しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:将棋特集

number (2) 雑誌「Number」#1044の将棋名勝負特集!「藤井聡太と最強の一手。」を読みました。
 雑誌「Number」はスポーツを話題にする雑誌ですが,2020年の夏に恐る恐る将棋特集をしたら「望外」に売れて,それで気をよくしたのか,時折,将棋特集をするようになったように思います。
 私は,子供のころ,将棋を指すことに夢中になったことはありますが,現在は完全な「観る将」です。というのも,このごろは将棋ソフトが強すぎてまったく歯が立たないことに加え,将棋を指す時間がもったいないと思ってしまうからです。というのは言い訳で,本当は,私は,将棋というゲームを指すことの本当のおもしろさがわからないのでしょう。
 そんな私でも,藤井聡太竜王の活躍もあって,今はプロの棋士の将棋を見ることは楽しいのですが,それよりも,棋士という一風変わった人たちの生きざまに興味があります。そこで,今回の雑誌の特集も一気に読んでしまいました。

 その中で印象に残ったのは,まずは,「竜王を手繰り寄せた”異常”な終盤。」という記事の中の
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 藤井は将棋の神に愛され過ぎではないかとさえ思います。
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という文章でした。それは,終盤で,奇跡的とさえ思えるように,盤上の全ての駒の配置と持ち駒がいつも藤井聡太竜王が勝つようになっていることを指しているのですが,私は,藤井聡太竜王の将棋を見ていると,終盤で想定されるさまざまな可能性をあらかじめ読んだ上で,そうした配置になるように,まるで,序盤から長手数の詰将棋をつくるかのごとく将棋を組み立てていると感じるので,奇跡的ではないと思っています。将棋の神に愛されているというより,だれよりも将棋の神を愛しているのでしょう。
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 今回の将棋特集では,藤井聡太竜王だけでなく,さまざな棋士の話題が豊富でしたが,私がおもしろかったのは,「藤井聡太の”最強の一手”とは?」と題した若手棋士の鼎談と,もうひとつは「毒と理想のはざまで。」という永瀬拓矢王座を取り上げた記事でした。私は,こうした若い棋士たちが藤井聡太竜王の出現で脚光を浴び,その中でもがいている様に魅力を感じます。
 それとは別の意味で,「不屈の王の最後の呟き。」という大山康晴十五世名人を取り上げたもの。時の絶対王者だった大山康晴十五世名人,晩節の悲愴は,私がずっと印象に残っているものですが,最晩年になっても,まだ,若手の前に壁となり立ちふさがっていたその姿を,当時の私は,いい加減にしてよ,と思っていたのが正直な気持ちでした。それが今となっては,晩年の大山康晴十五世名人といったって弱冠68歳のことで,今の私の年齢と大差ないことに,別の衝撃をうけるのです。

 さて,今回の特集は,読みどころ満載だったのですが,この記事を書いた人の多くは,将棋ジャーナリストといわれる人たちで,新聞の観戦記なども書いています。
 毎日連載をしている新聞の観戦記は,何十年もまったく変わらず,というより,昔は結構読みごたえがあったのに,新聞の活字が大きくなったのに面積が変わらないものだからめっきり字数が少なくなってしまい,今や,1日の分量が400字詰め原稿用紙たった1枚程度で,30年前にくらべると約半分。また,このブログの10パーセントから20パーセント程度でしかありません。これでは,書きたいことのほとんどは書くことができないから,「観る将」の人には指し手の解説だけではおもしろくないし,棋士の心理描写を書くだけでは棋譜を記録として読んでいる往年のファンには評判が悪いというように,だれを対象として何を伝えたいのかわからないという中途半端なものに成り下がっているように感じます。
 この特集でこれだけ魅力的な記事が書ける将棋ジャーナリストといわれる人たちの文章力が,薄っぺらな将棋の観戦記ではほとんど発揮できないことのほうが,私には気がかりです。もったいない話です。

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 スポーツ総合雑誌「Number」は読みごたえのある記事と美しい写真がウリで,私もこれまでMLBを特集したものを数冊購入したことがあります。そのスポーツ総合雑誌が藤井聡太二冠ブームに乗っかって将棋を特集したということで話題になっています。
 めったに雑誌を購入しない私ですが,どんな内容か興味をもったので,発売前にAmazonで予約して手に入れました。

 これまでもこのブログに書いているように,私は,小学校のころから将棋,というよりも,むしろ将棋界に興味をもっていたので,およそのことはわかります。若い棋士や将棋ライターよりもむしろ詳しいくらいです。
 大山康晴十五世名人対升田幸三実力制第四代名人最後の名人戦となった1971年(昭和46年)の第30期将棋名人戦をどきどきしながら新聞で読んだ経験もあります。また,中学生のころは「Number」に載っていた板谷四郎九段の開いていた板谷将棋教室に入り浸りで,板谷四郎八段に2枚落ちで教わったこともあるし,石田和雄九段に声をかけてもらったこともあります。

 おそらく,多くの人は,藤井聡太二冠の活躍で興味をもった将棋界のことを知りたくて,この雑誌を手に取ったことと思います。しかし,私は,多くの人が知りたいと思っているようなことは珍しくないので,むしろ,この本には,それ以外の「何か」私が興味をひかれる記事があるだろうかという思いで,読んでみました。
 その中で,買ってよかった,と純粋に思った記事の筆頭が,先崎学九段の書いたエッセイ「22時の少年-羽生と藤井が交錯した夜-」でした。先崎学九段の書く文章はいつも本当におもしろいのですが,単におもしろいだけでなく,人のこころの繊細さが緻密に描かれているのがすばらしいのです。特に,この雑誌に書かれてあった文章は秀逸でした。
 藤井聡太二冠が棋士になって半年くらいしたときのこと。とある企画で羽生九段と対局するのですが,そこで,藤井聡太二冠があることをするのです。私はそんなことがあったことをまったく知りませんでした。
 このエッセイの最後がいいです。
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 あの日のことはすべて,春の夜の夢だったのではないかと,たまに思い出す。
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 このエッセイのほかに,私が興味をもって読んだのは,鈴木忠平さんの書いた「羽生を止めろ。-七冠ロード大逆転秘話-」でした。
 この文章に書かれた1995年(平成7年)の第53期将棋名人戦第1局が京都洛北の宝ヶ池プリンスホテルで行われていた日,ちょうど私はそのホテルにいたのです。対局は広い庭園の中にある茶寮で行われていました。直接対局を見ることはできませんでしたが,茶寮の開いた窓から,白い着物を着た若き挑戦者森下卓八段の姿が見えました。思えば,あの将棋名人戦は,森下卓八段一世一代の大勝負だったのです。なぜか,あのときの,私が感じたなんともいえない雰囲気を今も思い出します。

 私がこの雑誌を買ってよかったと思うもうひとつの理由があるのですが,それは私のささやかな秘密にして,あえてここには書かないことにします。
 いずれにしても,たかが将棋,されど将棋。長年,将棋界を興味をもってみていると,この世界で起きた悲しいことばかりを思い出します。それはおそらく,勝負に生きる人は,その敗者の姿も美しく,かつ,記憶に残るものだからなのでしょう。

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