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小説を読破する根気がなくなりました。テレビの1時間ほどのドラマを見ることさえしんどくなってきました。とはいえ,時間は売るほどあります。そこで,短く,かつ,有名な「古典」をだらだらと読むことにしました。
そんな中で,今日は,ご存知,夏目漱石の「草枕」です。
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山路を登りながら,こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生まれえて,画ができる。
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ではじまるこの小説は,夏目漱石が1906年(明治39年),39歳のときに「新小説」に発表したものです。
若いころに読んだ気もするし,読んでもよくわからなかった気もします。ただ,だれもがそうであるように,冒頭の部分が気に入って,忘れられない小説でした。
「草枕」は,熊本県玉名市小天温泉がモデルであるという「那古井温泉」を舞台に「非人情」の世界を描いた作品といいます。「吾輩は猫である」の次の作品です。熊本で英語教師をしていた漱石が,1897年(明治30年)の大晦日に友人の山川信次郎とともに熊本の小天温泉に出かけ,そのときの体験をもとに執筆したものといわれます。
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時は日露戦争のころ,30歳の洋画家である主人公が山中の温泉宿に宿泊し,宿の「若い奥様」那美と知り合います。出戻りの彼女は彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面で「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもありました。そんな那美から自分の画を描いてほしいと頼まれますが,彼女には「足りないところがある」と描きませんでした。
ある日,彼は那美と一緒に彼女の従兄弟で徴集された久一の出発を見送りに駅まで行くのですが,その時,ホームで偶然に「野武士」のような容貌をし「御金を貰いに来た」別れた夫を見つけ,那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあうのでした。
そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を主人公はみてとり「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」のでした。
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というのがあらすじです。
あまりに有名なものなので,ネット上には,数多くの解説やら感想が満ち溢れています。
いろいろ読んでみると,それなりに,その感想を書いた人の人生が垣間見えて,それが私にはおもしろいのですが,とにかく,小説というのは,いろいろな人生経験を通してこそ深く味わえるようになるわけです。しかし,そうした人生の深さを若き夏目漱石が書けるというのがすごいことです。
私が,まず,この小説がおもしろいと思ったのは,田舎の描写でした。
私は,人のいない自然のたくさんある田舎や旧街道を歩くのが好きですが,私も歩いているといろんなことを考えます。そうしたときに私が感じるような味わいが,そこにはあふれていました。読んでいると,自分も歩いているような気持ちになって落ち着きました。
ふたつ目には,「非人情」ということばでした。
主人公のいう「非人情の旅」というのは自由な旅のことでしょうが,自由というのは人との関りを避けるということではありません。山里というのは,人が自然と同化して生きているところであって,人の住む世界から途絶した場所ではないのです。そこで,いくら人の世が住みにくかろうと,漱石のいう「非人情」であろうと,そこから逃げ切ることはできないわけです。ならば,自分はそこに泥臭くはまり込むのではなく,芸術というひとつの線を引いて関わろうとするわけです。つまり,人との交わりに芸術を仲介するということです。漱石はこれを「詩と画」と書きました。
そして,最後は,小説の終わりの部分「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」でした。
那美さんが元夫の乗る汽車を見送るときに,今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いていて「それが出れば画になりますよ!」というのですが, 「憐れ」は「別離の哀しみ」ではなく,文字通り「あわれみ」です。そうした人間のもつ感情が出なければ,真の芸術ができないというわけです。
音楽でも,絵画でも,美しいだけのものは評価されません。俗な言葉ですが,人の性格も「アク」があるといういい方をします。そうした「アク」がなければ,個性が生まれないのと同じです。
私は以前,傑作というのはどういうものなのだろうと,ずっと考えたことがあります。その結論は,深みがある,ということでした。接したときこころに染みてくるものです。そういう作品だけがホンモノなのでしょう。何度聴いてもまた聴きたくなる音楽,いつまでも見ても見飽きない絵画,自分のこころと同化できる音楽,いつか見た景色を思い出す絵画,そうした忘れられない作品,それこそが傑作なのでしょう。
那美さんは元夫との別離を通して,自分のこころを表情に出せる深みのある人間になったということです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは