しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:将棋の神様はいるんだね

2019-12-27_18-23-56_2452019-12-27_18-13-36_886xxx

######
 「藤井聡太竜王名人が関西将棋会館のレストラン「イレブン」で食事を注文するのもこれが最後」 になるかもしれない,王座戦挑戦者決定トーナメントの決勝戦が2023年8月4日に行われ,「史上最高の1分将棋」とよばれた大熱戦のすえ勝利して,永瀬拓矢王座への挑戦権を手に入れました。王座戦5番勝負に勝てば,将棋のタイトル全冠制覇達成です。
 この対局は,二転三転,まさに手に汗握るハラハラドキドキの終盤戦でした。
 ①105手目。藤井聡太竜王名人が▲1五香と打てば終わっていたものを▲1六香と打ったためにもつれました。
 ②135手目。藤井聡太竜王名人が▲6四角と打てばよかったのに▲3三歩としたので3筋に受けの歩を打つことができなくなり,負けていれば敗着でした。
 ③150手目。豊島将之九段の指した△6五玉が決定的な悪手で,これで勝負が決まりました。しかし,1分で正解手を見つけるなんて無理な話なので,豊島将之九段が気の毒でした。
 ①②③とも,正解手はかなりの「筋悪」で人間には浮かびません。

 ③150手目の正解手は△5四玉だったということですが,この後が難解でした。
 解説者も説明できなかったので,私も,局後,将棋AI最強の「水匠5」を使って,遊んでみました。△5四玉以下,「水匠5」が1番手にあげた指し手を進めていきます。すると,以下のように,このあと延々と90手くらいも進んで,やっと後手が勝利します。
  ・・・・・・
3四龍,4四銀,4五角,6五玉,7七銀,6六歩,4四桂,7八金,5四銀,6四玉,6三銀成,6五玉,5六角,同馬,3五龍,5五歩,5六歩,6九角,4八玉,7七金,2五角,同角成,同歩,7六玉,4二と,6七歩成,3八玉,6八角,4六歩,4二飛,2七玉,4四歩,5三成銀,4五桂,4二成銀,3七桂成,同玉,4五金,5四角,6五歩,4五角,5九角成,4八金,4五歩,4九金打,5三角,4四香,3四歩,同龍,2二桂,4五龍,4九馬,同金,3四金,7七桂,4五金,同歩,5七飛,4七金,1四桂,9八角,8七銀,同角,同玉,9八銀,7七玉,6九桂,7六玉,7七歩,同と,5七桂,2六銀,3八玉,2七金,3九玉,2八角,2九玉,1七角成,8七金,同と,同銀,同玉,9七飛,8六玉,8七歩,7五玉,7八飛,6四玉,9八飛引,3八銀,…
  ・・・・・・
 なお,互いに最善手を指していくと持将棋になるといっているYouTubeや,そう書いている記事もありますが,私が使った「水匠5」ではこのように後手勝ちになります。
 こうして遊んでいるうちに,何か不思議な気がしました。それは,「水匠5」が最善という手を指し進めていっても,はじめの評価値以上に次第に後手が悪くなっていくのです。こういうものを体験すると,将棋AIが示す評価値は,一体どういうものなのだろう? という疑問がいつもながら湧いてきます。
 この対局の中継はいくつかの媒体で行っていたのですが,ABEMAが表示している形勢判断とそれ以外のものに大きな差があることが指摘されていました。使っている将棋AIが異なるのか,コンピュータの性能が異なっているのか。いずれにしても,1分という考慮時間ではコンピュータでも読み切れないということなのでしょう。
 おそらく,実際の対局で豊島将之九段が△5四玉という正解手を指したとしても,その後,人間が最善手をずっと指し続けることは不可能です。この難解な将棋では,最善手は1手だけでそれ以外を指せばすべて逆転,といった局面が続いていたので,結局は,どこかで悪手を放った方が負け,という結果になったことでしょう。
 どうしたらこんな複雑で難解な局面が作れたのか。

 将棋は,序盤の定跡はほぼ決まっていて,いささかマンネリ気味で,新戦法といったところで,大局的に見れば流行り廃りがあるだけのようなものです。最新形といっても,江戸時代にすでに同じような形があったりします。
 しかし,中盤から終盤にかけてのねじり合いになると,どの将棋もそれぞれが個性をもち複雑化していくのが不思議です。これこそが将棋の魅力です。そうなると,もはや,コンピュータが進化しようと関係なく,事前研究も意味がなく,指している人間の実力と指運のみの世界となっていきます。ただし,今は,将棋AIの進化のおかげで,見ている側に,その時点での最善手がわかるようになった,というのが最大の利点です。だから,素人が見ていてもおもしろさがよりわかるわけです。おそらく,将棋AIがなかった時代なら,この対局の△5四玉という手も指摘されず闇に葬られていたに違いありません。
 ともあれ,藤井聡太竜王名人は,八冠になるように神が授けているかのように,今期の王座戦は,奇跡が続きます。極めつけは対村田顕弘六段戦でしたが,今回の対豊島将之戦もまた,それに匹敵するものでした。再び奇跡が起きるのか? 今後の展開が今から楽しみです。

104 134 149


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3629

######
 ついに,藤井聡太竜王が名人戦に登場します。デビュー以来,ずっと名人候補といわれ,マスコミに騒がれ,いつか潰れたときは気の毒だと思っていたのですが,私が思っていたより,ずっと精神的にも強い若者でした。
 私が若かったころは,何事にも「絶対王者」がいました。たとえば,プロ野球だと読売巨人,大相撲だと横綱大鵬,将棋だと大山康晴十五世名人,という具合です。物心ついたときからそうだったのだから,こうした「絶対王者」はずっと「絶対王者」のままで,変わることはないと思っていました。
 私はそのすべてに対してアンチでしたから,いつも辛い思いをしていたのと同時に,世の中はままならならないものだというあきらめをもちつづけて大人になったようなものです。こういう成長過程がいいのか悪いのか,いずれにしても,すっかりひねくれた大人になりました。
  ・・
 読売巨人の連続優勝が途絶えたのは,1974年(昭和49年)のことでした。こんなことが起こるのかと思いました。横綱大鵬が引退したのは,1971年(昭和46年),そして,大山康晴十五世名人が名人戦で敗れたのは1972年(昭和47年)と,奇しくも,それらはおよそ同じころのことで,私が最も多感なころでしたから,そのすべては強烈に印象に残っていて,今も詳しく語ることができます。文献だけで知っていて,それを文章にするライターとは年季が違います。
 強いものに対して,常にアンチである私なのに,その後の「絶対王者」で応援した王者がただひとりいました。それは,横綱千代の富士でした。齢が私とほとんど同じであったことと,強いながらも小柄で弱点をひめていたこと,そして何よりまだ関取になる前から知っていたからです。弱いころからの出世物語を知ると,応援したくなります。そこに,藤井聡太竜王が加わりました。
 現在の藤井聡太竜王のことは,ほかにいくらでも書いている人がいるでしょうから,今日は,昔の将棋名人戦の思い出を書きます。

 当時はテレビ中継もなく,インターネットもなかったから,知りうる情報は新聞紙上からだけでしたが,それでも,私がはじめて将棋名人戦を時系列で観戦したのは,第30期でした。それは,今も語り草となっている,升田式石田流をひっさげて,升田幸三当時九段が大山康晴当時名人を苦しめた,大山康晴名人の最後の名人防衛でした。
 名人戦は昔も今も4月のはじめから開始します。このころは桜が満開,しかし,雨の多い時期です。第30期将棋名人戦第1局の行われた日もまた,雨でした。このころの将棋名人戦は,東京の料理旅館・福田家ではじまるのが常で,まだ何も知らなかったころの私は,何か,ものすごく特別な儀式を見ているような気がしました。
 それ以来,私は,将棋名人戦は桜と雨,というイメージができました。
  ・・
 次に印象に残るのは,その次の第31期でした。
 大山康晴名人の後継者だとだれもが認めていた中原誠当時八段が,A級2期目に挑戦を果たしました。新進気鋭,強かった中原誠八段も,A級昇級の年は4勝4敗に終わったのですが,2期目は8戦全勝でした。
 第31期将棋名人戦は白熱した戦いで,第7局までもつれ込み,ついに,大山康晴名人の牙城が崩れました。しかし,そのことよりも,中原誠八段がそれまでのA級順位戦2期で戦った対升田幸三戦こそ,最高に記憶に残った対局でした。中原誠八段1期目は,升田幸三九段の妙手とうたわれた▲7七飛車が決定打となって完敗。2期目の対局は,升田幸三九段が勝ちを手に入れたと思ったときに▲9八香と指せばよかったものを手拍子で▲7二と指してしまったのが失着で中原誠八段が勝利しました。この2局の観戦記は東公平(=紅)さんだったのですが,それがおもしろかったこと。
  ・・・・・・
 (中原は)23分の長考をして△8三金と,敵飛圧迫の方針を見せた。ここで,升田の「新手」が出たのである。▲7七飛だ。「升田流や。ひとには教えられん」--ニヤリと笑う。この一手で,中原の飛頭の金は空を打たされ,苦戦に追い込まれたのだ。
  ・・
 中原が少考ののち△8九飛とおろすと,(升田は)チョンと香のうえをたたいて「上とこか」といった。▲9八香のことだ。しかしすぐに,ああ,行ったれ行ったれ,と吐き出すようにいって▲7二とと金を取った。バシッとコマ台にのせた。この一手が勝敗を分けた。
  ・・・・・・
 今は,あまりに対局が多すぎて,その多くは,それらがいかにすばらしいものであっても,次々と生まれる棋譜にとって代わられてしまい,深く印象に残らないのがとても残念です。

 それからちょうど50年。半世紀が経ちました。
 果たして,第81期将棋名人戦ではいかなるドラマが生まれるのでしょうか。

history_image第30期将棋名人戦第31期将棋名人戦


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5226DSC_1050

######
 第72期王将戦の第5局が,2023年2月25日,26日に島根県大田市で行われ,101手で藤井聡太王将が勝利しました。
 今日のお話は,この対局の結果のことではなく,この対局で私が思った将棋AIにおける評価値のことです。このごろは評価値でなく勝率というそうですが,私には勝率ということばは何か違うという感じがするので評価値と書きます。
 この対局や解説は,囲碁将棋チャンネルのLIVE中継をはじめ,インターネットの毎日新聞の棋譜速報,YouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」などで知ることができたので,参考にして楽しんでいたのですが,あまりにむずかしくて,対局が行われていた時点ではなかなか理解ができませんでした。評価値による優劣判定も二転三転して,しかもその振れ幅が大きく,まさに死闘でした。

 戦法は横歩取りでした。横歩取りは,双方の王将が盤面全体の戦場の中で右往左往し,いつ流れ弾に当たってもおかしくないというものなので,短手数で終わることが多く,2日制のタイトル戦に選ぶ戦法として好ましくないと思われていました。一般に,他の戦法に比べて盤面が狭く感じられ,手の選択肢が少なくなるのです。ところが,この将棋では,盤面上のすべての駒が有機的に入り組んでいて,手の選択肢が非常に多く,どの手を選んでもそのあとの変化が多岐にわたり,難解きわまるものとなったのです。
 将棋AIがなかった時代なら,この将棋を正確に解説するのは不可能であったように思えます。おそらく,そうして,おもしろさの半分も伝わらず闇の中に消えて行ったことでしょう。それが,将棋AIのおかげで,現在の局面の評価値や次の手の候補が表示されるから,あまり将棋がわからない人でも楽しめるわけです。
 対局が行われていたときは,私も,優劣を評価値に頼って見ていました。そして,それが二転三転したので,双方が最善手の応手をしているのではなく,疑問手を出し合っているように感じました。だから,将棋AIの示す最善手どおりに指し手を進めるいつもの藤井聡太王将とは違うなあ,調子が悪いのかな,とも思ったし,「疑問手が多いから熱戦になっているので,名局賞にはふさわしくない」とYouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」で言っていたような感想を,私ももちました。
 しかし,囲碁将棋チャンネルで放送されたものを,局後に,解説を聞きながら見直してみると,まったく別の印象をもつようになりました。それは,将棋AIの評価値は,そうした人間の勝負を判定するには,まだまだ未熟だということです。

