わずか10年前のことになるのですが,遠い昔のことのように思えます。
そのころの私は人生に絶望し,一日中悶々としていました。時間を持て余し,することもないので,朝から近くの天然温泉に出かけるのです。しかし,結果として,温泉というのはそうした精神に妙薬となりました。湯船につかっていると何もかもを忘れることができるのです。そして,温泉から出た後は,近くの河川の堤防沿いにある公園を散歩するわけです。公園といっても,単なる荒れ野原でした。そこは家からほんの数十分の距離なのに,何かとても遠いところに行ったようような気がしました。
歩いていると,いつもその昔行ったモンタナの風景を思い出しました。
このころは,将来,再びまた,そんな遠いところに行けるとも思えなかったので,その場所は地球で一番遠いところのように思えました。そして,その場所は夜ともなれば,満天の星空が輝くような気がしました。
あれからいろんなことがあって,運気が180度好転しました。
その後,私は行ってみたい場所のほとんどに行くことができるようになりました。そうしたら,あのころに見た景色はすべて幻想だったことに気づきました。あのとき散策した公園なんて,草木が生い茂っていたただけのところでしたし,夜になっても灰色の空があるだけで,満天の星空なんて望むべくもありませんでした。
しかし,あのときは,確かに,それが幻であったにしても,私には満ち足りた時間でした。
人の心というのは,単に相対的なものでしかないに違いありません。同じ風景を見ていても,その見え方は自分の精神状態によってずいぶんと違うのです。
日本の夏は高校野球と終戦,それに加えて今年の退廃的な暑さ,そうしたものがごっちゃになって,私が夏になって思い出すのはそんな辛かった出来事ばかりです。
◇◇◇
夏の思い出①-子供は非日常の体験から成長する。
夏の思い出②-「日本じゃないみたい」って?
夏の思い出③-50年前にタイムスリップすると…
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夏の思い出③-50年前にタイムスリップすると…
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「夏の思い出①」で50年前の海の思い出を書いていたら懐かしくなってきて,その場所に行ってみることにしました。行こうと思えばいつでも行ける場所ですがなかなかその機会がないし,これまではわざわざ行く気もなかったのですが,そうしているうちに行く機会を逸してしまうので,夏真っ盛りの日,ちょうどいい機会だと思ったわけです。
しかし,50年前とは違って今はレジャーもたくさんあるから,あのころのように栄えているとは思えないし,なんだか50年ぶりのクラス会で昔の女性に会う,という感じでしょうか。
電車には乗らず車で行きました。
まず,名鉄電車の河和駅に行って車を停めて,あたりを歩きました。そして,駅にあったしがない喫茶店でオムライスを食べましたが,昭和時代に舞い戻った感じで悪くありませんでした。
駅は新しくなっていましたがバスターミナルはあって,知多半島先端の師崎行きのバスが頻繁に出ていました。以前,テレビの「路線バス乗り継ぎの旅」にも出てきたような…。
今は野間までは名鉄電車が別の路線からつながっているので河和からはバスはなく,当時バスが走ったであろうと思われる道路を車で通りました。ほとんど車もすれ違わない,しかし,なぜか40キロ制限の道路だったのですが,後ろをずっとパトカーが走っていたので疲れました。思わず50キロ出したらその場で捕まるのかしらん?
