天王星,海王星,冥王星の話題の最後は準惑星です。
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太陽のまわりを公転する天体は,惑星(planet),小惑星(minor planet),彗星(comet),惑星間塵(interplanetary dust cloud)に分類されます。また,小惑星(minor planet)はさらに,準惑星(dwaft planet)と「それ以外のもの」からなります。「それ以外のもの」とは古典的な小惑星(従来小惑星(asteroid)とよんでいたもの)(classical asteroid)です。準惑星は冥王星と従来小惑星とよんでいたものの中から特別な条件をみたすものだけが格上げされて冥王星の仲間となったものです。
日本語では,minor planet と classical asteroid をともに小惑星というので混乱が生じています。
また,それとは別の分類として,準惑星(dwaft planet),古典的な小惑星(classical asteroid),彗星(comet),惑星間塵(interplanetary dust cloud)を合わせて太陽系小天体(small Solar System body = SSSB)といいます。
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●小惑星の発見
1802年以降,「セレス」(「ケレス」ともいう)(Ceres)「パラス」(Pallas)「ジュノー」(Juno)「ベスタ」(Vesta)などの天体がメインベルト(main belt=火星と木星の間に軌道をもつ)に数多く発見されましたが,惑星ほどの大きさがなかったために,小惑星(asteroid)とされました。
●太陽系外縁天体の発見
1992年代以降になると海王星軌道より外側の領域にも冥王星以外の天体が発見されるようになりました。
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海王星軌道より外側の領域にある天体を太陽系外縁天体(trans-Neptunian object = TNO)といいます。
太陽系外縁天体(TNO)には,エッジワース・カイパーベルト天体(Edgewaorth-Kuiper Belt object = EKBO)とその外側の散乱円盤天体(scattered disk object = SDO)があり,さらにその外側にはオールトの雲(Oort cloud)があるといわれています。
エッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)には,彗星(comet)と小惑星(minor planet)があります。小惑星(minor planet)は,先に書いたように,準惑星(dwaft planet)と古典的な小惑星(classical asteroid)に分類されます。
従来は,エッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)とその外側の散乱円盤天体(SDO)を合わせてエッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)とされていました。また日本では,エッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)のみを太陽系外縁天体(TNO)とよんでいたころもあり,ここでもまた用語の混乱を生じています。
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さまざまな天体が見つかるようになって,それらの天体を定義して新しい名前をつけても,そのあとでそれが当てはまらないことが起きて…,ということがごっちゃごちゃになっている理由です。
また,日本では,たとえば dwaft planet を小型の惑星とでもすればいいのにあえて準などという英語とは意味の異なる別の日本語名にするから混乱します。漢字の表現には言外の意味が生じるのでたちが悪いのです。また,日本語名をつけるならそれならそれで,minor planet に格上げされたとき新しい名前をつけず従来の「小惑星」のままにしておくことも問題です。だから日本語の小惑星にはminor planetとclassical asteroidが混在しています。そしてまた,これは余談ですが,高校生が習う英語の単語集には,従来のまま「小惑星=asteroid」などと書かれていて,さらに,天文学を知らない教師がそれを教えるものだから,誤解が生じます。
では,準惑星と現在準惑星の候補となっている古典的な小惑星(classical asteroid)である太陽系小天体(small Solar System body = SSSB)を紹介します。
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●準惑星に格下げされた冥王星
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星,太陽系小天体
●「セレス」
=メインベルトにある小惑星,準惑星,太陽系小天体
1930年に惑星として発見された冥王星は,離心率や軌道傾斜角が大きく異なること,地球よりはるかに小さいことなど,他の8つの惑星と性質が大きく違っていました。
1992年に発見され,のちに「アルビオン」(Albion)という名前のついた小惑星は,太陽系外縁天体(TNO)でした。それ以降,冥王星を惑星とよぶべきかどうかをめぐり様々な議論や論争がなされるようになりました。
