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 今はまったく見なくなったNHKの大河ドラマですが,かつては夢中だった私がこの大河ドラマで最も傑作だと思っている「花神」には,「適塾」で学ぶ村田蔵六,のちの大村益次郎が出てきます。
 あくまでドラマなので事実がどうなのかは知りませんが,このドラマで描かれた「適塾」でのストイックなまでの大村益次郎の姿に,若かった私はえらく衝撃を受けました。
 今の学校教育のような「エセ」ブランドの学歴を手に入れるためだけのドリル学習とは違い,そこには人が学問をするということの本質がある気がしました。
 「適塾」は大阪駅からほど近い場所にあって,現在も建物が保存公開されています。私も以前訪れたことがあって,今回再び行ってみたのですが,地震の被害にあって修復中ということで,残念ながら中には入ることはできませんでした。
 大阪といえば,難波のあたりはとんでもない人混みであり,また,多くの観光客がめざすのはUSJですが,私はそうした観光地には興味がなく,この静かな一角のほうに惹かれます。このあたりを歩いているとずっと心が和み,幸せな気分に浸ることができます。

 江戸時代の末期,緒方洪庵の開いた大坂大学の前身である「適塾」は,正式には緒方洪庵の号から適々斎塾,また,適々塾とも称されました。
 緒方洪庵は1810年(文化7年)に生まれ1863年(文久3年)に52歳で亡くなった江戸時代後期の武士であり医師であり蘭学者です。 
 人柄は温厚で,およそ人を怒ったことがなかったといいます。「適塾」の塾生だった福澤諭吉は「先生の平生,温厚篤実,客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず,誠に類い稀れなる高徳の君子なり」と評しています。
 やはりここでも,真に偉大な人物というのは,私がこれまでに出会って迷惑をこうむった輩のような偉そうに威張っていたり高圧的であったりパワハラまがいの小者ではないのです。
 開塾25年の間に3,000人と伝えられている門下生が学び,その中でも,福澤諭吉,大鳥圭介,橋本左内,大村益次郎,長与専斎,佐野常民,高松凌雲など幕末日本のエリートを多く輩出しました。
 勉強法は蔵書の解読で,塾に1冊しかない「ヅーフ・ハルマ」の写本が置かれていた「ヅーフ部屋」には時を空けずに塾生が押しかけ,夜中に灯が消えたことがなかったといいます。
 「ズーフ・ハルマ」(Doeff-Halma Dictionary)というのは江戸時代後期に編纂された蘭和辞典です。これは「フランソワ・ハルマ」(François Halma)という蘭仏辞書をベースに作成されたもので,約50,000語を収録していました。複製は写本で行われたために出版数は33部前後と少なく,ページ数が3,000を越えたこともあって大変貴重なものでした。
 塾生は,立身出世を求めたり勉強しながら始終わが身の行く末を案じるのではなく,純粋に学問修行に努め,物事のすべてに通じる理解力と判断力をもつことを養いました。

 大村益次郎は1824年(文政7年)に生まれ,1869年(明治2年)暗殺によって非業の死を遂げた長州藩の医師であり西洋学者であり兵学者でした。維新十傑のひとりで,長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し勝利の立役者となりました。また,日本陸軍の創始者でもあります。
 防府でシーボルトの弟子の梅田幽斎に医学や蘭学を学んだのち,1864年(弘化3年)から「適塾」で学び塾頭まで進みました。
 緒方洪庵の孫である緒方銈次郎は父親や祖母の緒方八重から聞いた話として,大村益次郎の「適塾」時代は,
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 伝えるところによれば,村田(大村益次郎)は精根を尽くして学び,孜々として時に夜を徹して書を読むことを怠らずとあるほど猛勉強をし,暇さえあれば解剖の本を読み,しばしば動物の解剖を行うなど研究熱心であった。塾頭としても綿密に考えて講義をし,遊びをしない品行方正な人格であった。
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としているそうです。
 また,大村益次郎は豆腐好きで,ドラマ「花神」の原作であった司馬遼太郎の「花神」には,
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 蔵六は緒方家の物干し台にのぼり,豆腐の皿を膝もとにひきつけておいて酒をのんだ。星空の下でひとり豆腐を食い,酒をのんでいる。師匠である緒方洪庵の蔵六評は「ひとりで酒盛りをしている男」である。
 江戸の長州藩邸に起居する時代になると彼の豆腐好きはいよいよ昂じていて,「毎夕三丁なければ酒が終わらない」と豆腐への傾倒はますます激しくなる。
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と書かれています。
 実際,生活は質素で,芸者遊びや料亭も行かず酒を好む以外は楽しみはなかったということです。兵部大輔の高位になった後も「先生は非常に気力旺盛な方で豪傑でありました。強記博聞おのれを持することが極めて質素でありました」と曾我祐準が証言するほどであったといいます。
 改元とかでかまびすしい今,こうした人たちの力で今の日本があることをもっと知るべきなのかもしれません。