野間に着く途中に野間大坊があったので寄ってみました。思ったよりずっと広い寺でしたがほとんど人はいませんでした。
野間大坊は,正式には鶴林山大御堂寺という寺です。奈良時代に「阿弥陀寺」として建立し,空海が全国を廻った折,この地で一千座の護摩を焚き庶民の幸福を祈ったといいます。のちに源義朝がこの地で謀殺され,それを供養するために源頼朝が本尊様の念持仏を寄進し,塔や金堂講堂など諸設備が調った七堂伽藍を造営しました。
やがて野間に着きました。
まず,昔登った近くの小高い山に車でも登れたので行ってみました。こんなところだったのかなあ,という感じでしたが,展望台からは伊勢湾がきれいに見えました。スケールのものすごく小さなハワイ・オアフ島のダイヤモンドヘッドですねえ,これは。
野間の集落を歩くために近くの海辺の駐車場に車を停めました。
前回のブログに
「借りていた民家の一室で過ごすわけです。その部屋は民家の10畳くらいの離れで,先祖様の写真が額に入れて飾ってあって,それが子供心には不気味でした。お風呂は民家のものを使わせてもらうのですが,珍しい五右衛門風呂でした」
と書いた場所を探そうと歩きだしました。
昔バスが走っていた海岸通りには面影がありました。もちろんゲームセンターなど今は1件も存在していませんでしたし,たばこ屋もつぶれていました。狭い道を歩きながら,この路地だったかなあ? と思うのですが,なんとなくわかったようなわからないような…。
子供のころの記憶というのはみんなそんなものです。スケール観がおかしいのです。私の記憶にあるのは,その家の窓から見えたやたらと大きなひまわりやら大きなとうもろこしの実の生っていた畑なのですが,当然,そんなものはどこにもありませんでした。
なんとなくこの家だったかなあ,と思われる場所を見つけたのですが,家は廃屋でした。
少し歩くと海に出ました。
海水浴客なんてほとんどいませんでした。海も,やたらとテトラポットがおいてあって,これでは泳ぐ場所さえありません。これが当時の海水浴場なのかと思うと,なぜか,頭のなかだけに当時の姿が思い出されてきました。
今も民宿やらホテルが残っていましたが,客の姿はありませんでした。「海水浴場」の旗だけがさびしくはためいていました。
もう少し海岸を歩いていくと,数組の海水浴客がいるにはいました。ここは今となっては絶対に穴場です。まさにプライベートビーチです。1グループだけがテントを立てて,子供たちが海で戯れて大人たちがバーベキューをやっていました。
車に戻って,野間の灯台まで行ってみました。灯台の南には小野浦というだけ別の海水浴場があって,今も海水浴客が少しいました。海沿いには駐車場やら海の家があって,走っている道路から海岸も見えました。
私が行ったハワイ島のカイルアコナをずっと人を減らしたスケールなのですが,車を駐車場に誘導しようとおばさんたちが客引きををしているのが,なにか,わびしく感じられました。
各地にリゾートプールもたくさんできて,自然の海岸にある海水浴場で遊ぶという時代ではないのです。それでも,海が透き通るほどきれいだったり,砂浜が延々と続いているのならともかくも,自然を不自然に壊してしまっては,どうにもこうにもなりません。
こうして寂れてしまったので,当時よりも人口も減少しているということです。それでも自然が昔にもどることもなく,星も見えなくなってしまいました。
帰り道,新舞子という新しくできた半分人工の砂浜がつくられた海水浴場を通りました。さすがに,ここには若者たちが楽しんでいる姿があったのですが,おそらく作られたときがピークで,ここもまた,次第に古くなっていって50年も過ぎれば,私が50年前に行った海水浴場のようになっていくのだろうと容易に想像ができました。なにせ,作った時点から,道路の設計が悪いので,無粋な鉄柵が作られていたりして,美観もなにもないからです。
この先数十年も経って,また夏の暑い日になると,こうしたたわいもない1日が,ものすごく懐かしく思い出されることだろうなあ,と思いました。
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夏の思い出①-子供は非日常の体験から成長する。
夏の思い出②-「日本じゃないみたい」って?