 藤井聡太王将の対局の解説をするのは大変です。
 高見泰地七段とか広瀬章人八段,佐藤天彦九段のような,日々最新形を研究している強い若手かもしくは超一流の棋士で,かつ,話が上手でないと,深い読みに裏づけされた指し手の真意がわからず,聞いていても得るものがありません。だから,囲碁将棋チャンネルの1日目のにぎやかしいだけで手が見えない解説は論外でした。2日目の放送は屋敷伸之九段の解説でしたが,それが思った以上によく,やっとこの将棋の本質がわかりました。
 この対局は,「疑問手が多い熱戦」ではなく,実際の指し手は人間が極限まで考えた末の最善の応酬だったのです。
  ・・
 よく,形勢判断といいますが,それは,形勢判断をする局面で,①駒割り②駒の働き③玉の固さ④手番を評価するものといわれます。しかし,将棋AIの表示する評価値は,その局面での形勢判断ではなく,その局面で,次に最善手を指したときのものなのです。
 その最善手というのが,また,くせものです。それは,この先もお互いが最善手を指し続けたとき,ということが前提だからです。しかし,ここに疑問がおきます。それはまず,どこまで指し続けた状態で将棋AIは評価を判断をしているのだろうか,ということです。即詰みがない段階では,無限に読むこともできないから,どこかで読みを打ち切って,そこで形勢を判断する必要があるのですが,将棋AIがどこで読みを打ち切っているのかがよくわからないのです。
 次の疑問は,将棋AIの示す最善手には,人間が簡単に指すことができるものとそうでない難解なものが存在するということです。難解なものは当然間違えることが多く,それが次の手でなくとも,その先,その先のどこかで間違えれば,すべてが崩れてしまい,最善手でなくなったりむしろ悪手となることもあるのです。この対局は,まさに後者のほうでした。まず,次の最善手が読めない。しかも,それに続く応手もまたすべて難解で,そうした最善手を指し続けたときの評価値にすぎなかったのです。
 であるならば,むしろ,人間は,どこかで間違える可能性が高いから,評価値はまったくあてにならない,ということになります。そこで,これらのことも考慮するようにAIには機械学習をしてもらって,そうしたディープラーニングの結果,将棋AIの考える最善手を人間が指すことができる確率までを考慮した形勢判断にしなければ,正しい評価値とはいえないのではないかと,私は思ったわけです。だから,将棋AIの評価値だけではなく強い棋士の解説が必要なのです。

 将棋AIによって形勢判断が数値化されたことで,将棋の楽しみが増えたことは否定できませんが,現在の評価値は,そうした意味で,まだまだ未熟です。だから,人間がその手を指せるかどうかといったことまでを考慮に入れた解説ができる棋士が優れた解説者といえるのでしょう。また,「観る将」は,評価値を参考にこそすれ,その値だけに一喜一憂せずに楽しむべきなのでしょう。そこに,コンピュータではなく人間の勝負を観戦する楽しみがあるのです。
 それにしても,これほど難解な将棋を見たのははじめてのことでした。また,結果は別として,羽生善治九段はとても楽しそうでした。おそらく,藤井聡太王将に若き日の自分を見ているのでしょう。そしてまた,夢を託せる若者を頼もしく思うのでしょう。
 まさに,解説者泣かせであり,将棋の奥深さを再認識した対局でした。

無題


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5868

######
 現在,第72期王将戦が行われています。「最高峰の戦いである世紀の王将戦」と銘打って,藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦するという願ってもない組み合わせに盛り上がっています。
 もともと王将戦は将棋名人戦が毎日新聞から朝日新聞に移ったことで,連載する棋戦のなくなってしまった毎日新聞が新たに作った棋戦で,話題作りのために指し込み制度を導入しました。その制度のおかげで,升田幸三実力制第4代名人が木村義雄十四世名人や大山康晴十五世名人を香落ちに指し込んだり,さらには,対局拒否という陣屋事件が起きたりといった様々な出来事がありました。
 近年では,再び将棋名人戦が朝日新聞から毎日新聞に移ったことで,行き場を失った王将戦はスポーツニッポン社の主催となり,その結果,そのころは中継のなかった将棋の棋戦が唯一囲碁将棋チャンネルで放送されたり,また,「勝者の罰ゲーム」ができたりと,将棋の棋戦というより娯楽の面が強くなりました。
 しかし,このごろは,ABEMAでほぼすべての将棋の棋戦を中継するようになったので,逆に,王将戦だけが見られない,ということになってしまって,あまり将棋に興味のなかった人が,なぜ王将戦だけ無料で見られないのか,と苦言を呈するようになりました。「大人の事情」というのは複雑です。

 今期は,もう無理だと思っていた藤井聡太王将と羽生善治九段の対決が実現したわけですが,これは,羽生善治九段にとって悲願だったに違いありません。それは,羽生善治九段の通算100期のタイトル獲得の可能性,というより,将棋ファンのだれしもが望んでいた対戦がかなえられたということだからです。
 おそらく,一世を風靡した羽生善治九段は,自分のことより,そうしたファンの夢をなんとか実現させたいという,そうした意思が強かったと思われます。藤井聡太王将に対しては,よき後継者を得たと思っていることでしょう。藤井聡太ブームは,羽生善治という絶対王者が重しとなっていたからこそ誕生したのでもあります。
 しかし,今期の王将戦の結果を予想すると,これまでの対戦成績や藤井聡太王将の実績からみて,羽生善治九段が一方的に破れる,という可能性が強く,それでは盛り上がりません。そこで,羽生善治九段が第2局を全身全霊で戦い,ぎりぎりの終盤戦を乗り越えて勝利したとき,なんとか肩の荷が下りた,という安堵の表情を見て取ったのは私だけでしょうか。第2局の▲8二金という手をみて,羽生善治九段の強い想いを感じて,感動しました。いいものを見ました。

 今回私が取り上げたいのは,そんな将棋界に関連して,このごろ何かと話題の「ChatGPT」です。
 「ChatGPT」(Generative Pre-trained Transformer)というのは,OpenAIが2022年11月に公開した人工無脳(chatbot)です。人工無脳とは,ユーザーがキーボード等を通じてコンピュータに語りかけると,何らかの返答が表示されるというものです。
 人工知能に人格や知性といった人間らしさを付与しようとする研究は,人間の脳の働きをコンピュータプログラムに置き換えて成長させ,コンピュータにコミュニケーション能力を獲得させようとする試みなのですが,実際は,自我や知性を持つ人工知能を構築することは容易ではありません。
 そこで,コンピュータにことばの意味を理解させるのではなく,自然な応答を事前に学習,蓄積させておくことで,ユーザーが期待した解答を得ることができるようにしようとしたわけです。その結果,ユーザーは,それがコンピュータがあたかも知性をもっているかのような錯覚を起こすわけです。であっても,自分のことばで語らず,役人が事前に作った文章をただ丸読みしているだけの大臣の国会答弁などは,この人工無能よりはるかに劣るものといえるでしょう。その意味では,コンピュータの人工無能のほうがずっと賢いともいえます。
 その「ChatGPT」で,「戦争と平和」のあらすじと藤井聡太竜王がどうして強いのかを聞いてみたので,その結果を載せておくことにします。

 さて,現在の将棋界では,将棋AIが猛威をふるっていて,それに対応できないベテランは若手に手玉に取られています。とはいえ,将棋AIの指し手を暗記したところで勝てるわけでもないわけだから,将棋AIとどうかかわるかが問われているわけです。将棋AIをいち早く取り入れることに成功した藤井聡太竜王は,将棋AIの定跡を覚えるのではなく,自分の形勢判断とAIによる形勢判断の違いを念入りに研究しているようです。
 「ChatGPT」を使うと,小中学校の宿題など,すべてやってくれちゃうので,ニューヨークの学校では使用を禁止する対策が取られはじめたと聞きます。また,それと同時に,今後,もっと進化するであろう「ChatGPT」を有効に教育に利用しようと考える先進的な教師も少なくないそうです。
 私には,それが,将棋AIと将棋の棋士の関係に似ているように思います。はたして,今後,若者の教育は「ChatGPT」とどうかかわっていくべきだろうか? もう,大学入試だとか偏差値だとか評価だとか,そんなことをぐちゃぐちゃやっている時代ではないように,私は考えます。そんな古臭いことをいつまでもやっているのだから,この国は劣化してしまうのです。教育界に藤井聡太竜王はいないのです。今,教育の在り方の根本が問われているのです。

ab


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_2622

######
 今日の写真は,私が頂いた将棋の免状です。日付は昭和55年となっていますから1980年,今から40年以上も前のものですが,当時は竜王戦という棋戦はなく,したがって,竜王という称号もなかったから,この免状に署名されているのは,日本将棋連盟会長だった15世名人の大山康晴と名人だった中原誠,となっています。
 免状に該当する段位を取得していても,免状は申請したときに手に入れることができるので,どの棋士の署名が入るかは申請したときによります。現在は,日本将棋連盟会長である佐藤康光九段と渡辺明名人,藤井聡太竜王ということですが,藤井聡太という署名入りの免状に人気があって申請する人が多いので,その発行数がかなり増えているということです。
 その当時,私は,後に日本将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖の「名人・米長邦雄」という署名が入った免状が欲しくてしばらく申請をせず,名人になるのをこころ待ちにしていたのですが,何度挑戦してもなかなか実現しないのであきらめて申請をしたのです。「名人・米長邦雄」がやっと実現したのは1993年で,実に13年後のことでした。私は,それまで待つことができなかったわけです。しかし,米長邦雄永世棋聖は,日本将棋連盟会長になってからの品のなさと辣腕で嫌いになったし,15世名人の大山康晴と16世名人になった中原誠という二大巨匠の名前の入った免状こそ品格があってすばらしいもので,今にして,これでよかったと思っています。とても気に入っています。
 もう間もなくすれば,「竜王名人・藤井聡太」という署名の入った免状が誕生することでしょう。そうしたら私もまた免状を申請しようかと思ったりします。
 それにしても,免状に多くの署名を書かなければならない会長,竜王,名人という立場は大変です。将棋の研究のかなりの時間が割かれるのではないでしょうか。これでは,棋士というより書道家です。

 さて,タイトル獲得通算99期という羽生善治九段ですが,名人18期の大山康晴15世名人や名人15期の中原誠16世名人と比べると,名人を獲得していた時期は9期とそれほど長くはありません。また,大山康晴15世名人や中原誠16世名人のころにはなかった竜王も獲得していた時期は7期と意外に短いものです。竜王と名人になると,免状に署名するという仕事が加わるのでたいへんです。私は,羽生善治九段は署名というお仕事が面倒だったのではないかなどと,うがった見方をしてしまいます。
 その羽生善治九段が,ついにA級から降級してしまいました。今年度はB級1組で,来年度のA級復帰をめざし,捲土重来を期すということで期待しているのですが,このごろの戦績を考えると,さらに降級してしまうのではという危惧もあります。B級1組は甘くありません。
 大相撲には,かつて北の湖という大横綱がいました。北の湖が強かったころに少年時代を過ごした人は,その強さを今も語るのですが,私は,晩年の,なかなか勝てなくなったその痛々しい姿のほうが印象が強いのです。それは,大鵬という大横綱が,その引退直前まで最強だったので,それと比べてしまうからです。
 将棋の世界でも,私は,亡くなるまで現役A級だった,憎いほど強く,毅然と若手に立ちふさがった大山康晴15世名人の印象があまり強いので,大きな業績を残したとはいえ,羽生善治九段の現在の苦戦する姿に一抹の寂しさを感じています。

