しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:小澤征爾

IMG_1765IMG_1768IMG_1769IMG_1773

######
 2024年2月17日,大西順子さんが愛知県の東海市芸術劇場大ホールでソロピアノコンサートを行うというので,聴いてきました。客席は満員でした。

 惜しくも,2024年2月6日に亡くなった小澤征爾さんですが,私が今でも印象に残っているのが,2013年に行われたサイトウ・キネン・フェスティバルです。
 2013年のサイトウ・キネン・フェスティバルは,8月12日から9月7日まで10公演が行われたのですが,その最終日9月6日を飾ったのが, 小澤征爾さんが指揮をしたガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を,サイトウ・キネン・オーケストラと大西順子トリオが共演したものです。これは,2012年夏,突然の引退宣言をした大西順子さんでしたが,小澤征爾さんの猛烈な誘いに負け,一夜限りの復活とし出演を決めたものです。そして,小澤征爾率いるサイトウ・キネン・オーケストラと大西順子トリオの共演は,大きな話題となりました。
 小澤征爾さんは,2010年に大病を患ったのですが,この公演は,その後に行われたものです。
 私は,公演の様子をテレビで見ましたが,それはそれはすばらしいものでした。そして,そのときに私が知ったのが,大西順子さんでした。今回のコンサートの中で,大西順子さんがそのときの共演についても話していたのですが,観客の中で何人がそれを知っていることか?
  ・・・・・・
 1967年生まれの大西順子さんは,ジャズ・ピアニストです。渡米し,ボストンのバークリー音楽院に学び,その後,ニューヨークに移り,アップタウンのジェシー・デイヴィス・クインテットのレギュラー・ピアニストとして活動しました。
 日本へ帰国後は,バークリー時代の仲間とトリオを結成,ニューヨークの名門ジャズ・クラブヴィレッジ・ヴァンガードに,日本人としてはじめて自分のグループを率いて出演しました。
 以降,活動中止や再開を繰り返し,2015年に,何度目かの活動再開をしました。
  ・・・・・・

 私は,ジャズには疎く,また,大西順子さんも,先に書いたサイトウ・キネン・フェスティバルの放送でしか知らないので,これはまさに,将棋のルールも知らないのに,藤井聡太八冠の将棋を観戦するのと同様に,「豚に真珠」「猫に小判」「馬の耳に念仏」でした。はじめのうちは,現代音楽を聴いているような感じに思えて,正直かなり苦痛でした。
 しかし,次第にわかってきて,楽しくなりました。
 クラシック音楽のピアノとは違って,ジャズのピアノは,即興を旨とするのですが,それは,ベートーヴェン以前,協奏曲のカデンツァを演奏者が即興で演奏していたのを拡大したようなものです。そこで,オリジナルをどのように奏者が変化させ創作するのか,というのが腕の見せどころとなるわけで,いかにして聴き手を引き込んでいくのかが聴かせどころです。
 残念ながら,私は,そのオリジナルをも知らないのだから,話にならないのですが,それでも,次第に,次にどう来るか,ワクワクして聴けるようになってきました。そして,こりゃすごい,と思うまでになりました。大西順子さんは偉いものです。
 今回もまた,私が長年味わうことがなかった感動をひとつ手に入れることができました。

キャプチャ

◇◇◇
無題無題2無題3無題4


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN3071DSCN3391DSCN3337DSCN3356sDSCN3341

######
 2024年2月6日,「世界のオザワ」と評された指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。88歳でした。
 私は,今から43年前,ボストン,ニューヨーク,ワシントンDCをひとり旅しました。そのとき,小澤征爾さんはボストン交響楽団の音楽監督でした。ボストンのコンサートホールに大きな小澤征爾さんのポスターを見て,誇らしく思ったものです。当時,アメリカでもっとも有名な日本人,といわれていたと聞きました。
 私が小澤征爾さんの指揮をコンサートホールで聴いたのは,残念ながらたった一度でしたが,私は,小澤征爾さんが憧れで,また,音楽が聴けるのを楽しみにしていました。