一方,1999年以降,マイケル・ブラウン(Michael E. Brown)博士がパロマ天文台にあるサミュエル・オシン望遠鏡(The Samuel Oschin telescope) で太陽系の新しい惑星を発見しようとする試みをはじめました。そして発見したのが,太陽系外縁天体(TNO)である「クアオアー」「セドナ」「マケマケ」「ハウメア」「エリス」でした。その中でも,「エリス」(Eris)は冥王星よりわずかに大きいと考えられ,冥王星を惑星とみなすことへの疑問の声が広まりました。
2006年8月24日に開かれた国際天文学連合 (IAU)の 総会で惑星の定義を定めるとともにdwarf planet(日本ではこれを準惑星と名づけた)という分類を新たに設けることが採択されました。そこで,小惑星(asteroid)は小惑星(minor planet)と名称が変更になり,そこに類する天体から新たに準惑星(dwaft planet)が定義されました。
これによって,これまで小惑星(asteroid)であったもののなかからも,「セレス」Ceres)が新たに準惑星(dwaft planet)に格上げされました。そして,格上げされなかったものはそのまま以前の小惑星(classical asteroid)という地位に残ります。また,冥王星は惑星の座から小惑星(minor planet)に格下げされ,新たに準惑星(dwaft planet)となりました。
再分類されたのち,冥王星は小惑星(minor planet)の一覧に記載され小惑星番号134340番が与えられました。小惑星番号は小惑星(asteroid)から小惑星(minor planet)に引き継がれます。
現在,冥王星は,太陽系外縁天体(TNO)であり,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星(minor planet)であり,準惑星(dwarf planet)です。また,太陽系小天体(small Solar System body = SSSB)です。
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●「クワオアー」(Quaoar)
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星候補,太陽系小天体
「クワオアー」は現在準惑星(dwarf planet)候補です。エッジワース・カイパーベルトに位置し太陽の周りをほぼ円軌道で公転しています。2002年6月4日に発見されました。
名前はロサンゼルス周辺のアメリカ先住民であるトングヴァ族に伝わる神話の歌と踊りで神々と生物を作った創世神クワオアーに因んで名づけられました。
●「セドナ」(Sedna)
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星候補,太陽系小天体
「セドナ」も現在準惑星(dwarf planet)候補です。2003年11月14日に最初に観測されました。
北米極北地方に住む原住民族カナダのイヌイットに伝わる海の女神セドナに由来しています。
なお,「クワオアー」と「セドナ」が準惑星(dwarf planet)と分類されるには,「自身の重力が剛体力に打ち勝って静水圧平衡(球体に近い形)を保つのに十分な質量を持っていなければならない」ことが実証される必要があります。
●「マケマケ」(Makemake)
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星,太陽系小天体
「マケマケ」は準惑星(dwarf planet)です。2005年3月31日に発見されました。
イースター島の創造神マケマケにちなんで命名されました。
●「ハウメア」(Haumea)
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星,太陽系小天体
「ハウメア」も準惑星(dwarf planet)です。スペインのシエラ・ネバダ天文台でホセ・ルイス・オルティスらのグループが2003年に行った観測を2005年に再分析したことによって発見し,2005年7月29日に公表しました。マイケル・ブラウン博士らのグループも,2004年5月6日の観測を元に12月28日にこの天体を発見しました。
ハワイ諸島の豊穣の女神ハウメアに因んで命名されました。
●「エリス」(Eris)
=太陽系外縁天体,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星,準惑星候補,太陽系小天体
「エリス」も準惑星(dwarf planet)です。2003年10月21日に撮影された画像に写っているところを2005年1月5日に発見され,同年7月29日に発表されました。
発見当初,発見者チームはこの天体が惑星である可能性を考慮して,創世神話に由来する名前を提案しました。国際天文学連合 (IAU) は惑星かどうかはっきりするまで命名はしないと発表しました。やがて,2006年8月24日にIAUで惑星の定義が決定され,これによって準惑星(dwarf planet)とされたことから,「エリス」(Eris)と名づけられました。エリスはトロイア戦争の遠因となったギリシア神話の不和と争いの女神です。「Ellis」と綴られる小惑星「エリス」とは別の天体であるので,注意が必要です。
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タグ:天王星・海王星・冥王星の発見
天王星・海王星・冥王星の発見④-冥王星の衛星「カロン」
今日は,冥王星の衛星の発見についてです。
現在,冥王星には五つの衛星が発見されていますが,最大なものはカロン(Chron)です。カロンは冥王星の7分の1もの質量をもつ巨大な衛星です。
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●カロンの発見