 羽生世代といって,羽生善治九段とほぼ同年代で強かった棋士が大勢います。その中でも,現在の日本将棋連盟会長である佐藤康光九段は,今もA級の座を保っていますが,おそらくそれは,羽生善治九段と佐藤康光九段の将棋の質の違いからくるものだと思っています。
 晩年まで大山康晴15世名人が強かったのは,常に新鮮味のない振り飛車で戦い,変わり映えなくファンにはおもしろくなかったのですが,本人はそんなことは意に返さず,若いころに鍛えた妖力を武器に,中終盤のねじり合いで若手を負かすことを心底から楽しんでいたからのように思います。当時の若手は緻密な序盤研究に熱を上げていましたが,そんなことでは妖力には勝てませんでした。また,佐藤康光九段が現在もA級の座を維持しているのも,他者がまねのできない独特の序盤戦術で,圧倒的に定跡形の知識の勝る若手を煙に巻き,大山康晴15世名人と同じように,中終盤のねじり合いで勝負をしているからでしょう。
 それに比べて,羽生善治九段は,昔も今も,羽生流というような独自の新戦法や戦術を編み出すでもなく,その時代,その時代に流行する将棋を後追いして,そこにわずかな差を求めて勝とうとしているような感じです。現在も,相掛りの最新形を採用したりしています。しかし,それでは,アナログ感覚の同世代の棋士とは対等以上に戦えても,コンピュータを駆使した研究量の違う若い棋士にはかないません。局後の感想戦などを見ていても,形勢判断が今の若手のAIに基づいたものとは根本的に異なっていて,羽生善治九段がよしとする形勢がAIでは不利だったり,その反対に,不利だと思った手が最善手だったりして,しかも,そのことを指摘されても納得できないという表情になることが多々あります。それが終盤のミスの原因である気がします。どうも,2018年の第11回朝日杯将棋オープン戦で藤井聡太当時六段に負けたときから感覚がおかしくなってしまった感じです。
  ・・
 かつて,名人の座を明け渡し,タイトルから無縁となった中原誠16世名人は,それ以後,それまでの定跡形の将棋を力戦調のものに完全に変えてしまったのですが,それは,将棋は好きでも,定跡どおりの将棋を指すことに飽きちゃった,そして,勝ち負けにこだわらくなったからだろうと私は思いました。現在の羽生善治九段の心境はわかりませんけれど,少し言葉は悪いのですが,現在の,おじさんが若者言葉を使って,その輪の中に入ろう,というような感じの将棋から決別して,若いころに鍛錬した,ガッチガチの矢倉とか角道を止める対抗形の振り飛車といった,羽生善治九段が昔執筆した「羽生の頭脳」に書いたころの将棋を指した方がいいように私は感じていますけれど。
 今の羽生善治九段の将棋は,考えるのを楽しんでいるような藤井聡太竜王とは違って,楽しそうに指しているようには見えません。「観る将」の私は,観戦していて,次にどんな驚きの手が出てくるのかというワクワク感よりも,また間違えるのでは,と心配になって息が詰まります。それが残念です。

2020-01-20_17-56-11_577DSC_1038IMG_1864


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3710無題2無題3無題4無題22c8d401無題

######
 桜の開花とともに新しい年度がはじまりました。
 将棋界も新年度。2022年4月18日,今年度の第81期将棋順位戦の組み合わせ抽選が行われましたが,こういうものまでYouTubeで放送されるようになりました。
 将棋順位戦の組み合わせ抽選は,次のようにして行われるそうです。
 朝日新聞のウェブページから一部引用します。
  ・・・・・・
 B級1組からC級2組までは,三者が選んだ乱数を抽選ソフトに入力して組み合わせを自動算出する。 
 コンピューターが瞬時に導き出した抽選結果を受け,三者の担当者に連盟職員も加わった読み合わせが入念に行われた。
 コンピューターから一転してアナログなスタイルで選ぶのは10人のみ在籍するA級。
 トランプのカードをめくる方式で対戦順と手番を決める。
  ・・・・・・

 おそらく,コンピュータのなかった時代は,すべてA級のようにして決めていたのでしょう。それではたいへんなので,あるときから,おそらくプログラミングのできる職員がいたのでしょうが,そのおかげでコンピュータによる抽選になって,しかし,A級は箔をつけるために? いまも,旧来の方法が続いている,まあ,そんなところのように思います。
 こうした抽選は,それで棋士人生が左右されることもあるため,厳密であることが求められます。そしてまた,個性豊かな棋士の人たちだから,そこに疑念が生じないようにするのも大変だったことでしょう。トランプでどのように決めているのかよく知りませんが,きっと頭のいい人たちの集団だから,あるとき,くじをつくるならこれで一緒,とかいう理由ではじまったのかもしれません。
  ・・
 私は,こうしたことをプログラミングすることが得意なので,やれと言われれば(言われないけれど)組み合わせ抽選プログラムなど簡単に作ることができる自信があります。これまでも,順位戦の組み合わせではないけれど,このようなことを決めるプログラミングをいろいろ作ったことがあります。
 プログラミングには,乱数という武器があって,それがサイコロの代わりとなり,あとは条件を設定して,その条件に合うように,何度も同じ処理をくり返していけば決定します。
 ただし,その結果が公明正大であることを人間が納得すればそれでいいのですが,一番の問題はそこにあるので大変です。人にはこころがあるからです。

 ところで,先日,ABEMAの3人一組のチーム制早指しトーナメント戦のチームを決めるドラフトというものが行われました。日本のプロ野球のドラフトさながら,指名された棋士が重複したときに抽選をしました。
 そこで,プロ野球のドラフトにおける抽選もそうですが,私が意味不明だといつも思うのが,いきなりくじを引くのではなく,くじを引く順番を決めるくじをひく,ということなのです。
 くじは何番目に引いても当たる確率は同じ,などということは,高等学校の数学で学ぶことなので,だれでも知っています。だから,くじを引く順番を決めるくじなど意味がないのです。しかし,人のこころがそうしたことをしないと納得しないのでしょう。まあ,数学の苦手な人もいることだし。
 先日の将棋のドラフト会議で抽選にもれた渡辺明名人が「敗因ははじめにくじを引いたことだ。当選確率が4分の1しかなかった」と言っていましたが,いかに将棋が強いとはいえ,渡辺明名人は数学はまるでわかっていないことがこれで判明しました。

 確率には,また,別の側面があります。
 それは,くじを引く前はその結果が確率であっても,結果が出てしまえば,それだけが真実ということです。これが,物理学で量子論を説明するときに例にされる「シュレディンガーのネコ」(Schrödinger's cat)というものです。さらには,確率が3分の1のとき,3回行えば1回はできる,ということではない,ということです。よく,野球で3割打者が2打数0安打のとき,次はそろそろヒットが出ますよ,という話をする解説者がいたりするのですが,その人もまた,数学がわかっていないということになります。
 また,当選確率が99パーセントであっても,はずれればそれだけであり,その反対もまたしかりです。だから,全体として集団を考えたときには,60パーセントという当選確率はそのままそれが結果となっても,当事者にすれば,そんなことは関係なく,自分が当選しなければ,当選確率が60パーセントであっても90パーセントであっても結果がでてしまえば関係ないわけです。
 確率というのはそういうものだということを忘れてはいけません。
  ・・
 そこで,こうした確率にやたらとこだわる人もあり,また,全く無頓着な人もいます。これこそが,その人の生き方につながるのでしょう。
 ということなのですが,だれしも明日のことはわからない。だから,人生は何事も運次第ともいえます。そこで,確率にこだわるのでしょう。これが人の常というものです。ただし,運を引き寄せるのもまた実力といいます。
 私は,運を引き寄せることができるかどうかは,その人が行動するかどうかにかかっているといつも思っています。そこで,それをしたことでうまくいくかどうかという確率よりも,それをしなかったときにあとで後悔するかどうかを,つねに判断の基準としています。(たとえ当選確率が低くても)「買わなければ宝くじは当たらない」とかいうCMがあるのですが,それと同じようなものかもしれません。宝くじなど銀行の金儲けに過ぎないし,私は買わなくても後悔しないので買いませんが。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1879DSC_1887DSC_1881DSC_1875

######
 相変わらず暇です。そこで,藤井聡太竜王のふるさとである瀬戸市までドライブしてきました。自宅から2時間もかからない瀬戸市ですが,私はこれまでほとんど行ったことがありません。行く目的もないからです。
 愛知県は道路が広いという印象があるそうですが,それは第2次世界大戦で焼けた名古屋市内のことで,市外に出るとどこも昭和のころのまま,ぐっちゃぐちゃです。そこに長期的な展望もなく,自動車用にその場その場で適当に道路だけを拡張したり作ったりしたものだから,どこだかの三叉路やら合流地点やら橋の出口やら踏切やらでつねに大渋滞を起こしています。
 特に,瀬戸市のあたりは,平地も少なく瀬戸川と名鉄瀬戸線の線路が邪魔をしていて道路が広げられず,まったくもって冴えません。工業団地をつくるスペースもなく,地場産業が瀬戸物では,急成長の可能性もないし,公共交通もまた,名古屋市内にアクセスするのは名鉄瀬戸線というカーブだらけでスピードが出せない路線があるだけだし,それ以外には春日井市の高蔵寺と岡崎市をつなぐ愛知環状鉄鉄道しかないものだから,名古屋のベットタウンというにも魅力に欠けるのです。
 そこで,町には活気がなく,私が行ってみた瀬戸市銀座商店街もシャッターが閉まり,さびれていました。そんな町の商店街の中心に,ニュースとかで有名になった藤井聡太竜王の対局の際に盤面が再現される手作りの大盤がありました。

 さて,2022年2月11日から2月12日にかけて行われた第71期王将戦で藤井聡太竜王が渡辺明王将から4連勝というストレートでタイトル奪取して,5冠王となりました。
 以前書いたように,王将戦は指し込み7番勝負で,現在の制度では,4勝差になると指し込みとなります。指し込むと,次の対局は香車落ちとなりますが,4勝先取でタイトル戦が終了となるので,この制度は有名無実です。あまり話題になっていないようですが,今回,藤井聡太竜王は渡辺明王将を指し込みにしたということです。また,渡辺明王将は現在名人というタイトルを保持しているのだから,これは「名人を指し込んだ」ということになります。以前は,3勝差になると指し込みになったので,世が世なら「名人に香車を引く」という対局が実現したのです。
  ・・
 升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」のは2度あります。
 1度目は1951年(昭和26年)の第1期王将戦で,3勝1敗後の第5局で勝ち,タイトル獲得とともに実現しました。相手は木村義雄14世名人でした。しかし,このとき香車落ちの対局は有名な「陣屋事件」のために実現しませんでした。そして,2度目は1955年(昭和30年)の第5期王将戦で,相手は大山康晴15世名人。3連勝でタイトルの獲得が決定したあとの第4局が香車落ちで,升田幸三実力制第4代名人はこれにも勝利し「名人に香車を落として勝つ」が実現,その次の第5局は平手でこれも勝ちました。第9期で制度が変わるまではタイトルの獲得が決定しても第7局まで行うことになっていて,実は,その次の第6局が香車落ち,第7局が平手で対局があったのですが,升田幸三実力制第4代名人はあまりに忍びないと,その2局を病気を理由に棄権しました。

 指し込みという制度は,1965年(昭和40年)の第15期から現在のように4勝差に改められ,また,どちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,これ以後,香車落ちの対局はありませんから,もちろん今は「名人に香車を落として勝つ」という事件は起きません。
 升田幸三実力制第4代名人が大山康晴15世名人を指し込んだのち,再び王将に返り咲いた大山康晴15世名人が王将戦で挑戦者を指し込んだことは数回あり,挑戦者を香車落ちで負かしたこともありました。第11期ではひふみん,加藤一二三九段が,第13期には羽生善治九段の師匠である二上達也九段もその犠牲となりましたが,名人ではなかったので,「名人を指し込む」ということはありませんでした。制度が変わった第15期以降も,香車落ちは実現せずとも,記録上,指し込になったことはありました。しかし,升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」ように,指し込みにした相手が名人だったというのは,今回が,升田幸三実力制第4代名人以来はじめてなのかな,と思ったので調べてみました。
 実際は,1999年(平成11年)の第49期に羽生善治当時王将が挑戦者の佐藤康光当時名人を,また,2004年(平成16年)の第54期では王将だった森内俊之当時名人を挑戦者の羽生善治九段が4勝ストレートで下して「名人を指し込んだ」ことがあったのです。
 今回の藤井聡太竜王の快挙はそれに次ぐものということになるわけです。
  ・・
 もし,香車落ちの対局が実現したのなら,定跡では上手側が振り飛車を指すのが有力なので,藤井聡太竜王の振り飛車が見られたか。あるいは,香車落ちでも独創的な相がかりを趣向して新定跡でも作るのか。勝敗は度外視して「勝者の罰ゲーム」以上に見てみたい気がします。

DSC_1872 (2)
◇◇◇


◇◇◇
Snow Moon.