 著書「ボクの音楽武者修行」にこうあります。
  ・・・・・・
 スクーターを唯一の財産として神戸から貨物船に乗り込み,マルセイユからパリまでたどりつき,フランス国内,アメリカ,ドイツ,そしてふたたびアメリカへと回って,いよいよ約二年半ぶりになつかしい日本へ帰ることになった。
 4月24日午前10時,JALのニューヨーク・フィル特別機で羽田に着いた。ハッチが開けられると,メンバーの連中がみんな
「セイジ,お前が最初に降りるんだ!」
と言って,ぼくを先頭にしてくれた。
  ・・
 突然,バーンスタインが,ぼくの首っ玉にとびついて来た。ぼくは危うく倒れるところだった。
「セイジ! セイジ! よかったな,よかったな!」
  ・・・・・・
 私は,この文章がずっと頭に残りました。おそらくこのときが小澤征爾さんの人生で最高の瞬間。

 その後,小澤征爾さんの足跡を探すかのように,私は,ボストン交響楽団の夏の避暑地であるタングルウッドを訪れました。そして,そこに,セイジオザワホールがあるのに,再び感動しました。
 ああ,この人は,こういうところで活躍していたんだな,と思いました。
 残念ながら,大きな病気をしてからは,活躍もままならなくなってしまったのがとても残念でしたが,これほど偉大で,しかし,偉ぶらず,多くの人に感動を与えた人もありますまい。
 すばらしい人生でした。ご冥福をお祈りします。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN3358IMG_9563

######
 2021年12月18日の朝日新聞be版に,高樹のぶ子さんのエッセイ「あれから何処へ」で,タングルウッドのことが書かれてありました。その最後の部分を引用します。
  ・・・・・・
 私の心も,生まれてから長くあこがれ続けてきた自由と繁栄のアメリカを離れ,ヨーロッパへと移っていった。
  ・・・・・・
 タングルウッドはボストン郊外にあって,夏になると,ボストン交響楽団がこの避暑地に移動して音楽祭を行います。高樹のぶ子さんがタングルウッドを訪れたのは,小澤征爾さんがボストンを離れる2001年だったそうですが,私が行くことができたのは2013年のことでした。当然,すでに小澤征爾さんはいませんでしたが,タングルウッドにはセイジオザワホールがあり,また,展示室には,小澤征爾さんの資料がたくさんありました。
 小澤征爾さんはボストンの指揮者として功成り名遂げたので,私はどうしてウィーンに移ってしまうのか,当時は理解ができませんでした。それに,小澤征爾さんはウィーンにはなじまないと思いました。

 エッセイにも書かれているように,私も,アメリカに憧れ,ずいぶん旅行をしたものですが,その後,ヨーロッパにも出かけるようになると,アメリカという国こそが世界に開かれた自由の国,というイメージは幻想であるということに気づきました。そしてまた,アメリカに生まれたとしても,日本人は「よそ者」です。いや,日本人に限らず,私のアメリカに住む,台湾人やプエルトリコ人の友人たちもまた,その生き難くさを時々感じます。おそらく黒人の人たちも同様でしょう。
 アメリカでは,スポーツに限らず,ショーを見にいっても,必ずそこで称えられるのは,星条旗を背にした異様なまでの愛国心です。それが決していけないことではないのですが,その根源に垣間見られる,他を排除するような巨大な壁を感じます。
 このエッセイを読んで,これまで私がアメリカを旅するときになんとなく抱いてきたそうした違和感を思い出しました。そして,その後,2018年と2019年にウィーンに行って,2018年にはウィーン国立歌劇場でオペラも見た私は,今では,その当時の小澤征爾さんの気持ちがわかるような気がします。


◇◇◇
レナード彗星。

太陽を回り、夕方の西の空に現れました。
右上は金星です。
IMG_0987tnx


◇◇◇
Cold Moon.