NHKBSプレミアムで放送されている「にっぽん縦断こころ旅」も,今週で2017年の春の旅が終わって,秋までしばらくお休みです。
今回のコースの最後は北海道でしたが,春の旅の最終回に出てきたサロマ湖原生花園のサイクリングロードは私も走ったことがあります。そのころはのどかで雄大だったのですが,そこもまた無粋なコンクリートの橋なんて作ったり,やたらと工事をしていて,景観も台なしでした。
私は,この番組を見ていて,大学生のころの夏休みを思い出しました。
それまでずっと北海道には憧れていたので,大学に入学した年に行ってみることにしました。今では信じられないことですが,そのころはひとり旅などしたこともなく,北海道に行く方法すらよくわからなかったので,ツアー旅行に参加することにしました。ところが,参加してみたら,ほとんどは若い女性でした。そのときはじめて,どうやら男はそういうツアーなどには参加しないものだということを知りました。
それはともかく,はじめての北海道は魅力的なところでした。それ以来,大学を卒業したあとは,休みがあればレンタカーを借りては北海道を走り回るようになりました。北海道の隅々まで道路という道路は走りました。襟裳岬の小さな民宿や積丹半島の先端のお寿司屋さん,函館までのほとんど車の走らない追分ソーランライン,カムイワッカの滝,利尻島や礼文島など,本州にはない広大さと自然に圧倒されました。しかし,北海道は,行くたびに開発が進み,次第に俗化し,バブルがはじけたときそれまでにこしらえたテーマパークはすべて廃墟と化して,ここもまた,本土と同じようにゴミだめとなっていくのでした。
その後,アメリカをドライブするようになると,それまで雄大だと思っていた北海道がとても狭く感じられらるようになってきて,私はすっかり興味をなくしました。しかし,アメリカもまた,ロッキー山脈あたりの雄大さは素晴らしいのですが,人口の多い都市部は,あまりにも車と人が多く幻滅するようになってきました。
そして,私が次に行くようになったのが,ハワイやニュージーランド,そしてオーストラリアです。ハワイやニュージーランドはとてもよいところですが,残念ながら定番の観光地はどこも世界中から来るツアー客であふれています。しかし,ひとたびツアーコースから離れれば,まだ,大自然が残っているし,素朴です。オーストラリアに至っては,さほど名所はないのですが,のどかで雄大な風景をどこにでも見ることができます。
それに比べると,「にっぽん縦断こころ旅」で北海道の風景を見ていても,結局,日本のどこにもある田舎道のように,汚く狭く私にはどこも魅力的には思えません。「百名山」にしても,登山道は,古びていいたり廃道だったり武骨な鎖があったりだし,やっと登った山頂は人だらけです。旧東海道にしても,自動車道路がせっかくの旧道を痛めつけています。いつも書いているように,日本の風景は心で感じるものです。
それにしても,テレビのさまざまな旅番組で,出演者が日本の美しいといわれる場所の景色を見たときに,いつも「あーすごい,日本じゃないみたい」とか「ハワイみたい」「スイスのアルプスみたい」というセリフを吐くのをどう思いますか? 結局,そんなことなら海外へ行けばいいんじゃないか,あるいは,もともと日本にはまったく期待などしていないんだなあ,と思ってしまいます。
「にっぽん縦断こころ旅」の火野正平さんもまた,これでしばらくのお休みなので,営業用の感動はオフにして,しばしの休日を別荘のあるハワイ・カウアイ島で過ごされるのでしょう。
もともとはとても風光明媚な国だったのに,この国はどうしてこうも自然を破壊してしまうのでしょう。「花より団子」,桜の花が咲くとその下で宴会をやって翌朝はゴミの山… これが日本人の本質なのだからそれも致し方ないのかもしれません。食べ物だけは日本が世界で一番だというのは,そもそもそれが理由だったりするのかなあと私は思いますけれど。
夏の思い出①-子供は非日常の体験から成長する。
今のような季節になると,私がきまって思い出すのは,小学生のころ夏休みに出かけた海のことです。
それは今から50年ほど昔のこと。当時は家にクーラーもなく車もなく,それに私は学校が嫌いだったから,夏休みになると出校日以外は決して学校には行かず -高校生のころは補習などはまったくなかったし出校日も自発的に行かず- 長い夏休みはずっと家にいました。寝坊をすると1日が短くなってしまうので早起きで,涼しい午前中は学校からもらったやっても意味のないようなドリルを片付けました。当時は,今はEテレと呼ぶ教育テレビで夏休み特集の学校のつまらない勉強とは違ったさまざまなおもしろい講座が放送されていて,それを見るのもまた楽しみでした。暑いのでお昼間は寝て,涼しくなる夕方には折り畳みデッキチェアを外に出してそこに座って夕涼みをしました。
