しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

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 仁徳天皇陵,履中天皇陵,反正天皇陵に行ったので,ここで,この時代の天皇について書きます。
 古代史がおもしろいのは,わからないことが多いからですが,そこで,調べれば調べるほど興味が増してきます。権力者の系譜というのは,それがどこまでが真実であるかということよりも,そうした権威をいかに神聖化するかということが組織を束ねるためのひとつの目的となっていくので,それと史実を同等にはできませんし,それは政治であり学問ではありません。

 初代神武天皇以来,2代綏靖天皇から9代開化天皇までの「欠史八代」ののちの10代崇神天皇からが実在した可能性のある天皇なのですが,その後の15代応神天皇までもその実在性は定かでありません。15代応神天皇の子が16代仁徳天皇,その子どもが17代履中天皇,18代反正天皇であり,このころからほぼ実在していたと思われます。また,今に伝わる天皇家の系図をみると,その後,25代武烈天皇と26代継体天皇に大きな隔たりがあり,26代継体天皇はその5世代前の15代応神天皇までさかのぼったその5世孫の傍系で越前国からやって来たとなっています。
 そこで,学問としての歴史は,王朝交代説を唱えるわけです。私は歴史学者でないので,それ以上のことは知りませんが,ともかく,紀元300年ごろまでになんらかの形で今の奈良県にあたる地方に有力者が生まれヤマト政権を成していて,紀元400年ころに今の大阪府にあたる河内出身の15代応神天皇あるいは16代仁徳天皇とされる有力者がそれに代わり,その正当性を主張するためにそれ以前のヤマト政権と系譜を同一にして25代まで続き,紀元500年ころにまた別の系統の今の福井県あたりからやってきた有力者がとって代わって26代継体天皇の系譜となってそれが今に続くような感じに私はみえます。
 また,後世,50代桓武天皇の母は百済系渡来人氏族和氏の出身である高野新笠です。

 当時の日本のことを伝える中国の文献は,卑弥呼で有名な「魏志」の倭人伝以降「晋書」の四夷伝に266年倭国から朝貢があった,という記述があるのち,「晋書」の安帝紀に413年倭国から安帝に貢物を献ずる,とあるまで,約150年間記述がありません。その時代を伝えるのが後世に作られた古事記と日本書紀だけであることから,この時代は「空白の4世紀」とよばれています。
 この時代の日本は古墳時代で各地に大きな古墳が大量に作られていることから,多くの有力者がその覇権を争っていたことが想像できます。そして,その覇者としての政権が誕生し,「宗書」の倭国伝にみられる「倭の五王」の時代を迎えるわけです。これが百舌鳥古墳群に葬られた天皇の時代です。
 「倭の五王」である讃,珍,済,興,武のうち,済,興,武はそれぞれ19代允恭天皇,20代安康天皇,21代雄略天皇を指しているのですが,讃は15代応神天皇か16代仁徳天皇か17代履中天皇,また,珍は16代仁徳天皇か18代反正天皇のいずれを指しているのか諸説があります。
 いずれにしても,巨大古墳が存在してるのは事実であり,そこに誰かが葬られたことも事実なので,そこにどういった史実があったのかは定かでないにしても,実際に百舌鳥古墳群を見ていると,どうしてこんな巨大なものが必要だったのか,また,そんなものが作れる権力があったのか,あるいは,作る必要があったのかなど,いろんな想像が膨らんできて,おもしろいものです。
 それにしても,その日を生きるのも大変だったのに,よくもまあ,こんな巨大なものを作ったものです。

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 まあ,ともあれ,堺駅に着きました。ところが,どちらの出口を出ればいいのかわかりません。観光案内所と書かれた標示があったので,それを目当てに行ったのですが,いっこうに観光案内所も見つかりません。探して探して,あんな標示でわかるものか,という駅の奥まった,しかも階段を降りた場所に,やっと観光案内所をみつけました。
 さあ,ここで体制立て直しです。
 観光案内所の人はとても親切でした。堺の町は思っていたよりずっときれいでした。堺東駅は堺駅からはるか1.6キロメートルほど東だったのですが,私は歩くのはまったく苦ではないので,地図をもらって歩くことにしました。20分ほど歩いて行くと,堺市役所に着きました。エレベータで21階の展望台に行きました。
 世界遺産になった百舌鳥古墳群ですが,教科書や雑誌などでよく見る写真は空から写したもので,あの姿をみることができる展望台はありません。天皇陵を仰ぎ見ることに抵抗があって,展望台を作らないのでしょうか。地上を歩いていてもこんもりとした小山が見えるだけなので,知らずに行ってもおそらくがっかりします。
 唯一高いところから見ることができるのが堺市役所21階の展望台だけということだったので,行ってみたわけです。
 エレベータで昇りました。冬休みということで,平日でしたが,子どもを連れた家族が数グループ来ていました。ボランティアの説明員もいました。しかし,正直いって,展望台といっても21階では高さが足りないので,前方後円墳の形には見えず,がっかりしました。
 それより私が興味をもったのは,どうして奈良でなく大阪にこの時代の天皇が葬られていたのかということですが,それはおそらく,この時代の国の権力者の力を大陸に見せつける必要があったからなのでしょう。今も昔も,日本は大陸,つまり中国の力に怯えて虚勢を張って生きるしかないのです。歴史を知ると,人は何も変わっていないということを実感します。