12月の満月は最遠の月でした。
DSC_0871 (3)x


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN3071DSCN3073DSCN3069DSCN3338DSCN3360

 2018年9月6日にBSプレミアムで「世界わが心の旅」の再放送がありました。旅人は指揮者小澤征爾さん。題して「ボストン・家族のぬくもりの中で」。今から22年前の1996年に放送されたものです。
 このころのアメリカは本当にいい時代でした。おそらく,アメリカ建国以来,最高の時代だったと思います。すでに日本はバブル経済が崩壊して「空白の10年」がはじまり,街中には失業者があふれていましたが,アメリカは逆に,ITバブル経済と呼ばれる時代の幕開けのころでした。私はそのころに訪れたニューヨークの5番街で,星条旗がいたるところにはためいているのを見て,アメリカの強固な自信と誇りを感じて身震いした思い出があります。
 日本が誇る指揮者の小澤征爾さんがボストン交響楽団の音楽監督として活躍していたのもまた,そんな時代のアメリカでした。そして,この番組が収録されたころの小澤征爾さんは,ちょうど今の私の歳のころのことでした。
 そんなアメリカも,2001年に起きた,いわゆる「911」,アメリカ同時多発テロ事件ですっかりだめになってしまい,今は当時の面影もなく,殺伐としたとげとげしい国と化しました。

 私はこの番組を見て,いろんな感慨にふけりました。
 そのひとつは,人の老いです。
 私は昨年と今年,年老いた両親をあいついで亡くし,人の老いを目のあたりにしました。そして,この先,自分もこんなふうにして老いてゆくのだろうということを知りました。
 小澤征爾さんもまた,この番組の当時からはずいぶんと歳をとられて,今も指揮者として活躍はされていますが,当時の才気あふれる姿とは遠いものとなってしまいました。
 どんなに才能があろと,名声があろうと,人はだれしも老いるのです。そして,そのときに,過去の自分をどう感じるか,というのはひとそれぞれでしょうが,おそらく,自分は若き日に何かを成しえた,という充実感があればこそ,その先もまた生きていく勇気と力と希望をを与えてくれるものなのでしょう。

 ふたつめは,私のアメリカへの想いです。
 私は2013年,長年想いを募らせていた2度目のボストンにも,そしてはじめてのタングルウッドにも行くことができました。この番組を機に,再び,このときの旅を思い出して,そのときの旅が自分にはどんなに素晴らしいものであったかということを再確認しました。
 おそらく,このときの旅の経験があったからこそ,22年前に作られたこの番組を,深く,そして,いとおしく見ることができたのだと思います。
 1996年にこの番組が放送されたときに私がそれを見たかどうかは記憶にありませんが,おそらく,そのときに見ていても,行ってみたい,うらやましいという願望が強すぎて,今回見たときのような哀愁を私は感じることができなかっただろうと思います。

 いずれにしても,こうした気持ちを抱くようになれたことが,私の大きな財産なのかな,と思いました。やはり,人はこころで生きているものなのです。この番組の題名である「心の旅」というのは言いえて妙です。
 私が再びボストンの地を踏むことがあるかどうか今はわかりませんが,どちらにしても,こののち再びボストンに行っても,私が2013年に訪れたときのようなボストンへの想いを感じることはできないでしょう。そういった意味でも,そのとき,私もよい旅をし,よい思い出を残すことができたということを,この番組を通して再認識することができました。
 私は,その旅で感じた夢のようなタングルウッドの風の音と空気の香りを決して忘れることはないでしょう。私の心にも,ボストンは永遠に生き続けているのです。

◇◇◇
「おわらない夏」-おとぎの国タングルウッド
2013アメリカ旅行記-愛しのフェンウェイ①
2013アメリカ旅行記-雨のボストン⑤
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」①
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」②
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」③
「おわらない音楽」-世界のオザワと途方もない人脈