明け方の西空に沈む2月の満月。
始発の新幹線とともに写しました。 DSC_0312 (4)


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1685aDSC_1084

######
 若いころは自分が生きるだけで精いっぱいだったからあまり考えたこともなかったのですが,このごろ,藤井聡太竜王の活躍で将棋をよく見るようになって以来,棋士の生き方ってどういうものなんだろうかと考えるようになりました。
 生涯,日々,勝ったり負けたり,なんて,私には耐えられません。今日までの業績など未来には関係ない。肩書があれば勝てるというわけではない。…到底,そんな生き方はできそうにありません。
  ・・
 以前,クラシック音楽のソリストについて,毎回毎回注目を浴びて,失敗が許されない。しかも,好きな曲だけ演奏できるならともかく,気に入らない曲もある。それにも増して,日々ステージの上で多くの人に見てもらうような仕事なんて,私にはできないなあと友人に話したら,「もともと人種が違うんだよ」と言われて,妙に納得したことがあります。「彼らは失敗したらどうしよう,なんていう後ろ向きなことは思わないで,いつも,見て見て私を見て,と思っているよ」と。
 それと同じように,勝負に生きる人は,同じように,負けたらどうしよう,などとは考えずに,常に,俺の力で負かしてやろう,と思っているのでしょう。やはり,これも,私にできる生き方ではありません。やはり,もともと人種が違うのでしょう。

 何事も仕事というのはそんなもの,だと言ってしまえば元も子もないのですが,それでも,勝負の世界は日々結果が伴うだけ過酷です。しかも,だれしも,次第に齢をとって自分の力に陰りが見えてくるのです。そのとき,どんな気持ちになるのでしょう。
 実際,そのように齢をとった多くの棋士は,勝負の結果は結果として受け入れて,それとともに,自分なりにその組織でどんな役割を果たして生きていくかを考えているように感じます。それは,将棋の駒が玉将だけがすべてではなく,飛車や角行や金将や歩兵などというように,いろんな役割の駒があるのと同じなのでしょう。だから,タイトルを取るだけでなく,ひとつの組織の中で自分の存在する位置があることがその人のその職業としての存在価値になるのは,どんな仕事でも同じです。
 それは,羽生世代といわれる有能な多くの棋士をみているととてもよくわかります。全盛期のころに多くの実績を残した羽生世代の棋士は,今,組織でそれぞれがその棋士でしかできない役割を担い,存在を示しています。このように,将棋界を見ていると,ひとつの組織は,いろんな役割の人がいてこそ成り立つということが,とてもよくわかります。
  ・・
 さて,藤井聡太竜王の活躍の影で,羽生善治九段が長年維持していたA級から陥落することが決まりました。ここ数年,藤井聡太竜王の話題で盛り上がったとはいえ,そこには羽生善治という大棋士の存在があったからこそ,だったように思います。来年度の去就はまだわかりませんが,果たして,どのような形で再びファンを魅了するのでしょうか。

DSC_1038 (2)

◇◇◇
藤井聡太新王将誕生。
史上最年少5冠達成。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6241t

######
 朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦という時代に私は将棋を覚え,家で購読する新聞を朝日新聞に代えたために,私は,ずっと名人戦や順位戦を見て過ごしました。
 覆ったのが1976年(昭和51年)のことでした。
 それは,この年,朝日新聞社が囲碁の名人戦を読売新聞社から獲得したのが発端です。これで囲碁,将棋ともに名人戦を主催するという念願がかなったのに,皮肉にも,将棋の契約金が囲碁よりずっと少なったとかで将棋界が値上げを要求し,それが認められなかったことで契約が決裂して,1年の空白ののち,名人戦が毎日新聞社に移ることになったのです。朝日新聞社はそれからもずっと名人戦にこだわり,新しいタイトル戦を開催しませんでした。
 それ以来,私は,将棋に興味をなくし,空白の時代が続きます。そこで,私は,谷川浩司九段,羽生善治九段などが名人だったときの将棋をほとんど知りません。

 名人戦を主催することになった毎日新聞社ですが,ここで問題となったのが王将戦の処遇でした。
 王将戦を開催していた毎日新聞社は名人戦も主催することになったために,ふたつの棋戦を同時に新聞に掲載することもできず困ってしまったわけです。そこで,毎日新聞社は王将戦をスポーツニッポン社に移管しました。しかし,将棋のタイトル戦としてはスポーツ紙では格下です。それ以来,王将戦は,泡沫タイトル戦のような感じになってしまいましたし,私はスポーツ紙など読むこともないので,もう,それ以降のことはまったく知りません。
 王将戦は,もともと毎日新聞社のビッグタイトルであったことから,挑戦者決定リーグ戦があり,しかも,タイトル戦は名人戦のように2日制でした。しかし,このとき以来,契約金は低く抑えられ,なんだか中途半端なものとなってしまいました。朝日新聞社は適当に将棋欄を埋め合わせしていたので,囲碁のように全国紙に鼎立する三大棋戦があるわけでもなく,これが,私が,囲碁のタイトル戦がうらやましいと思った理由でした。
  ・・
 スポーツニッポン社としても,なんらかの「色」をつけなければ,と工夫したのでしょうか。それが今も続く,勝った棋士がコスプレをして翌日の誌面を飾るといういわゆる「勝者の罰ゲーム」であり,囲碁・将棋チャンネルでのタイトル戦の生放送となったのでしょう。
 今のように,ABEMAで将棋の生中継が行われるようになったのはきわめて最近のことです。将棋の生中継が見られるようになったのは,放送開始間もないNHKBSのコンテンツとして名人戦に白羽の矢が立ったのがそのはじまりでした。そこで,囲碁・将棋チャンネルとリンクした王将戦は,当時としては独自に生放送が見られる画期的な棋戦だったわけですが,それが逆に,今となっては王将戦はABEMAで見ることができない棋戦というひずみとなっているのです。

 その後,読売新聞社では,1988年(昭和63年)に十段戦が発展的に解消されて竜王戦ができました。これもまた,囲碁の棋聖戦と同様に,読売新聞社らしいというか,名人戦を超える格を有する棋戦を「むりやり」金の力で創設したように私には思えました。将棋連盟も名人戦との兼ね合いに苦慮します。大山康晴十五世名人や升田幸三実力制第4代名人が創設に反対し,賞金額1位で棋戦の序列は上であっても,タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということになったそうです。大人の事情です。
 ということなので,今でも,私の世代では名人戦が唯一無二のものです。三枚堂達也七段が順位戦のC級2組から1組に昇級したときに師匠の内藤國雄九段がはじめて喜んだというのは,そういう価値観からくるものなのです。
 時代は繰り返します。
 2006年(平成18年)。三度目の名人戦の契約問題が起きました。
 私は名人戦が朝日新聞社の主催に戻ることはないとあきらめていたのですが,水面下ではいろいろあったようです。私のような単なる「観る将」が将棋界には囲碁界のような三大棋戦が全国紙に鼎立していないという不自然さを思っていたくらいだから,棋士はもっとそれを切実に感じていたことでしょう。
 紆余曲折の結果,何と,名人戦は朝日新聞社と毎日新聞社の共催という突拍子もないことが実現して,今に至るわけです。
  ・・
 時は移り,現在は平穏無事のように思えますし,藤井聡太人気で,一時「斜陽産業」とよばれた将棋界はバラ色のような感じです。しかし,名人戦が共催であったり,王将戦だけがAMEBAで見られないとか,鳴り物入りでドワンゴがはじめた叡王戦を手放したりと,結構波乱に満ちています。
 今や,将棋は新聞で読むもの,という時代は過ぎ,新聞社の威光は陰り,将棋を見るために新聞を購読するということもなくなりました。この先もABEMAで将棋の中継が続くかどうかもわからないし,読者の激減する新聞社も将棋棋戦の主催ができる余裕があるのかないのか。また,叡王戦のように,新たなスポンサーが生まれるのかどうか。
 それもこれも,将棋というコンテンツにどれだけ魅力があるかどうか,にかかっているのでしょう。

bbb


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2962 (6)

######
 今日の写真は,藤井聡太竜王が以前「まだ乗ったことがないので一度乗ってみたい」と言っていた新幹線N700Supreme,背後の山は雪を被った伊吹山です。
 さて,現在,王将戦の7番勝負が行われています。この王将戦というタイトル戦は,将棋の8大タイトルの中でも異端な棋戦なので,このことについて書いてみようというのが今日のお話です。

 将棋も囲碁も,タイトル戦というのは必ずしも順風満帆に行われてきたわけではありません。
 将棋に比べて,囲碁では読売新聞=棋聖戦,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=本因坊戦というように,3大全国紙が3大棋戦を主催していて,この3つのタイトルをすべて獲得した棋士が「大三冠」とよばれる,というように,まことにわかりやすい状態なので,私はずっとうらやましく思っていました。
 しかし,囲碁のタイトル戦も,はじめからこうした三者鼎立の状態ではありませんでした。
 最も歴史があるのは1937年(昭和14年)にできた毎日新聞社の主催する本因坊戦です。将棋にはこのころすでに名人戦があったのですが,囲碁にはなかったようです。で,1961年(昭和36年)に読売新聞社によって名人戦ができました。こうした経緯から,囲碁の名人戦というのは,将棋のように順位戦という格付けがあるわけではなく,単なるタイトル戦のひとつで,すべての棋士が予選に出場して勝ち残った棋士が挑戦者決定リーグ戦に参加,そして,挑戦者決定リーグ戦で優勝した棋士がタイトル戦に出場するというものです。
 やがて,1974年(昭和49年)に名人戦の契約問題が起き,「囲碁も将棋も名人戦」というのが念願だった朝日新聞社に移りました。その代わりに1976年(昭和51年)に作られたのが棋聖戦というわけです。

 将棋では,毎日新聞社の主催する名人戦が最も歴史があって,1935年(昭和10年)にはじまりました。それに対抗して,読売新聞社は1956年(昭和31年)に,現在の竜王戦の前身である九段戦,それが発展した十段戦というのを作りました。将棋の名人戦も,1950年(昭和25年)にやはり契約問題が起きて,朝日新聞社に移り,その結果,それに対抗する形で1951年(昭和26年)にできたのが王将戦だったのです。そんな経緯があって,私が将棋に興味をもった今から55年ほど前は,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦で落ち着いていたのです。
 しかし,将棋は囲碁とは違って,名人戦の格が高すぎました。当時は,段位はすべて順位戦で決まりました。いわば,相撲のように,本場所が順位戦であって,それ以外の棋戦は巡業のようなものといいう扱いだったのです。そこで,この名人戦を三大全国紙のどの社が主催するかという潜在的な大問題が存在するわけです。
  ・・
 そんなわけで,王将戦は,どう頑張っても名人戦には格の上で勝てません。で,毎日新聞社が考えついたのが「指し込み制度」でした。これは,7番勝負のタイトル戦で3番手直り,つまり,3勝差がついた時点で王将戦の勝負が決定し,次の対局から香落ちと平手戦で交互に指し,必ず第7局まで実施するというシステムでした。
 この制度のおかげで,奇しくも,升田幸三実力制第4代名人が家出をするときに物差しにしたためたという「名人に香車を引いて勝つ」が実現してしまったわけです。この制度は,実は今も存在しているですが,4番手直りに改められ,しかも,またどちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,死文化してしまいました。
 もし,今も当時のままの制度だったら,今期,王将戦3連勝の藤井聡太竜王はすでに王将位を獲得して,しかも,次の対局は「名人に香車を引く」ということになっていたのです。

aaa


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_00272118

######
 2021年12月13日に行われた将棋新人戦記念対局が昨日2022年1月2日にABEMAで放映されました。2021年度の新人王となった伊藤匠四段の対戦相手が時の人藤井聡太竜王でした。
 このふたりは子供のころからのライバルということで話題となりました。この先,このふたりがタイトル戦で対戦するようになれば,将棋界としては万々歳だと,みんなが期待しています。でないと,盛り上がりません。
 思えば,わずか3年前,2018年度の新人王は藤井聡太当時七段で,記念対局の相手として選ばれたのは第一人者豊島将之当時二冠でした。このころから豊島将之九段は藤井聡太竜王に対して,他の棋士と対戦する以上の気合をみせていたといいます。今回もまた,そのときと同じように,藤井聡太竜王は将来のライバルとなるかもしれない伊藤匠四段に非公式戦とは思えない白熱した対局をしたということです。

 それにしても,急に一般の関心を集め出した将棋界というのも大変です。
 以前なら愛好者だけの関心事だったので,古きよき時代ののんびりさやら,演出がありました。将棋界は商売上手で,藤井聡太という棋士のデビュー戦が加藤一二三九段というのも,意地悪な予測をすれば,演出気味だったし,最年少タイトル獲得というのも,コロナ禍でその達成が絶望視された中で苦し紛れのスケジュールの中で行われたものだと思うのですが,それでよしとしたものです。
 それが,新たなファンが殺到したものだから,これまではそれほど話題ともならなかった記録というものが,プロ野球のように重きをなしてきたわけです。そこで,録画で放映するNHK杯とか銀河戦などがその時間差から放映されるまで記録に含まないという古きよき伝統があるので,さまざなな議論が生まれていたりもします。収録から放映まで2週間程度のNHK杯ならまだしも,3か月も前に収録するような銀河戦の扱いは,やはり,今の時流からは問題かもしれません。
 今回は,現在までの伊藤匠四段の年間勝率が藤井聡太竜王より上回っているとかで,さらに盛り上がっていたのですが,実際は,その勝率にはすでに対局が行われたのに未放映の銀河戦が含まれていないので,それが勝ちであろうと負けであろうと,実際は32勝7敗ではないわけです。さらに,あるサイトによると,未放映の銀河戦のことではなく「4月11日に放映されたNHK杯での伊藤匠四段の負けが記録に含まれていないから実際は32勝8敗」とあるのですが,その対局は放映日が今年度であっても収録は2020年度だと思うので,将棋連盟のミスではなく,そのサイトの間違いでしょう。
 ということで,以前ならほとんどの人が興味のなかったことがかまびすしくなっている状況なのです。