カロンは,1978年6月22日,ジェームズ・クリスティ(James Walter Christy)さんが,フラグスタッフ郊外のアメリカ海軍天文台にある口径61インチ(1.5メートル)の反射望遠鏡で写した冥王星の写真から発見しました。
発見したジェームズ・クリスティさんは,この衛星の名前に,妻の名前 Charlene のニックネーム Char に当時元素の名前などの語尾に on をつけるのが流行していたことから,Chron とすることを思いつきました。Chron という言葉を調べてみると,それは,ギリシア神話の冥府の川・アケローンの渡し守カローンのことだったのです。偶然にも,冥王星が冥府の王プルート(Pluto)の名にちなむことから,この名前は冥王星の衛星にふさわしい命名だったわけです。
この名前の由来を知っている人たちは,いまでもカロンをジェームズ・クリスティさんの奥さんの名前であるシャーロンとよんでいるのだそうです。
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カロンは衛星にしては惑星に対する質量があまりにも大きく,また,冥王星とカロンの共通重心が冥王星とカロンの間の宇宙空間にあるため,冥王星とカロンは主従関係でなく,二重惑星であるとの解釈もされています。
また,冥王星とカロンは互いに同期回転しているため,カロンは常に冥王星に同じ面を向け,冥王星もカロンに対して常に同じ面を向けています。よって,冥王星およびカロンから互いを見たら,空の1点から動かないように見えるそうです。
なお,カロンの発見ののち,冥王星には,ハッブル宇宙望遠鏡によって,さらに四つの小さな衛星が発見されましたが,それらはカロンが生じるきっかけとなった冥王星への天体の大衝突で飛び散った氷の溶岩が、冥王星を公転する軌道に乗っかったものが起源であると考えられています。
まず,2005年10月31日に発見されたのが「S/2005P1」と「S/2005P2」です。「S/2005P1」は後にヒドラ(Hydra),「S/2005P2」はニクス(Nix)と命名されました。ヒドラはギリシア神話の地下を守る怪物ヒュドラからつけられたもの,ニクス名はギリシャ神話の夜の女神ニュクスよりつけられたものです。これらの名前は冥王星探査衛星ニュー・ホライズンズの頭文字N・Hにも因んでいます。
次に,2011年7月20日「S/2011P1」が発見され,のちに冥界の番犬であるケルベロス(Kerberos)と命名されました。さらに,2012年7月11日「S/2012P1」が発見され,冥界と現世の間を流れる川および女神であるステュクス(Styx)と命名されました。
天王星・海王星・冥王星の発見③-偶然発見された冥王星
私が子供のころ,太陽系の惑星のうちで,水星から土星までと比べて,どうして天王星,海王星,冥王星だけ名前が異質なのか疑問をもったということを書きました。それは,水星から土星までは肉眼で容易に見えたから発見された惑星ではなく,天王星から冥王星までは「発見」された惑星だったからですが,天王星と海王星の発見についてはこれまでに書いたような経緯でした。
冥王星は14等級以下でアマチュアの望遠鏡でも見ることが困難なので,私の子供のころに読んだ天文書にはアマチュアには見ることができないと書かれていて,そのの知識のまま今もそう思っている私の知人がいます。
私は,機会があれば,一度は写真に収めたいと思っているのですが,もし,写ったとしても,それが冥王星であるという見わけをすることはずいぶん困難なことでしょう。
さて,今日は冥王星の発見についてです。今では,冥王星は惑星としての地位を追われてしまいましたが,私には,今も,冥王星はその後に発見され,準惑星とされるケレス,エリス,マケマケ,ハウメアなどとは一線を画す存在です。
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●冥王星の発見
準惑星である冥王星(Pluto)は,かつては太陽系第9惑星とされた天体です。1930年にクライド・トンボー(Clyde William Tombaugh)によって発見されました。
発見された新天体に「Pluto」という名前を最初に提案したのはイングランドのオックスフォード出身で当時11歳の少女ヴェネチア・バーニー(Venetia Katharine Douglas Burney)でした。トンボーは、偶然にも,冥王星の存在を予言したパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)のイニシャル「P.L」ではじまるこの名前をいたく気に入ったといいます。
日本語名の「冥王星」は日本人の野尻抱影が提案した名称です。1933年に中国でも「冥王星」(míngwángxīng)が使われるようになりました。
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ウィリアム・ヘンリー・ピッカリング(William Henry Pickering)とパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,天王星の軌道における摂動の分析からその存在が予測され発見された海王星と同じように,海王星の軌道もまた他の未発見の惑星「惑星X」によって乱されていると推測し,そのような惑星が存在する可能性のある天球座標をいくつか提唱しましたた。
1905年,ローウェル天文台では「惑星X」を捜索するプロジェクトを開始しました。プロジェクトはパーシヴァル・ローウェルが1916年に死去するまでの11年間続けられました。
1929年,プロジェクトが再びはじめられ,当時の天文台長であったヴェスト・スライファー(Vesto Melvin Slipher)がクライド・トンボーにこの仕事を預けました。