DSCN3111

 夏の旅行を終えて帰国した自宅に届いていたのは,出発前に注文してあった小澤征爾さんの「おわらない音楽」でした。
 この本は,日本経済新聞に連載されていた小澤征爾さんの「私の履歴書」をまとめたものです。本の題名は,私には,小澤征爾さんの娘さん小澤征良さんが書いた「おわらない夏」という本からとったもののように思えました。
 「終わらない夏」については,以前,このブログに書いたことがありますが,この本は,
  ・・・・・・
 子供部屋の椅子にすわると,きらきらひかる夏の思い出が降ってきた。私は,すべてを書きとめる。タングルウッドでの家族,友達,森や動物…。小澤征爾氏の長女がピュアな感性でつづる話題作。
  ・・・・・・
というウリなのですが,ネットに書き込まれた読者評はあまり芳しいものではなくて,たとえば,お金持ちのお嬢様の日記だとか,こんな個人的な日記を書かれても… はっきりいって読む価値なしでした,などといった手厳しいものが並んでいました。
 しかし,私は,この本は好きです。この本を読むと,昨年の夏に私が行ったタングルウッドの風景がよみがえってきます。そして,小澤さん一家はこうしたところで,夏を過ごしていたんだなあ,と,私も,そんな若き日を過ごしたかのような気持ちになるのです。

 それとは別に,小澤征爾さんの日本凱旋までを綴った「僕の音楽武者修行」という本があって,その本は,
  ・・・・・・
 外国の音楽をやるためには,その音楽の生まれた土地,そこに住んでいる人間をじかに知りたいという著者が,スクーターでヨーロッパ一人旅に向かったのは24歳の時だった…。ブザンソン国際指揮者コンクール入賞から,カラヤン,バーンスタインに認められてニューヨーク・フィル副指揮者に就任するまでを,ユーモアたっぷりに語った「世界のオザワ」の自伝的エッセイ。
  ・・・・・・
で,私は,これを読んで,随分と感化されました。

 「おわない音楽」は,その「僕の音楽武者修行」にも書いてあったことと随分とタブっているのですが,この本に書かれていた中で,私が,小澤征爾さんの築き上げてきた人生のなかでもっとも印象に残っている出来事は,ブザンソンの国際指揮者コンクールです。
 小澤征爾さんは,ブザンソンの国際指揮者コンクールに出場しようと,日本の大使館に出かけたのですが,全く相手にされなかったどころか,強制送還さえされかかりました。そのとき,アメリカ大使館の助けがあって,コンクールに出場することが出来て,1位になり,その結果,世界のセイジオザワがあるのです。小澤征爾さんは,ブザンソンの国際指揮者コンクールで1位になったことで,ニューヨーク・フィルの副指揮者になります。そして,日本公演のために来日したときに団員に促され,家族や同僚・恩師の待つ空港に,飛行機からまっさきに姿を表す感動的なシーンがあります。

 その後,小澤征爾さんは,N響からボイコットされて日本にその居場所をなくしたり,日フィルを救ってくれと天皇に直訴して問題になったりしたことは,私も当時の新聞を読んだので覚えているのですが,そのいずれも,「御上」の国・日本らしいというか,この国らしいなあ,というのが,私の感想です。

 この本を読んで思うのが,小澤征爾さんは,なんとまあ,すごい人脈に恵まれていたことか,ということなのですが,そのこと自体,小澤征爾という人の人徳によるものだと思うのです。たとえ,こうした人たちが身近にいたとしても,彼らがその才能を認めて援助を惜しまないということはなかなかあるものでないでしょう。
 小澤征爾さんの父の北京の家には小林秀雄や林房雄が訪れ,母の伯母の息子が斎藤秀雄であり,進学した成城学園高校には,山本直純がいました。また,桐朋学園の同期は下級生には,堀伝,潮田益子,堤剛など蒼々たる人たちがいるし,高校のとき十二指腸潰瘍で入院した聖路加病院の主治医は日野原重明先生だったし,海外留学を思い立った時に世話をしたのが,成城の同級生水野ルミ子さんの父であるフジテレビの水野成夫社長,のちの妻江戸京子さんの父は三井不動産の社長。なんとか海外留学に出て,疲れからパリで風邪をひき,助けてくれたのが,ちょうどパリにいた吉田秀和氏…。