 さて,私は,そんな記録よりも,「Floodgate」(コンピュータ将棋連続対局場所)のほうにむしろ興味があります。これは,コンピュータソフト同士による将棋の対局の場だそうですが,今,ここで最も話題となっているは,先手が既出のさまざな戦法を用いても,AIによる将棋では究極的にはみな千日手になってしまうで,これを打開するための革新的な初手,たとえば▲6八玉といった手を指す必要があるといった話です。
 そこで私は思うのですが,この先,量子コンピュータなるものが実用化されてしまったとき,本当に将棋の結論が出てしまうのではないか,ということです。つまり,あらゆる手を順番に樹形図として書いていったときに,必然的に結論が出てしまう。もし,その結論が先手必勝だったとしたら,後手がどんな手を指しても,樹形図にしたがって先手が最善手を指し続けていけば,その結果,必ず先手が勝ってしまうし,もし,結論が千日手だったとしたら,やる意味がない。であれば,将棋というゲームは終焉を迎えてしまうわけです。そのときにまだ人間の将棋の対局があったとしても,コンピュータの結論を人間が暗記できるかどうか,というだけの話となります。つまり,ミスをしたほうが負け。
 しかし,そこまではいかずとも,今すでに,プロ棋士がAIの示した最善手をいかに正しく指せるか,みたいなことになりつつあるわけで,今回の新人王戦の記念対局でも,何度か「これは人間には思い浮かばない」というAIの示す最善手を藤井聡太竜王が指して,解説者をうならせていました。現在はそれでみんな感動するのですが,このことは「藤井聡太という高性能コンピュータ」の指し手に対して相手がミスをすれば負け,みたいな状況になっているようなものです。
 いずれにせよ,コンピュータのハードウェアとソフトウェアの急激な発達で,将棋の終焉は思った以上に早くやってきてしまうのかもしれません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_0379DSC_1295DSCN4312FullSizeRenderFullSizeRender

 これまでに書いてきたのが現在の人工知能をとりまく状況です。
 そうしたことを知ったうえで身の回りを見渡したとき,この国でやっている報道の分野もまた,あまりに遅れたものであることに気づくでしょう。
  ・・
 私はテレビは暇つぶしの娯楽としか思っていないので,民放のワイドショーはもちろんのこと,ほとんどの報道番組は見ません。
 以前はNHKのニュースは見ていたのですが,コロナ禍以降,何を知らせたいのか全く意味不明で,これもまったく見なくなりました。やっていることは感染者の数ばかりで,こんなことを相も変わらず1年以上も放送しているようです。不安を煽るだけで,何が伝えたいのかまったくわかりません。さらに,アナウンサーのまるで小学校の教師のような説教口調が気に障ります。少しはCNNでも見習えばいいのにと思います。

 オリンピックやパラリンピックもまったく興味がないので,1秒も見ませんでしたし,私は日本のプロ野球も高校野球も関心がありません。
 私がこれまでスポーツ中継で見ていたのはMLB中継と大相撲中継でした。しかし,MLB中継は英語での放送しか見る気がしません。これもまた日本のアナウンサーや解説者の話が聞きたくないからです。NHKのスポーツ中継のアナウンサーは昔から独特なもの言いで,私はきらいです。そんなアナウンスはないほうがいいくらいに思っています。またどんな番組も途中でニュースを挟む意味がわかりません。今は,MLBのライブ放送がYouTubeで英語で放送されるようになったので,もっぱらそれを見るようになりました。ABEMAもすべて英語のまま放送すればいいのに,どうしてわざわざ日本語のアナウンサーをつけるのか,私には理解ができません。
 大相撲は従来から北の富士勝昭さんの解説以外は見る気になりませんでした。しかし,横綱稀勢の里の引退後,今は,大相撲そのものにまったく興味がなくなってしまったので,遠ざかりました。先場所など,もし見ていたら不快になっただけでした。
 インターネット中継が発達して,もはや,従来のNHK放送そのものがものすごく時代遅れのものに思えます。そんなものに月2,000円以上もする受信料をほぼ強制的に取り立てる意味がわかりません。

 さて,ここから,やっと将棋の話です。
 これまでに書いてきた科学技術の発達で,将棋もまた「将棋AI」とかなりの関わりをもって行われるようになって来ました。
 藤井聡太三冠の活躍で,ABEMAでは将棋の放送をひとつのウリとしています。将棋の放送では,解説者と聞き手が「将棋AI」を使いながら,素人に,難しい将棋をわかりやすく説明をしてくれます。しかし,この解説というのが意外とむずかしいのです。出来不出来の差が大きすぎます。
 解説者によって内容の難易度がさまざなのはよいとして,あまりに不勉強な棋士が解説者として出演するといやになります。特に藤井聡太三冠の将棋はとても高度なので,解説者が将棋の内容を理解してその意味をわかりやすく伝えてくれたときはものすごく感動しますが,その反対であると飽き飽きします。という以上に,せっかくのすばらしい棋譜のよさが伝わらず,台なしになってしまいます。
 このように,「将棋AI」によって,解説者の実力がたちどころにわかってしまうのです。
 解説で登場する棋士の中で私がすばらしいと思うのは,たとえば,広瀬章人八段,戸部誠七段,高見泰地七段,及川拓馬六段などです。とりわけ,高見泰地七段はすばらしいです。先日の叡王戦第5局の終盤における「藤井聡太のAI超え」といわれた▲9七桂の解説など絶賛に値します。
  ・・・・・・
「エッ,そこですか? これは考えていなかった」
「アッ,そうか。(次の)▲8五桂が詰めろになっている可能性はないですか?」
「藤井将棋はこれがあるというか。超手数の詰めろになっている可能性があるというか。普通の人とは見る世界が違っていますね」
  ・・
「コンピュータは▲9七桂をちょっとといっていますが,自分からするとすばらしい手というか。人間にとってはいい手だなあと思いましたね」
  ・・・・・・
 指した当初,「将棋AI」は▲9七桂を悪手と認定したのですが,実際は,5分以上「将棋AI」にさらに深く読ませると,▲9七桂はやはり最善手だったそうです。それを2分の考慮時間で指した藤井聡太三冠はもちろんのこと,その手のすばらしさをコンピュータより先に指摘した高見泰地七段の解説はみごとでした。解説が高見泰地七段でよかったと思いました。

 それに対して,年配の棋士の中には,まったく勉強していないというのが明白で,単におじさんの小遣い稼ぎのようなものがあります。そうした棋士の人柄がいいとか話がおもしろいということと解説とは別問題で,私はそうした棋士の漫才が聞きたいわけではないのです。あれでは藤井聡太三冠の読みの深さがまったく伝わらず,埋没していまいます。それだけならともかく,さらに,古い価値観で正しい指し手を批評するような人は,むしろ害があるくらいです。
 解説者というのは,対局者以上に勉強が必要で,自分の勝敗とは関係がないとばかり,適当にやられては困るのです。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4628

######
  ・・・・・・
 人工知能の目標は,入力を論理的に解釈し,出力を人間に説明できるソフトウェアを実現することです。 人工知能は,人間とソフトウェアの間に人間同士のような対話をもたらし,特定のタスクに関する意思決定を支援しますが,人間に取って代わるものではなく,近い将来にそうなる可能性もありません。
  ・・・・・・
 高度な情報社会では,人工知能について様々な研究がなされ,実現されるようになってきました。
 人工知能は,車の自動運転や医療,画像認識,自動翻訳などいろいろな分野で活用されているのですが,そうした学問的な研究を発展させる題材のひとつとして,将棋や囲碁があるのです。それを「将棋AI」とか「AI碁」とか名づけて,楽しんでいるわけです。

 近年「将棋AI」は将棋の研究に,そして「観る将」といわれる将棋ファンになじみのもとなっています。「観る将」にとれば,将棋を楽しむための手段ですが,将棋を生業とする棋士の人たちにとってみれば,勝敗に直結するだけに,それをどう活用するかは死活問題です。
 現代社会は,スマホすら使いこなせない年配の人にとっては過酷な時代ですが,それは将棋の棋士にも同じようにあてはまります。
  ・・
 今のプロの棋士の対局を観戦していると,そういった最新技術を使いこなせている若手の棋士と,そこに乗り遅れてしまったベテランの棋士とでは,まったく違うゲームをやっているようにさえ思えます。つまり,同じ局面を見てもベテランの棋士と若手の棋士とではその評価が異なるのです。だから,ベテランの棋士が若手の棋士の対局に解説者として登場しても,もはや,解説は重荷のようにさえ思えます。
 彼らの多くは当然それを知っているから,将棋の「手」の解説はできるだけ避けて,昔話をしたり,雑談したりして,お茶を濁して時間を稼いているように私は感じます。娯楽として楽しむには,技術的な話などどうでもいいと思っている「観る将」も少なくないので,それなりにその存在意義はあるのでしょう。
 しかし,醜いのは,ベテランの棋士の中で,そういう時代であるということすら認識していない人です。そのような棋士は,昔はそうは習わなかった,とか,私はそんな手はいい手とは思えない,というような過去の評価で解説ぶった話をします。しかし,それは「解説」ではなく「怪説」です。
  ・・
 そうしたベテランが棋士が本業である対局をするとき,ベテラン同士の対局はふたりとも同じ価値観だからコロコロと優劣が変わる昔の将棋を見ているようなもので問題ないのですが,若手と対局をするときにそれが如実に現れてしまい,まったく歯が立ちません。
 しかし,ベテランであっても上位を保ち続けている一部の棋士は,さすがにその危機的な状況がわかっています。渡辺明名人が140万円するコンピュータを買ったというのは,まさに,そうした新しい流れに乗り遅れないために必死だからでしょう。

 この先の話は次回にして,以下,話が逸れます。
 それでもまだ,将棋のような娯楽の分野はいいのです。
 現在の教育においてもまた,同じようなことに直面しているにもかかわらず,大多数の人たちは,そんな社会の急激な変化についていけず …ならまだしも,社会が急激に変化しているということを知らない,という点が大問題なわけです。
 人工知能の発達で,従来の主要5教科とよばれた分野で学習していた内容よりはるかに膨大でかつ従来とは価値観の異なる情報科学の知識をこれからの若者は社会に出たときに必要としているにもかかわらず,それを今の学校教育ではほとんど学習しない,そして,できないわけです。 そしてまた,そのことすら,教える側の多くがわかっていないのです。さらに,わかっていない有識者がカリキュラムを作っているのだから,救いようがありません。
  ・・
 教育に限らず,時代の変化にもっとも遅れをとってしまっているのが政治です。
 おそらく,日本の政治家のほとんどは,新しい技術の急激な発展に社会がさらされていることすら認識していないことでしょう。そうした彼らがこの国の政策を決めているわけです。専門家がそれを助ければいいのですが,なにせ,今の政治家は専門家を軽視する風潮が著しいのです。
 こうして,現在,この国が迷走をしている様は,まさに黒船が来航したとき匹敵する危機的な状況となっています。
 結果の善悪はともかくとして,黒船が来航した時代は,自分を犠牲にして国を守ろうとしていた若者たちの中に,西洋に出かけて当時の最新の知識を習得して帰国した「維新の志士」もいました。かれらはある意味めっちゃくちゃな人たちでしたが,莫大なエネルギーがありました。しかし,残念ながら,社会の変化についていけない保守層がいて,そこで軋轢が生まれ,そのほとんどは暗殺され,また,多くの悲劇が生まれました。
 そうした歴史を考えたとき,今もまた,社会の変化についていけない権力を握った保守層によって,今の若者には明日につながる知識が与えられず,それどころか,エネルギーを奪い取られてしまっているような気がしてなりません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2483

