暗殺されてしまいます。夫フランツ・ヨーゼフ1世は在位68年にわたり,国民の敬意を集め政権を維持しましたが,息子のルドルフは自殺,後継に指名した甥フランツ・フェルディナンドも暗殺され,これが第一次世界大戦の引き金となり,やがて,ハプスブルグ家は歴史の表舞台から姿を消すことになります。
このようなハプスブルグ家に関する絵画を中心としたコレクションが展示されているのが,このハプスブルク展です。2020年1月26日までということで,平日であったのにもかかわらず,予想以上の人でうんざりしました。観覧料はウィーンの美術史博物館と同じほどなのに,展示されているものはその100分の1もなく,私にはかなり物足りない展覧会でした。
ハプスブルグ家が時代を追ってわかりやすく説明されているのならともかく,ハプスブルク家についての知識があまりない人には,おそらく,その作品のもつ意義なんて,ほとんどわからないことでしょう。いずれにしても,この展覧会に限らず,作品を味わうためには,自分がそれに向き合えるだけの知識がなければ,何もわからない,それは旅と同じだなあと思います。
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特別編・2019夏オーストラリア旅行LIVE①-帰国してから
エアーズロックに登頂して早くも2か月経ちましたが,再び,オーストラリアに行きました。もともと今回のほうが先で,エアーズロックに行くことになったのが後の計画でした。
この季節,オーストラリアは晩秋ですが,最高気温は20度ほどでちょうど過ごしやすい季節です。また,天気もよいので星を見るにも最適,ということで,ここ3年間,この時期の新月のころ星見を目的に出かけています。今回は,いつものバランディーンにあるゲストハウスに3泊,その後ブリスベンに2泊して,ゴールドコーストとブリスベンの観光をすることにしました。これまではブリスベンに降り立ってそのまま郊外に行ってしまったので,ブリスベンという都会に足を踏み入れたことがなかったのです。
5泊7日くらいの日程で片道9時間ほどのフライトであれば,深夜バスに乗って東京へ数日でかけるのとそれほどの違いもありません。このブログでは「LIVE」として書いていますが,すでに帰国しているので,今回は日にちを逆追いで書いていきたいと思います。
いつも書いているように,名古屋近郊に住む私には,セントレア・中部国際空港から直行便のあるヘルシンキとホノルルはとても便利ですが,デトロイトしか直行便のないアメリカ本土と香港経由でしか直行便のないオーストラリアは不便です。それでもセントレアから成田,あるいは羽田までの国内線がもっと便利であれば問題がないのですが,いつも苦労させられます。特に帰り,帰国便が成田に着くのが遅いので,セントレアまでの便がありません。
香港経由は香港での乗り換えがわずらわしいので,今回もまた往復成田空港からブリスベンまでの直行便を利用しました。行きはセントレアから成田空港までJAL便に乗りましたが帰りは便がないので,今回は成田で1泊をして翌日東京から高速バスで帰ることにしました。成田の東横インの宿泊代が約5,000円と少し,東京から名古屋までの高速バスが3,000円と少しなので,成田から直接新幹線で帰るより安いのです。
帰国して成田に宿泊した翌日,私は午前中に両国国技館の相撲博物館で開催されている稀勢の里展と上野の国立西洋美術館常設展にあるフェルメール「聖女プラクセディス」を見て,午後のバスに乗ることにしました。前回東京に行ったときは夏場所の開催中だったので,チケットを持っていなかった私は相撲博物館に入ることができませんでした。そして,上野も何度も足を運んでいるにも関わらず,特別展をやっていたりしてなかなか常設展を見る機会がありませんでした。
稀勢の里展での最大の見ものは5組すべてがそろっていた三つ揃いの化粧まわしでした。受付にいた女性がこれをすべて集めるにどれだけ苦労したことか,と言っていましたが,私はその苦労がわかるので,共感しました。ついでに,夏場所で優勝力士に渡された通称「トランプ杯」も見ることができました。
フェルメール「聖女プラクセディス」は,フェルメールの真筆かどうか議論のある作品ですが,私は,それでもたった1作しか日本にないフェルメールということと,作品になにかオーラを感じて,とても感動しました。
そんなわけで,オーストラリア旅行よりも? 有意義な時間を過ごし,雨の降る東京を後にしました。
それにしても不気味だったのは,JRに乗っても,バスを待っていても,この国の人は無口で無表情であることです。混んだ電車の車内で人をかき分けて通るときに「済みません」の一言も発しないのは,何か恐ろしい世界に舞いもどった気がしたものです。