 世の人たちは,だから小澤征爾というのは恵まれた人なのだと思うかもしれませんが,こういう宝くじに当たったような幸運な人生を送ることができる人がいたっていいと私は思います。それに,悪口でなく,音楽家というのは,浮世離れした独特の生き方をしている人が多いけれど,私は,芸術家はそれでいいと思うのです。
 自分の能力で他人を幸福にできる才能を持っているとは,なんと,すばらしい人生なのでしょうか。
 私は,アメリカを旅して,タングルウッドを訪れてみて,はじめて,まるで地球儀の上を歩くかのように地球規模で生きている人の,その生き方とか挑戦するダイナミックな気持ちが,なんとなくわかるようになってきました。
 それにしても,自分のまわりの世界だけやちょっとした利害にこだわったり,絶えず,人との順位ばかりを気にして生きてる人のなんとスケールの小さいことか!

DSCN5155

DSCN3382sDSCN3410

 ここで,話が変わります。
 2013年の後半のN響の定期公演は,10月がノリントンさんの指揮,11月はブロムシュテットさんの指揮と,まったく個性の異なるふたりの指揮者の演奏会で,聴いていてとてもおもしろいものでした。私は,11月のほうは聴きにいったのですが,10月は,テレビの放送で見ました。
 素人の私がおもしろいと思ったのは,団員さんの態度の違いでした。
 ブロムシュテットさんに対しては,こころから尊敬しているという感じがにじみ出ているのに対して,ノリントンさんには,演奏後,本人はとても楽しそうなのですが,団員さんは,だれも笑っていない,というか,もうたくさん,みたいに感じるたのは,私だけなのでしょうか。
 解説者によれば,ノリントンさんの演奏はピュアトーンといって,弦はノンビブラートだし,ティンパニも音が違うベートーヴェンで,聴いているほうはとても面白くて,楽しいのですが,弾くほうは大変なのか,同意していないのか,そこのところはよくわからないのですけれども,団員さんの本音はどういうものなのでしょうか。

 こういったことに対しても,表面的な話ではなくて,それは是か非かということでなくて,本音の話を解説してもらえるようなものがあれば,もっと楽しめるのになあ,と感じます。
 演奏会の感想に限らず,新製品の話題でもそうですが,よかったとか悪かったとか,その製品が期待はずれだったとか売れるとか,買いだとか,そういった,いわば,売るほうの目線で購買欲を煽るようなものはとても多いのですが,そういったことではではなくて,そういったものが作られたエンジニアの志というか,本音が吐露されてあるといいなあと思うのです。
 この本の中にも,「自分が何をどういう風ににやりたいのかということを,はっきり心に定める必要がありますね」という村上春樹さんの言葉があります。まさに,私も,そのことを言いたいわけです。

 今は,何事も,初心者を対象としたテレビ番組とか啓蒙書ばかりです,それは,売れること,人気があることがその価値観の基準になっていて,それを満たさないと批判されるというか,経営が成り立たないからなのでしょうが,私は,そんな傾向には反対で,それは,民衆を馬鹿にしているのだと思います。君たちにはわからないよ,といわれているようなものです。
 初心者を対象にすることは大切ですけれども,それには,内容を簡単にしてしまうよりも,難しくても,なにか凄い,と思わせるような本物にたくさん接するようにして,それに対して興味深く造詣のある人が解説する方がいいと思っています。当然,受け手はそれを理解する必要はありますけれども。でも,人間の知性を甘く見てはいけません。
 英語のテキストでも,新聞とか映画とか,実際に使われている英語を題材にすればいいのであって,単語を簡単なものに直したり,文章を書き換えたり,絶対に言わないようなスキットにするから,どれだけ勉強しても,実際には使えない,ということになるわけです。私も,ずいぶんとそれで苦労をしました。
 そういった意味でも,この本は,簡単ではないけれども,素晴らしい。だから,この本を読んで,私は,もう一度,きちんと,音楽を聴いてみたくなったし,人間が魂を込めて作り出した芸術を尊敬する気持ちがより高まったというわけです。