######
 将棋でコンピュータが人間に勝ったというニュースなどで,ここ数年,人工知能が脚光を浴びるようになりました。そして,それとともに機械学習とかディープラーニングという言葉が一般に使われるようになってきました。
 人工知能というのは私が大学生のころ,つまり今から40年以上も前から研究はされてきましたが,今のようにコンピュータが一般化されていなかったので,当時は夢物語でした。そんなことはできるわけがないと浅はかな私は思っていましたが,それが現実のものとなりつつある時代です。
 将棋や囲碁でコンピュータが人間を負かしたとかといったことで大騒ぎをしていますが,多くの人はその意味の重大さをわかっていないように思います。私は,人類は恐ろしいものに手を染めはじめたものだという恐怖すら感じるのですが…。
  ・・
 以前,アメリカのテレビドラマ「宇宙大作戦」について書きましたが,あのドラマで描かれていたことの多くが,今,実現しているのを見ると,私はすごく興味を覚えます。アメリカには,あの時代にすでにあのような発想ができる人がいたというのがすごいことです。
 確かに,ドラマの中には,今見るとまったく滑稽であったり,装置の物理的なボタンとかブラウン管のディスプレイなど,「予言」がまったく異なっていたことも多くありますが,ソフトウェア的な側面からみると,おおよそはその予言どおりになっているのに驚きます。それが人工知能です。

 人工知能は今では一般にもAIとして認知されていますが,人工知能というのは人間の知的ふるまいをソフトウェアを用いて人工的に再現しようとする試みです。
 人工知能(Artificial Intelligence=AI)という用語がつくられたのは1956年のことですが,データ量の増大,アルゴリズムの高度化,コンピューティング性能やストレージ技術の発展といった近年の動向によってそれが実現されるようになったことで,広く知られるようになってきました。
 人工知能は,大量のデータを高速な反復処理やインテリジェントなアルゴリズムと組み合わせ,ソフトウェアがデータ内のパターンや特徴から自動的に学習できるように,大枠の動作をプログラミングすることで機能します。人工知能の研究は次のようなアプローチがされています。
  ・・・・・・
●機械学習
 人間が経験を通して自然に学習することを,同じように,コンピューターに大量のデータを与えて,人間が特徴から定義を与えて,その定義をもとに,コンピュータが自らアルゴリズムを導けるようにするものです。その際,既定の方程式をモデルとして用いることなく,データから直接的に情報を「学習」することで新たなアルゴリズムを導くのです。
 機械学習は,人間が調査範囲や結論を決めてプログラミングするのではなく,統計,オペレーションズリサーチ,物理学など様々な手法を活用することで,コンピュータが自らデータ内に埋もれている洞察を発見します。
 機械学習には,ニューラルネットワークを活用したディープラーニングなどがあります。
〇ニューラルネットワーク
 脳のニューロン(神経細胞)のように,相互に接続された処理単位で構成されます。これらの処理単位が外部からの入力に応答し,互いに情報を受け渡すことによって情報を処理します。
〇ディープラーニング
 処理単位が多階層化された大規模なニューラルネットワークを活用し,コンピュータ自身が特徴を見つけ,自働的に定義するものです。コンピュータの性能の進歩とトレーニング手法の向上によって,大量のデータから複雑なパターンが学習できるようになってきました。
 一般的な用途としては,画像認識や音声認識などがあります。
●コグニティブコンピューティング(Cognitive Computing)
 コグニティブコンピューティングは,人間のように自ら理解,推論,学習するシステムです。コンピュータがデータを自律的に判断し処理するため,同じデータを入力しても同じ出力が得られるわけではなく,複数の選択肢の中から状況に応じて最善の答えを導き出します。
 たとえば,画像データからどのような部分に異常があるかを自己学習し,人間の感覚や経験に頼るよりも正確で安定した判定が可能になります。
●コンピュータビジョン
 パターン認識とディープラーニングにより,写真やビデオに何が写っているかを認識します。
 コンピュータが画像を処理,分析,理解できるようになると,画像やビデオをリアルタイムで取り込み,撮影場所の周囲の状況を解釈することも可能になります。
●自然言語処理(Natural Language Processing=NLP)
 コンピュータが人間の音声から言語を分析,理解,生成できるようにすることを目指します。
 自然言語処理の目指すのは「自然言語による対話」です。これが実現すれば,人間は普通の日常的な言葉でコンピュータとコミュニケーションができるようになります。
  ・・・・・・
 近ごろ,藤井聡太三冠や渡辺明名人が,ディープラーニングを用いた将棋ソフトを導入したといって話題になりました。
 ディープラーニングを用いた将棋ソフトは,初期の将棋ソフトが人間が指した将棋の棋譜を大量に学習させることでデータを構築し強くしたのに対して,ルールなどの基本的な情報を与えるだけで,それをもとにコンピュータが自分で対局を繰り返して実力をつけていくというものです。
 このように,今では,コンピュータが自ら学習をしそれをもとに,まさに考えるようにして実力をつけはじめました。それに対して,相変わらず,人間が,自分の頭で考えるのではなく,ドリル学習のように,お手本をもとに見よう見まねで問題を解いたり穴埋めをしているのを「お勉強」と称しているようでは,先々が思いやられます。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN1689a690ef06

######
 2021年,王位,棋聖ふたつのタイトルの防衛に成功したのが藤井聡太二冠ですが,現在のABEMAの将棋中継は,AIを使った形勢判断が数値化されて表示されるので,将棋がわからない人にもどちらが有利なのかがわかるようになっています。 また,こうした数値はグラフとしても表示されています。
 そこでよくいわれるのが「藤井曲線」です。これは2番目の写真のように,優勢の評価値が徐々に増えて無敵に勝利することです。
 また,終盤になると考えずに(1分未満は切り捨て)持ち時間を○分か残してその後は全く減らないことを「藤井二冠の永遠の〇分」ともいいます。

 ということまではいろんなところで書かれているお話ですが,今日の話題は,私が思う藤井聡太二冠の戦略です。藤井聡太二冠は自分からことばでは言いませんが,対局を観戦していると,いつもずいぶん工夫と改良をしているのが棋譜からわかります。えらいものです。
  ・・・・・・
●序盤で1手「少し変わった手」を指す。
 よく「新手」といわれるのですが,この「少し変わった手」というのは,実際,その手で形勢をよくしようというよりも,序盤で予期しない手を指すことで相手が考慮時間を使う必要が生じて,自分のペースに持ち込もうという作戦でしょう。
 「少し変わった手」というのは失敗するとまずいのでなかなか指す勇気が起きないのですが,今は,AIで事前に研究ができるので,AIがその手を悪く評価しさえしなければ指せます。それで互角ならいい,という感じでしょう。
 以前は,対丸山忠久九段戦や対大橋貴洸六段戦,対千田翔太七段戦のときのように,そうした「少し変わった手」を先に指されて序盤で考慮時間を使い苦戦したことがあったのですが,今はそれを逆手にとって使っているようです。
●中盤で一度「攻撃を止めた手」を指す。
 中盤の勝負所まではかなり積極的に相手のスキを見つけると攻撃をしかけますが,それがうまくいったときは一度「攻撃を止めた手」,つまり,1手貯金のような手を指します。
 その手を指すと,一瞬AIの評価値が下がることがあるのですが,手が進むにしたがって次第に戻ってくることがほとんどです。こうした手がよく「AI越えの1手」とかいわれて話題になっています。
 この「攻撃を止めた手」が終盤で自陣の防護に生きることが多いのですが,まれに,対深浦康市九段戦のときのように裏目に出ることあります。しかし,ほとんどの場合は,ここで意表を突かれた相手が考慮時間を多く使って次の手を間違えます。
●終盤の入口からは「超手数の詰将棋を作るような手」を指す。
 終盤戦に入ると,盤面全体を見て,まるで超手数の詰将棋を作るように駒の配置をする手を指します。藤井聡太二冠の将棋は,終盤戦になるとすべての駒が生きてくるのですが,それは,こうした手を指すことで生まれます。相手の玉将が逃げ出したときになぜかたまたま端に歩兵がいるから詰む,あるいは,その反対に,自分の玉将が逃げていったときはたまたまそこに守り駒がいるから詰まない,そんな局面がよくあるのですが,それはたまたまではなく,それを見越して事前に駒が配置されているからなのです。こうなると,独擅場となります。
 対渡辺明名人戦や対木村一基九段戦で大逆転勝利をしたことがありますが,それは,不利な局面で終盤戦に突入したときに,このあたりで,多くの毒まんじゅうが仕掛けられているからです。
●最終盤は「1手違いの手」で勝利する。
 最終盤は安全勝ちを狙わず踏み込むことで,つねに1手違いになるので,得意の詰将棋の力が発揮されます。相手より手が見えるので,考慮時間も使わず,逆転もされません。また,不利なときは,相手が間違えて逆転します。
 ここで間違えて失敗した唯一の対局は王将戦での対広瀬八段戦でした。この失敗での教訓から,常に,最終盤で数分残すようになったのですが,これが「藤井二冠の永遠の〇分」とよばれるものです。
  ・・・・・・

 藤井聡太二冠の勝将棋の多くが「藤井曲線」を描くのとは違って,他の棋士同士の対局を見ていると,終盤になって,評価値がおもしろいほど揺れ動き,乱高下します。逆転につぐ逆転というのも少なくありません。
 おそらく,AIで評価値が示されるようになる以前の将棋は,わからなかっただけで,こうした終盤での大逆転ばかりだったのでしょう。今も,年配の棋士の場合,おそらく深く読み切っていない,というか,読みきれないのでしょうか,感覚だけで指している感じなので,どんなに差があっても常に勝敗がひっくりかえります。
 「観る将」は,藤井聡太二冠の対局を見慣れてしまったので,そうした対局があまりに下手に見えます。特に,これまで将棋をあまり見たことのない人には,そうしたコメントが多いという話です。しかし,その逆に,このハラハラ逆転こそ,人間同士の対局の魅力だという人も少なくありません。
 羽生善治九段が多くのタイトル戦を戦っていたころの,対森内俊之九段戦とか対佐藤康光九段戦なんて,終盤での詰むや詰まざるやが,今のようなAIで正解手がわかっている時代とは違い,どの手が正解手かわからないので,どちらが勝っているんだろうといった感じで見ていて,すごい迫力でした。今は,そのころとは違って,観戦者は,AIによってどちらが優勢かがわかるので,迫力は同じでも,対局者が次の正解手を指すか間違えるかをハラハラしながら見るようになりました。善悪は別として,観戦する側は,将棋の楽しみ方がまったく変わってしまったのです。
  ・・
 少し前のA級順位戦で,羽生善治九段が対豊島将之竜王戦の最終盤,逆転してAIが優勢だとした局面で投了してしまったことがありましたが,これこそがAI以前に将棋の修行をした羽生世代の局面に対する形勢判断とAIによる形勢判断の違いなのでしょう。つまり,AIによって局面が評価されるようになって,同じ局面であっても,AIで研究をした世代の棋士とそれ以前の世代の棋士とでは,その価値判断が変わってしまったのです。そこに,年齢による終盤力の衰えが加わって,羽生世代の棋士は同じ年代の棋士にはいい勝負ができても今の若手には苦戦することになるのです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

FullSizeRender FullSizeRenderFullSizeRenderFullSizeRender

######
 7月3日に行われた第92期将棋棋聖戦第3局で藤井聡太棋聖が勝ち,3連勝で棋聖位を防衛しました。  
 私は今から50年以上前からの将棋好きです。将棋を覚えたころは,特に,升田幸三実力制第四代名人の大ファンでした。しかし,私が興味をもったときはすでに全盛期を過ぎていて,時折見せる無類の強さと圧倒的な構想力はあっても,あっけなく負けることも多く,「勝てばもっけもの」というスタンスで応援していました。また,その次の世代にファンになった米長邦雄永世棋聖は,ライバルであった中原誠十六世名人に歯が立たず,このときもまた,同じように「勝てばもっけもの」という感じでした。
 また,大相撲も好きで,横綱柏戸,そして,横綱北の富士のファンでしたが,やはり,最強とは程遠かったので「勝てばもっけもの」で応援していました。
 そこで,ファンになった棋士や力士は勝ち負けを越えて,将棋や相撲を楽しんでいたように思います。