クライド・トンボーは,ローウェル天文台の口径13インチ(約33センチメートル)の天体写真儀で空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影し,その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行いました。そして,撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果,ついに,1930年2月18日,同年の1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけました。
なお,2枚の写真を比べて新天体を発見する方法は今も行われていますが,クライド・トンボーが行っていた当時とは違って,コンピュータが自動的にそれを行っています。
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しかし,クライド・トンボーが発見した「惑星X」は,海王星の軌道の摂動の原因となるにはあまりにも小さすぎたのです。実際は,19世紀に天文学者が観測した海王星の軌道の計算との食い違いは「惑星X」によるものではなく,海王星の質量の見積もりが正確でなかったためのものでした。
それにしても,パーシヴァル・ローウェルが予測した「惑星X」の位置は,クライド・トンボーが発見した実際の位置にかなり近いものでした。不思議な話です。イギリス人の天文学者アーネスト・ウィリアム・ブラウン(Ernest William Brown)はこれを「偶然の一致」だと結論づけました。
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☆ミミミ
この写真は,2018年5月にオーストラリアに出かけたときに私が写した写真から冥王星を探し出したものです。14.3等星です。
天王星・海王星・冥王星の発見②-海王星発見の顛末
今日は海王星です。
海王星は7.7等星より明るくなることはなく,肉眼では見えません。写真で簡単に写せますが,写っていても恒星に埋もれてしまって見わけがつきません。そこで,見わけがつくように,先日,私が,金星が接近したときを狙って写したのが,今日の1番目の写真です。
天王星に比べて,海王星の発見には多くの物語がありました。
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●海王星の発見
太陽系第8惑星である海王星(Neptune)は,1846年9月23日,フランス人のユルバン・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier)が予測した位置の近くに,ドイツ人のヨハン・ゴットフリート・ガレ(Johann Gottfried Galle)とハインリヒ・ルイス・ダレスト(Heinrich Louis d'Arrest)によって,望遠鏡を用いて発見したということになっています。
ユルバン・ルヴェリエは,発見後すぐに「Neptune」という名称を提案,天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ(Friedrich Georg Wilhelm von Struve)が支持することを表明し,国際的に受け入れられるようになりました。
ローマ神話では、名称の元となったネプトゥーヌス(Neptūnus)はギリシア神話のポセイドーン(Poseidōn)と同一視される海の神です。中国語ではこの名称を「海王星」と訳し,日本でも用いられました。
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海王星が望遠鏡を用いて観測されたもっとも初期の記録は,1612年12月28日と1613年1月27日にガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が,木星の観察中に偶然スケッチで描いたものです。しかし,ガリレオ・ガリレオは木星の近くにある恒星と誤って認識していました。
1781年,アンダース・レクセル(Anders Johan Lexell)は,発見されたばかりの天王星の軌道を計算した結果,その不規則性に気づき,天王星の軌道に摂動を与える別の惑星があることを示唆しました。また,1821年,アレクシス・ブヴァール(Alexis Bouvard)はニュートンの万有引力の法則に基づいた天王星の軌道予想表を出版しましたが,実際に観測をするとこの表からかなりの逸脱があることが明らかとなり,摂動を与える天体を仮定するに至りました。
イギリスのジョン・クーチ・アダムズ(John Couch Adams)も,天王星の軌道の不規則性から,天王星の観測データと万有引力の法則を用いれば,別の惑星の軌道を推定することができると信じていました。1844年2月13日,これを聞いたケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス(James Challis)は,ジョン・クーチ・アダムズのために王室天文官のジョージ・ビドル・エアリー(Sir George Biddell Airy)に,天王星の位置のデータを要求しました。このデータをもとに,ジョン・クーチ・アダムズは1845年9月18日に計算を完了しました。一方,フランスのユルバン・ルヴェリエもまた,1845年11月10日,天王星はそれまでの理論ではその運動を説明できないことを示し,仮想の摂動天体についての位置を示しました。