DSCN3338sDSCN3361DSCN3403s

 その後,この本を読み進めていくと,偶然にも,小澤征爾さんがルドルフ・ゼルキンさんと競演したときのこととか,ピーター・ゼルキンさんのことがたくさん出てきました。また,さらに読み進めていくと,私が昨年行ったアメリカ・マサチューセッツ州のタングルウッドの素敵な景色も思い出されて,どんどん幸せな気持ちになっていきました。
 ブラームスの協奏曲の次に書かれてあったのは,ベートーヴェンのピアノ協奏曲の第3番でした。
 この中では,内田光子さんの話題が秀逸でした。
 残念ながら,小澤さんとの共演はできなかったそうですが,先日テレビで放映されていた内田光子さんのこの曲のコンサートを思い出して,そのコンサートを見る前にこの本に出会っていたらどんなによかったことかと思いました。

 そして,話題は,ブラームスの第1番交響曲の第4楽章になって,ここに書かれてあった,ホルンとフルートの演奏方法についての話はすごいと思いました。
 やはり,実際にその場にいて演奏している人の生の声は,ものすごく重たいものです。こんなことは,素人にはまったく見えません。そういった話を引き出している村上春樹さんも,また,すごいと思いました。
 これ以上書くと,限がありませんから,内容についてはこれくらいにして,後は,読んでみてください。
 ただし,最後の315ページあたりから後の若者のレッスンの話は,私には,それまでの,小澤さんの薀蓄のある思い出話に比べれば,いまひとつ面白くなかったので,この本は,314ページまでで終わったほうがよかったと思いました。それだけでもずいぶんと読み終えるの時間もかかり,非常に濃度の濃い本だからです。


 私は,随分と前のことになりますが,小澤さんとボストン交響楽団の演奏を直で聴いたことがあります。その時の曲目のひとつが,バルトークの「管弦楽のための協奏曲」で,この本にも書いてありましたけれど,それが小澤さんの得意とする曲のひとつだったことは,幸いでした。あの演奏のピンと張りつめたよい意味での緊張感は,今でも忘れられません。
 小澤さんは,また,マーラーも得意としているということなのですが,ボストンの常任指揮者を辞めるときの最後の演奏会の曲目はマーラーの9番交響曲でした。その演奏の最終楽章は,アダージョの消え入るような音楽が延々と続くのですが,観客のひとりがその間,たえまなく咳をしていて,台なしになってしまったのは,本当に残念でした。
 この演奏会のことも,この本に書かれてありました。発売されたDVDには,咳はカットされていたのでしょうか。

 小澤さんは,病気をされたこともあり,巨匠たる雰囲気になりえなかった,ということが,私にはずっと残念でした。そのころ私の思っていた巨匠というのは,晩年の朝比奈隆さんとか,ギュンター・ヴァントさんのようなブルックナー指揮者の姿だったのですが,今の私は,その考えは間違っていたと思うようになりました。このことは,現在,N響の名誉指揮者として,絶対の存在感を誇るブロムシュテッドさんにもいえるのですが,自らそれを望んでおられないのだと思います。
 音楽は,権威ではないのです。
 この本は,そんな偉大なマエストロが人生をかけて我々に伝えたかった本当の気持ちが一杯,数えられないほど一杯詰まった素敵な本です。