 ところが,歳をとったせいなのかどうか,将棋に限らず,大相撲でも,このごろの私は,ファンになった棋士や力士ができると,勝負の内容よりも結果が気になって,逆に楽しむことができない性格が強くなってしまい,それが自分でも嫌になります。
 数年前の横綱稀勢の里がそうでした。そして,現在の藤井聡太二冠の将棋がまさにその状況です。
 それでも,明らかに格下の棋士との対戦なら安心して観戦できるのですが,現在の藤井聡太二冠の3つのタイトル戦である,今回の棋聖戦と,王位戦,叡王戦,中でも,対戦成績が極端に悪い豊島将之竜王との対戦になった王位戦と叡王戦など,王位戦第1局の完敗も引きずって,ライブ中継を楽しむことができないのです。
 そんなわけで,結果を知ってから楽しむ,という,邪道に走ってしまうことになるのですが,棋聖戦第3局は,終盤戦のはじめのところだけ ABEMA 中継を短時間見て,こりゃ負けだと思っていただけに,翌日の朝結果を知ってびっくりしました。それは,新横綱となったときの稀勢の里関が千秋楽で大逆転優勝を飾ったときもそうでした。このときも,中継は見られず,あとで結果を知りました。
 勝負というのは,時折,こうした,考えられない結果が起きるのです。そこが魅力で,本来は,そういう勝負の姿を生でハラハラドキドキしながら観戦することこそが魅力なのでしょうが,私にはそれができません。情けない話です。

 それにしても,現代の将棋はあまりに難しすぎます。
 私が覚えたころの将棋のタイトル戦は,大山康晴十五世名人の影響で,居飛車と角道を止める振り飛車の対抗形ばかりで,まず,王将を囲って,そのあと囲いの反対側で戦いを起して,先に相手の陣地にたどり着いたところからさあ詰ますぞ,という感じになるのです。そこで,終盤の詰むや詰まざるやの攻防こそ現在の将棋と同じような難しさはあっても,それまでのしのぎ合いはのんびりしたものでした。
 それが,現在の将棋は,序盤から詰むや詰まざるや,のような感じになってしまうので,ずっと難解な詰将棋かパズルを解いているような感じです。素人が気軽に楽しむ,ということからは超越してしまっています。今回の棋聖戦第3局はその中でもさらに難解で,私には,到底理解できないものでしたが,翌日,YouTube にアップロードされた多くの番組を見ていて,何か,ものすごく感動しました。話題になっている96手目△7一飛のただ捨て,震えました。それだけでなく,この対局は終盤でどちらも最善手以外を指したら負け,しかも,最善手は将棋AI が示してもその意味がプロ棋士でもわからない,そして,それが本当に最善手かどうかも定かでないというほど複雑なものだったというから,これこそが将棋の魅力なのでしょう。これを見ると,私がぐちゃぐちゃここで書いていることや,勝ち負けにこだわるなんて,次元が低すぎて情けなくなります。
 こうした人間業とは思えない現代の将棋を指すトッププロの対局は,将棋AIと,わかりやすい多くの解説があるからこそ,だれしもがその魅力を味わうことができるのでしょう。すばらしい時代です。私も,勝負の結果など超越して,この魅力をライブで堪能できるようにならないともったいないのですが…。

IMG_2619


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

fujii3nIMG_1498sfujiya2santory

 3月23日に行われた第34期竜王戦ランキング戦2組,藤井聡太二冠(王位・棋聖)対松尾歩八段戦をABEMAで観戦しました。おそらく藤井聡太二冠が勝利するだろうと,はじめのうちは「ながら見」をしていたのですが,それがそれが,手に汗握る好局となり,途中からは見入ってしまいました。
 評価値が80パーセントであっても,藤井聡太二冠の将棋は,つねに,正解手を指せば80パーセント,それ以外は逆転といった,クレパスを避けながら歩くような感じ,あるいは,薄氷を踏んで歩くということになるので,最後までハラハラどきどきです。
 この勝負もまた,57手目にただでとれる飛車をとらずに▲4一銀と銀をただで捨てるという手を指さなければ勝負がどう転ぶかわからなかった,という緊迫した局面になりました。

 この対局は,解説の藤森哲也五段の話術がとてもおもしろくて,好局に花を添えました。藤森哲也五段曰く,将棋AIが示す正解手▲4一銀は「人間界では思いつかない手」だそうです。プロが思いつかないというのだから,それを藤井聡太二冠が指せば,それは神話になります。
 ということで,ここが最大の見どころとなりました。
 この手以外にも,同じように,こんな手は並みの人間には指せない,というものが,実際に出てきたものと読みの中だけで出てきたものを合わせてふんだんにあって,酔いしれました。おそらく,こんな将棋を見せつけられたら,ほかの棋士は脱帽でしょう。頭の中,というか,才能が違い過ぎるのです。
 藤井聡太二冠の将棋はABEMAで中継されるので,そうした並はずれの棋力を生で体験することができます。だから,これを見たほかの棋士はその力の差を実感してしまうので,実際に対局するとき,戦う前から脱帽し,勝てなくなってしまうのでしょう。

 と,ここまでは将棋のお話でしたが,私がそれ以上に興味があったのは,コマーシャル契約をしたサントリーと不二家の商品の扱いでした。まず藤井聡太二冠のカバンから出てきたのは不二家のチョコレート「ON」でした。これをむしゃむしゃ。箱はしっかり横に置かれていました。そして,▲4一銀を指して優位が確定したころに取り出されたのがサントリーの「伊右衛門」。飲み終えると,ラベルがカメラに見えるようにさりげなく置かれました。そして,それ以外の飲み物はコップに注がれて,カバンにしまわれました。
 今後,藤井聡太二冠はこうしていつも,不二家以外のお菓子とサントリー以外の飲み物を食べたり飲んだりするのに気をつかわなければならないのかな。将棋だけでも大変なのに,こんな余計な気を使わなければならないのも大変なことだなあと思ったことでした。もういっそのこと,ぽこちゃんの着ぐるみでも着て,あるいは,伊右衛門の恰好でもして対局したらいかがでしょうか。
 新年度はまず不二家が主催する叡王戦でタイトルとらなくっちゃね。しかし,タイトルを保持している王位戦は「お~いお茶」がスポンサーなんですけど,どうするのでしょう?


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

IMG_6874IMG_0028DSC_0215

######
 晩年の升田幸三実力制第四代名人は,体が弱かったこともあって,A級順位戦だけ全力で臨み,それ以外の棋戦は,持ち時間をほとんど使わずに対局していました。そして,「順位戦は将棋の本場所」といって,物議をかもしました。
 実際,将棋のタイトル戦のなかで,名人戦だけは別格で,これに挑戦するためにはA級でなければならず,A級に到達するためには,C級2組,C級1組,B級2組,B級1組という4つのクラスを昇級しなければなりません。ちょうど,大相撲で幕内力士になるには,序ノ口からはじまって,序二段,三段目,幕下,十両,と上っていく感じと似ています。きわめて日本らしい制度です。かつては,C級2組は四段,C級1組に昇級すると五段,…,というように,昇級しないと昇段もしませんでした。
 そこで,実力のある若手が出てくると,在籍するクラスと実力に齟齬が生じます。羽生世代が台頭してきたころ,A級棋士より下のクラスの棋士のほうが実力が勝るという現象が起きましたが,結局は羽生世代の棋士はみなA級まで昇り詰めました。。今は,それ以上に競争が激しくて,下位のクラスの棋士がタイトルを取ったり棋戦優勝をするという現象がめずらしくなくなっています。しかし,順位戦の昇級の機会は1年に一度,しかも,人数が限られているので,抜けるのはとてもたいへんで,せっかく棋士になって実力があっても,C級2組のまま,という人も少なくありません。
 囲碁界にはそういう制度はないので,たとえ囲碁名人戦でも,予選を勝ち抜けばだれでも決勝リーグに入れます。よって,特別な将棋の順位戦は年度末になるとファンの注目を浴び盛り上がるので,囲碁の棋士の中には将棋界の制度がうらやましいといった人もいます。しかし,その反対に,将棋界では,順位戦の結果で棋士のランクが決まってしまうので,ものすごく厳しい世界だともいえます。毎年毎年,このような制度の中で戦っていかなくてはならないのは,並みの精神力ではやっていられません。実力と運,私が棋士なら嫌です。

 さて,今年もまた年度末を迎え,すべてクラスの順位戦が終了しました。そして,昇級者が決まりました。まさに喜悲こもごもという感じですが,特に,次点で昇級を逃した棋士の人たちの気持ちは察するに余りあります。それは,私が応援していた棋士の結果とはまた別の問題です。
  ・・
 では,これからは,私が応援していた棋士について書きます。
 まず,C級2組です。このクラスには佐々木大地五段,高野智史五段,八代弥七段といった有望が若手が多くいるのですが,ここから抜けるのがたいへんです。抜けてしまえば,連続で昇級する可能性を秘めている棋士だと思うのですが。これらの棋士の中でも,佐々木大地五段は昇級の可能性が高かっただけにとても残念でした。
 C級1組では,だれもが応援していた高見泰地七段が,以前,そっくりだといわれていた増田康宏七段とともに昇級を決めました。このふたりとも,最後に1敗してしまったのがとても残念,全勝で決めて実力を示し,来期のB級2組一気抜けの足掛かりにしてほしかったものです。高見泰地七段はC級2組のときに叡王というタイトルを取ったがゆえに,それがプレッシャーとなって,気の毒でした。が,それに打ち勝ちました。増田康宏七段は昨年のABEMA将棋トーナメントで永瀬拓矢王座,藤井聡太二冠とチームを組んで優勝したことがよい影響を与えたと思います。
 B級2組は世代交代の交差点のようなところです。B級1組に踏みとどまれなかったベテランと壁に当たってしまった若手棋士が多く,C級2組,C級1組と駆け抜けてきた将来有望な若手にとっては,すべてのクラスの中で,最も1期抜けで昇級がしやすいクラスだと私は思っているのですが,今年もそんな順当な結果となりました。佐々木勇気七段は初戦で藤井聡太二冠と対戦して惜しくも敗れましたが,そのあとをすべて勝ったのがすばらしかったです。

 そして,B級1組。大相撲でいえば,十両といったところでしょうか。このクラスがもっとも大変だと思われます。A級で長年活躍した往年の棋士が歳をとって力が衰えてA級から降級したとき,このクラスで踏ん張れるかどうかというのが最大の見どころとなります。また,将来有望な若手にとっては胸つき八丁。実力伯仲,しのぎを削っているので,ある意味,A級よりも白星を積み重ねるのがむずかしいように思われます。また,総当たりなので,くじ運が左右しません。今年度は,やっと,B級1組の主のようだった山崎隆之八段が昇級しました。山崎隆之八段の昇級は,かつて,実力がありながら,いつも星ひとつで昇級を逃し,なかなかA級までたどり着けなかった「羽生世代」の先崎学九段を思い出します。そしてもうひとり「4強」のひとり永瀬拓矢王座が辛くも最終ラウンドで昇級を決め,ついにA級棋士の仲間入りを果たしました。
 私は,現在のA級は,藤井聡太二冠が昇ってくるまでは棋界最高のリーグとは思えず,むしろ王将戦の挑戦者決定リーグのほうが最強リーグのように思えるので,名人戦挑戦者争いにはさほど興味がなく,それより,羽生善治九段と佐藤康光九段がいつまでA級で踏みとどまれるのか,ということが一番の関心事です。
  ・・
 レーティングがどうのとか,そうした数値だけで棋士の実力を測っているファンもいるようですが,これまで40年以上順位戦を見てきた私は,順位戦だけは,そうした将棋の実力だけではなく,将棋に対する想い入れの強さ,一途さ,ストイックさ,そして,将棋の神様に愛されているかが,その結果に強く反映しているように思います。かつての森内俊之九段や現在の近藤誠也七段のように,順位戦にはめっぽう強いという棋士がいます。その反対に,実力がありながら,いつも次点で昇級を逃してしまう棋士もいます。これこそが,AIでは感動できない人間の勝負の世界です。
 いずれにしても,将棋の棋士は過酷です。過酷すぎます。私にはこんな人生できません。


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

DSC_5226 qw e raaabbb

 2020年9月27日のブログに「今後「不良老人」はいかに生きるか⑥-塞翁が馬の2020年」と題して,
  ・・・・・・
 (2020年)1月。やがて来る不安な将来もまだ予感できなかったころ,昨年に続いて,私は朝日杯将棋オープン戦の名古屋対局で,藤井聡太・現二冠の対局を観戦しました。その後,当時七段だった若き天才棋士はタイトルをふたつも獲得し,再び時の人となりました。私は,タイトルを獲得するまでは,ということで熱を入れて応援していたのですが,そろそろそれも卒業したいと考えています。私の性格では,将棋も相撲もそうですが,勝負ごとに対して熱をあげて応援するのは,ひいきの人が負けたときに疲れ落ち込むだけで楽しむことができないのです。私は勝負ごとの観戦を趣味にするのは不向きなのです。
  ・・・・・・
と書きました。