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イギリスでは,王室天文官のジョージ・ビドル・エアリーは,ジョン・クーチ・アダムズとユルバン・ルヴェリエの結果の類似性に気づき,秘密裏に惑星の探索を試みようと,1846年7月,ケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリスに,至急惑星を観測するように提案し,7月29日に捜索がはじまりました。ジョン・クーチ・アダムズは研究を続け,間違った空域を探していたケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス率いるイギリスのチームに新たな解を提供しました。
一方,フランスでは,ユルバン・ルヴェリエは,8月31日,位置のほかに質量と軌道の情報を得ましたが,フランスの天文学者は関心をもたなかったので,データをベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレに郵送しました。ヨハン・ゴットフリート・ガレは,1846年9月23日に手紙を受け取りすぐに観測を開始し,指導する学生のハインリヒ・ルイス・ダレストとともに,探しはじめてからわずか1時間以内の午前0時直後に,予測された位置からわずか1度以内の場所に新惑星を発見し,新惑星の発見を公表しました。
その後,ケンブリッジ天文台長のジェームズ・チャリス率いるイギリスのチームが,新惑星の発見が公表された1か月前の8月8日と8月12日に,すでに新惑星を観測していたことが明らかとなりましたが,最新の星表を持っていなかったために,それが惑星だと気づかなかったのです。
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海王星の発見に用いられたのはベルリン天文台の口径9.6インチ(約25センチメートル)屈折望遠鏡でした。この望遠鏡は現在,ミュンヘンのドイツ博物館(Deutsches Museum)に移設され展示されています。
天王星・海王星・冥王星の発見①-彗星と思った天王星
2019年の6月,念願だったローウェル天文台に行って,冥王星を発見した望遠鏡を見てきたことは,すでにブログに書きました。
ここで,天王星・海王星・冥王星について,私の知識を整理したいと思います。
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私が子供のころの惑星の名前の覚え方は「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」でした。その後冥王星が準惑星と新たに分類されて惑星から脱落してしまいましたが,それはともかくとして,水星から土星までは自然な名前なのに,どうして天王星,海王星,冥王星の三つだけ名前が異質なのか,子供のころ気味悪く思ったものです。
ところで,この惑星の覚え方ですが,英語では「My Very Educated Mother Just Served Us Nine Pizzas.」と覚えたのだそうですが,現在は,冥王星に加えて,新たに準惑星となったケレスとエリスを含んで,「My Very Exciting Magic Carpet Just Sailed Under Nine Palace Elephant.」と変わったそうです。 ちなみに,準惑星は冥王星,ケレス,エリスの三つに加えて,さらに,マケマケとハウメアのふたつがあります。
水星から土星までは肉眼ではっきり見えるので,古から惑星として認知されていたのに対して,天王星,海王星,冥王星はのちに望遠鏡で発見されたもので,そのとき名前がつき,それを日本語で別の表記をしたことから,異質なものになったというわけです。
では,これからは,天王星,海王星,冥王星の発見物語を書きます。今日は天王星です。
天王星は最大等級が5.6等なので,そのときは肉眼でも見えることができるといいますが,ほかの星と区別がつかないので,もし見えても,それが天王星だということは容易にはわからないでしょう。
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●天王星の発見
太陽系第7惑星である天王星(Uranus)は,1781年3月13日,イギリス人のウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel)によって発見されました。「Uranus」という名前は,ヨハン・ボーデ(Johann Elert Bode)が提案しました。これは,ギリシア神話における天の神ウーラノス(Ουρανός=Ouranos)のラテン語形で,これを中国で「天王星」と訳したものが日本に広まったのです。
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天王星は,1690年,ジョン・フラムスティード(John Flamsteed)がおうし座34番星として記録したものが最古の記録で,それ以後も何度も観測されていましたが,惑星とは認識されていませんでした。
1781年3月13日,ウィリアム・ハーシェルが自宅でこの星を見て「新彗星」であると思いました。しかし,その後の観測から軌道を決めるとき,彗星であれば,まず,放物線と仮定するのですが,それではうまくいかず,アンデル・レクセル(Anders Johan Lexell)が円軌道と仮定して軌道を求めたところ観測結果を説明することに成功し,求められた軌道は長半径が土星のはるか遠方の巨大な天体であることがわかりました。これ以後、新天体は惑星と見なされるようになりました。
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天王星を発見したと思われる,1781年にウィリアム・ハーシェルが自作した口径7フィート,約21センチメートルの反射望遠鏡のレプリカは,現在,ロンドンから電車で2時間ほどのバース・ニュー・キング・ストリート19番地にある彼の自宅を改築して作られたウィリアム・ハーシェル博物館(William Herschel Museum)にあります。一度見てみたいと思い続けているのですが…。