DSCN3318DSCN3321

 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾×村上春樹)という本を,やっと,読みおえました。
 この本が出版されたのは,1年以上前で,その当時,たいへん話題になりました。私は,どうも,音楽の専門家でない人がそういった類のものを語るというものが苦手で,たとえば,Eテレの「らららクラシック」の石田衣良さんとか,もうそれだけで見る気がしないというか,だから,この本も食わず嫌いで,今まで手に取ることこともありませんでした。
 年末に,Eテレで「クラシック・ハイライト2013」という番組をやっていて,その番組で,私が最も感動した小澤征爾さんの指揮するサイトウ・キネン・オーケストラと大西順子さんの共演を紹介したときに,小澤征爾さんと大西順子さんを引き合わせたのが村上春樹さんだという話をしていて,その話の中で,この本のことが紹介されていました。
 それがきっかけで,ようやくにして手にしたというわけです。
 それにしても,年末の総合テレビの,恒例となっている学芸会のような番組(朝日新聞には,この番組のことを「日本の文化」と書いてありましたが,所詮,日本の文化というのはその程度のものだといいたかったのでしょうか…)の裏で,これほどすばらしい番組をやっていても,どれだけの人が見ていたのかしら,と残念に思っています。

 この本は,読み始めたら,止まらないというか,これが,ものすごくおもしろいのです。
 私は,2013年にマサチューセッツ州ボストン郊外のタングルウッドに行って感動したこともあって,そして,大西順子さんとの共演でもまた感動したこともあって,その感動の渦の中にこの本を投げ込んだから,化学反応を起こしてしまったのです。
 内容は,ブラームスのピアノ協奏曲第1番について対談をするというところからはじまりますが,この曲のテンポについての話題になって,たとえば,グレン・グールドの弾くテンポが異常に遅かった,というようなことが述べられていました。
 ここまで読んで,私は,ここで,随分と前のことになるけれど,準・メリクルさんが指揮するN響の定期公演で,ピーター・ゼルキンという,大ピアニストであったルドルフ・ゼルキンを父に持つピアニストが,このブラームスの協奏曲を弾いたのを前から5列目で聴いたのを思い出しました。
 このピアノ協奏曲を生で聴いたことのない人は,ぜひ,ステージの近くで,一度ライブで聴いてみるとよいと思いますが,CDとかで聴くのとは違って,生の演奏を聴くと,異常な緊迫感というか,この曲は,オーケストラとピアニストの間に,お相撲の立会いのような日本的な間があるのです。そして,その丁々発止の掛け合いがすごくおもしろいというか,私は,この協奏曲を聴いて,協奏曲というのは,オーケストラは演奏することよりも待つこと,すなわち,ピアノに合わせて出ることが最も大切なのだということをはじめて知りました。同じようなことは,ベートーヴェンのバイオリン協奏曲にも言えます。

 その時の,ピーター・ゼルキンさんのテンポが異常に遅い,というか,まさに,止まってしまうような感じで,聴いていて,私は,本当に疲れました。この演奏に対して評論家さんも同じようなことを書いていました。素人の私は,このピアニストは,本当はものすごく下手なんじゃないか,とさえ,思いました。指揮者の準・メリクルさんも,指揮台の上で,非常に苦労して合わせている,というのが,間近で聴いていて切実に伝わってくるのでした。
 第一,ピアノという楽器は,弦楽器のようなメロディアスなものではなくて(音がなめらかでないということです),つまり,アナログでなくてデジタル,音が断片的に出てくる打楽器なのだから,これほど遅いテンポで弾かれると,音がつながらないわけで,だから,一歩一歩大地を踏みしめていくというか,そんな感じになっちゃうのです。
 ところが,この演奏が,聴衆の心に残ったというか,それを聞いていた観客にものすごく評判がよかったのでした。 私自身も,未だに,その時の音が残っているし,そうしたことを考えても,果たして,音楽とはなんなのだろう,と本当に思ってしまうのです。
 そんなことを思い出したこともあって,私は,この本で,はじめにブラームスの協奏曲が取り上げられていたことが,本当におもしろかったわけです。

◇◇◇
「春樹さんは『小澤征爾さんと、音楽について話をする』」について書くブログには,私が昨年撮っていたタングルウッドの写真を載せます。

このページのトップヘ