 それ以降,私は4か月余り,将棋を見るのをやめてしまいました。ちょうどそのころ,藤井聡太二冠は王将戦の挑戦者決定リーグでは苦戦し,B級2組の順位戦では全勝を続けていたようです。また,NHK杯将棋トーナメントは木村一基九段に公式戦初の負けを記し,その一方,銀河戦では優勝をしました。
 藤井聡太という棋士の強いのは,本人はすべて全力投球をしているのでしょうが,たまに負けても重要な対局だけは星を落とさないということなのです。これまでの対局で,唯一,後に響くという意味で負けてはいけないのに負けたのは,2019年2月5日のC級1組順位戦,対近藤誠也・当時五段との一戦だけです。
 そして,2021年の1月に,再び朝日杯将棋オープン戦の名古屋対局がありました。そこで,私もそろそろ将棋の観戦に復帰することにしました。ただし,自粛しているわけではないのですが,今年は観戦に行く気にならなかったで,ABEMAで見ました。今日の1番目の写真は昨年のものです。
  ・・
 私が少し冷却期間を置いたのは将棋を観戦するのに疲れてしまったためでした。将棋に限らず,この時期から,私は自分の楽しみであるほとんどのことに対して冷却期間をつくりました。それはある思いから「精神的な断捨離」をすることにしたのが理由でした。それはまた,本当に好きなことなら,そのうちに再びその気になるだろうと思ったからです。
 そしてやはり,昔から好きだったことは順に復活しました。新装開店という感じでしょうか。

 さて,今回の朝日将棋トーナメントの豊島将之竜王との対局は,画面の表示では,途中まで藤井聡太二冠の評価値がよく,一時は81パーセントに達したのですが,3七角と打った時点で逆転してしまいました。しかし,その直後,8六歩,8七歩という連打が「コンピュータ越え」の手筋で,8七歩を豊島将之竜王が同金と取ったのが悪い手で再び優勢となった,という流れのように,AIは分析していました。
 私は,以前ならそれで満足していたことでしょう。しかし,冷却期間を置いてリニューアルした私が感じたのは,確かに評価値だけを見ればそういうことなのでしょうが,人間の考えることというのは,それでは割り切れないということでした。こころのないAIが判断した手がこころのある人間には最善とは限らないということです。
 そして,8六歩という,AIが第一候補してあげていなかった妙手が指されたとき,瞬間にその意味を理解して感動し,その感動を視聴者に伝えた解説の高見泰地七段はすごい,と思いました。私もそこに感動しました。こういう解説があるからこそ楽しめるのです。そしてまた,豊島将之竜王も人間だったと思いました。

 冷却期間に思ったのは,つくづく私は将棋が好きなわけではないということでした。将棋が好きなわけではなくて,昔から,ある特定の棋士の将棋が好きなだけなのです。それは,今から50年ほど前なら升田幸三実力制第四代名人,その後は米長邦夫名誉棋聖,そして,それに続いて佐藤康光九段,今は藤井聡太二冠です。それ以外の棋士の将棋にはおよそ興味がないのです。こういうのは,本当の将棋好きというのとは違うのでしょう。
 と,ここまで書いていて思い出したことがあります。
 50年ほど前,将棋は新聞の将棋欄で見るくらいしか方法がありませんでした。そこで,A級順位戦で対局する升田将棋だけを見たさに朝日新聞を購読していた私は,対局者が升田幸三・当時九段でなければ,ほとんど将棋欄は読み飛ばしていました。しかし,升田将棋以外で2局,対局者がだれだったのは忘れてしまいましたが,強烈に記憶に残っている対局があるのです。そのひとつは,相横歩取りで,後手が7六飛と歩を取り返したときに当時の定跡であった7七銀ではなく7七歩と打って,意表を突かれた後手はその後の指し手がわからずあっという間に負けてしまったもの,もうひとつは,角換り腰掛銀で,軽率にも3二金を上がらずに6三銀と上がったことで苦戦し,わずか数十手であっけない終局を迎えたものです。
 ずいぶんと昔のものなので,正確には思い出せないのですが,おぼろげな記憶からイメージした図面を作ってみました。今となってはどこかに埋もれてしまっている対局ですが,当時はA級順位戦の将棋でも,今と違って,時折,とんでもない駄作がありました。それは,いかにも人間臭く泥臭く,ある意味,魅力的でした。
 将棋に限らず,半世紀前の日本は,何もかも,そんな状態の国でしたが,いまのような,規則規則で縛られる時代,何でもコンピュータで緻密に計算される時代,人間が機械のようになってしまった時代に比べたら,別の意味でよほど楽しかったこともたくさんありました。それも今となっては懐かしい思い出です。


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

DSC_1109 2020-08-21_13-19-02_000 2020-08-21_13-23-07_000 2020-08-21_13-23-52_000 2020-08-20_17-01-33_000

######
 1番目の写真は2018年に行われた朝日杯将棋オープン戦名古屋大会での大盤解説会場の様子です。このときは,まさかその2年後に,木村一基対藤井聡太というタイトルマッチが見られるとは夢にも思いませんでした。
 その翌年,無冠の帝王だった木村一基九段が涙の初タイトル王位を獲得しました。そして,その流れを受けて,2020年に行われた王位戦で,藤井聡太新王位が誕生となったわけです。
 2番目から4番目の写真は,勝敗を決した王位戦第4局の将棋史に残る伝説の封じ手△8七同飛車成,twitter上で「同飛車大学」とトレンド入りした話題の局面です。
  ・・
 昨年の木村一基王位の誕生から今年の藤井聡太王位の誕生というあらすじは,フィクションとして書いたらおそらくありえないと酷評されるような,いわゆる劇的以上のものでした。
 もし,昨年,木村一基王位が誕生していなかったら,今年の今ごろは豊島将之竜王の名人,王位,叡王のトリプルタイトルマッチだったかもしれず,また,豊島将之竜王にこれまで1勝もしていない藤井聡太棋聖がどういった戦いをしていたかもわからず,と,まったく違った流れであったことでしょう。

 思えば,加藤一二三九段が1983年に念願の名人位を獲得し,翌年,新鋭の谷川浩司に敗れたとき,また,米長邦雄永世棋聖が1994年にこれも念願の名人位を獲得して,翌年,これもまた新鋭の羽生善治に敗れたときのように,将棋の神様は,実績あるベテランに1度だけ御褒美をあげて,その翌年,世代交代の任を担わせるのです。
 名人戦ではありませんが,今回の王位戦もまた,それと同じ流れになりました。つまり,昨年の涙の初タイトルは,今年の王位戦を盛り上げるための序章にすぎなかったわけです。
  ・・
 現在の藤井聡太二冠は,角換り腰掛銀のスペシャリストである豊島将之竜王とか,1手損角換りのスペシャリストである丸山忠久九段とか,あるいは,横歩取りのスペシャリストである大橋貴洸六段とか,そういった藤井聡太二冠以上の知識のある得意戦法をもつ棋士と対峙したときに負けることがあります。
 つまり,藤井聡太二冠に勝つには,ある戦法のスペシャリストになって自分の研究範囲に持ち込み,序盤から中盤にかけて意表の1手を指してリードを奪い,藤井聡太二冠に極端な長考を強いるしか方法がないのです。終盤の読み比べであるとか,得意の受けで凌ぐのが持ち味,というタイプの棋士には勝ち目がないのです。だから,私は,藤井聡太挑戦者は木村一基王位には勝てると思っていましたし,実際,結果はそうなりました。

 明るい話題の少ない今,マスコミは絶好のネタとして,二冠獲得の翌日,藤井聡太二冠誕生の話題を多くのテレビ番組が取り上げていました。
 普段から民放はまったく見ない私ですが,この話題をどう伝えるかに興味があって,すべて録画をして,藤井聡太二冠関連のものだけを後で探しだして見てみました。番組には,ゲストとしてさまざまな棋士が登場していました。将棋を知らない視聴者に将棋の魅力を伝えようと,それぞれの棋士はずいぶん苦労をしていました。その姿はほほえましいものでした。
 番組の制作者が,将棋を知らない視聴者を相手にわかりやすく説明しようとしていることは理解できるのですが,しかし,それにしても,将棋は「指す」であって「打つ」ではありません。また,「定跡」であって「定石」ではありません。こんな基本的なことも正確にキチンと伝えられていない,その程度のワイドショーの司会者やスタッフは勉強不足で,いつもながら思いやられます。知らないことがあれば,専門家であるプロの棋士をゲストによんでいるのだから,事前に確認すべきです。将棋の棋士はものすごい才能をもった人たちですが,そんな専門家をお笑いタレントのように扱っていること自体,専門性にリスペストを払っていない証拠です。
 報道は正確さと言葉が命なのです。しかし,こうしたことから考えると,おそらく,このようなワイドショーで伝えているニュースは,みなこの程度のレベルなのでしょう。きっと,新型コロナウィルス関連のニュースもこの程度のいいかげんさで伝えているのです。
 私には,そのことを再確認したことの方が,ずっと興味深いものでした。

◇◇◇

◇◇◇
チームバナナ優勝!

118233871_1549568768563289_4114459792675277311_n

DSC_1103

######
 9月26日,将棋の木村一基九段が第60期王位戦七番勝負の第7局に勝ち,4勝3敗でタイトルを獲得されました。私もうれしくて泣けました。「将棋の強いおじさん」とファンに親しまれる「いい人」は,精神的にも人間らしい弱さが勝負師としては仇となっていたのですが,無欲となったことで勝負の神様がほほえんだようです。
 若いころはものすごく強く,タイトルも間近だったのに何度挑戦しても跳ね返され,このごろはタイトル挑戦者よりも解説者としての存在となっていて,今回もまただめなのかな,と思っていただけに,この結果には驚きました。
 しばらく低迷していた木村一基九段でしたが,一念発起,新たに将棋の研究により多くの時間打ち込むようになって往年の強さを取り戻し,今年は,第60期王位戦挑戦者決定戦で羽生善治九段に勝利し,豊島将之王位への挑戦権を獲得,また,第32期竜王戦では本戦トーナメントを勝ち抜いた結果,挑戦者決定三番勝負を同じく豊島将之王位と対戦することとなって,同時期に行われる王位戦七番勝負と合わせて「十番勝負」を行っていました。
 竜王戦挑戦者決定三番勝負は惜しくも1勝2敗敗で敗退したものの,王位戦では4勝3敗で勝ち,十番勝負は5勝5敗という結果に終わりましたが,ついに初のタイトル王位を獲得しました。これまで初タイトル獲得の年長記録は有吉道夫九段の37歳6か月でしたが,木村一基新王位は46歳3か月とこの記録を9歳あまりも更新しました。
 
 木村一基新王位は居飛車党の棋士で,受けが得意であり,守りと粘りの棋風。柴田ヨクサル作の漫画「ハチワンダイバー」の登場人物である中静そよの異名「アキバの受け師」をもじって「千駄ヶ谷の受け師」という異名があります。棋士仲間の間で「勝率君」と呼ばれていたほどプロになってからの勝率が非常に高く,通算500局以上対局している棋士の中で通算勝率が7割を超えていたのが羽生善治九段との2人だけという状態が長く続いていました。しかし,タイトルにはなかなか手が届きませんでした。
 はじめて挑戦をしたのが2005年の竜王戦。決定したときには盤の前にひとり残り涙を流したといいます。しかしタイトル戦は1勝もできず敗退しました。さらに,2008年,王座戦で挑戦権を獲得しましたが,やはり1勝もできず敗退しました。また,2009年は棋聖戦と王位戦の挑戦権を獲得しましたが,棋聖戦は第3局まで2勝1敗とリードしたものの敗退,王位戦は第3局まで3連勝したもののそれ以後4連敗を喫しました。
 2014年王位戦の挑戦権を獲得しましたが,2勝4敗1持将棋でまたしてもタイトルの獲得はならず,2016年にも王位戦で挑戦権を獲得し第5局の時点で3勝2敗と先行しましたが,結果は3勝4敗でした。
 私は2018年の朝日杯将棋オープンを観戦したときに,解説者として登場した木村一基新王位を真近で見たことがあります。これだけ強くて人柄がよくてファン思いで,それでいながら,何度もタイトル戦に挑戦したのに一度も夢がかなわないなんて,将棋の神様はいないのかと思っていたのですが,やっと夢がかないました。
 インタビューで泣いていたその姿に私も泣けて泣けて仕方がありませんでした。
 「将棋の強いおじさん」タイトル獲得おめでとうございます!

このページのトップヘ