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 午前9時30分,定刻に只見駅を出発しました。只見線の旅もあと1時間ほどで終着の小出駅です。
 只見線は,会津川口駅から只見駅までがもっとも風光明媚なところで,この先はたいしたことはないと思っていたのですが,最後の見どころ? がこのあとにありました。
 前回書いたように,只見駅を過ぎると,並走する国道252号線は,六十里越えという難所を迎え,冬の間は雪が深く通行できません。しかし,只見線は,3,712メートルの田子倉トンネルとそれに続く6,359メートルの六十里越トンネルというふたつの長いトンネルが掘られているので,運行ができるのです。

 このように,只見線は,只見駅を過ぎると長いトンネルに入るので,次の大白川駅までの30分間,全く駅がありません。しかし,かつて,田子倉トンネルの中に田子倉駅がありました。ただし,ほとんど乗客がなく,2001年(平成13年)から冬期間は全列車が通過となり,2013年(平成25年)に駅は廃止されてしまいました。
 只見駅で乗り込んだ車掌さんが,このふたつのトンネルと田子倉駅についての案内放送をしました。 勉強不足の私は,それがかなりの見どころであることすら知らなかったので,「猫に小判」「豚に真珠」「馬の耳に念仏」状態だったのですが,マニアには見たくてたまらないところだったに違いありません。
 今は廃墟となった田子倉駅をあっという間に列車は駆け抜けました。心構えがなかった私は,肉眼で駅を確認することはできましたが,残念ながら写真を撮ることはできませんでした。また,只見駅を過ぎると,トンネルのために,運転席の横のそれまで開いていたシェードも閉められてしまい,前面の展望がきかなくなりました。トンネルの中の駅,停車まではむりとしても,徐行運転するサービスがあってもいいなあ。

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 田子倉駅を中心にした半径2キロメートルには,現在はだれも住んでいません。
 田子倉駅は,線路の北側に単式ホーム1面1線を有する地上駅で,列車が大白川方の六十里越トンネルと只見方の田子倉トンネルの間で少しだけ外に出る地点に位置していました。ホームは南側の田子倉湖と北側の崖に挟まれた低い場所にあり,スノーシェッドに覆われていました。
 ホームの中ほどから北側に階段があって,これを登ると,駅舎を通って崖の上を走る国道に出ることができるようになってしました。駅舎の内部には階段と通路のみがあったということです。駅にまだ列車が停車していたころの乗車人員は,1日平均で,2000年3人,2001年3人,2002年0人,2003年3人,20040人でした。
 現在も駅舎は現存していますが,駅舎内に入ることはできません。
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 六十里越えは,新潟県魚沼市と福島県南会津郡只見町との間にある峠で,最高点の標高は863メートルです。六十里越えの名の由来は,実際の距離は六里,約24キロメートルでありながら,険しさゆえに1里が10里にも感じられるほど余りに急峻かつ長大な山道であること,中世まで東日本においては1里は500メートルであったことなどの説があります。
 新潟県中越地方と福島県会津地方南部を結ぶ街道であるものの,国内有数の豪雪地帯で,かつ,雪崩れや落石の危険性が高い箇所を経由することから,冬季は通行できない難所です。
 新潟県中越地方と只見町を結ぶ街道は,六十里越えのほかには,約15キロメートル北東側の三条市と只見町の間に位置する八十里越えがあるのですが,そちらの方が更に難所で,国道289号などの国県道は自動車の通行すら不能区間です。
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 なぜか,それまでは何ともなかったのに,トンネルを越えたあたりから列車の窓ガラスが曇って,窓を拭かないと写真が撮れなくなりました。
 この難所を抜けると民家が見えてきて,やっと只見駅の次の大白川駅に到着しました。ここで,年配の女性がひとり乗車してきたのにはびっくりしました。我々8人に,乗客がひとり増えたのです。
 その先,列車は民家の中を抜けて行って,入広瀬駅,上条駅,越後須原駅,魚沼田中駅,越後広瀬駅,薮神駅と停車して,やがて,小出駅に到着しました。
 午前10時41分,私は念願の只見線を走破しました。全く退屈しない4時間半でした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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