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今回行くとも思っていなかったのに,突然思い出して,佐田岬へ行くことができたのですが,その帰り,高知龍馬空港に行く途中で,どこに寄って行こうか,と考えて選んだのが,大洲市でした。
佐田岬半島を貫く国道197号線は,前回書いたように,西には,海を越えて九州までつながっているのですが,反対に,四国では,東に,八幡浜市から大洲市,そして,四国カルストの山麓を通って梼原町(ゆすはら)を経由して,太平洋岸の須崎市までつながっています。今回,私は,このルートを通って高知龍馬空港まで帰ったのですが,今年の1月に高知県に来たときにも,その時点ではまったく意識していなかったのですが,四国カルストへ行くために国道197号線を走ったことになります。すてきな町だった梼原町に「龍馬脱藩への道」という案内がありましたが,それこそが国道197号線の元の姿だったのです。今は「龍馬脱藩への道」に沿ってバイパス化され快適な自動車道となっているのですが,バイパスが整備されたのはわずか2年前のことでした。

さて,大洲市に到着しました。
大洲市といっても,私は大洲城の存在だけ知っていたので,目当ては大洲城だけでした。
四国には城がたくさんあります。今回の旅では,すでに,今治城,松山城と行ったので,これで3つ目の城ということになります。今治城は鉄筋コンクリート造りでがっかりし,松山城は予想以上のすばらしさでした。そして,大洲城。この城は,木造による再建天守でした。そして,予想を超える豪華さでした。
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大洲は,歴史的には交通の要衝といえる場所でした。
鎌倉時代末期1331年(元弘元年),守護として国入りした宇都宮豊房が,肱川(ひじがわ)と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したのがはじまりです。
宇都宮氏は,その後,200年以上にわたってこの地を支配しましたが,毛利氏の伊予出兵で降伏し,土佐の長宗我部元親と通じた家臣の大野直之によって大洲城を追われました。しかし,1585年(天正13年)大野直之も小早川隆景によって攻め滅ぼされ,小早川隆景が入封しました。その後,戸田勝隆が城主として入りました。1595年(文禄4年)には,藤堂高虎が入城すると大規模に修築がされ,伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄しました。
江戸時代になり,1609年(慶長14年)に淡路の洲本から脇坂安治が転封され,次に,1617年(元和3年)に伯耆米子から加藤貞泰が入り,以後は加藤氏が12代にわたり大洲藩主として治め,明治維新を迎えました。
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明治維新後,本丸の天守や櫓は一部保存されましたが,老朽化と構造上の欠陥のために,1888年(明治21年)に解体されてしまいました。そして,2004年(平成16年)大洲市市制施行50周年記念事業として,木造で復元されました。
大洲城は,正確な資料が多く残っていたことと,市民の情熱があったことで,こんなに立派な木造の城を再建することができたようです。ここは一見の価値があります。これまでにも,高橋英樹さんをはじめてして,多くの歴史好き,城好きのタレントさんが訪れているようです。

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