そんな夏休みで,母親には近くのデパートくらいしか連れてもらえなかったけれど,わずか数日の夏休みをとった父親に連れられて1泊2日か2泊3日で弟と海に行くことだけはしました。
当時父親の勤めていた会社が知多半島の野間というところの民家のひと間を夏だけ借りていて,そこに泊まるのです。野間というのは知多半島の西海岸,現在中部国際空港のある常滑からさらに南にいったところです。今にして思えば,会社の経費だから,父親はほとんどお金をかけずに親の責任を果たすことができたわけでしょう。
当時は野間まで名鉄電車は走っておらず,知多半島の東海岸沿いの河和というところが終着駅で,そこで降りて,そこからさらにバスに乗って知多半島を横断しました。たいした距離でもなかったのですが,子供心にはそのバスに乗っている退屈な時間が嫌いでした。
父親は自宅から職場のあった金山までの名鉄の通勤定期券を持っていたので,この日は電車の中で車掌に定期を見せてその先の清算をすると長い紙の証明書をもらうのですが,それがなにか普通の切符と違っていて特別なもののように思えて,かっこいいのです。そしてまた,終着駅なのでその先にレールのない河和の駅が珍しかったのです。しかし,駅を降りると喫茶店に入るでもなくすぐにバスに乗り換えるので,その駅のまわりがどうなっているのかずっと不思議に思っていました。
いよいよ野間に着くと,借りていた民家の一室で過ごすわけです。その部屋は民家の10畳くらいの離れで,先祖様の写真が額に入れて飾ってあって,それが子供心には不気味でした。お風呂は民家のものを使わせてもらうのですが,珍しい五右衛門風呂でした。
夕食はとれたての魚でしたが,それが新鮮でおいしかったのです。夕食後は町に出て,数件あったゲームセンターでスマートボールをするのが一番の楽しみでした。そして,夜は蚊帳を吊って寝るので,それがまためずらしく,心が騒いだことでした。
父親は子供が夏休みでも当然普段は仕事だから家にいないくせに,こうして海に行ったときだけ父親ぶってしつけるのです。朝は,まず勉強をしないと海に行かせないのです。たかが数日外出したときくらい勉強なんでどうでもいいのに,わざわざ勉強道具を持参させてバカげたことだと思いました。それを済ませて,いよいよ待望の海に行くと,今度はみっちり準備体操をさせるのです。地元の子供たちはそんなことお構いなしで早朝から海で遊んでいるので,それを見ていて彼らがものすごく羨ましく思えました。
実際に海で遊んだときの記憶などほとんどありませんが,きっ~たない海だなあ,と思ったことだけは覚えています。
お昼はまた民家にもどって食事がすむと,父親は無理やりに昼寝をさせるのです。まったくもってこれもまたバカげたことでした。民家の近くには野間の灯台も野間大坊というお寺もあったのに連れて行ってもらったことはありませんでしたが,唯一,近くの小高い山の展望台には,昼寝の後で散歩と称して,そこに登るのでそれが楽しみでした。普段見ることのないアゲハ蝶やヤンマを見ては感激していました。
そうした数日を過ごして夜に帰るのですが,帰りの電車の窓から満天の星空が見えました。今でも,さそり座がしっぽの先まで鮮やかに見えたときの感動を忘れません。
私が今思い出す小学生のころの夏休みの記憶はこれだけなのですが,今も,たいして空が暗いわけでもないのに知多半島に星を見に出かけるのは,このときの思い出の影響なのでしょうか。
結局,子供にとっては,豪華なリゾートや高原の別荘へ行かずとも,普通の田舎の自然の中で非日常の体験をするということが,最も思い出に残り,そしてまた,さまざまなことを学べるのです。
小学生が夏休みまでも塾に通って勉強の真似事などしていても,何も得るものはありません。問題集をやったところで,なんの思い出も知識も残らないのです。夏休みは自然に帰って外で走り回るべきなのです。
このような経験から,私の娘は幼稚園の年中さんのときから小学校を卒業するまで,夏休みはずっと山村留学をしました。彼女は山の中で満天の星空を見たり,ホタルを見たり,キャンプをしたり,犬の世話をしたりといった活動をして,毎年,8月の終わりには真っ黒になって家に帰ってきました。
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