 展望台を降りて,古墳の周りを歩いてみることにしました。
 百舌鳥古墳群には多くの古墳が今も残っているのですが,なかでももっとも大きなものが仁徳天皇陵として知られている大山陵古墳です。百舌鳥古墳群で,現在天皇陵として指定されているのは,仁徳天皇陵のほかに,履中天皇陵となっている七観山古墳と,反正天皇陵となっている田出井山古墳なので,この3つの拝所に行ってみることにしました。履中天皇と反正天皇は仁徳天皇の子供です。この3つの古墳は天皇陵となっていることで宮内庁の管轄で拝所があり,学問的に古墳を発掘することに制限があるわけですが,そもそも,そうした古墳を天皇陵として特定したのが近年のことであって,それが実際その天皇の陵だったかどうか疑わしいわけです。この3つの陵にしても,特に,反正天皇陵は実際はこれとは異なっているという学説が有力です。私個人としては,本来と違うものを祀っていることの方がよほど無礼だとずっと思っているのですが…。
 いずれにしても,こうして,昔学校で習った百舌鳥古墳群を一度は見てみたいという念願がかないました。堺という町は,戦国時代の遺構はほとんど残っておらず,百舌鳥古墳群以外に大した見どころもなかったので,次の目的地・和歌山城に向かうことにしました。

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 堺という町は,大仙陵古墳と戦国時代の鉄砲で歴史的に有名なので,学生時代から50年ずっと行ってみたいと思っていたのですが,これまで行く機会がありませんでした。また,和歌山城は,徳川御三家のひとつ紀州徳川家の居城ですが,これもまた,行く機会がありませんでした。
 名古屋生まれの私には,和歌山県というのは縁遠く,大阪からほんのわずか行くだけなのに,なかなか行くことができませんでした。和歌山県に限らず,愛知県から縁遠い県というのは,群馬県や茨木県,秋田県などがあります。私は「このごろ日本国内でこれまで気になっていて行く機会のなかった場所に出かける機会を作っている」と書いたことがありますが,わざわざ行ってみようと思わない限り行くことのないそんなところに今わざわざ行かなければ一生行くこともないだろうと痛切に思うようになりました。そこで,昨年2019年12月27日,堺と和歌山城に行ってみることにしました。

 これもまた,いつも書いているように,日本は狭いようで広く,便利なようで不便で,新幹線と在来線の特急を乗り継げばどこだって行くことができるのでしょうが,どこへ行くにも結構高価です。しかし,日本国内の旅にそんなお金をかける気にもなりません。また,そんな旅行をしても楽しくないので,今回もまた,いかに安価に行けるかを考えました。車など使っても高速道路は渋滞し運転マナーも悪いので論外です。
 はじめは大阪までバスで行こうと思ったのですが,思い立ったのが数日前だったので早割チケットは完売。そうした割引がなければ在来線で行っても値段は変わらず,さらに列車のほうが時間が正確なので,始発と終電の時刻だけを調べて在来線で行くことにしました。
 当日は,早朝,始発に乗って出発しました。名古屋から和歌山というのは,いわば,オーストリアでウィーンからザルツブルグ,あるいは,フィンランドでヘルシンキからナーンタリまで日帰り旅行をするようなものなのですが,私には海外でそうした旅をするほうがずっと楽です。それは,日本では,どこも人だらけで混んでいるということ,意味のない車内の放送がうるさすぎること,そしてまた,駅の標示や電車の運行がわかりにくいことなどが理由です。さらに,目的地に着いても,日本はどこの町も同じように雑然としているだけで歩いていてもさほど楽しくないのです。
 
 ともかく,JRの東海道線で大阪までの往復チケットを窓口でクレジット払いで買って出発です。Suica は,JR東海を越えた範囲まで行くときは改札では使えないというバカげた話なので困ります。この例で最もあほらしいのが名古屋から彦根へ行くときです。JR東海とJR西日本をまたぐので Suica が改札で使えず,窓口でチケットを買う必要があるのですが,窓口に人の列ができていると最悪です。チケットを買う時間がないとホームに列車が停まっていても乗れません。
 この日は,早朝だというのに平日でもあり,通勤通学で車内は結構混んでいました。私の乗った列車は大垣止まりで,そこで今度は米原行きに乗り替えるのですが,その大垣から乗った2番目の列車は座る席すらありませんでした。それでも,米原で再び乗り換えた3番目の列車では座ることができて,予定どおりの時間に大阪駅に着きました。大阪駅からはめちゃめちゃ混んでいた地下鉄で難波まで行き,難波から南海電車に乗りました。本当は環状線で新大宮駅まで行ったほうが便利だったのですが,知りませんでした。
 南海電車なんて,これまで乗ったこともありませんでした。私が知っている南海というのは,昔大阪にあったプロ野球球団,鶴岡一人監督と野村克也捕手の南海ホークスとその本拠地であった大阪難波球場くらいのものです。
 私は,南海電車は路線がひとつしかなく,難波駅でそのまま停まっている電車に乗ればすべて堺に行けると思っていました。しかし,ホームに大きく掲示されていた路線図を見ても,私が降りようと思っている堺東という駅がないのです。路線図には堺という駅はあっても,堺東という駅がありません。後で,堺東駅は別の路線である高野線だということがわかったのですが,南海電車の難波駅に大きく掲示されていた路線図はなぜか南海線しか書かれていないのでした。そして,ずらっと並んだホームには,和歌山へ行く南海線の電車ばかりでした。しかも,いろんな種別の列車があって,南海電車では特急は別料金なのかそうでないのかとか,要するに,私の知りたい情報はどこにも書いてなくて,はじめて来た私にはとまどうことだらけでした。ここでもまた,あきらめているとはいえ,大切なことを勘違いしている日本らしい話でした。
 そもそも南海電車のマーク自体,地元の人ならともかく,知らない人にはそれが南海電車だとはわかりません。そこで,表示にそのマークが書かれていても,それが南海電車だということすらわからないのです。まあ,聞けばいいのでしょうが,堺東駅でなくても堺駅で降りてあとは歩けばいいだろうと,停まっていた電車に飛び乗りました。

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